第11話 お見合い練習?本番?(コリン編【後編】)

 コリンは地獄のような挨拶の練習をなんとか終えて、エスコートの練習に移った。しかし、コリンは挨拶の練習以上に苦戦をした。

 コリンは白銀の騎士団に入る前も入った後も女性をエスコートをしたことはない。騎士団に入ったらエスコートをする機会もあるかと思ったが、シアの従騎士であるため、シアの後ろをついて歩くだけで終わっている。

 なぜなら、貴族令嬢たちはこぞってシアにエスコートされたがったからだ。シアの近くにいると、顔は整っているものの地味な顔つきのコリンは芋か何かに見えるらしく、コリンの存在自体を認識されない。そんな残念な事情を抱えているため、エスコートの経験値は皆無だったのである。

 そんな経験値ゼロの男が長年恋焦がれてきた女性を相手にエスコートをするのである。

「コリン、爆弾を抱えるような手つきはなんだ!プルプルと震えているじゃないか」

 シアの手を取るだけで、緊張してしまって挨拶の練習で身に着けた所作は全て吹っ飛んでしまった。

 だって、お嬢の手を自分から取る日が来るなんて…!そ、そりゃあ、オラだって小さい頃は無邪気にお手々をつないで帰った日だってあったけど、子供のころの話だし。先月もお嬢から手を繋いで帰ろうなんてこともあったけど、あれはトーマス様も一緒だったわけで…。と、とにかくこんな美しく着飾ったお嬢を前にして緊張しない方がおかしい。

「全然できていない!もう一回やり直し!」

 目まぐるしく変化するコリンの心中を知らずに、シアは再試験を言い渡す。

 しかし、コリンは何度シアの手を取っても震えてしまい、不自然な足取りで進んでしまう。

 この異常な足取りでは、エスコートの基本を教える以前の問題であった。

 マクシミリアン王子が使っていた教本にはエスコートの基本として次の四つが記載されいた。

一つ、令嬢の足取りに合わせて進みましょう

二つ、令嬢を安心させるように優しくリードしましょう

三つ、基本的には聞き役に徹し、話に詰まったら令嬢が話しやすそうな話題を提供してあげましょう

四つ、常に笑顔を絶やさないこと

 今のカクカク・プルプルのコリンではどれ一つ教えようがない。

「これは、困った。全然進歩しないな」

 シアがため息をつく。

「…一つ提案なんだけど、私がレティシア王女役をしてもいいかしら?もちろん、問題なかったらすぐにシアに代わるから」

「メアリ妃殿下?!畏れ多いですぅ」

 コリンは全力で恐れおののき、身を小さくした。

「ずっと見ているのも疲れちゃうから、オバサンの思い付きに付き合ってちょうだい」

 小さな子供をあやすように優しい声色を出した。

「ええ、で、で、ではお願いします」

 シアの代わりにメアリ妃殿下がレティシア王女役をすると、最初のうちはぎこちなかったが、何回か繰り返すうちに慣れてきたのか、エスコートをする姿もそこそこ見られる程度のものになっていった。

「そうそう、その調子。大分良くなったわ!」

 そこでシアをレティシア王女役に戻すと、事態は逆戻りした。シアの手に触れるとまたしても震えてしまい、足取りもカクカクとし、これまでの練習は何だったのかと聞きたくなるような有様であった。

「コリン、さっきまでと全然違うんだがどうしたんだい?そんなに僕が怖いのかい?」

 呆れた顔をコリンに向ける。

「申し訳ありません。先ほどまでは、多少の自信が付いたと思ったのですが…。どうしてこうなったのか、分からないんですぅ」

 すっかり自信を失ったコリンは情けない声を上げる。

「これは…あれだわ」

「あれですね」

 メアリ妃殿下とレオノーラ王妹殿下は互いに目配せする。

「「好きな子と手を繋いで駄目になる男の子の症状ね」」



 この後も何度もやり直しをさせられ、コリンは意識が朦朧としてくるのを感じ取った。やはり、慣れないことをすると心も身体も早く疲れるものらしい。

 外はすっかり暗くなり、雨は相変わらず降り続いている。外の景色を見ても気分転換できず、精神的に疲れる一方だった。

 いまだにコリンは見合いの場である温室までシアをエスコートできず、不合格のままだった。誰が見ても、あんなプルプル・カクカクとした動きでは合格点はあげられないのだから仕方がない。

