第9話 お見合い練習?本番?(トーマス編【後編】)

 どうする、どうする、トーマス!

 崩れ行く信頼と千切れ行く絆をどうやってつなぎとめるべきか、トーマスは顔面蒼白になりながら纏まらない頭を総動員する。

 10年以上、いや15年以上シアへの感情を封印してきたのに、どうしてここで口からこぼれ出てしまったのか。

 何とか言い間違い、聞き間違いの類でごまかせないか?

 ヴィクター兄なら、この難所を上手くごまかせるかもしれないが、シア姉以外の女性とまともに接したことのない自分には無理だ。

 それに、ヴィクター兄だって先週とんでもない失態をしたばかりだ。兄弟そろって、どうしてこんなことをするのか。

 恥ずかしくてこのまま立ち去りたい!

「…どうしたの?トーマス?」

 さすがにシアもレティシア王女殿下という演技を続けるつもりはなくなったようだ。

「ごめんなさい、シア姉。もうこれ以上、自分をだませません」

「…?」 

 シアは形の整った眉の片方を上げる。

「私は…」トーマスは自身の唇を噛んでから、もう一度口を開く。「シア姉のことをお慕いしています。もちろん、シア姉が私をそんな風に見ていないことも分かっていますので、返事もいりません」

 彼は言いたいことを言って、立ち上がろうとする。

「待って!トーマス」

 慌てて袖口を掴む。

「止めてください。みじめな男を引き留めてどうするんですか?」

「ごめんなさい。私は結婚できない身の上だから。トーマスが私のことを思ってくれていても報われない」

 スプリングフィールド男爵家は、近いうちに国王陛下がお決めになった貴族子弟に譲ることになる。それが、私の願いだから。

「私を愛してくれてありがとう。トーマスなら、きっと素敵な人と巡り合えるから。それこそ、レティシア王女殿下がトーマスのことを気に入るかもしれないし」

 その目には、わずかばかりの憂いが見えた。

「どうして、シア姉は結婚できないと決めつけているのですか」

「当然でしょう。私の持参金はとっくになくなっているし、そもそも故人扱いになっているし。跡継ぎになる貴族子弟はおそらく男爵家より明らかに上の身分だろうから、今以上に身分保障のための費用が掛かってくるはずだ…し」

「シア姉、いろいろ間違えています。故人なのはアルフ兄!シア姉は書類上亡くなった扱いになっているだけ。シア姉がアルフ兄の振りをすることができるのも、国王陛下の事後承認があってのこと。持参金は嫁ぐ場合に必要なだけ」

 先ほどまで消え入りそうな声とはうって変わって、声に強さが戻る。

「ということは…?」

「あとは、シア姉、自分で考えてください。この話は以上!おしまいです!」

 一方的に打ち切りを宣言する。

「トーマス、全然分からないんだけど?」

 シアは頭の中が霧に包まれたように感じた。

「シア姉、自分のことになると本当にポンコツですね」

 やれやれと言わんばかりに大げさにため息をつく。

「失礼な!…でも、トーマスが元気になって良かった」

「ついさっき、シア姉に振られたばかりの男ですけどね」

 トーマスは小さく毒を吐く。当然のことながら、元気なわけがない。

「…ごめんなさい」

 俯き気味の美しい令嬢がトーマスの視界に映る。

 笑顔のシア姉が一番、だけど憂いを帯びたシア姉もきれいだ。そっとシアに手を伸ばす。

「顔を上げてください、シア姉」

「一つ聞いていい?」

 シアはまっすぐにトーマスの目を見る。

「トーマスはどうして、レティシア王女殿下の見合いを受けることにしたの?テオドールおじ様の意向?」

 だめだ、やっぱりシア姉はポンコツだ。トーマスは先ほどよりも大きくため息をつく。

「え?私、何か悪いこと言った?」

 あどけない少女のようにきょとんとした表情を浮かべる。

「シア姉が練習相手だと知っていたからですよ」

 これは小さな嘘だ。

 シアのための見合いだとまだ言うわけにはいかない。これを明かせば、シアは見合い打ち切りを一方的に宣言する可能性がある。

 そんなことをしたら、次の見合い相手のコリンの見合いの機会を奪うことになってしまう。ライバルが一人消えてちょうどいいという考えもあるが、同じルールで戦った上でシアを手に入れなければ意味がない。だから、この見合いの本当の目的をまだ言えない。

