第4話 懐かしい味と未来の旦那様
元カノの事とか浮気されたこととかこいつやべー女なんじゃないかとか、そんなことがどうでも良くなるくらいに久遠の体は柔らかく俺の気持ちを昂らせていく。
「ねえ、キスしましょう?」
「いや、俺たちまだ付き合ってないし……」
「許嫁なのよ? 問題ないわ」
そう言って、耳元にあった顔が正面にやって来る。
黒く澄んだ瞳から視線を離せない。
改めて近くで見ると信じられない位整った顔だ。
「……来て」
久遠は、大きく一度深呼吸をすると意を決したように目を瞑る。
ここでしないのは流石にまずいか……?
したいかしたくないかで言えば、そりゃ間違いなくしたい。
けど、どうしても頭から愛衣の顔が居なくなってくれない。
……いや、このままじゃダメだ。
あいつが先に裏切ったんだ。
だったら、いいだろ。俺が裏切ったって。
ぴったりとくっついた体からわずかな震えを感じる。
緊張しているんだろう。もしかしたら、久遠にとってはこれが初めてのキスなのかもしれない。
震える身体を抱きしめて、俺は静かにキスをした。
唇を合わせるだけの、昨日まで何度もしてきた子供のお遊びみたいな行為のはずなのに酷く興奮する。
相手が久遠だから?
それもある、けど一番は……。
「んっ……」
久遠の口からわずかに息が漏れる。
そんな些細な事で、俺の理性は吹っ切れた。
「んんっ……!?」
わずかな隙間から舌を入れ、口の中を犯していく。
さっきまでの子供のお遊びとは違う、本当のキス。
きっと慣れていないんだろう。久遠の舌はぎこちなく所在なさげに口の中をさまよっている。
そんな舌を追いかけて、絡めていく。
肩を握る手の力がどんどん強くなる。
「……ぷはっ」
一度口を離すと、久遠の顔が真っ赤になっている。
「はぁ……はぁ……」
「大丈夫か……?」
「……どうして、そんなに」
「え?」
「……なんでもないわ、今日はここまでにしましょう?」
「ああ、うん……」
正直言うと、それ以上を期待していた自分もいた。
背徳感ってのはこんなに興奮するんだな。
ほんの少し、愛衣がどうして浮気したのか理解できた気がした。
「ごはん、作るから……そこで座ってて?」
キスをする前よりも落ち着いてる気がするけど、気のせいだろうか?
舌を入れたのはやり過ぎだったかも知れない。
「手伝うよ」
「あなたに料理を振る舞うのが夢だったの。だから、そこで座っていて?」
そこまで言うなら仕方ない。
俺はおとなしくソファに座って待つことにした。
―
――
―――
――――
「いただきます」
三十分ほどで食卓にはシチューが並んでいた。
正直、滅茶苦茶旨そうだ。洋食屋で出てきても不思議じゃない見た目だ。
「懐かしいわね、この食卓で一緒に食べるの」
「あー、そう言えば子供のころよく一緒に食べてたな」
朧気な記憶だけど、なんども一緒に食べていた気がする。
ひどくあいまいで不鮮明だけど、この食卓と、楽しかった記憶だけはなぜだか覚えてる。
「……美味しい」
取り敢えずシチューを一口食べてみた。
考えるよりも先に言葉が出てくるくらいに美味しくて、そして何よりも心底懐かしい味がする。
なんか、これ……。
「ふふ、よかった。子供のころからずっと頑張った甲斐があったわ」
「子供のころ?」
「ええ、そうよ。あなたのお母さんにレシピを聞いたの」
「ああ、だから……」
だからこんなにも懐かしい味がするのか。
間違いなくこの味は間違いなく母さんの作ったシチューと同じだ。
「ありがとう、久遠」
「まだいっぱいレシピ聞いてるから、たくさん作ってあげるわ」
「じゃあ、次はカレーで頼む」
久遠が笑顔でうなづく。
「私にも食べさせて?」
「え?」
「ほら、あーん」
向かい座る久遠が口を開けながら身を乗り出す。
いや、それ言うの逆だし……。
「いや、駄目だろ……」
「……まさか、今更間接キスなんて気にしてないわよね?」
「うっ……」
「うそでしょ? 舌までいれたのに……?」
それを言われると痛い。
