第2話 ジンクス
「ねぇ、ちょっと……」
午前中で入学式を終え、生徒全員が帰路に立った後の閑散とした教室内。
私は窓側の奥で暖かいそよ風に吹かれながら読書をしている元彼に声をかけた。
「ん?」
本から私へと視線が移る。相変わらず、かっこいいわね……じゃなくて! 相変わらず、ミステリアスね。
「教室の戸締りをしたいから、退室願いたいのだけれど」
「あれ、桜坂さん日直とかでしたっけ?」
「違うわ。廊下で先生と会って頼まれたのよ」
「あ、気づかなくてすみません。それなら僕が最後戸締まりをしますので、桜坂さんは先に帰っても大丈夫ですよ?」
彼が私の指に引っかかっている教室の鍵に手を差し伸べる。
「……ねぇ、朝から疑問だったんだけど、どうして敬語なの? いままでタメ語だったじゃない」
「……気にしないでください。それよりも鍵を」
「答えて」
「…………桜坂さんには関係のないことですので」
「関係ない……。潔いのね。つい先月までは恋人関係だったのに」
「っ……」
「まぁいいわ。あなたの言っていることは正しいもの。私達はただの赤の他人。もうお互いのことを深く知る関係性ではないものね」
「……それを言いたくて、わざわざ今日残ったのですか?」
「いいえ違うわ。言ったでしょ? 先生に鍵を頼まれたって」
「それはおかしな話ですね」
「な、なにがおかしいっていうのよ」
「帰りのホームルームが終わったあと、友達から遊びのお誘いを受けていませんでしたか?」
「受けたわよ? それがなに?」
「どうして断ったのです?」
「!」
「1000年に一度の美少女と謳われるだけあって、かなりの人数からお誘いを受けていたのは知っています」
「別に、ちょっと用事があったから断っただけよ」
「用事があるのにずっと廊下で立ち尽くしていたのですか?」
「ッ! 全部見ていたのね……」
「……まぁ、はい。変な視線を感じましたので」
「……ふ〜ん。ちゃんと見ていたんだ」
「桜坂さん、さっきから顔が赤いですけど、ひょっとして微熱でもあるんですか?」
「はぁ〜? あるわけないでしょ。暖房が暑いだけよ」
「暖房ついてないですけど……」
「それよりあなた、どうして教室に残って読書なんかしているの? 読書なんて家に帰ってからでもできるじゃない」
「家はあまり落ち着かないので……。それに、今日という日を存分に味わっておきたいんですよ」
「?」
「高校の入学式って、人生で一回しかないじゃないですか。だから悔いのないよう、こうしてひとり堪能しているんです」
彼は窓越しから見える満開の桜に顔を向ける。それにつられ私も顔を向けた。
視界の先には鮮やかなピンク色をした桜の木が力強く立っており、そよ風に吹かれ穏やかに揺れているその姿は、まるでこちらに手を振っているかのようだ。
「あなたって、そんなにロマンチストだったかしら?」
「自分でも分からないです。でも、こういう二度と訪れない日は大事にしようと思うようにはなったかもしれません」
彼がいま、どんな顔をして発言しているのかは分からない。けど、丸まった背中からはどこか寂しいように見える。
「その気持ち、分かるような気がするわ」
「え?」
私は彼の隣に立ち、ひらひらと散っていく桜に目を向ける。
「過ぎ去った時間は二度と戻って来ない……。どんなに願おうと、どんなにやり直したいと思っても……」
そうしている間にも、時間はどんどん容赦なく進んで行く。時間は残酷だ。
この世に生まれてから高校生になるのがあっという間に感じるように、時間は過去を置いてきぼりにしてどんどん未来へと歩ませる。
もし私達の恋人関係も過去のものでしかないのなら、きっと過去に置いていくのが正しいのだろう。
でも、私は過去を置いていかない。過去も一緒に未来へと連れて行く。そうでなければ、私の計画は成り立たなくなる。
