第3話 本当の幼馴染と未来の旦那様
劇的な告白が終わった帰り道、俺と久遠は手と手が触れ合わないギリギリの距離を置いて歩いていた。
所々はがれているアスファルトで舗装された田舎道は夕焼けに染まり、久遠の家へと繋がっている。
そう、俺は今から久遠の家に行く。久遠曰く、未来の旦那様なら一緒に住むのは当然のことらしい。
……どうせ一人暮らしだからいいんだけど、ちょっといきなり過ぎないだろうか?
「ねえ、どうして死のうとなんてしていたの? あなたには、その……彼女もいたはずよね?」
「さっきも言っただろ? 俺にはもう何もないからだよ」
屋上と同じ答えを繰り返す俺に、久遠はむっとした表情をして俺を見つめる。
「あいつは……愛衣は俺を裏切ってた。竜胆史郎とかいう奴と浮気してた。……だからもうどうでもいいと思ったんだ」
「裏切る……?」
久遠の顔に影が差す。
俺はその表情に若干おびえながら昨日起こったことを久遠に伝えた。
「……許せない」
「いや、久遠が怒るような事でもないだろ」
「私の旦那様を侮辱されたのよ? 冷静でいられるわけがないわ」
そういうものなんだろうか?
ていうかまだ旦那様じゃないし。
「それで、あなたはどうするつもりなの?」
「どうするって?」
「まだ厳密にいえば別れたわけじゃないのよね?」
「……あっ」
よく考えたら別れ話すらしてないんだった……。
え、てことは今の俺って彼女がいるのに初対面の女からのプロポーズを受け入れたくずって事じゃん。
「まさか、忘れていたの?」
「いやちがっ……! ただほら、今日で全部終わりにするつもりだったから別れる必要もなかったんだよ」
うん、実際これもまた事実だ。
忘れてたのも事実ではあるけど、真実なんてものは往々にしていくつでもあるものだ。
「そう? それならそれでかまわないけど……。でも、考えないといけないわね」
「考える? 何を?」
「そんな物決まっているでしょう?」
そう言うと久遠はニヤリと笑う。
暗い影の宿るその表情は、久遠の内面の一端が表れているようで少し背筋が寒くなる。
「……復讐よ」
復讐……。
「確かに愛衣の裏切りは辛いけどだからって……」
「悔しくないの? あなたが別れ話をしたって今のままじゃ二人は大手を振って付き合うようになるだけよ?」
そう言われ、愛衣と竜胆とかいう男が俺の前で仲良くしている姿が頭に浮かんだ。
――ああ、確かにこれは許せないな。
「復讐って言ったって、具体的に何をすればいいんだ?」
「それはあなたの望み次第よ。けど取り敢えず、竜胆とかいう男の事をもっと知らないといけないわね」
考えてみれば俺は相手の男について何も知らないな。
確か同じクラスに竜胆って名字の女がいたはずだけど、関係あるんだろうか?
「うーん、特に伝手があるわけじゃないし難しいんじゃないか?」
「大丈夫、私の知り合いに物知りな子がいるから多分すぐにわかるわ」
久遠がスマホをいじりだす。
恐らくその知り合いに連絡を取っているんだろう。
「さ、私の家に着いたわよ。続きは返信が来て色々わかってから考えましょう?」
そう言って久遠が立ち止まる。
視界に久遠の家が映ると、なぜか強烈な既視感に襲われる。
なんだこれ……?なんかこう、ずっと昔に見たことがあるような……。
「……どうかした?」
「あー、いや。なんでもないよ」
俺が立ち止まって考え込んでいると久遠が顔を覗き込んでくる。
心なしか今までよりもニヤニヤしているように見える。
「ほら、早く入りましょう?」
そう言って俺の手を引き玄関まで進んでいく。
足取りは軽やかで俺の手を握る力はやけに強い。
「さ、入って?」
久遠が玄関のカギを開け俺を家へと招き入れる。
思えば、異性の家に入った経験なんて愛衣の家くらいだ。
……いや、子供の頃仲が良かった女の子の家よく遊びに行ってたような気もする。
こっちに引っ越してくる前、ちょうど十年近く前か?
