第35話
もう何時間経つのだろう?
水面で揺れる浮き輪をぼうっと眺めていると、突然かけられた声に驚いて肩を揺らした。
夫 おい
ハッとして釣り竿の先をよく見たら、確かに浮き輪が上下に揺れている。
妻 わぁ!魚!
釣れた、早くしてよ!
いつも魚から針を取り外すのは、夫の仕事。
突然強い風が吹いて、私の麦わら帽子が飛ばされる。
妻 何してるの、早く帽子とりに行って!
何やら夫は、ニヤニヤしていて気持ち悪い。
けどそっと私の頭に麦わら帽子を被せてくれた。
妻 ありがとう!
そう見上げた夫の姿から懐かしさを感じた。
愛犬の散歩と、いつも二人でする釣りで日焼けした笑顔は昔のままで、あの頃の夫に見えた。
青くて晴れやかな空と、穏やかな波の音がやけに私の心を安らかにさせて、
ふと思い出す、
かぶと虫の習性を……
それに、夫は雄のかぶと虫では無いことも。
だって夫は役目がなくても要らなくならないし、
だから喰わずに今も私の隣に居る。
潮風で聞こえなかったけど、夫が何が言った気がした。
妻 え、何て言ったの?
夫 何でもない。
そんな夫の横顔に何となく浮かぶ言葉、
ありがとう、これからも宜しく。
ずっと一緒に居てね。
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