第3話 謎
家に着いた俺は制服のまま部屋のベッドに横たわる。
普段ならすぐ部屋着に着替えるはずが、いまはそんなことは後回し。
「はぁ〜。なんか異様に疲れたな……」
桜坂と途中まで一緒に帰るという簡単なミッションにも関わらず、家に帰ってきたらどっと疲れてしまった。
「あいつ、一体なにを考えているんだ……?」
俺は桜坂と一緒に撮った写真を開く。
桜坂がなぜあそこまで絡んでくるのか理解できない。
つい先月までは恋人関係だったが、いまはもう破局した。
本来であれば、お互いに干渉し合う必要性はない。
普通、別れた相手に対してあそこまで積極的になれるものだろうか。
「……だめだ。眠い」
精神的疲労による急激な睡魔が襲ってくる。気が遠くなるように頭がボーッとしてきた。
俺の体重を全てを優しく受け止めてくれるふかふかのベッドの心地よさも合わさって、気付けば俺は気絶するように寝てしまっていた。
「…………んっ、う〜〜ん……」
部屋の中に漂ってくる魚の香ばしい匂いで目が覚める。部屋の中は真っ暗で、外を見てみれば三日月が空に浮かんでいる。
「やっべッ! 寝過ぎた……!」
俺は急いで部屋着に着替え、慌てて一階リビングへと駆け下りる。
キッチンの前には部屋着の上からエプロンを着けた父さんが。
「あ、父さん……! おかえりなさい……」
「ん、やっと起きたか。征士郎」
「ごめん父さん……。料理は俺の仕事なのに」
「気にするな。私も一通り料理はできる」
俺はせめてなにか手伝おうと、食器の用意をしたり飲み物を用意したりと準備する。
やがてテーブルの上には出来立てのつやのあるご飯に香ばしい焼き魚、そして豆腐とわかめのシンプルな味噌汁が食卓に並ぶ。
父さんは味噌汁をずずっと一口すすったあと、味噌汁に視線を向けたまま口を開いた。
「学校はどうだった?」
「……みんな普通だったよ。悪そうな人はいなかったかな」
「そうか。だがそれは所詮、第一印象にしか過ぎん。最初は誰も初対面の相手に対して良い顔を取り繕うものだ。そこの判断は見誤るなよ?」
「うん……」
「お前はもうすでに東大合格への準備が済んでいる。高校の勉強はさぞ退屈なことだろう。だからこそこの高校三年間、大学の勉強はもちろんのこと、社会人になってからすぐに活躍できるよう徹底した自己研鑽に励むように」
「……うん」
「くれぐれも、学生なんかとの無駄な時間を過ごすのではないぞ?」
「……分かった」
★
入学式から翌日の朝。
私はクラスメイトとたわいもない会話をしながら、彼が来るのを待つ。
教室の後方ドアが開かれると、待ってましたと言わんばかりにターゲートがやって来た。
そのタイミングを見計らって私はクラスメイトとの話を無理やり終わらせ、自分の席に戻る。
彼は私の隣の席だから、自分の席に戻るだけでふたりだけの空間を自然に作り出すことができる。この機会を逃すのはもったいない。
私は彼がカバンから本を取り出したところで声をかけた。
「おはよう」
「おはようございます、桜坂さん」
「今日もいい天気ね」
「そうですね」
「こんな日は、ひなたぼっこをしたくなるわね」
「そうですね」
「……」
……なんなのこいつ? せっかく私がかまってあげているというのに、そのテキトーな返事。コミュニケーション能力低過ぎでしょ。実はコミュ障なの? 投げたボールはしっかりと返すのが礼儀なんじゃないの!?
「ねぇ、なんか嫌なことでもあった?」
「なにもないですよ」
「ないなら……なんでそんなドライなの?」
「別に普通ですよ」
「絶対普通じゃない。私の目は誤魔化せないわよ」
これでも約一年間付き合っていたんだから、普段の様子とは違うことぐらいすぐに分かる。
「ねぇ、しりとりしない?」
「え? いまなんて言いました?」
「しりとりしようって言ったの」
「……しりとりですか。これまた急に、一体どうしたんですか?」
「しりとりをしたい気分なの」
「そんな人初めて見ましたよ」
「じゃあ私から始めるわね。しりとりの『り』からよ」
「誰もやるなんて言っていないのですが……」
「『りんご』。さぁ、あなたのターンよ」
「本当にやるんですか〜? しょうがないですねぇ……。じゃあ『ごはん』」
「ん……んんん?」
あれ? 終わっちゃったわ。終わっちゃったわよねコレ。こいつしりとりのルール知らないのかしら。高校生にもなってそんな人いる?
「ちょっとあなた」
「なんでしょう?」
「もしかして、しりとりやるの初めて?」
「いえ、何回かやったことありますけど」
「ルール分かってる? しりとりは最後に『ん』がついたら負けなのよ?」
「知ってますけど」
はぁああああ? なんなのこいつ! じゃあなんで『ごはん』なんて言ったのよ! いきなり負けてんじゃない! 自滅していることに気付いていないの!?
