第9話

瑞希は、交通事故で死んでしまった、たった一人の姉は、私の自慢だった。たくさんの人から囲まれて、いつも頼られて、笑顔で。成績優秀。所属していた吹奏楽部では、部長を務め、担当のフルートでは全国3位。誰から見ても、完璧だった。そんな姉が、純粋に誇らしかった。

──でも、いつからか、それが、劣等感の塊になった。

学校に入学してからは、いつも「瑞希はできていたのに。」の連続。中学のテストで9位に入ったといえば、「まだ上に8人もいるじゃない。瑞希は1位だったのに。あんたはホントダメね。これじゃ月野牧高校は無理。いつも5位くらいじゃないと。」と言われた。月野牧高校は、この地区では学力トップの公立だ。それに、前回のテストでは16位だったのが一桁だ。なのに、なんで、こんなこと言われなきゃいけないんだろう。少し、お母さんに疑問を覚えた。その後もずっと、小さな疑問が積み重なっていった。展覧会のあとでも、「夏野くんって子、上手だったわね〜。水乃も頑張ったほうがいいんじゃない?」日麻への不満を漏らすと、「でも、その子のほうがうまかったじゃない。」と言われる。ただ、褒めたり、共感したりしてほしいだけだったのに。そのうち、“褒められたい”という気持ちでお母さんと接するようになった。そしたら、いつの間にか偽りの優等生になっていた。姉は、意識しなくとも、偽らなくても完璧だった。だから、幸せに過ごしていた。抱えきれない愛を受けていた。なら、私も姉のようになれば、きっとお母さんも愛してくれる。友達も増えて、幸せになれると思った。そして、その日から私は────瑞希になった。でも、部活だけは、姉と別の道を進んだ。絵だけは、“私”として、認めてほしかった。それが、唯一“水乃”としての行動だった。だから、絵の時間だけは辛くなかった。苦しくなかった。まるで空を飛んでいるみたいだった。水中から、空へ。本当に、そんな感じだった。

“お姉ちゃんはこの気持ちがわからない”

それだけが、私が姉と自分を区別している線だった。

「水乃、そういえば、なんでお前は名前で呼ばれるのを嫌がったんだ?」

私が、水乃であることを認めたから、青羅に、「呼び方。水乃でも、これまで通り星崎でも、どっちでもいいよ。」と伝えたところ、速攻で水乃呼びになった。

「…私とお姉ちゃんの共通のあだ名は“みず”だった。だから、私はみずでいるかぎり、お姉ちゃんでもあった。星崎も一緒。」

「なんで、そうまでして・・・」

「なんでそうまでしてお姉ちゃんになりたいかって?お姉ちゃんの方が、優秀だから。お姉ちゃんが生きていなきゃいけないから。それに・・・」

「なんだ?」

「一番喜んでいたのは、お母さんだから。」

青羅が息をのむのが聞こえる。

「お母さんは、お姉ちゃんが死んでからずっと死んでた。生きているけど、この世にはいない。そんな感じ。生きている気がしなかったお母さんは、いつもお姉ちゃんを探していた。優秀な娘を。お姉ちゃんがいると、みんな幸せでいられたんだ。」

「水乃のままで、生きていて良かったのに。」

「…それじゃ、水乃は愛してもらえなかった。みんなを幸せに、出来なかった。」

そう。ただ、ほんの少し愛してもらいたかっただけだった。

「なんで?」

「なんでって、お姉ちゃんの方が、優秀だから…。」

「じゃなくて、なんで愛してもらいたいんだ?」

「憧れていたからかな。」

そう、姉が羨ましかった。彼女の受ける愛に、憧れていた。

「…水乃、真面目に聞いてくれ。」

「なに?」

「…俺は…」

その先に続く言葉を、私は待つ。

──ピコンッ

タイミング悪く、スマホの通知がなる。スマホを開いて確認すると、

『水乃のことが好きです。俺と、付き合ってください。』

青羅を見ると、私から若干目を逸らしている。

「ふふっ。」

「笑うなっ。あんま見んなっ。」

恥ずかしげに怒る青羅は、なんだか少し赤かった。私は、青羅を見ながら前までのことを思い出していた。

「…そう言って、私を、ただ彼女として自慢するために横に置きたかった人もたくさんいたなって。」

そう。姉の整った顔だけは少しだけ遺伝しているから、モテていたのだ…少し前までは。姉として生きようと思っていた私は、姉のように彼氏を作らなかった。姉に彼氏がいるところは見たことがなかった。友達には、恵まれていたようだが。

「俺は違う。水乃が、心の底から、大好きで、大切なんだ。」

「…本当に?本当に、私が、水乃が、大切なの?」

「ああ、お前は俺の横で、水乃でいてほしいんだ。」

「…ありがとう。青羅。私で良ければ、喜んで、隣にいさせてください。」


私は、間違いなく、幸せだった。

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