 そのせいで、シアに不埒な行為をした場合に備えた監視員として温室に配置したはずのコリンの祖父・トムの出番は全くなかった。長時間、温室に留め置くのも良くないと考え、エスコートの練習が難航し始めたあたりで、レオノーラ王妹殿下がトムに下がるように命じてある。

「シア、熱が入るのも分かるけどもう遅いから、今日のところはこのくらいにしましょう」

「そうです。明日から、あなたのお父上であるグレアムが時間の許す限りコリンの指導するそうですから、安心なさい」

 王族二人に諭されて、シアはやっとコリンの指導を終了させた。じつに5時間以上にわたるシアの熱血指導であった。

「ふがいない姿を見せてしまって大変申し訳ありませんでした。また、長時間にわたり、私のためにご指導いただきましてありがとうございました」

 コリンは、練習の成果を発揮して折り目正しくお辞儀をする。

「いつの間に、父上に連絡を取ったのですか?」

「あなたが、熱心に指導している間にちょっと…ね?」

 メアリ妃殿下はホホホとほほ笑む。その笑顔にはこれ以上聞くなよという圧をうっすらと感じた。

 コリンの教育をシアの父に委任することは、国王陛下及び白銀の乙女の幸せを考える会の会長であるライオネル王太子の承認が必要な行為である。なぜならば、一候補者のみに優遇措置を受けさせる可能性があるからだ。

 そこで、メアリ妃殿下がマナーの教本を取り寄せる際に、火急の用件として国王陛下及びライオネル王太子のそれぞれに手紙を侍女に渡すように伝えたのである。侍女から手紙を受け取った国王陛下と王太子は手短に協議し、すぐにグレアムにことの次第を伝えたうえで、承認の判断をした。

 他の候補者が今すぐにでもシアの隣に立つに相応しい所作を身に着けているのに対し、コリンだけその機会に恵まれていないのである。よって、グレアムの指導は候補者の一人のみに対する有利な措置ではなく、格差の是正のための措置として必要だと判断したという次第である。

「コリン、もう疲れているでしょうから騎士団の宿舎に帰りなさい」

「え、いや、しかし…」

 メアリ妃殿下にそう言われても、従騎士であるコリンとしてはシアを置いて帰るわけにはいかない。

「私たち、シアとこの後じっくりと話すことがあるから」

 メアリ妃殿下は蠱惑的な笑みを浮かべ、シアの両肩にぐっと力を入れて掴む。

「あ、…はい。分かりました。ではお嬢、これにて自分は帰らせていただきます」

「え、あっ…。コリン、気をつけて帰るんだよ…」

 コリンはメアリ妃殿下の雰囲気に何かを察してそそくさと退出した。シアはこれから面倒なことが起こりそうな予感が両肩からひしひしと感じた。



 コリンが退出した後、シアはメアリ妃殿下に強引に風呂に入れられ、そのまま夜着に着替えさせられていた。シアが着せられたのは、年頃の貴族令嬢が着るような美しいレースが幾重にも施されたデザインのものであった。

 いつの間にこんな服を用意していたのだろうか?自分の体格から考えて既製品ということは絶対にない。

 もちろん、この夜着もマクシミリアン王子のデザインのオーダーメイド品である。ただし、彼が自分からデザインしたわけではなく、今日のような事態を予想してメアリ妃殿下からマクシミリアン王子にデザインを依頼したものである。

「メアリ妃殿下?私はなぜ夜着に着替えさせられているのでしょうか?」

「それは今後のことをしっかり、じっくり話すから今日はここに泊まってもらうことにしたの」

「今日は外泊届を出していませんので、そういうわけには」

 顔に迫力が増すメアリ妃殿下に圧されて、シアは一歩、一歩後ずさりする。

「大丈夫ですよ。私から騎士団長に連絡を入れておきました」

 シアの背後にすっと夜着に着替え終えたレオノーラ王妹殿下が現れ、その退路を塞ぐ。

 王族二人に取り込まれて、逃げ場を失ったシアは両手を上げて降参した。レオノーラ王妹殿下は、そのままシアを護送…ではなく、客間に案内した。客間に通されたシアは寝台に腰を掛けるように促される。