……あ、そっか! きっとあれね。手にスマホを持っているのにスマホがないと騒ぎ立てるアレと同じ現象ね。つまりこいつは、最後に『ん』がつく単語を言ってはいけない意識が強過ぎたあまり、かえって口に出してしまったというわけね? なるほど、そういうことなら納得だわ。
「まぁいいわ。じゃあもう一度私から。『りんご』」
「『ごはん』」
「…………リップクリーム」
「蒸しパン」
「……りんごジュース」
「水溶性ビタミン」
「ちょっとぉぉおおおおおおお!!」
「どうしました?」
「あんたもっと真剣にやりなさいよ!! なんでさっきから『ん』で終わる単語ばっかりなのよー! 水溶性ビタミン足りてないんじゃないの!?」
「やかましいわ! 1秒でも早く終わらせるために決まっているじゃないですか!」
「なによぉー! 私がしりとりの相手にふさわくしないって言いたいの!?」
「しりとりにふさわしいもクソもあるかー!」
教室内のあちこちからクスクスと笑い声が聞こえてくる。私が急に大声をあげてしまったからだろうか。クラスメイトから注目の的となっている。
そのことに彼も気がつく。人から注目されるのは得意ではないのだろう。少しだけ居心地悪そうにしながら、本を開いて読書に集中し始めた。私とのしりとりは強制終了ということね。
「ふん。まさかあなたが、ここまで腰抜けだったとは思わなかったわ」
「しりとりだけでそこまで言います!?」
彼が読書から私へと視線が移る。そう、それでいいのよ。もっと私を見なさい。そしてもっと私と絡みなさい。
「あなた、前まではこういうやり取りには付き合ってくれたのに、急に冷たくなったわね」
「い、いや……っ」
「そんなに私のことが嫌い?」
「違う……」
「私は、そんなに女性として魅力がなかったかしら?」
「違うって……!」
「私は……捨て駒だったのかしら?」
「違うって言っているだろッ!!」
「っ!」
「……ごめん。つい、カッとなっちゃった……」
「……いいえ。私も少し意地が悪かったわ。ごめんなさい」
「……お手洗いに、行ってきます」
「そう……」
彼はそう言うと、本を雑に置いて教室を出て行った。
(馬鹿ね、私ったら。あんな喧嘩腰じゃ、苛立つのも当然だわ……)
彼の興味をこちらへと向かせ続けるために、思わず過去の話を持ち込んでしまった。本当は口にしてはいけないことだと頭の中では分かっている。でも気付いたときには、もう口にしてしまっていた。
そうしていくうちにだんだん心が躍起になって子供みたいに、いつの間にか挑発じみた口調に変わっていた。
私が悪い。でも、その原因を作ったのは彼だ。
(違うって、一体なにが違うっていうのよ……。事実だから私と別れたんでしょうに!)
過去の出来事を思い出しギュッと握り拳を作ってしまう。
手のひらには赤くなった爪痕がはっきりと残っていた。
★
『そんなに私のことが嫌い?』
「……」
『私は、そんなに女性として魅力がなかったかしら?』
「……」
『私は……捨て駒だったのかしら?』
「そんなわけないだろ……っ!」
俺はトイレの壁をガンッと殴る。拳からジーンと骨に響くような痛みが襲う。血も薄らと滲み出ている。
こんな八つ当たりをしたところで、なにも変わらないことは頭で理解しているのに、やらずにはいられなかった。
「あのとき俺は……」
すると、突然トイレの入り口ドアが開く。反射的にビクッとなってしまった俺は音の出先に目を向ける。そこにはキリッとした目つきに四角いメガネを付けたインテリ風の男子が。
「貴様は……っ!」
「?」
「昨日、桜坂さんとイチャコラしていた奴だな!?」
「イチャコラ? 一体なんのことです?」
初対面であるのにも関わらず、いきなり貴様呼びとは……。それにいま、桜坂って言ったか。
「とぼけても無駄だぞ? 僕は昨日の入学式が終わったあと、貴様が桜坂さんと一緒に桜の木の下で写真を撮っていたことを目撃している!」
確かに昨日は桜坂の命令とはいえ、一緒に写真を撮った。それを知っているってことは、あのときこいつはまだ学校に残っていて、どこかに隠れて見ていたのだろう。
だがそんなことは些細なこと。ここまで噛みつくような質問には、なにか裏の意図があるに違いない。
「もしかして、桜坂さんとなにか関係がある人とかですか?」
「いいや、なにもない。なんなら桜坂さんと話したことすらない」
ということは、全くの無関係というわけか。
「なら、俺が桜坂さんと一緒にいたことはなにか問題でも?」
「くっ……悔しいが、それもない。僕はただ、あの桜坂さんとふたりで写真を撮っていた貴様が羨ましかっただけだ!」
つまり、単なる嫉妬か。
「貴様、桜坂さんとはどういう関係だ!?」
「どうもこうも、ただのクラスメイトですが」
「嘘をつくなァ! ただのクラスメイトがあんな恋人みたいなやり取りをするはずがない!」
「うん、それは俺も思う」
「思う? ……貴様、もしかして桜坂さんの彼氏とかではないのか?」
「全然違います」
「…………ははっ、はははっ! なんだなんだ、そうだったのか! 彼氏じゃないのか! いや〜安心したよ。ハッハッハ!」
さっきまで噛み付いてきそうな獰猛だったのに、いまはそのかけらも無くヘラヘラとご機嫌がいい。
「さっきはすまなかったね。僕の名前は影山勉。今後ともよろしく、九条クン」
俺の肩を軽くポンっと叩き、影山はそのままトイレから出て行った。
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