幕間 あの日の君に、もういちど恋をしたかった 〜夏野日麻〜

まるで花のように、強く、美しく、それでいて儚く。そんな風に生きている君を、僕はかっこいいと思った。君の隣にいたいと思った。


僕が星崎さんに会ったのは、確か小2の春。同じクラスで、毎日絵を描いていたから、少し気になっていた。その頃から、絵が大好きだったから。彼女は、いつも花の絵を描いていた。四季折々の花。僕は、春のチューリップに一目惚れした。細かい描写、作り込まれた背景、その中に際立つ、13本の花々。見ているだけで暖かくなるような優しい絵。僕には描けない、感情のこもった絵。そして、そんな絵を描く彼女は、眩しいほどに笑顔で。そんな彼女に、僕は恋をした。


3年生になって、彼女と違うクラスになったときの絶望感を、僕は一生忘れないだろう。それでも僕は、別のクラスの友達と話しに行って、そして、彼女の絵を眺めていた。相変わらず、きれいな絵だった。でも、いつからか、彼女の絵に、暖かさが感じられなくなった。見たものをそのまま描いているような…。そして、僕は思わぬ形で、真実を知ることになる。

「ほんと、星崎さんって地味(笑)」

「だよね(笑)絵描いてばっか。」

「陰キャだよねー。」

廊下で、そんな会話を聞いてしまった。その時、僕は初めて名前も知らない他人に殺意を抱いたと思う。でも、同じくらい、彼女が心配だった。そっと教室を覗くと、そこには、で、楽しそうに絵を描く彼女がいた。ホッとしたのもつかの間、彼女の絵に目を移すと…

「…え?」

そこには、いつもの暖かい絵はなく、オレンジ色の派手なユリが、一面に咲き乱れている絵だった。無秩序に、乱雑とした絵。

彼女がこんな絵を描くのは初めてだった。それでも細かい描写は活きており、とてもきれいな絵になっていた。それでも、僕はこんな絵を星崎さんが描いたなんて、認められなかった。彼女の絵をこんなものにしたあいつらが、許せなかった。でも、そのときの僕には立ち向かう勇気がなかった。

…それが、いけなかった。


彼女は、僕の知らないところで、壊れていった。


中学生になると、会話の糸口がほしくて、美術部に入った。今度は、どんな絵が見られるのか、楽しみにしていた。でも、星崎さんが入って描いた絵は、何の変哲もない森の絵だった。感情は無く、まるで誰かに媚びているように見えた。そんな絵を見たくなくて、僕は部活を休みがちになった。

コンクールなど、本気を出せる場なら、彼女もきっと、すごい絵を見せてくれる。そう思って、本気の彼女と競ってみたくなって、コンクールに出ることにした。

その結果は、


僕は最優秀賞。彼女は奨励賞。


そんなところで彼女が終わるはずじゃないと思い、彼女の絵を見に行った。

──変わらず、彼女の絵には感情は無く、ただ、抜けるような青空が、淡々と描かれているだけだった。

期待外れで心底がっかりしていると、どこからか、聞き覚えのある声が聞こえてきた。なにか、話している。偶然を装って近づき、聞いてみる。

「…で、なんで賞ももらってないの?」

「頑張ったんだけど…。でも、奨励賞だったよ。」

「奨励賞なんて賞じゃない。なんで最優秀賞をとれなかったの?」

「ごめんなさい、お母さん。」

「次はないわよ。」

…あれは、星崎さんと、星崎さんのお母さん?それに、奨励賞なんて賞じゃないって?僕が最優秀賞を取っちゃったから、星崎さんはあんな顔をしているの?

彼女と目があった。涙をこらえるように目を伏せ、「夏野くん、すごいね。」そう言って、お母さんのあとについていった。

僕が、彼女を泣かせたんだ。

本当に辛そうだった彼女を、僕は必ず笑顔にしたかった。この分も、いつかたくさん、彼女を笑顔にしたいと、強く思った。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「星崎さん」

「なに?」

「夏野くんじゃなくて、日麻くんって呼んで。」

「…え?いいけど…(男子ってみんな名前好きなのかな?まあ、“くん”があるだけいっか。)」

「ありがと。苗字呼び、なれなくて。(よかったー。引かれなかったー。日麻くん、かー。なんかいいな。)」

ニヤニヤしながら帰ったそうです。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


高校に入り、星崎さんを笑顔にしよう計画を実現することにした。ちなみに、彼女の行く高校は、友達からリサーチして同じところを志望した。勉強はできる方ではなかったので、だいぶ頑張った。

