第6話 お見合い練習?本番?(ヴィクター編【前編】)
シアは、マクシミリアン王子との見合い練習(ただし、王子本人は本番である)を終えて控室に戻ってきた。
控室の扉を開けると、メアリ妃殿下と屋敷の主であるレオノーラ王妹殿下が出迎えた。
「シア、お疲れ様。午後の見合い練習は夕方だからしばらく楽にしていいいわよ」
メアリ妃殿下は疲れの色が見えたシアを労い、彼女が座りやすいように椅子を引いた。
「見知った相手と言っても、いつもと違うことをするのは疲れますね」
シアは椅子に腰を掛けた後、浅く息を吐いた。
「疲れに聞く紅茶を用意したから、これでも飲んで休んで頂戴」
レオノーラ王妹殿下がお茶を勧める。
「ここからはあの子の母親としてなんだけど、うちの息子はどうだった?」
メアリ妃殿下は、シアの結い上げた髪を解く。
「…どう、とは?」
「そこは、好きに解釈していいわ」
メアリ妃殿下が意味ありげに微笑する。
どのように答えてよいものか。確か、見合いの練習を依頼されたときにメアリ妃殿下はこう言ったはずだ。
――見合いの練習が終わったら、私に気になったところをこっそり伝えて。それと、特に良い印象を受けた方がいたら、必ず必ず私に教えてほしいの――
「そうですね。王子は見合いにやる気がありませんでした」
「やる気がない?」
メアリ妃殿下の眉がピクリと動く。一瞬にして空気に緊張感が走る。
「え、あの…。レティシア王女との見合いは形ばかりので、国王陛下はマクシミリアン王子殿下とレティシア王女を結婚させる気はないだろうとおっしゃっていました」
シアが遠慮がちに答える。
「あぁ、そういう意味ね」
メアリ妃殿下が大げさに胸を撫でおろした。うちの息子に限ってシアとの見合いにやる気がないということはあり得ない。
「どうかなさいましたか?」
シアはメアリ妃殿下に恐る恐る声を掛ける。
「大したことじゃないわ。私も陛下もマックスをレティシア王女に差し出すつもりはないから、それはそれでいいわ」
そんなことよりも、もっと他の印象を聞きたい。息子が王座につく予定がないならば、せめて息子には心から愛する女性と結婚してもらいたい。
もし、その女性が教養を備えていない平民の娘なら論外だが、シアならば異論はない。シアは男爵令嬢という貴族の末端ではあるが、何代にも渡って王族の教育係を務め、忠義を果たしてきたスプリングフィールド家の娘だ。シア自身、白銀の騎士団に所属し、ヴィオンフォード王国を守り続けただけでなく、危険なドラゴン討伐もやってのけた英雄だもの。
それにおとぎ話では、よくあることよ。王が褒美として自分の娘を英雄に降嫁させるという結末が。ただ、おとぎ話と違って、英雄は女性で、王が褒美として与えるのは王子だから男女が逆になっているけど。
「久しぶりに会ったマックスは、どんな男の子だった?」
メアリ妃殿下に促されて、
「……あの、どのようなことを言ってもお咎めはありませんか?」
シアは上目遣いをする。座っていても、背が高いシアは失礼に当たらないように身を小さくしていた。
「あるわけないでしょう。あなたの素直な感想を聞きたいの」
「えぇ、私も甥がどんな印象だったのかとても気になります」
メアリ妃殿下とレオノーラ王妹殿下は、シアを安心させるように柔らかな笑顔を見せる。
二人の反応を見て、シアは一呼吸置いて口を開いた。
「殿下ですが、見た目は洗練された王子様という印象ですね。社交界でお披露目したら、国内外のご令嬢が虜になるに違いありません。また、見た目だけではなく、エスコートも大変お上手で、そのあとの所作も洗練されておりました」
息子への印象は悪くなさそうだ。少し残念なのは、シアの口ぶりからして、虜になるご令嬢にシア自身は含まれていないのが分かってしまう。
シアの話はまだ続く。メアリ妃殿下もレオノーラ王妹殿下もシアが話しやすいように穏やかな表情を浮かべながら、適切なタイミングで相槌を打つ。
「ですが、私が殿下にお会いしていなかった、この5年間の空白は大きいですね。殿下は、私の頭の中では小さな男の子という印象で止まったままなんです。そのせいか、今の殿下と結びつかなくて。あと、私の受け答えが良くなかったのか、ところどころ不機嫌になられまして。思春期特有の面倒くさい男の子という感じが…あ、申し訳ありません!言い過ぎました」
シアは自分のせいで、血の気が引いていくメアリ妃殿下を見てしまった。
