08.ピエロ

 俺は山田に3日で仕上げると宣言した。

 悪いが、あれは嘘だ。実際は8日だった。


 正直、舐めていた。

 あの過酷な世界を生き抜いた経験がある俺は、現実世界などイージーだと思っていた。


 山田のトラウマは想像を上回った。

 何より驚いたのは、彼女の精神力だ。


 およそ172時間。

 彼女がトラウマと向き合い続けた時間だ。


 賞賛に値する。

 そんなにも長く親友の死を見続けたら、俺でも理性を保てるかどうか分からない。


 かくして彼女は試練を乗り越えた。


 さて、次に何が起きる? 

 答えは簡単だ。謎の失踪事件が解決する。


 8日だ。それだけの時間、二人の高校生が姿を消せば事件になる。


 しかし、そうはならなかった。

 時間が同期していなかったのだ。


 実に考察しがいのある結果である。

 近いうちに他のスキルも差異が無いか検証する必要があるだろう。


 だがそれは後の話だ!

 今の俺は、それどころではない!


 未曾有の大事件!

 あってはならないことが起きた!


 ──数年ぶりの我が家。

 自室のタンスを開けた俺は絶望した。


「なんだこの中学生がママに買ってもらったようなラインナップは!?」


 とてもデートで着られる代物ではない。

 ならば店で調達をと考えたが、財布を見ると千円ちょっとしか入っていなかった。


 このクソ陰キャ野郎が!?

 あああああああああああああ!?


「落ち着け。冷静になれ」


 過去の自分にキレても仕方がない。

 ステイ・クールだ。まだ下級淫魔にも勝てなかった頃、師匠が射精我慢筋を鍛えてくれた時のことを思い出す。


 あれは本当に過酷だった。

 しかし今となっては良い思い出だ。


「おっと、懐かしんでいる場合ではないか」


 今日は諦めて制服にする。

 まともな服は……明日にでもバイトを始めようか。善は急げというものだ。


 そのためにも。


「ズヴィーバとやらを片付けねばなるまい」


 俺は気取った動きで部屋を出る。

 

「……千円か」


 風呂に入った。

 コンビニに寄った。


「……ヨシ!」


 準備万端。

 俺は待ち合わせ場所へ向かったのだった。

 


 *  *  *



 待ち合わせ場所は校門の前。

 制服姿の彼女は、ぼんやりと空を見上げていた。


 秋の空。

 この言葉を聞くと、健全な男子高校生はエッチな本を思い浮かべるはずだ。


 美少女があきのそらを見ている。

 良い。実に官能的な響きのある言葉だ。


 マジカルおちんぽというファンタジーに負けなかったあの作品は全人類が読むべき名作だった。三年経った今でも忘れない。今夜、久々に読み直すとしよう。


 ──このように、何気ない日常にも無数のエロスが潜んでいる。どの世界でも同じなのだと思いながら、俺は彼女に声をかけた。


「はっする~」


 彼女は俺を見上げると、目を細めた。


「……なに?」

「む? ただの挨拶だが?」

「……そう」


 なぜだ。好感度が下がったぞ?

 ……はっ!? そうか、この世界で「はっする~」などと挨拶をすることはない! 


「クソ陰キャ野郎は、変わってるね」


 クソ陰キャ野郎に戻っている!?

 

「歩こうか」

「……うむ、そうだな」


 いかん、どうにも距離感が掴めない。

 

(……待て。相手のペースに合わせる必要は無い)


 俺は前を歩いていた彼女の隣に並び、そっと手を握った。


「……っ!?」


 素早く手を引かれ、汚物を見るような目で睨まれた。

 俺は大淫魔の吐息に匹敵する精神的ダメージを受けながらも、心に宿る淫力を振り絞り手を離さなかった。


「ズヴィーバを誘き出すためだ。我慢しろ」

「…………分かった」


 ふふっ、苦虫を嚙み潰したような顔も、身構えていれば悪くない。


 ああ楽しみだ。

 この態度が、どのように変化するのだろう。


「……クソ陰キャ野郎は、何者?」


 しばらく歩いた後、山田は小さな声で言った。


月影つきかげ翔馬しょうま。お前の同級生だ」

「そういうこと、聞いてない」

「冗談だとも。あまりに名前で呼んでくれないからな。寂しくなってしまった」

「それはお互い様」

「俺は山田胡桃と何度も呼んでいるではないか」

「その呼び方は嫌い」

「なぜだ」

「虫唾が走る」

「言い方ッ」


 実に辛辣な女だ。

 しかし、この程度はご褒美の範疇である。


「ならば胡桃と呼ぶことにしよう」

「……いいよ」


 良いのか。不可解な基準の持ち主だな。


「……しょーま?」

「好きに呼ぶと良い」

「じゃあ、クソ陰キャ野郎」

「……良かろう」

「怒らないの?」

「好きに呼べと言った。男に二言は無い」

「……ふふっ」


 やや間があって、彼女は笑った。

 何が面白かったのか不明だが、悪い気分ではない。


「良い笑顔だな」

「……そう?」

「ときめいた」

「……そう」


 くっ、なかなかガードの硬い女だな。

 照れ隠しの「……そう」ではなく、本気で興味が無い時の「……そう」だった。


 彼女は急に立ち止まった。

 俺は少し遅れて足を止め、振り返る。


「クソ陰キャ野郎は、何者?」


 人通りの少ない開けた場所。

 綺麗な黒髪を少し強い風に弄ばれながら、彼女は真剣な目をして言った。


 俺は手を離し、腕を組む。

 そして数秒だけ思考した後に返事をした。


「胡桃の敵ではない。この答えでは不服か?」

「……話せないこと?」

「いいや、全くそんなことは無い」


 俺は肩をすくめ、おどけて見せる。


「謎を残した方が、俺に興味を持ってくれると思ってな」

「あるよ」


 予想外の返事に眉を上げる。


「クソ陰キャ野郎のおかげで、大事なこと、思い出した」


 彼女は優しい表情をして、両手を胸に添えた。そして何か大切なモノに触れるかのように、そっと手を握り締めた。


「……ありがとう」


 どこか照れたような笑み。

 俺は、彼女のことがたまらなく愛おしくなった。


「何を言う。感謝を述べるには、まだ早いぞ」


 だからこそ、


「胡桃の言葉を聞くのは後にする。例えば──」


 俺は冷静に呼吸をして、


「そこのピエロを滅ぼした後に、とかな」


 挨拶代わりに、攻撃用のスキルを発動させた。


「おっほぉ~♡ なんで分かったんですか♧」


 綺麗なムードは消え去った。

 少し遅れて反応した胡桃は振り向き様に杖を握った。


「初めて見る男ですねぇ♢ データに無い……」

「記憶する必要は無い。そのデータを活かす機会は決して訪れないからだ」


 俺は電柱の上に乗ったピエロを睨む。

 それから腹に力を込め、全力で宣言した。


「貴様は俺を不愉快にした。故に、今日ここで滅ぶ!」

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