 客間にあるソファにレオノーラ王妹殿下とメアリ妃殿下がそれぞれ腰掛けた。

「これまでのお見合いで、結婚したいと思った方はいたかしら?」

「もし私がレティシア王女だとしたらという話ですよね?でしたら、どなたも該当しませんね」

 メアリ妃殿下からの問いにシアはきっぱりと言い放つ。

「まぁ!理由を聞かせてもらってもいいかしら?」

「忌憚のない意見を言ってちょうだい、遠慮はいらないわ」

 王族二人は笑顔で応える。

「……まず、マクシミリアン王子殿下はそもそもレティシア王女と見合いをする気がありませんので、実際に見合いをしても話が纏まることはないでしょう。次にヴィクター兄様ですが、レティシア王女を相手にあんなことをしたら斬首刑になるかと。トーマスは、私に思いを残したまま見合いをしてもレティシア王女に失礼です。コリンは今日の段階では論外です。明日からの父上の指導でどのくらい伸びるかは分かりませんが」

 シアは一呼吸を置いてから一気に述べた。

「シア個人だとしたら、どなたと結婚したいかしら?」

 メアリ妃殿下は笑顔を崩していないが、心の奥をのぞき込むかのような強い視線を向ける。

「私は結婚できないのですから、それを考えても意味はないでしょう?」

 シアは何かを諦めたかのようなあいまいな笑顔を見せる。

「シア、あなたはスプリングフィールド男爵家の後継男子を望んでいたわよね」

 メアリ妃殿下の問いにシアは静かに頷く。

「その後継男子がシアの婿候補だって、なぜ考えなかったのかしら?」

「私は公式には故人ですから結婚できませんよ。何をおっしゃっているのでしょう?」

 確かにトーマスからも結婚できないと決めつけるなと言っていた。

 駆け落ちの男女であれば、公的に婚姻関係を結ばずに暮らしていくことはあるだろうが、貴族の場合、家と家のつながりが重要であるからと婚姻を表明しなければならない。死者と扱われたシアではどうしようもない、とシアは思う。

「一定の要件を満たせば、死亡届を撤回できることは知っていますか?」

 レオノーラ王妹殿下がシアの顔をのぞき込む。

「行方不明者や失踪者について死亡届を出されて、後にその者の生存が証明できた場合に死亡届が撤回できるんですよね?」

「えぇ、そのとおりね」

 シアもある程度の教育を受けているため、難なく答えることができた。

 ヴィオンフォード王国では、誘拐などで行方不明となった、出張先から消息を絶ったなどの事情で、失踪者の家族などがその者の死亡届を提出したが、後に失踪者の生存が証明できた場合、死亡届が撤回できるという制度が存在する。

「貴族社会では、他家からの評判や子女の更なる誘拐を恐れて、行方不明や失踪した事実を隠して病死として死亡届を出すことが多いのです。後に何らかの形でその者が見つかった場合、実は失踪でしたと申告し直したうえで、死亡届を撤回することがまれにあります」

 失踪したのが貴族であれば、出生して間もないころに教会で魔導具を介して血の登録をしているため照合すればすぐに同一人物であると証明できる。失踪した者が平民の場合、教会に血の登録をしていないため、その者が同一人物であるかを立証するのに時間を要する。

 よって、貴族であるシアが生存している証明は簡単にできるため、死亡届はすぐにでも撤回できる。シアの場合は、失踪が原因ではないが国王陛下が秘密裏に承認した死亡であるので如何様にも細工はできる。

「仮に私の死亡が撤回できたとしても、アルフとしての人生は?」

 シアがアルフとして振舞えるのは、国王陛下の事後承認あってのことだ。ただし、シアの事情を知らない人物が、シアが女性であることを知った場合は騎士団を退団することになっている。

