第10話 お見合い練習?本番?(コリン編【前編】)

 シアはトーマスとの見合いについて、メアリ妃殿下とレオノーラ王妹殿下に簡単に報告した。シアとしては事実を淡々と述べたに過ぎないが、二人の表情が赤くなったり、青くなったりしていた。

 自分は何かまずいことを伝えてしまったのだろうかとシアは小首を傾げる。

「シア、どうしてそんなに冷静でいられるの?」

 メアリ妃殿下の言葉に、レオノーラ王妹殿下も強く同意する。

「そう言われましても、卵から孵ったひなが最初に見たものを親だと思うのと同じように、トーマスにとって最初に見た同年代の女性が私だっただけだと思いまして」

 シアの返答にさらに二人の顔が青くなる。

「シア、ちょっと私たち用事を思い出したから部屋を出るわね」

 二人は、優雅さを失わないように留意しながら、それでも早足で控室を退出し、レオノーラ王妹殿下の自室に移った。

「これは由々しき事態です」

「ええ、この調子だと他の候補者がプロポーズをしても、同じような反応しかしないでしょう」

 シアにこの見合いの趣旨を説明すれば、多少の認識は改まるかもしれない。だが、シアの自己肯定感の低さは、すぐには治らない。

「いっそのこと、英雄アルフは女性でしたと公表しましょうか?もちろん陛下の許可をいただいたうえでということですけど。ドレスをまとったシアを見れば、数多の男たちが言い寄ってくるわ。さすがのシアも自分が魅力的な女性であること認識するかも」

「待ってください、メアリ様。早まってはダメです。騎士団という男社会に慣れてはいるでしょうけど、恋愛がらみの経験が全くないシアをそんな状況に置いたら…」

「男性不信が強くなるだけね」

 どちらからともなく、大きなため息をつく。二人の頭の中には、恐ろしい未来が浮かんでいた。それは、シアに言い寄った貴族子弟の死屍累々の姿だ。

 シアに強引に迫れば、騎士団で鍛えた武力で制圧され、誠実な態度で思いを告げても、シアの自己肯定感の低さから出た発言で、相手の心をさらりと折っていく。前者については自業自得かもしれないが、後者については相手の男性があまりにもかわいそうだ。

 シアの自己肯定感をどのように高めるか、これは白銀の乙女の幸せを考える会として早急に対応すべき案件だ。今すぐにでも会議を開きたいところではあるが、まだコリンの見合いが残っている。取り急ぎ、通信用の魔導具を使ってライオネル王太子に連絡を取り、臨時会議の要請と議題の提示をするに留めた。

「あまり待たせても、シアを不安にさせてしまうわね」 

 二人はコリンの見合いの準備のために、シアの控室に戻る。



 シアは次の見合いのために新しいドレスに着替えさせられていた。薄いモスグリーンの生地のドレスでスカートの裾に様々な種類の花々が描かれたものだ。

「このドレスは…?」

 シアは着せられたドレスに既視感を覚える。

「あぁ、シアが昔着ていたドレスを基にマックスがデザインしたものよ。懐かしいでしょう?」

 メアリ妃殿下の言葉に、シアは合点がいった。少女のときに、これと似たようなデザインのドレスを着て登城したことがある。もっとも、シアはすぐに身長が伸びてしまって、次の年には着ることができなくなってしまったが。

「あの時のドレスに似ていますが、大人の私が着ても問題のないデザインになっていますね」

 少女だったシアが着ていたドレスはこれよりももう少し明るい色合いだが、全体的なシルエットやドレスの絵柄はほとんど同じだ。襟の形を少し変えたのと、色合いもミントグリーンから薄いモスグリーンへと少し落ち着いたものになっているため、大人になったシアが着ても何ら違和感がない。