彼女を笑顔にするためには、彼女が泣くことがないよう、いつも見ていられる、それも堂々と見守れるような立場にならないといけない。かといって親族にはなれない。

──なら、他人の中で最も近い立場になればいい。

すなわち、彼女の、彼氏。世のカップルを見ていると、なんだか彼氏というだけで距離を詰めても許される感じがある。なら、距離を詰めるために彼氏になろう。という、単純な考えだ。

…しかし、まだ、僕にそんな勇気は備わっておらず、告白もできないまま、なんだかんだと時は過ぎていった。

ある日、中学時代からの友達、青羅が、ずっと美術室で絵を描いていた。紙にではなく、透明な小さい板に。穴も開けて、キーホルダーでも作るのだろうか。

「青羅、なにしてるの?」

「あ?あー、日麻か。…クラスの人が、最近大変そうだから、労いの気持ちっていうのか?あれだ。」

「ふーん。青羅がそんな事するのめずらしいね。誰にあげるの?」

「クラスメイトの、星崎ってやつ。」

その瞬間、僕は鳥肌がたった。青羅なら、彼女を泣かしかねない。釘を差しておかないと。

「…その子、泣かしたら許さないから。」

めったに出ない、低い声で言うと、青羅は少しびっくりした顔で、「お、おう。」と返事をしていた。これで、彼女は泣かないよね。


文化祭の日、僕はひとりで教室をまわっていた。どこかに星崎さんがいないか、ずっと探していた。しかし、裏方なのかどこにもおらず、落ち込んでクラスに帰ろうとすると、廊下に、光るものが落ちていた。拾うと、あのキーホルダー。きっと、彼女はこれをなくして悲しんでる。

──届けなきゃ。じゃないと、今度は本当に涙を見ないといけないかもしれない。

気づくと、僕は駆け出していた。

もう二度と、彼女を泣かせないために。


「日麻くん、ありがとう。」

気持ちいいほどの笑顔で、僕にお礼を言ってくれる星崎さん。やっぱりきれいだな、と思うと同時に、見つかって、ホッとしながら大事そうにキーホルダーを撫でる彼女を見て、僕は全身が逆だった。


──このままじゃ、とられる。


「ねえ、青羅が好きなの?」

気づくと、そう言っていた。もし、好きと言っていたら、無理矢理にでも奪うつもりだった。でも、返ってきたのは、

「そんなわけない。」

という否定。なら、取られる前に取っておこう。予定にはなかったけれど、僕は、言葉を発した。

「よかった、じゃあ。」

そう言って、彼女が怖くないように、そっと彼女の手を包む。

「よかったら、僕と、」

付き合って下さい。

その言葉を紡ぐ前に、邪魔が入った。青羅だ。なにか言っていたけれど、耳に入らない。そんな中唯一聞こえてきたのは、

「それで、日麻くん、続きは?」

という、彼女の言葉。改めて言うのは恥ずかしくなってしまったけれど、それでも、勇気を振り絞って言う。

──僕は、もう変わったんだ。

「僕と、付き合って下さい。」

待っていたのは、“はい”の2文字。でも、返ってきたのは、「ごめんなさい」だった。

「日麻くんのせいで、長いこと傷ついたままだったから。」

それを聞いて、僕は、あの日の彼女とお母さんの会話を思い出した。やっぱり、傷ついていたんだ。

「そっか、わかった。」

なんとかそれだけ言い、出ていくよう青羅に目で促し、誰もいない教室で座り込む。僕の好きだった人は、僕のことを好きじゃなかった。それだけの話だ。僕は、彼女を笑顔にすることに、固執しすぎたのかもしれない。…青羅なら、僕じゃなくても、彼女をきっと笑顔にしてくれる。きっと、前を向いてくれる。僕も、いつか、この恋から前を向かなければいけない。でも、まだ…。

「…まだ、君を好きでいることを、守りたいと思うことを、許して。」

──これからは、近づきすぎずに君を見守るよ。だから、安心して、その笑顔を見せてね。


いつか、また会えた時には、君が君らしく、あの日のような絵を描いていますように。


誰もいない教室を出て、僕はゆっくりと歩き出した。

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