第2話 捨てる命と未来の旦那様
「未来の旦那様……?」
目の前に立つ黒髪の美少女が決め顔で言い放ったわけのわからない言葉に、俺は思わずそのまま聞き返してしまう。
「ええ、そうよ。あなたはまだ結婚できる年齢じゃないから仕方ないでしょう?」
「いや、未来の方を聞き返したわけじゃないんだけど……」
別に法律の都合を聞きたいわけじゃない。確かにまだ高校二年生で結婚できる歳じゃないが、そんなの正直どうだっていい。
「それじゃあ何が不満なの?」
黒髪の美少女がやや頬を膨らませる。
怒った表情もなんだか可愛らしく見えて、そんな子が旦那様だとか言っているのが信じられなかった。
「いや、だってお互いまだ名前も知らないんだぞ?」
俺のその一言に、目の前の少女の眉がピクリと動く。
「そう、そうね……。私の名前は柳葉久遠。あなたと同じ高校二年生よ」
久遠と名乗る少女がやや顔をしかめながら名前を教えてくれた。
なんだろう、何となく聞き覚えがあるような……。
「俺は――」
「知ってるわ、立花悠斗。私の未来の旦那様の名前よ? 忘れるはずがないでしょう」
旦那様は確定事項なのか……。
「俺達今まで話した事あったか……?」
「ええ、もちろん。けれどそんなの些細なことだわ。重要なのはこれからよ」
「これから、ねえ……」
これから自殺しようと思ってるんだけど……。
「そう、私達の結婚生活がいよいよ始まるのよ!」
柳葉さんが満面の笑みを浮かべて胸を張る。
「いや、俺まだ柳葉さんの提案を受けたつもりないんだが」
「柳葉さんじゃなくて、久遠って呼んで?」
こっわ……。
その声は信じられないほどに冷たかった。
「久遠さ――久遠。俺は君の旦那様?になるつもりはないぞ」
「どうして!?」
久遠が心底驚いたような声を上げる。
「出会って数分だから……?」
他にも理由は色々あるけど、一番大きな理由はこれだ。
顔と名前以外何も知らない女の子と結婚なんて出来るわけない。
「過去なんて些細な事よ。それより今が重要。そうでしょう?」
「まあそうだけど、それにしたって……」
出会って数分で結婚は早すぎる。
ソープだって恋に落ちるまでにシャワー位は浴びる。
「どうせ捨てる命なんでしょう? だったら私によこしなさい」
「うっ……」
痛いところを突かれた。
確かに俺は今日ここで命を捨てるつもりだった。
「私の身体好きにしていいわよ? 見た目にはそこそこ自身があるのだけど」
自信たっぷりに言い放つ久遠を見つめる。
大言壮語するだけあって俺の好みど真ん中な見た目だ。
綺麗な黒髪も、切れ長の瞳も、華奢な体格も、それなりに膨らんだ胸も、どれもこれも最高だと思う。
こんな子を好きにできるならどんな対価を払ってもいいと思う男も多いだろう。
「お気に召した?」
「……それなりに」
俺の言葉に、久遠が「それなら!」と身を乗り出す。
「確かに見た目はめちゃくちゃ好みだけど、それだけで結婚って言うのは……」
ていうか俺の息子は機能するんだろうか?
どうしたって愛衣の事を思い出してとてもじゃないがそういう気分にはならない気がする。
「私はあなたを愛しているわ。例え何があっても絶対に裏切らない……。それでは不満?」
絶対に裏切らない。
その言葉が俺の胸に深く突き刺さる。
昨日からの地獄のような苦しみが胸を貫いていく。
「絶対なんてありえないよ」
そう、ありえないんだ。
どれだけ長い付き合いでも、どれだけ心を通わせようと、人は簡単に裏切る。
俺はそれを痛い程味わった。
「……そう、わかったわ」
久遠が俯きながらそうつぶやくと俺の隣まで近づいて来る。
「それなら一緒に死にましょう?」
そう言って久遠が俺の横に立つ。
「な、何言ってるんだ? お前が死ぬ必要なんてないだろ」
「だって悠斗を一人で逝かせるなんて絶対に嫌だもの。……それにしても、意外といい景色なのね」
久遠が何でもないように言い放つ。
その表情はもう覚悟が決まっているように見えた。
「なんでそんなに――」
「あなたを愛しているから。あなたがいない世界なんてそんな物生きている意味は無い」
そう言って久遠が微笑む。
その表情は女神のようだった。
……この子なら、もう一度信じても良いかも知れない。
どうせ捨てる命なら、女神にすがってみるのも悪くはないだろう。
「……まずはお試し期間が必要だと思わないか?」
「え?」
フェンス越しにグラウンドを見て何かを決意するような表情でいた久遠が顔を上げる。
「未来の旦那様ってのはまだちょっとピンと来ないけど……。取り敢えず一緒に過ごしてみないか?」
人生何があるか分からない。
可能性をつぶすのは得策とは言えないだろう。
例え俺と一緒に死んでもいいと思ってくれているとしてもそれがずっと続くとは限らないのだから。
「私の想い、受けいれてくれるの……?」
久遠の瞳が赤く染まり、声が上ずっている。
「……仮ってことで言いなら、一緒に過ごしてみよう」
一瞬、愛衣の顔が脳裏によぎる。
それを必死にかき消して隣に立つ久遠の顔を見つめ手を伸ばす。
久遠の細くて白い手が俺の手を握る。
俺よりも随分と暖かい。心までも溶かされるような暖かさだ。
「好き、大好きよ」
こうして、俺の人生最後の恋は劇的に始まった。
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