「シアとして生きるならば、白銀の騎士団の騎士は辞めてもらうことになります。もしあなたが、それでも騎士として生きていきたいなら、騎士としての人生は保証します」

 レオノーラ王妹殿下は優雅にソファに座りなおす。

 騎士として生きられる道は考えられていると言われても、これまでどおりとは行かせてはもらえなさそうである。シアとしては、正直言って困った事態になりそうな予感がするが顔には出さないように努めた。

「私としては、スプリングフィールド家の女主人として婿を取ってもらう方がいいのだけれど…。貴族夫人として夫を支えるのもよし、領地の経営を夫に一任して騎士の経験を活かして男爵家の領兵を育てるのもよし。それはあなたの自由よ」

 メアリ妃殿下がニコっと笑顔を向ける。

「あの…、私の見合いはこれからあるのでしょうか?それとも相手が決まっている…とか?」

「見合いなら、もうしたでしょう?シア」

 レオノーラ王妹殿下は『何を言っているのかしらこの子は』とでも言いたそうな表情を向ける。

「レティシア王女殿下の代役として、見合いの練習相手はしましたが…」

 シア個人の見合いはしていないはずである。

「シア、よく聞いてちょうだい」

 メアリ妃殿下がシアの下にしゃがみこんで、シアの両手をやさしく包み込む。

「…実は、レティシア王女は存在しないの!」

「えっ?なぜ、そんな存在しない王女の役をやらされたのですか?」

 あんなに手間とお金をかけてまで、見合いの練習の場を設ける意味が分からない。見合いの練習に駆り出された彼らがかわいそうだ。コリンに至っては、来月に迫る本番のことを思って、鬼のようなマナーの訓練をさせてしまった。

「決まっているでしょう。シアが見合いから逃げ出さないためよ!」

「結婚できないと思い込んでいるシアを見合いの場に引きずり出すためです!」

 と、いうことは……?

「…私の見合いだったんですか??全部??」

 口に出してみたものの、実感がない。

 いや、どうだろうか。今になって考えると、彼ら全員、レティシア王女の存在を無視して見合いの場にいた気がする。ということは、だまされていたのは私だけということか。

「聡いあなたなら、途中で気がつくかと思ったんだけど、最後まで気がつかなかったから、どうしたものかと思ったわ」

「自分のことになると本当に鈍いのね、シアは」 

 王族二人から、同時にため息が漏れてきた。

「兄様たちどころか、マクシミリアン王子殿下も婿候補ということ…ですか?」

 格下の男爵令嬢の婿に?身分が釣り合わなさすぎる。唯一の平民のコリンだって本来は他国の王族だ。

「シアはこの国の英雄だもの、そのくらい当然でしょう?」

「あの…、トーマスはともかくとして、他の婿候補の3人は国王陛下に命じられて嫌々見合いに参加したということは…」

 もし、そういうことであるならば今すぐにでも婿候補から外してあげたい。

「指名したのは陛下だけど、誰一人、嫌がる人はいないわよ」

「え?なぜですか?あのっ、レオノーラ王妹殿下、メアリ妃殿下、頭を抱えないでください」

 シアの鈍さは国難レベルである。

「んんっ、とにかく聞かせてちょうだい。シアは誰と結婚したいかしら?」

 気を取り直して、シアに向き合う。

「……っ!いえ、ちょっとまだ、よく分かりません!」

 ほんの一瞬、シアの頭に一人の男性の顔が浮かんで消えた。

「その間は何かしら?」

 レオノーラ王妹殿下が意地の悪そうな視線を向けた。

「な、なんでもありません!まだ頭の整理がつかないだけですっ」

「今日はもう遅いわ。ゆっくり寝なさい」

 メアリ妃殿下は侍女らしく、シアをベッドに寝かしつける。

「おやすみなさい、シア」

 メアリ妃殿下とレオノーラ王妹殿下が部屋を退出したあと、シアは頭の中がぐるぐると駆け回って全く眠れなかった。

 


 どうして、彼の顔が浮かんだんだろう?

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