「シア、ごめんなさい。ちゃんと教育しておくわ。留学させていて私の目が届かなかったのがいけなかったんだわ!」
「あ、いえ、私も弟がいたので、思春期の男の子ってこういうもんだなと懐かしくなりました」
シアは笑顔を二人に向けるが、懐かしさというよりも寂しさが少し混じっていたように見えた。
シアが大人の女性で良かったと心から思う。同年代の貴族令嬢ならば、息子の態度を受けて萎縮するか、喧嘩するかのどちらかだろう。
さて、マクシミリアンをどう教育するか、王族女性二人の頭に重くのしかかる。他の候補者の見合いはこれから行われるが、マクシミリアンは後塵を拝しているのは間違いない。やはり、シアと会わせていなかった空白の5年間は痛手だ。
日が傾き始め、西日が強くなっていく。シアは次の見合い(練習)のためにドレスの着替えをさせられていた。シアのドレスの着付けをしているのは、もちろん侍女に扮したメアリ妃殿下である。
「あの、こ、このドレスは…」
鏡に写った自分を見た瞬間、シアは蚊の鳴くような弱々しい声を上げる。
「イブニングドレスがどうかした?」
メアリ妃殿下が小首を傾げる。
「あ、あまりにも色っぽ過ぎるというか、わ、私には似合わないというか…」
シアが動揺するのも無理はない。
装飾はシンプルな紫色の光沢のあるドレスではあるが、そのデザインがあまりにも挑戦的、いや扇情的だったからだ。
そのドレスは、首の後ろの金具一点だけで留めるホルターネック型、胸元が非常に大きく空いており、背中も肩も完全に丸見えになっている。スカート部分は細身のマーメイドラインを描いて、布越しであるが彼女の臀部の形がはっきりと見えるデザインだったからだ。
「色っぽいのは間違いないけど、似合わないということはないわ」
メアリ妃殿下は、シアの耳にアメジストのイヤリングを装着させた。
「どう見ても、このドレスこそ豊満な胸の人が着るデザインですよ!」
王子の時のクスコバ風のドレスについては、スレンダー型の方が似合うと一応の理解をしたシアだが、今回こそは違うと声を大にして言いたい。ほぼ装飾がないドレスにも関わらず、胸回りにのみ小さな宝石がいくつも縫い付けられていて嫌が応にも胸に目が行ってしまう。
「残念ながらそれはハズレね。上半身は補正下着なしで着るから、胸の大きい人はちょっとしたはずみで胸が全部飛び出るわよ、これ」
「えっ!なんて破廉恥な!」
シアは、一瞬のうちに想像を膨らませてあまりの恥ずかしさに顔を覆った。
「おや、年相応の女の子らしい反応ですね。珍しいものを見ました」
着替えの様子を少し離れた位置から眺めていたレオノーラ王妹殿下が嬉しい発見とばかりに呟く。
「さすがの私も驚きますよ。こんなの着せられたら」
シアは、レオノーラ王妹殿下に向かって、手を広げて自身が着用しているドレスを見せた。
「元々イブニングドレスなんて色っぽいものが多いから、気にしなくていいでしょう」
と言いつつ、ここまで前も後ろもはだけたデザインのドレスはあまりないことをレオノーラ王妹殿下は知っている。このドレスをデザインした甥のセンスに少々呆れる。クスコバ風の露出の少ないドレスをデザインしたかと思えば、こんな扇情的なドレスもデザインする。兄である国王陛下からの話によれば、一晩で30個近くのドレスをデザインしたらしい。
「そうは言っても、上半身なんてかろうじて胸が隠れているだけで、前も後ろもほぼ丸出しですよ」
シアは頭を下げて自身の胸周りを眺める。こうして見ても上半身の布面積の少なさに驚かされる。シアがスレンダー体形のせいで谷間は発生せず、平野がどこまでも広がっている。なのに、その平野を露出させる意図は何なのだろうか。
こんな平野を見たい殿方なんているのだろうか…。やっぱりここには、大きな胸と谷間が必要なのではないだろうか。
「シアの魅力は日々の鍛錬で鍛え上げられた健康的な肌です。これを見せない手はありません」
「そうよ。自信をもって、シア」
メアリ妃殿下は、シアの両胸を外側から軽く持ち上げる。
「キャッ!な、なにをなさるのですか!」
メアリ妃殿下に触られて、シアが小さく悲鳴を上げた。
「ドレスの形に合わせて胸を整えたつもりだったんだけど。それにしても、シア。普通の女の子みたいな悲鳴を上げられるのね…」
「本当に今日は珍しいものが見られますね」
レオノーラ王妹殿下は、シアとメアリ妃殿下の姿を見ながら優雅に紅茶を一口含んだ。