「でも、真面目にレティシア王女扱いしていたよね?マクシミリアン王子殿下とヴィクター兄様はそんなことしなかった」

「あの二人の考えはよく分かりませんが。私について言うならば、私が不器用なので、与えられた設定を真面目にこなすしかできなかっただけです」

 まさか長年しまい込んだ気持ちを吐き出す失態をすることになるとは、見合いを始める前は欠片も予想していなかった。

 自分で思っている以上に、シアとの見合いで舞い上がっていたのかもしれない。

「ふーん、そう。確かにあの二人は確かに心の内が分かりにくいかも」

 これ以上の追求はなかった。しかし、トーマスには、あの二人は『心の内が分かりにくい』というところに引っ掛かりを感じる。どちらも素直ではないのは間違いないが、明らかにシアに好意を寄せていることに気が付かないのだろうか。

 気が付いていないなら、こちらに有利に進めさせてもらおう。

「シア姉」

「どうしたの、トーマス?」

 トーマスの眼差しに今までに感じたことのない強さを感じる。

「私は、諦めません。いつかシア姉が私を選んでくれるように努力します」

「トーマス、私は結婚でき…」

「その決めつけは止めてください!」

 シアが言い終わる前に、言葉を被せる。

「私だけじゃない、シア姉に思いを寄せる他の男達にも失礼だ」

「え?他の男達?そんな人、複数もいるの?」

 やっぱり自覚がない。

「…不憫過ぎる」

 シアは誰もが驚くくらい、美人だ。なのに、アルフの振りをしているせいで世間的には認知されていないというか、故人扱いだ。シアが頑張れば頑張るほど、アルフの名声が上がる。

 シアの家がもう少し裕福であれば、そうでなかったとしても、せめてアルフが生きていたら、きっとシアは社交界で蝶よ花よと褒めたたえられただろうに。

 また、シアを慕う男達も誰一人シアに意識されていないことにも憐れみを覚えた。

「私を含めてシア姉と長く接してきた男達は、シア姉に心酔していますよ!シア姉は強さと美しさを兼ね備えた女性です。強さは騎士としての戦闘能力だけではなく、心の強さです。家のために自分の存在全てを犠牲にして今日まで努力するなんて、誰もできません。その強い心は、気高さも感じさせてくれます。整った外見とも相まって、なんと美しい女性だろう!と感じざるを得ません」

 トーマスは吹っ切れたのか、臆面もなくシアを褒め称える。

「え…!え…!も、もしかして口説かれてる?」

 顔だけでなく、耳まで赤くなっていく。そんなシアをトーマスはまっすぐ見つめ、そっとシアの手を包む。

「もしかして、ではなく、紛れもなく口説いています。シア姉があまりにも鈍いからはっきり言わないと」

「鈍いってそんな…」

「現実にそうでしょう。それにこれは、シア姉の正体を知っている男達だけに限っての話です。その範囲に絞っても、シア姉に思いを寄せている者が何人もいるんです。なのに誰一人の思いに気が付かないなんて」