「マクシミリアン王子殿下の才能は素晴らしいですね」

 鏡に写った自分の姿を見ながら呟いた。

「シア、ありがとう。息子も喜ぶわ」

 シアを思い浮かべて一晩で大量のドレスのデザインをする息子をとんでもない情熱の持ち主というか、執念の持ち主と評すべきかと思ったことをシアには言えない。

「それにしても、マクシミリアン王子はよく覚えていましたね」

 あのドレスを着て登城したのは、数回だけだったはずだ。それにシア自身、ついさっきまで忘れかけていたくらいだ。

「それはまぁ、その…」

 どのように答えるべきか言葉を詰まらせる。息子の執念のなせる技としか言いようがない。

「子供のときの日記をたまたま読み返したら、当時の様子を描いた絵が添えてあったらしいわ」

 これなら不自然ではないだろう。実際のところは、王子が日記にシアのドレスについて詳細な記述を残し、大量のスケッチを残していたから再現できたのだが。

 メアリ妃殿下が息子の日記の内容を知っているのには、理由がある。

 マクシミリアン王子が留学した直後、メアリ妃殿下は王子の部屋の大々的な掃除を使用人達に命じた。部屋の持ち主がいないからこそ、いい機会だと考えたからだ。

 普段掃除しないような家具の裏側も掃除すべく、使用人達が家具を動かしているときに王子の鍵付きの日記が家具の上から落ちてきた。

 高いところに置いてあったせいか、落ちた衝撃で鍵が壊れ、日記そのものもバラバラになってしまった。使用人達はすぐさま日記の中を見ないようにかき集め、メアリ妃殿下に差し出した。彼女も当初は中身を読むつもりはなかったが、順番がバラバラでは日記としての用をなさないと思い、並べ替えるために必要最低限度に軽く読む程度に留めるつもりであった。

 日記をパラパラとめくったところ、基本的に一日に数行程度の記述であるのにシアが登城した日は何ページにも渡っており、内容を読まないと並べ替えられないものであった。この日記と、あとで見つかったスケッチブックから、息子が本気でシアを愛していることを知った。

 絶対に、息子とアルフの振りをしたシアを会わせてはならない!と、このときにメアリ妃殿下は決意した。学校の長期休暇で息子が帰ってくるときは、シアに出張を命じるように国王陛下に具申した。

 愛する女性を手に入れるために何をしでかすか分からない。幼いが故に短絡的な手段を取りかねず、息子のせいでシアがアルフの振りをして生きていることを知られてはシアの努力が無駄になってしまう。これは、何が何でも避けたかった。

 だが、マクシミリアン王子がシアの婚約者候補となってしまった今では、シアと会わせなかった5年間が裏目に出てしまっている。それに比べ、他の候補者3人は公私ともにシアと交流を重ねている。さて、どうしたものだろうか…。自分の判断は今となっては正しかったのか、分からない。

「メアリ妃殿下、どうかされましたか?」

「何でもないわ、大丈夫よ」

 メアリ妃殿下は思案をそっと奥においやってから、シアに微笑んでみせた。

「お顔が少々強張っていたように見えましたので。何かお疲れか、それともお困りごとでもあったのかと」

 やはり、この子は勘が鋭い。感情を悟られないように気を付けていたつもりだったがわずかな違和感をつかみ取っている。それと同時に、メアリ妃殿下は思う。

 どうしてシアは自身に向けられた思慕の念を読み取れないのか!鈍い、あまりにも鈍すぎる。

「あなたが心配することではないわ」

 シアを安心させるために、シアの両肩を優しく撫でた。シアは納得できていないようであったが、これ以上追求することはなかった。

「次の見合い相手は、あなたが一番接している人よ」

 一番接している相手?騎士団の誰かだろうか?