「さぁ、これで完璧。扉の向こうに次の見合い相手が今か今かと待っているわ」
メアリ妃殿下はシアの背中を押しながらシアを前進させる。
「えっ、あ、あの!次の見合い相手はどなたでしょうか?」
「女性慣れした美男子よ」
「そうね、その認識で間違いないわね」
王族二人があえて具体的な名称を告げずにシアの質問に答える。
「それは誰ですか?テオドールおじ様は…ないか」
シアは、女性慣れという言葉に引っ張られてテオドールの顔を思い浮かべたが、そのイメージをすぐに消した。数々の女性を虜にした人物ではあるが、さすがに複数の妻がいる50代の男はないだろう。
「当たらずとも遠からずかしらね」
「ええ、よく似た人物よ」
メアリ妃殿下とレオノーラ王妹殿下がそれぞれポツリと呟く。
メアリ妃殿下は、シアの前に出て部屋の扉を開けた。
すると、扉の向こうに一人の青年が待っていた。
「……ヴィクター兄様?」
シアはポツリと呟いた。
そうか、兄様も候補なんだ。もし、兄様がこのままレティシア王女と結婚したらクスコバに行ってしまうのか。
シアは一抹の寂しさを胸に抱く。
「シア、今日はよろしくな」
ヴィクターは、シアに近づき、手を取る。そして、距離を一気に詰めた。
「すごくきれいだ」
ヴィクターは、耳元でそっとささやく。シアの耳にヴィクターの吐息がかかる。
「に、兄様!何をおっしゃっているのですか?冗談が過ぎますよ!」
「さすがに悪ふざけが過ぎたか。ごめん、シア。でも…」
ヴィクターは屈託のない笑顔から、艶めいた笑顔に変わる。ヴィクターには、長い髪を横に流して緩やかなウェーブを効かせて整えられた髪、シアの髪を彩るようにちりばめられた小さな髪飾りや夜会向きに施された少し派手な化粧のせいでシアがいつもより大人っぽく見えた。
「きれいだと思ったのは本当だから、ね」
ヴィクターはシアの耳に下げられたイヤリングをわざとゆっくりと触れた。ヴィクターの声色、手つき、眼差し、その仕草一つ一つにシアは強烈なまでの色気を感じた。
兄様はやっぱり、テオドールおじ様の息子なんだ。こんな兄様、初めて見た。女性を前にした兄様はこんな感じなのかな。気のせいかもしれないけど、まるで私を本気で口説きに来ているみたいだ。でも、この色気はやり過ぎだし、ただの練習相手の私に向けるべきものじゃない。
シアは自分の気を落ち着かせるために一つ呼吸をした。
「兄様、最初から色気を出し過ぎるとレティシア王女も戸惑うと思います」
「そうか、そういうものか」
少しやり過ぎたか。しかし、異性として全く意識されていなかったところから、俺の言動に色気を感じる程度には意識するようになったか。
ヴィクターは、今まで良き兄として振る舞うように気をつけていた。シアが置かれた立場を重々理解していたからだ。弟の振りをして、スプリングフィールド家の存続のためにシアは全て犠牲にしていた。そんなシアに手を出せば、シアの努力が全て無駄になる。
アルフが死んだ時点で自分がスプリングフィールド家への婿入りしたとすると、バロウズ伯爵家から一定程度の財産を持ち出さなければならない。没落寸前の男爵家に財産を渡したところで何の利益もないため、バロウズ伯爵家当主である父・テオドールは承認しないだろう。シアが男爵家の全ての財産をかき集めてバロウズ伯爵家に嫁ぐ形ならばまだ実現可能性がある。だが、自分の家を潰すような結婚をシアは望んでいない、だからこそ、ヴィクターはただの幼馴染、頼りになる兄のような存在として振る舞ってきた。
だが、今は状況が変わってきている。今の自分は国王から認められた、スプリングフィールド家の後継者候補で、シアの婚約者候補だ。だから、堂々とシアを口説いていい。
しかし、いつでも口説けるわけではない。明日になれば、アルフの仮面をかぶったシアと騎士団の同僚として接しなければならない。もちろん誰にも見られない場所を狙ってシアに迫るという手はあるが、今日の見合いは、シアを時間をかけて口説き落とす数少ないチャンスだ。シアとの心の距離をどこまで詰めることができるかは分からないが、シアに一人の男として意識させることが今回の見合いの最低条件だ。
「ねぇ、シア。お願いがあるんだ」
ヴィクターは優しい声色で囁いた。だが、その声はどことなく甘やかな響きを奏でる。
「ん?なあに、兄様?」
「今日、この場は、『兄様』って呼ぶのは止めてもらってもいいかな?」
