第5話 決裂と未来の旦那様

 胸元に違和感を覚え目をさます。

 重い眼を無理矢理開けて下を見ると、俺の胸に顔を押し付けながら息を吸う女がいた。

 ……見なかったことにしよう。


「おはよう、悠斗」

「……おはよう」


 一瞬で気づかれた。

 

「何してんの?」

「人間って寝ている間にたくさんの汗をかくの」

「……だから?」

「言わなくてもわかるでしょう?」

「あんまりわかりたくないなー……」


 やっぱり、こう、ちょっと性癖が……。

 というか未だに胸元に顔を押し付けたままだし……。


「いい加減顔を離してくれないか?」

「朝は口の中の常在菌が一番繁殖しているの」

「あー、なんか聞いたことあるな」

「だから、いや」

「なんだそりゃ」

「私が息を止めてる間に部屋から出ること。これが飲めないなら一生このままよ」

「……俺の息が臭いってこと?」

「そうじゃなくて……!」


 もしかして、自分の息をかがれたくないのか?

 変なところにこだわるな……。

 まあ別にいいけど。


「あー、そういうことな。はいはい、わかったよ。シャワー浴びていいか?」

「どうぞ、その間に朝ごはん作っておくわね

「悪いな、片づけは俺がするよ」

「ええ、わかったわ」


――

―――

――――




「ごはん、出来てるわよ。あんまり時間がないから簡単なものしかないけど……」

「おー、美味そう。十分すぎるよ」

 

 食卓に食パンととベーコンエッグが並んでいる。

 朝は基本的に適当なパンを食べるだけ、みたいな生活をしてた俺からすれば心地の良い朝の陽ざしが差し込むリビングでこんな優雅な食事ができるだけで幸せってものだ。


「ねえ、今日のお昼屋上に来れる?」

「別にいいけど、なんかあるのか?」

「お昼ご飯ごはん、一緒に食べましょう? 本当はお弁当も用意したかったんだけど……」

「起きるの遅かったし仕方ないよ、それじゃあ昼になったら屋上で集合しようか」


 愛衣に文句言われる可能性はありそうだけど、まあ別にいいだろ。

 

「昨日話した物知りな知り合いにも声をかけておくわ、多分色々調べてくれてるはずだから」

「え? ああ、わかった」

「……どうかした?」

「いや、なんでもないよ」


 久遠の事だからてっきり二人きりでとか言い出すかと思ったけど、流石に自惚れすぎたか……?

 ほんの少しだけ寂しい、なんだこれ。


「それと、これからは毎日一緒に屋上で食べることにしましょう」

「え?」

「明日からは二人きりで、ね?」

「……そうしようか」


 あー、やばいな。

 うん、だいぶやばい。

 自分の顔がどうしようもなく気持ち悪くなっているのがわかる。

 気づかれないように、下を向き目玉焼きを頬張る。

 どうやら俺は、たった一日で相当絆されてしまったみたいだ。

 我ながらちょろいな……。


――

―――

――――



「ゆー君、昨日はごめんね……! 楽しく遊んでたのに、邪魔しちゃったよね……」


 教室について早々、愛衣が焦ったように駆け寄り謝罪してきた。

 多分昨日大量にメッセージ送ってきたことを謝ってるんだろうけど、普段は絶対そんなことじゃ謝ってこないのにどうしたんだ……?


「別に、いいけど……」

「そ、そっか……! ありがとうっ。やっぱり、ゆー君はやさしくて大好き」


 なんだこいつ?

 急に媚び売って来やがって。

 どうせ、昨日もあの後竜胆にあった癖に。


「ねえ、今日は空いてるよね? デートしたいなぁ」

 

 甘くささやくような猫なで声が耳に障る。

 やや茶髪がかった綺麗なポニーテールが、切れ長の瞳が、大きな胸が、魅力的に見えていた何もかもが、全て気持ち悪い。


 無理だ、俺にこの女は許せない。


「……ゆー君?」

「今日も予定があるんだ」

「あ、そ、そっか。……なら、お昼一緒に食べよう? お弁当、作ってきたの」

「悪い、無理」

「……じゃ、じゃあ、お弁当だけでも持って行って? ゆー君の好きな物いっぱいいれてあるよ?」

「だから、今日は忙しいから無理だって言ってるだろ」


 愛衣の殊勝な態度が余計にイライラする。

 こいつ、俺に罪悪感を植え付けるためにわざとやってんのか??


「ご、ごめんねっ。じゃあ夜とかにでも……」

「いらねえって言ってんだろ!? 別のやつに渡せよ!!」


 竜胆の名前が出そうになるのをぐっと堪える。


「おい悠斗、お前いい加減に……」

「亮介君、いいの。大丈夫……」


 隣の席で様子を見ていた亮介が止めに入って来る。

 教室もざわめきだす。

 大声を出し過ぎたか……。


「ね、ゆー君、私他に渡す人なんていないよ……?」

「どうだか……」


 愛衣の目が充血し、声もかすれている。

 泣いたふりでもするつもりか?

 悲劇のヒロイン気取りですか??


「ほんとにホントだよ? お義母さんにだって誓える……!」

「は?」


 こいつ、殺してやろうか?

 明確に殺意が芽生える。

 こいつが言う“お義母さん”ってのは、俺の死んだ母の事だ。

 自分の親の事は“ママ”って呼ぶからな。

 つまりこいつは、俺の親の名前を使ってまで嘘をついたって事だ。


「ねえ、信じて? 誰に何を聞いたのかは知らないけど、私はゆー君を裏切ったりしてない」

「別に、裏切ったなんて言ってないだろ。ホントに用事があるだけだよ」

「……わかった。けど、これは受け取ってほしいな」


 そう言って、俺に弁当を押し付けて来る。

 周りを見ると、俺を責めるような視線が集まっている。

 まあ、傍から見てたらそうなるよな……。

 これ以上断るのも面倒なだけか……。


 俺は黙って弁当を受け取り、廊下へ向かう。


「ゆー君?」

「具合悪いから保健室で寝てる」

「え、大丈夫? ついて行く……」

「一人で行ける」

「……わかった」


 愛衣の顔をこれ以上見たくないから保健室に行くのに、張本人についてこられたら何の意味もない。

 教室中の俺を責める無言の声を感じながら、俺は保健室へと向かった。

 

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