「入ってちょうだい」

 メアリ妃殿下が部屋の外にいる人物に声を掛ける。しかし、部屋を開けて入ってくる気配はない。

「部屋の外に気配は感じますが、入ってきませんね」

 シアは部屋の外に意識を集中する。確かに、この気配はシアの知っている人物だ。だが、なぜ部屋に入ろうとしない。

「もしかして、部屋の外にいるのが誰か分かった感じかしら?」

 その問いかけにシアは静かに頷く。

 少し待っても部屋の向こうの人物はいまだに入ってこない。数歩進んで、ドアノブに手を掛けようとして躊躇し、後退するという奇妙な行動を繰り返している。

 彼の身分は平民であるが、血筋は申し分なくレティシア王女殿下の見合い相手になりえるだろう。

 シアは、しびれを切らしてツカツカと扉に近づいた。

「コリン、いい加減入ってきたらどうだ?」

 シアは、完全にアルフの仮面を纏って勢いよくドアを開ける。

「うわわわわ!」

 ちょうどドアノブに手を掛けたところだったのか、扉の向こうにいたコリンが情けない声を上げて部屋の中に倒れ込んだ。

「大丈夫か?コリン」

「えぇぇ、すみません。アルフ坊ちゃま、いやいや、シアお嬢!」

 尻もちをついたコリンをシアが男らしく掬い上げた。

「も、も、申し訳ありません、お嬢…!」

 コリンは恥ずかしさのあまり、シアにペコペコ謝り続けた。

「こんなのじゃあ、先が思いやられるな」

 シアはため息を一つ吐く。

「大変申し訳ありません」

 シアの態度に萎縮したのか、コリンは情けない声を上げながら、その場に跪きそうになる。

 あぁ、こんな風に登場するつもりはなかったのに…。

 コリンはこの日が来るのを楽しみにし、何度も頭の中ではどのような言葉を掛けるか想定し、シアの目を盗んで何度も練習していた。

 今日は、緊張のあまりドアを開けられないところに、シアの方からドア開けられ、なんとも情けない入り方をした。

 本当は、シアがどんなに美しいか、この日を迎えられたことをどれほど嬉しいかを伝えたかったのに、頭から全て抜け落ちてしまった。

 必死に謝り続けるコリンを見て、シアは決心する。

「コリン、君の将来のためだ。僕が指南しよう」

 コリンを含め、その場にいた全員が息を呑んだ。今のシアは、ドレスを纏っているが完全にアルフの仮面を着用しているのがありありと分かる。

「君をレティシア王女の見合い相手として相応しい貴公子になるように、僕が今から教育する!」

 王族の教育係として長年携わってきたスプリングフィールド家の血がたぎってしまった瞬間だった。



「オラを教育?」

 コリンは目を大きく開いて、シアを凝視した。

「今から『オラ』は禁止だ!コーニーリアス・ニコラウス・ルービンシュタイン王子殿下。君は庭師の息子でも従騎士でもない。れっきとしたルービンシュタイン王家の人間だ」

「ご、ご冗談でしょう!オ、…じゃない自分はアルフ様の従騎士で、庭師の息子です」

 『オラ』と言いかけたところに、シアの目が険しくなった。

「いいか!君は失われつつあるルービンシュタイン王家を再興させられるかもしれない機会が目の前にぶら下がっているんだ」

「自分は別に再興なんて望んでは…」

「君が庭師の息子や従騎士であるならば、そもそもレティシア王女の見合い相手に選ばれることはない。君に流れている血が重んじられたからこそ、見合い相手に選ばれているんだ」

 シアの見合い候補として選ばれた理由としてコリンに流れている血が重んじられているのは間違いない。だが、他国の王女と結婚させるためではない。

 シアは一番重要な情報を与えられていないので、勘違いするのも無理はない。

「ヴィオンフォード王国としても、君は良い手札の一つだ。自国の王子を差し出さずに済むのだから。それにレティシア王女を迎えるということは、ある程度の領地を与えなくてはならない。君はその領地を足掛かりに出世するのも、新たな領地を手に入れるのも、君の能力次第だ」

 シアは射貫くような目をコリンに向ける。その目は『いいか、コリン。これはチャンスだ』と言わんばかりだ。

 オラは別に領地なんかほしくない、スプリングフィールド領でお嬢と暮らしたいだけだとは、真剣な表情で諭すシアを前に言えない。

「シア、とりあえず見合いの練習を一通り行って、それからどのようにふるまうべきかを説明していくのはどうでしょう?」

 レオノーラ王妹殿下が助け舟を出す。

「そ、そうです!自分がしっかり見合いに臨むには、全体の流れをつかむところから始めた方がいいと思うんです。さぁ、始めましょう!」

 コリンはすかさずレオノーラ王妹殿下の助け舟に飛び乗った!

「しかし、今のコーニーリアス王子では他国の王族の前に立てるほどの立ち居振る舞いはできないでしょうから、練習の前に知識を身につけないと」

 これまでは、コリンが亡国の王族であることを知られないようにただの庭師の息子として育てられていた。

 シアの従騎士になる際に、さすがにこれまで通りというわけにはいかず、必要最低限度の知識とマナーを叩き込んだだけである。立ち居振る舞いという点では他の候補者たちに大きく劣る。

「そういえば、レティシア王女の見合いはいつですか?もしかしたら、伺ったのかもしれないのですが、忘れてしまったようでして」

 シア本人は渋々練習に参加させられているので、詳しいことを聞く気がなかった。レティシア王女の見合いの日についてメアリ妃殿下から聞かされたのかもしれないが、あまりの興味のなさに頭に入らなかったのかもしれない。