「ねぇ、いまからあの桜の木の下で写真を撮らない?」
「えっ? ……まぁ、いいですよ」
下駄箱で外靴に履き替え、桜の木の下に着く。
実際に近くで見ると予想以上に迫力のある大木だった。遠くからでないと視界に収めることができないほどに。
「随分と立派な木ですね」
「そうね。なんでも、この桜の木の下で写真を撮った男女は結ばれるなんて言い伝えがあるらしいわよ」
「……そうなんですね。じゃあ、早速写真を撮りますからそこに立ってください」
「なにを言っているの? あなたも一緒に映るのよ」
「!? い、いやそれは……っ!」
「もしかして、さっきの話を信じているの? 所詮は言い伝えよ。ただの噂に過ぎないわ」
「そうかもしれませんが……。ていうか、僕が映る必要はないと思うのですけど」
「私はあなたと映りたいの」
「……」
「気まずい気持ちは分かるわ。でも私はあなたと撮りたいの。ひとりよりもふたりほうが寂しくなくていいでしょ?」
「…………でもやっぱり!」
「こうしている間にも時間は過ぎてっちゃう。そうでしょ?」
「……わ、わかりました」
「ふふっ。じゃあ、ふたりで撮るわよ。写真は背の高いあなたが撮って」
「ご注文が多い方ですね」
「なにか言った?」
「言っておりません」
「そう。なら始めて頂戴」
「んじゃ、撮りますよ? はい、チーズ」
彼がスマホを上からかざし、シャッター音を鳴らす。メッセージアプリを通じて送られてきた写真を確認すると、どちらも顔の表情が硬い。硬すぎる。というかこれはもう、真顔に近い。とても男女ふたりが桜の木の前で撮るような表情じゃない。晴れやかな桜の木と相まっているからか、その暗そうな表情が余計に際立って見える。
でも、どうしてだろう。別に悪くない。
「撮り直さなくて大丈夫そうですか?」
「ええ。満足だわ」
「それはよかったです。どうせなら、桜坂さんひとりのも撮りますよ?」
「いいえ、大丈夫よ。逆に撮ってあげる?」
「僕も大丈夫です。そういう柄じゃないんで」
「そうだったわね」
写真を眺めているとニヤついてしまうので画面をロックする。
「じゃあ、そろそろ帰る?」
「……いや、僕はひとりで帰りますよ」
「ここまで来たら最後まで付き合いなさい」
「付き合うって、今度はなにに付き合えっていうんですか?」
「途中まで一緒に帰ることに決まっているでしょ? まさか女の子ひとりで帰らせる気?」
「あーもう分かりましたよ! 一緒に帰ればいいんですよね!? 精一杯ボディガードを勤めさせていただきますよ!」
「分かればいいのよ。別れているけど」
「よくそんなネタを平然と言えますね」
「ごめんなさい。つい気分が高揚してしまって」
「気分が高揚することありました? なかったでしょ」
「あったじゃない」
「?」
「ふたりで写真を撮れたこと」
「!」
彼が目を見開いて驚く。まるで不意打ちをされたかのように。
(フフッ。一体なにを勘違いしていることやら……)
彼が誰とも触れ合おうとせず、帰る素振りも見せないから気になって残ってみたけど、結果オーライね。
入学初日にしては上出来だ。彼を勘違いさせる布石を打つことができた。
(あとは徐々に距離を縮めていけば、彼から告白してくるのも時間の問題ね)
告白する場所も、きっとこの桜の木の下だ。
冷めた恋に再び火を灯してくれたのは、この桜の木だと思うに違いないから。
つまりここが彼の……九条征士郎のトラウマの聖地となるのだ。
(彼から告白をさせ、ここで盛大にフってやる!)
高校生活に青春などいらない。彼氏との甘酸っぱい関係もいらない。私がこの高校生活で求めることはただひとつ。
復讐の告白。それだけだ。
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