シアは、小さな声で「なぜ?」と発する。
「だって、そうだろう。見合いの場なんだ。兄妹みたいに接するのはおかしいだろう?」
「そ、そっか。分かった、ヴィクター兄…」
「だめだ、シア。ヴィクターって呼んでくれないと」
ヴィクターはシアの耳の後ろをそっと撫でる。
「もぅ、色気攻撃は自重してください」
シアはヴィクターの手を軽く払う。
やはり手厳しいな。
シアは騎士団に身を置いているせいで、男性の性質を嫌というほど理解している。ヴィクターがこれまで陥落させてきた令嬢や貴婦人に対して行ってきた方法は使えないだろう。これまで陥落させてきた令嬢や貴婦人は、別にヴィクターが心から口説き落としたいわけではなかった。王妃の息子である王太子の密命で第1側妃派の貴族の勢力切り崩しのためにやっていたことだ。令嬢たちはヴィクターにのぼせ上り、喜んで自家の情報を漏らし、『ヴィクター様のために』と父親の執務室に忍び込んで情報を入手してくる者もいた。貴婦人も、夫に不満があるのか、面白いように婚家の実情、悪事を話してくれる者が少なからずいた。
「さぁ、行きましょう。ヴィクター様?」
「…様もいらないんだけど。しょうがないか」
ヴィクターとシアは庭園へと歩き出した。だが、なかなか進まない。それはシアのドレスのすそ幅が狭いせいことと、慣れないハイヒールのせいだ。
「シア、歩きにくいよな」
「普段と違う恰好だから。こういったドレスもそうだけど、ハイヒールなんて履いたことがないから」
シアは背が高いため、ドレスを着用したとしてもハイヒールを履く必要がない。今回は長身のヴィクターなら、ハイヒールを履いても不自然にならないだろうということでメアリ妃殿下がシアにハイヒールを履かせた。
「大丈夫か。履き慣れない靴を履いて転ぶくらいなら、抱えようか?」
「いえ、ヴィクター様。それには及びませ…、あっ」
「シアっ、危ない!」
シアが踏み出した足の着地を誤り、バランスを大きく崩す。シアを助けるべく、ヴィクターがシアの背と腰に手を回して彼女を抱え上げた。
「ほら、言わんこっちゃない」
「にににににに、兄様!降ろしてください!」
「だから、兄様は止めろって」
ヴィクターは陸に上げられたばかりの魚のように暴れるシアを何とか押さえ付けようとする。
ちょっと待て、これはシアの身体的自由を奪う行為か…?とヴィクターが思い始めたところに、何かが外れる感触があった。
その次の瞬間、はらりと落ちる音がする。
シアが暴れたせいで、ヴィクターの手の位置が移動し、ヴィクターの手がシアの首の後ろのホルターネックの金具にぶつかり、その衝撃で金具が外れてしまったのだ。そうなってしまったのには金具の構造上の問題がある。
ドレスを脱ぐ際に、噛み合わせた金具を上下にずらして外すため、左右に引っ張られても外れないが、上下の衝撃には弱かったのだ。
しかも、シアがヴィクターの腕の中でバタバタと激しく暴れたせいで、首の後ろの支えを失ったドレスの上半身の布がシアから離れていく。
ヴィクターの眼球にシアの半裸がしっかりと写り込んだ。
鍛え上げられた彫刻のような肌に、慎ましやかではあるが、整った形の左右の膨らみが見えた。
二人は、何が起きたのか理解するのに少々時間を要した。そして、互いに理解が追い付いた瞬間に、顔面が一気に熱くなった。
「―――――っ!!!」
「シシシシ、シア、ごめん!」
ヴィクターはシアの胸が見えないようにシアの身体の向きを変えて抱きかかえ、驚異的な速さでシアの控室に戻った。何か柔らかいものが当たっている感触はあるが、それを楽しむ余裕は全くない。
この状況をスプリングフィールド家の庭師であるトムに見られたら、即刻死刑になる。1秒でも早くシアをメアリ妃殿下の元に戻さなくては!
「メ、メアリ妃殿下!ヴィクターです!部屋に入れてください」
両手がふさがっているため、品のある行為ではないが、大声で呼ぶしかない。これでも気が付かなかったら、ドアを蹴るしかない。
「あら?どうしたの?」
幸いなことにヴィクターの声に反応して、部屋からメアリ妃殿下が顔を出したため、ドアを蹴る必要はなくなった。
「き、緊急事態です。見合いを中止してください」
ヴィクターの顔は余裕など全くなく、青ざめており、頬の筋肉が引きつっていた。
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