あの時は完全に理性が飛んでたから、ってのは通用しないよな……。
前を見ると、未だ物欲しそうに口を開けたままだ。
……なんかエロいな。
「あー、もうわかったよ! ほら、食え」
そう言って口にスプーンを押し込む。
「お店、開こうかしら」
「え?」
「我ながらびっくりするくらい美味しいわ」
「まあ、実際美味い」
「でしょ? 私がシェフであなたがウェイター。小さいけど人気のある隠れ家的なお店、老後もおしどり夫婦で、朝から晩までずーっと一緒……。あー、けど接客なんてやらせたら若い女に主人が取られちゃうかしら……? きっとあなたは素敵な歳の取り方をするだろうしおばあちゃんになった私じゃ流石に……」
も、戻ってこねぇ。
やっぱり小説家だから人よりも妄想力が高いんだろうか……。
「……風俗までなら許すわ。けど、お客に手を出すのは駄目。わかった?」
「何一つわかんねえよ……」
―
――
―――
――――
ようやく一息付けるな。
久遠はシャワーに入っている。
ようやく一人になれた。
スマホ、見てみるか……。
「うげっ」
『ゆー君ち行っていいー?』
『おーい!』
『おーい!!』
『どうしたの? 具合悪い? 今日元気無さそうだったもんね……。心配だよ~』
『本当に大丈夫? なんでもいいから返事ほしいな』
『今から家行くね! もし気づいたら連絡ちょうだい!』
最後のメッセージが送られたのが三分前。
今から連絡すればギリギリ言い訳できるか……?
……けど、そもそも言い訳する必要なんてあるか?
先に裏切ったのはあいつだし、別に何と思われようと関係ないか。
いや待て、今バレたら愛衣はただ竜胆と正式に付き合うだけだ。
だったら今はまだ取り繕っておくべきか。
『ごめん、気づいてなかった。今日は亮介の所に泊まるから会えないや』
メッセージを送ると、すぐに返事が来た。
『そっかー、分かった。じゃあ今日は帰るね~』
なんか、妙に物分かりがいいな。
普段なら亮介の家に来るとか言い出すのに……。
あー、わかった。
アイツに会うんだな。
まあいいか、俺も注意できるような状況じゃないし……。
なんかもう、どうでもいいや。
なるようになる。
どうせ本当は今日終わってた人生なんだ、流されていけ。
「あなたはシャワー浴びる?」
「うわっ!?」
びっくりした……。
いつ上がったんだ? 全然気づかなかった……。
……ほんのり濡れた綺麗な長い黒髪と、Tシャツ一枚になったお陰でより強調された綺麗な形の胸がそこはかとなくエロイ。
多分、Dカップとかか……?
「なんでそんな驚くの? ……やましいことでもしていたの?」
「急に声かけられたら誰だって驚くよ」
「……まあいいわ。それより、お風呂はどうするの?」
「俺は基本朝派だから明日にするよ」
「そ、じゃあそろそろベッドに行きましょう?」
「……はい?」
……まーた突拍子もないこと言い出したよ。
「この家、ベッドルームが一つしかないの」
「そうか、じゃあ俺はこのソファで寝るよ」
リビングで寝るのも別に苦じゃないし、これでいいだろ。
「駄目」
ですよねー。
なんとなく久遠の行動が読めてきた。
こいつ、俺に尽くしてくれる感じは出してるけど、本質的には暴君だ。
「ベッドルームに二つベッドがある認識で相違ないか?」
「相違あるわ」
でしょうね。
「ダブルベッド?」
「ええ、そうよ」
よし……!
取り敢えずこれで離れて寝られる。
これなら理性も持つだろ。
彼女と別れる前に別の相手とやるとか、そんな
「けど、くっついて寝ます」
「なんでだよ」
「あなたが私の未来の旦那様だから」
「仮な?」
「私はいつでも外す準備万端よ」
久遠が胸をはる。
だから強調しないでくれ、理性が……。
「はぁ……。わかった、一緒に寝よう」
先にトイレで抜いてこようかな……。
―
――
―――
――――
数分後、そのまま手を引かれてベッドルームに到着したせいで抜くこともかなわず俺はベッドの中でひたすら母親の裸を想像していた。
静まれ、静まれ……!