「前に進むとリビング、二階には私の部屋とあなたの部屋、あともう一部屋客間があるけどそっちは入らないでくれるとうれしいわ」
「ん? ああ、わかった」
家の中に入ると既視感はより一層強くなる。
既視感を押し殺すようにまばたきしながらリビングへと進む廊下を見ると、階段には収納スペースらしき扉がありその向かいにはトイレの扉がある。
……あれ?
「なあ久遠、あのドアの先ってトイレか?」
「ええ、そうよ」
久遠が事もなげに答える。
だがその表情は不敵に笑い、俺の様子を観察しているように見える。
……俺、どうしてあのドアの先がトイレだってわかったんだ?
「さ、リビングに行きましょ」
リビングに着くといよいよ既視感は最高潮に達した。
まるで一度住んだことがある位に間取りや家具が記憶にあるのだ。
なんだこれ、タイムリープでもしてる?
俺ループ物の主人公だったのか!?
……なんて、馬鹿な想像をしてしまうほど不気味な状況だ。
「どうしたの? まるで“見たことがある“みたいな反応してるわよ?」
冷たくて綺麗な顔を綻ばせながら久遠がこちらをじっと見つめる。
まるで何かを期待しているような瞳だ。
「なんかこう、デジャヴっていうのか? 既視感がすごいんだよ」
「デジャヴ……ふふっ、違うわ。あなたはこの家の間取りを知ってる――いいえ、覚えているのよ」
声のトーンが一段階上がる。
「覚えてるってどういうことだ? 俺と久遠は初対面だろう? この家に入るのだって初めてのはずだよな?」
疑問が疑問を呼び質問攻めにしてしまう。
「いいえ、違うの。あなたと私はずっと前から――あなたが“愛衣”なんて言う女に出会うずっとずっと前から愛し合っていたのよ」
――。
―――。
「……は?」
純粋無垢にそう宣言する久遠の瞳を見つめながら、俺は人生で一番間抜けな声を出しその場で固まった。
「やっぱり、覚えていないみたいね……」
なんと答えればいいのかわからずしばらく黙っていると、久遠がため息をつきながら近寄ってくる。
「俺たちは昔あったことがあるのか? さっきも話した事あるとか言ってたけど、正直心当たりがないんだが……」
「私たちは子供の頃……小学二年生の頃まではずっと二人で遊んでいたのよ?」
小学二年生?
……あっ!
「そう言えば昔よく一緒に遊んでた子が似たような名前だったような……?」
「両親が離婚して苗字が変わったの。あなたは当時苗字で呼んでいたからそれでわからなかったのかもね」
「もしかして、野木ちゃんか?」
俺の問いに久遠が笑顔でうなづく。
あー、それなら覚えてる。小学生の頃家族ぐるみでよく遊んでた。
俺がこっちに引っ越して来てからは一度も会ってないけど。
「うわー、懐かしいな! けどそれならもっと前から言ってくれればよかったのに」
「だって、私たちなら一目見たらわかるはずでしょう? なのにあなたはすれ違っても気づかないし、おまけに彼女までいるなんて……」
いや小二の頃の友達の顔なんて覚えてられないよ。
と、いえるような雰囲気でもないなこれは……。
「そ、それはほら、すごく綺麗になってたから!」
取り敢えず適当に誤魔化してみよう。
「え? そ、そうかしら……! ありがとう、すごく嬉しい!」
そう言って久遠がもじもじと体を揺らす。
どうやら誤魔化されてくれたみたいだ、意外と単純なのかも知れない。
「私、てっきりあなたが記憶喪失になってしまったのかと思っていたの。だってそうでしょう? 私とあなたはあんなにも愛し合って、結婚の約束までしていたのに……それなのに私の事を忘れてほかの女と付き合ってるなんて、そんな事ありえるはずがないじゃない? だから、きっとこれには理由があるはずだって思ってずっとあなたのことを調べていたのよ?」
久遠が早口でまくしたてる。
頬がやや紅潮し、まっすぐとこちらを見据えて話し続けるその姿に若干の恐怖心が芽生える。
記憶喪失?結婚の約束……?