「ごめんなさい、シア。肝心の本番については説明していなかったわ。いつだったかしら…ああ、そうそう。来月の末だわ」

 メアリ妃殿下は適当な日にちを言った。正直なところ、存在しない見合いの日程まで決めていなかった。それにシア本人からもそのような質問もなかったので、特に問題はないと思っていた。

「そんなっ!1か月と少ししかないではありませんか!!1分でも1秒でも惜しい!今すぐにでもコリンの指導を始めないと。僕だけでは足りませんね。父上にもご協力をいただいてコリンをどこに出しても恥ずかしくない王子に仕立てないと」

 しまった!!もっと先の日にちを言えば良かった!と思うがもう手遅れだった。シアの目は、完全に燃えている。代々受け継がれてきた王家の教育係の血が騒ぐのだろう。 

 様々な王城でのトラブルをそれとなく解決してきたメアリ妃殿下であるが、今回は大失敗である。

「レオノーラ王妹殿下、父上をこちらに呼ぶように遣いを出していただけませんか?」 

 シアはこの屋敷の主であるレオノーラ王妹殿下に伺いを立てる。

「それは構いませんが…でも、ねぇ?」

 レオノーラ王妹殿下はメアリ妃殿下に目線を送る。そんなことになったら、コリンの見合いにならない。

「…む、息子が使っていたマナーの教本を今すぐ取り寄せさせるから、今日のところはシアがコリンの指導をしてくれるかしら?」

 メアリ妃殿下は、急いで立ち上がり通信用の魔導具を使用して、自分の侍女に連絡を取った。



「さぁ、教本が手に入ったことですし、始めましょう!」

 教本を侍女から受け取ったメアリ妃殿下はわざとらしく明るく振舞う。

「ではコーリーニアス王子、私をレティシア王女だと思って挨拶をしてみてください」

 シアはメアリ妃殿下から教本を受け取りながら、コリンの指導を始めた。

「えっ!何の手本もなしにですか?」

「これまで、白銀の騎士団の団員として挨拶の一つや二つして来たでしょう?」

「それはそうですが…。」

 コリンは視線を落とした。これまでは、正騎士のついで程度の挨拶であったので、従騎士であるコリン自身が注目されることはなかった。

 王族に対して、どんな言葉で、どんな態度で挨拶をすればいいのか分からない。

「さぁ、始めてください」

「は、始めましてレティシア王女殿下。自、自分はコ、コリン・ブラウンと申し…」

 いきなりの指導でコリンは動揺してしまった。

「…はい、不合格!」

 コリンの挨拶が終わる前に、情け容赦なくシアからの不合格通知を受けた。

「ひぃぃ!」

「直立不動で挨拶してどうする!声に覇気がない!今の王子はただの不審者です。それから、ルービンシュタイン王家の一員として見合いに臨んでいるのですから、コーニーリアス・ニコラウス・ルービンシュタインと堂々と名乗りなさい!」

 シアは完全に鬼教官モードに突入した。シアの容赦ない発言にショックを受けてコリンはその場に倒れ込んだ。

「ひょえええ」

「泣き言を言わない!もう一回やり直し!」

 騎士団でも、騎士見習いを相手に熱心に指導することで有名なシアだ。コリンを苛めたいわけではなく、彼をどこに出しても恥ずかしくない王子にするためにいつも以上に熱が入ってしまっているに過ぎない。

「シア、あまりにもコリンに強く当たり過ぎではないかしら?」

 メアリ妃殿下は指導に熱が入り過ぎている鬼教官シアにやんわりと注意する。

「何をおっしゃっているのですか!見合いは来月に迫っているのですから、悠長なことをしていられないのですよ!これは通しで見合いの練習をしている場合ではありません」

「それにしても…。初めてのことなんだし、今日のところはお手柔らかに…」

「メアリ妃殿下は、未熟者を他国の王族の見合い候補として送り出したいのですかっ?!」

 鬼教官シアの目は完全に据わっている。このまま近づくと切られかねない殺気を纏っている。

「シア教官、自分が甘かったです。指導を続けてください」

 心に傷を負いながらも、コリンは立ち上がった。

 お嬢はオラのために心を鬼にして指導してくれている。お嬢の指導は厳しいけど、マナーを身に着ければ、少しはお嬢の隣にふさわしい男になれるかもしれない。

 この後も、コリンは必死に挨拶を何度もやり直したが100回の不合格通知を受け、101回目の挑戦でやっと及第点で合格することができた。

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