「だって、そんな風に接してくる人いなかったし」

 シアは軽く空を見上げる。その姿から『そんな人いたかなぁ』と言いたげだ。

「それは、シア姉の身の上を慮って遠慮していただけですよ」 

 今までは誰もがシアの正体を悟られないように腐心し、シアを守ってきた。だから、シアに向ける愛情を封印してきた。

 だが、先週からシアは見合いをさせられている。トーマスの前に行われた二人の見合いにシアは感じるところがなかったのか。

 うっかり言ってしまったとは言え、あの二人に比べれば、告白した自分の方がまだマシかもしれないとトーマスは思い直した。この失敗はそこまで悪くなかったのかもしれない。

「それにアルフ兄の正体がシア姉だったと分かってしまったら、国中の男達が一斉に求婚してきますよ」

「それは大袈裟じゃないかしら」

「何を言っているんですか!シア姉がどれだけ魅力的か自覚してください亅

 自分の存在を殺して、ここまで過ごしてきたシアには酷な話ではあるが、自覚してもらわないと困る。

「アルフの振りを止めた私なんてただの刺繍好きの地味な女の子よ、ってもう女の子という年でもないか」

「シア姉の自己肯定感の低さは、すぐには治りそうにないですね。私にとっては、ライバルが少なくて済むので好都合ですけど」

 今のところ、これ以上ライバルが増えなくて済みそうだ。シアに好意を寄せていると告げた人間はまだ自分一人だ。

「ライバルってトーマスの思い過ごしということは…?」

 変わらないシアの認識に、トーマスが大きく大きくため息をついた。



 昼の12時を告げる時計が鳴った。もう見合いの時間は終了だ。

「もう少し、シア姉とお話したかったのですが残念ですね」

「トーマスって、物静かな印象だったけど、話上手だったのね」

「まぁ、多弁な方ではありませんが。愛する人の前では少しでも楽しい時間を過ごしてもらいたくて」

 シアの手を取りエスコートの姿勢をとる。そのまま歩き出すかと思いきや、シアの手に口づけを落とす。

「なっ!」

「本当はシア姉の口にしたいのですが、そこは自重しました」

 くすくすとトーマスは笑う。

「さりげなく接しているように見えて、女性にグイグイ来るタイプだとも知らなかった」

 さすが、テオドールの血が流れているとシアは呆れながらも感心する。

「長い付き合いでも、知らないことは結構あるものです。恥ずかしながら、私は人生で初めて女性に迫っています」

「初めての手口じゃないと思う」

 シアは疑いの目で見る。

「良いお手本が近くにいましたから」

「おじ様とヴィクター兄様ね」

「その通りです。父と兄をただ真似するだけでは失敗すると思いましたので、自分なりに考えて多少のアレンジはしましたが」

 効果が出ているとは言えないが、失笑を買われるレベルではないようだ。

「そこがトーマスの怖いところよ」

 戦闘でも仕事でも、ただの先人の真似ではなく、自分に合ったスタイルを確立していく。まさか、女性相手にも実践できているとは思わなかった。しかも、これが初めてとは将来のトーマスに恐ろしいものをシアは感じた。

「私としては怖がられるより、好感を持っていただきたかったのですが」

「家族同然という意味では好感を持っているよ」

 家族同然といっても、トーマスを弟のように思っているという意味であることは分かっている。

「シア姉、いや、シア嬢。いつかあなたの最愛の人になれるように私は努力します」

 シアをまっすぐに見つめる瞳には、炎が宿っているかのように力強さがあった。シアには彼の強い瞳に応えられる言葉が見つからなかった。


 トーマスにエスコートされて温室を出ると急に空模様が変わった。

「そういえば今日は天気が悪くなるって言ってたね」

「えぇ、先ほどまでは薄曇りでしたが今にでも雨が降りそうですね」

 温室と屋敷との間の渡り廊下には簡素ながら屋根がついており、横殴りの雨でも入ってこない限り濡れることはない。

「本当はゆっくり帰りたいところですが、雨で気温も下がりそうですしシア嬢がお風邪を召してはいけませんので早めに戻るとしますか」

 すっかりトーマスの中では、シア嬢と呼ぶことにしたようだ。

「トーマス、悪天候は慣れているから少々のことでは風邪をひかないよ」

 騎士の仕事をしていれば悪天候で人探しや魔獣討伐をすることもある。しかし、見合いの場で令嬢に風邪をひかせるような男にはなりたくない。

 トーマスは少し困った表情を浮かべながら歩調を少し早めた。

 雨は二人が屋敷に入ってすぐに降り出し、雨粒が次第に大きくなった。

「すごい大雨ですね」

「…アルフはこんな雨の中、グリーンドラゴンと対峙していたのかな」

 シアは窓に打ち付ける雨を眺める。

「どうでしょう?あの日は強い雨が降っていて、演習を中止するかどうか話し合いが持たれていたと父から聞いたことはありますが」

 トーマス自身は入団前のことなので当時の状況は父から伝え聞いた一部の情報しか持っていない。

「アルフが男爵家に戻された時も、ひどい雨だった。馬車から運び出されたアルフがこれが本当にアルフなの?って家族全員信じられなかった。全身を包帯で覆われて誰だが分からないし、アルフは痛みがひどくてうわごとしか言わなないの亅

 あの日のできごとがまざまざと蘇ってくる。シアが献身的に看護をしたが、回復に向かうことなく、死を迎えてしまった弟アルフ。

「あの子ね、最後にこう言ったの。『僕の分まで生きて』って。ねぇ、トーマス、私、アルフのお願いちゃんと叶えられたかな?」

 トーマスの隣に立っていたのは、アルフの振りをしたキザな騎士でも、自分のことに無頓着な男爵令嬢でもなく、今にも心が折れそうなか弱い女性だった。

「シ、シアッ」

 彼女の儚げな背中を抱きしめたい、そんな衝動に駆られる。しかし、彼女の心を射止めていないトーマスにはその資格はない。抱きしめそうになった腕を押し留めた。

「…アルフは多分こういうと思います。『姉さん、頑張り過ぎ!』って」

「っふふ!アルフなら言いそうね」

 シアの顔に小さく笑みが溢れる。

 そして、きっとアルフはこうも言うだろうと思うがあえてトーマスは言わない。


――『僕の分まで生きて』って、言ったけど姉さんが僕になりきって生きることじゃないんだけどなぁ。姉さん、僕の真似、上手過ぎなんじゃないの?――


 シアがアルフの仮面を完全に外す時期が、そう遠くないことを彼女はまだ知らない。

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