なんのことだかさっぱりわからん。
「いや、えっと……?」
「けど確かに、私達も十年以上経って容姿もかなり変わったものね。すぐにわからないのも仕方ない、か……。」
「あー、うん。……ごめんな?」
取り敢えずなんか納得したみたいだから謝っておこう。
こういう時は謝るに限る。
言いたいことは相手が落ち着いてから言えばいいんだ。
「ううん、いいのよ。思い出してくれたならそれでいいの。あ、けど浮気は二度としないでね? あなたもされたからわかると思うけど、とってもつらいから……」
「……浮気?」
力のない表情でうなだれながら冷たい声で静かに告げる。
浮気なんて全く身に覚えがない。俺、子供の頃になんかやらかしたのか……?
「愛衣とかいう女とのことよ。私と離れ離れになっている間の穴埋めなのは理解しているけど、それでも初めて見たときはとても傷ついたわ……」
「え、いや俺たちその時付き合ってないよな……?」
今も付き合ってるってわけではないし……。
俺の言葉を聞いた久遠の表情が一瞬にして曇っていく。
「私達、許婚同士なのよ? それすら覚えてないの?」
「ごめん、正直全然覚えてない……」
「あなたやっぱり記憶喪失なんじゃ……? はあ、まあいいわ。大事なのはこれからよね」
そう言って久遠が自分の頬を叩く。
それで切り替えたのだろうか、表情がいつも通りに戻ったように見える。
ていうか許婚って、全然記憶にないな。
「けど、少し安心したわ」
「ん? 何が?」
「許婚のことも覚えてないってことは、浮気してるつもりはなかったってことでしょう?」
「まあ、うん」
「あなたが浮気するような人じゃないってわかって、本当にうれしいの」
そう言って久遠が目の前まで迫る。
やっぱり、こいつ滅茶苦茶美人だな……。
「裏切ったら、駄目よ?」
「わ、わかった……」
俺たちの関係は仮だよな?なんて、とてもじゃないが言えない。
そんな鬼気迫るものを感じる表情だ。
けどそんな表情もかわいい……。
「ところで、さっきも言ったけどなんかこの家すごく見覚えがあるんだけど……」
「当然よ、昔一緒にいた時と同じ家を作ったんだもの」
「……はい?」
作った?
作ったって、家を??
どういうことだ???
「夢だったのよ、もう一度あの家で一緒に住むのが」
「それで、家を建てたのか? じゃあこっちに来たのも?」
「もちろん、あなたに会うためよ」
懐かしさを感じる木造のリビングで、久遠が幸せそうに笑いながらうなづく。
よく見るとなんだか部屋にある家電が全部古い。
いや、見た目は新品同然だけど、型式が古い……。
そう、ちょうど十年前位の……。
「宝くじでも当たったのか……?」
「小説家なの」
「……親御さんが?」
「私が」
えぇ……。
俺たちまだ高二ですが?
「新進気鋭の恋愛小説家松尾詩音、知らない?」
「あー、なんか聞いたことあるかも」
確か凄まじい情念が籠った恋愛小説を高校生が書いてる、とかで話題になってた気がする。
「あなたを思う気持ちが抑えられなくて、小説にしてみたら思いのほか売れたの」
「つまり、モデルは俺ってこと?」
「ええ、だから半分あなたのお金で建てた家と思ってくれていいのよ?」
「それはちょっと違うような……」
書いたのは久遠だし。
というか、ネットで話題になるくらいだから相当な……。
やばい、想像したらちょっと怖いぞ。
いやまあ、昔と同じ家を建てたり許嫁だと思われてる時点でちょっとあれなのは間違いなさそうだけど……。
「とにかく、そういうことだからこの愛の巣は私とあなただけの家。気兼ねしなくていいわ」
「親御さんはどこに?」
「普通に実家にいるわ。私だけこっちに来たの」
なんとも放任主義な家だ。
「そういう訳で、私には十分な収入と理解のある親がいるの」
「羨ましいことで」
まあうちもある意味放任主義だけど……。
「つまり……」
言いながら、久遠が俺に抱きつき顔を耳元に近づける。
決して小さくない二つの“なにか”が俺の胸板に押し付けられて、自然と身体がこわばる。
「子供が出来てもなんの問題もない、ってことよ」
耳元で囁くように呟いその言葉は、俺の理性を溶かしてしまうほどに甘美な響きだった。
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