スゥーーー。
スゥーーー。
スゥーーー。
首元から鼻息が聞こえる。
……大丈夫?
ちゃんと息吐いてる?
呼吸って、吸うだけじゃ成立しないよ??
「はぁ……クラクラする……! 幸せ……。」
後ろから久遠の蕩けた声が聞けてる。
背中越しに感じる二つの柔らかい“何か”と、この声のせいで俺の理性まで蕩けそうだ。
「あなた、寝てる……? 寝てるわよね? なら、シても……」
俺の腕を掴んでいた手が離れ、“どこか”へ向かう。
いや、まずいまずいまずい!
このまま寝たふりしてたら始まるぞ!?
「……起きてるよ」
「そう、ならこっちを向いて?」
間一髪で止めたと思ったら、今度は別の試練が待っていた。
「俺は壁を向かないと寝れないんだよ」
この部屋はそんなに広くない。ダブルベッドを置いたら殆どそれだけで埋まり、後は化粧台とクローゼットがあるくらいだ。
俺は白い壁にくっつくように置かれていたダブルベッドの端に寝ている。
当然、久遠も俺の隣にいるので、大変もったいない位にベッドのスペースが余っている。
「本当? 何かを隠してるとかじゃないの? 例えば……」
俺の股間に誰かの手が伸びて来て、ズボン越しに当たる。
いやまあ、誰かというか一人しかいないんだけど……。
「やっぱり、固くなってる……」
残念ながら、母の裸は全くの無意味だった。
ちなみに、断じてマザコンではない。
「ねえ、これはなぁに? これを隠そうとしていたの?」
「別に固くなってない、だから離してくれ」
「ふーん、もっと大きくなるってこと? 意外と見栄っ張りなのね」
クスクスと煽るように笑いながら、股間に触れている手がゆっくりと上下に動いていく。
「わかった、わかったからそれ以上触るのは……!」
「じゃあ、こっちを向いてくれる?」
俺は渋々寝返りを打つ。
目の前に久遠の顔が見える。
つい数時間前にキスをした唇が、今また目の前にある。
「また、キスしたい?」
「いや、それは……」
そんなことしたら、今度こそ理性が持たない。
「ねえ、しましょ? キスも、それ以上の事も……」
「……しない」
「どうして? 私、そんなに魅力ないかしら」
ほんの少し、声が上擦っている。
「魅力的だよ、今だって必死に我慢してる」
「それならなんで……? 私、なんでもするわよ。あなたが望むなら、手も、口も……アソコも、おしりだって、なんだって捧げるわ」
「そういう問題じゃないよ」
「全部初めてよ? 誰にだって触らせてない、全部あなたのために残してある。身も、心も。あんな中古とは……」
「だから、そういう事じゃないんだって」
深夜、二人きりの部屋で、私を抱いてと叫ぶ魅力的な女性が目の前にいる。
それでも、一線を越えるのは嫌だ。
「アイツ《愛衣》みたいになりたくない。だから、別れるまで待ってくれ」
「……本当に、別れてくれるの?」
「明日にでも別れたい位だ」
これは本心だ。
俺は愛衣と別れたい。別れて、楽になりたい。
もう、引きずりたくない。
「……わかったわ、その代わり今日は私を抱いて眠って?」
「だから……」
「そういう意味じゃなくて、なんて言うのかしら……うーん、物理的に?」
「ああ、そういう事か。わかったよ」
首に手を回し、強く抱きしめる。
正直、これで手を出さずに寝るのもそれはそれで苦しいものがあるけど……。
「やっぱりあなたはいい匂いね」
「汗臭くないか?」
「それがいいのよ」
「なんか、変態っぽいな」
「あなただけの変態なお嫁さんよ」
「なんだそれ」
さっきまでの淫靡な雰囲気とは違う、どこか懐かしい空気を感じる。
ああ、そういえば昔一緒にこうして寝たことあったような……。
そんなことを考えているうちに、俺は眠りへと落ちていった。
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