仮初ニ死
伊勢右近衛大将
1話 Die a logue
月の皮を剥いで人間大にコンパクトに再構築した人間がいたとするなら……
その人間は月の抜け殻を被っただけの夜をもたない怪物だ。
みてくれだけは月のようで、生命という壮大な神秘と永遠の輝きを併せ持ち。
内面は月の裏側のように、決して覗けない深淵と歪な傷痕があるのである。
◆
──ソコは伽藍として。
レンジの中みたいな病室だった。
病室であるのに関わらず、命の匂いさえない無色の籠でもあった。
それか、大きな角のない四角形の箱。
世界から断絶された、もう一つの地表。
病室はえらく殺風景で無駄にだだっ広く、人間が使うにしては大それた部屋である。
中央にはとってつけたそれらしいベッド。
箱の中身はそれだけだった。
他に物らしい物はなく、窓からの月光が密やかに部屋を照らす。
子守唄が聴こえた。
例えばそんな理由。
エンキという青年がここに来た理由がそれだった。
いや、理由にしては少々奇怪。
ここの病室は誰に問いただそうと。
誰もいないの一点張り。
なのに、毎晩決まって子守唄がここから聞こえてくる。
──忌々しいったらありゃしない。
悪態の声が無色に滲む。
ただし、色褪せることはない。
エンキに嘘は通用しない。
それを知っている看護師と医者が、こぞってエンキに嘘をついた。
人間に興味を持つことを極端に嫌うエンキにとって、その嘘はあまりに目障りだった。
だから……元凶である子守唄をうたう者。
ソイツを殺して自身の興味も嘘も殺し尽くして、嘘をホントウにしてしまおうとエンキは考えた。
病室に監視モニターもナースコールもつけられていない。
病人は命を剥き出しにしてベッドで転がっているだけ。
──ガラスの破片。
ちょうど人間1人分殺せるほど。
先程、窓を破って忍び込んだ際にできた副産物である。
ベッドへ寝ぼけ眼でふらふらと。
歩いて、10数歩という距離をつめる。
足音が無駄に反響する室内。
物がないので、当たり前といえば当たり前であり。
エンキにとって、味気ないと言わざる負えない気分であった。
──逃げも隠れもできないなんて、たいそうなご身分なことだ。
寝ぼけた瞳で病人を見て、無感覚に病人へ呟いた。
声に同情はなく。
ただ、想像通りの有様がありありと浮かぶ未来に本当に失望しただけだった。
ついに足音は止まる。
反響から残響へ、いつのまにか手から溢れ落ちる音は雨の音に変わっていた。
赤い水がガラスを伝っていく。
エンキの腕が徐々に上がるたび、赤い雨がゆっくりと勢いを増す。
数滴ほどベッドに落ちたようで、赤い水飴のような溶けた跡がシーツに広がった。
あとはエンキがコレを振り下ろすことで、雨は止むことだろう。
──まるで、月の剥製だな。
おそらく、病人の死に顔は夜更けにあう。
さして、興味もなく考える。
この病人も最後には現世から解放された穏やかで慎ましい顔で死にゆく。
気まぐれに殺した者はこぞって、そんな顔をしていた。
ホント。
──羨ましい結末だが、真似したくないな。
えらく綺麗で脆そうな真白い首に誘われて、真っ赤なガラスが狂いなく墜ちる。
【──私を殺すなんて、勿体無い】
ガラスが首を串刺す直前。
そんな声がエンキの耳に入った。
最後の残響が止まった。
エンキの眼下には月の死体。
もがく暇もなく、呆気なく絶命した病人。
──ほら、贅沢だったろ。こんなにも満ち足りた死に様なんだからさ。
病人の死に顔は人間とは思えないほど穏やかであった。
対してエンキは到底抗えない死の感触に荒々しい憎悪を抱いていた。
【私を殺したって言うのに、失礼しちゃう。そんな、どうせ聞こえないのに嘆いてみたりしてね。吐くほど乙女、私ってば】
──ああ、残念だとも。まだ子守唄が続きそうでさ。
【……へぇ。アナタは私の声が聞こえるんだ】
今死んだばかりの病人とその病人を殺した人物が会話をする。
エンキはこのおかしな事態に、たいして驚かず死人が逆に驚いているようだった。
──どんな技術か奇跡を行使したか分からないが、アンタなんで存在してる?
【私を殺したおバカさんになんか、答えるとでも?】
──それもそうだな。邪魔した。気が向いたらまたくる。
言って、興味をなくした様子でエンキは侵入した窓から自室に戻っていく。
語ることでもないが、彼の去り際は寝惚けた人間にしてはよく歩けている方であった。
【まるで、神出鬼没のサンタクロース】
呟いた声は部屋に反響しない。
それは彼にだけ届く言葉。
これは、体を無くした少女と魂を無くした少年のお話。
仮初ニ死 伊勢右近衛大将 @iseukon
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