第5話 お見合い練習?本番?(マクシミリアン編【後編】)
シアのドレスの着付けをした時と同様に、メアリ妃殿下は手際よくお茶の準備をしていた。
「こうして見ると国王と使用人の間に生まれた王子が、自分の母親を使用人としてこき使っている図に見えますね」
緊張状態から解放されたのか、シアは頭を通過しない発言をした。女性向けの小説本の設定なら、あり得る展開の一つだ。
「だからいやだったんだ!」
王子は両手で自身の顔を覆った。
「殿下。私の給仕にご不満なのですね。分かりました。主人を呼んでまいります!」
「止めてくれ、叔母上を呼ばないでくれ」
「では、私の本当の主人達を…。あ、一人は何とかお呼びできるかもしれませんが、もう一人は…」
メアリ妃殿下の本当の主人達となると、国王と王妃しかいない。仕事の少ない王妃は体調次第では呼び寄せることはできるかもしれない。しかし、国王は多忙を極めているためすぐに呼び寄せることはできないだろう。
そもそも、メアリ妃殿下は王妃付き侍女から第二側妃に変わっているため、王妃との主従関係は対外的には終わっている。だが、メアリ妃殿下の気持ちとしては今でもこの両名に仕えているつもりである。
「お願いします。どうかこのままで…」
シアはもはや蚊の鳴くような声しか出せなかった。何も考えずに発言すべきではかったとシアは深く反省した。たとえ、見知った者に囲まれたとしても気を緩めてはいけない。
「では、マクシミリアン王子殿下、アレクシアお嬢様、お茶のご用意ができましたのでごゆるりとお過ごしくださいませ」
二人のティーカップにお茶を注ぎ終わると、メアリ妃殿下は優雅に立ち去った。
「それにしても、メアリ妃殿下は侍女の仕事が楽しそうでしたね」
「俺もあんな母を初めて見た。多分、天職だったのだろう」
王子もシアもメアリ妃殿下の後ろ姿が見えなくなるまで眺めた。
少しの沈黙が流れた後、シアが口を開く。
「あの、殿下。見合いの練習というのは具体的に何をすればよいのでしょうか?私は何も聞かされていなくて」
シアの言葉を受けて王子は片手を自身の顎に当てる。
少しの間を開けてから、王子は口を開き、
「そうだな。俺も知らん」
とあっけらかんと言い放った。これにはシアも思わず上体を持ち崩す。
「殿下もご存じないのですか」
「知らんな。だが、そんなことはどうでもいいではないか」
王子は、シアの方に身を乗り出す。
「良くはありません。何のために私が練習相手をしていると思っているのですか」
「他の候補者には見合い練習をすればよい。今回はお互い説明を受けていないということで、俺とお前で他愛のない話でもしようじゃないか」
王子は再会してから、一番の笑顔を振りまく。その辺の貴族令嬢たちが見たら卒倒ものの殺傷能力のある笑顔だった。
「そうは言われても、殿下。身分から考えてレティシア王女の婚約者候補の筆頭だと思うのですが。練習なさならなくて良いのでしょうか」
「真面目だな、シアは」
そんなところも、年上の女性ではあるが可愛らしく思える。シアの頬に触れたいが、テーブルが邪魔をしてそれができない。返す返すも隣に座らなかったのが、悔やまれる。
「実はだな、父上からも母上からも今日のこの時間は俺の好きなようにしていいと言われているんだ」
「それは一体どういうことですか」
シアの問いに、王子はすぐには答えない。少し間を置いてから口を開く。
「レティシア王女との見合いは形ばかりのものだ。父上は俺と王女を結婚させる気はないだろう。クスコバは、ヴィオンフォードよりも歴史も浅い、国力もあまり高くない。それなら、俺の相手としては、もっと国力のある国の姫を迎える方がいい。レティシア王女の相手としては、ヴィオンフォード王家の血が流れている公爵家の子息あたりが妥当だろう」
王子は最もらしいことを並べ立てているが、内心ではこんな設定を設けた父親に毒づいていた。
父上、なぜ見合いの練習相手なんて妙な設定をしたんだ!同じだますなら、母上とお茶会とか言って誘えば良かったんじゃないか。さっきから俺はうそしか言っていない。5年ぶりに落ち着いてシアと話すだけでこんなにも苦労させられるとはあまりにもひどい!!というか、こんなうそをつきまくる男に好印象を持ってもらえるのか?
途中から父親への不満から自身への不安に気持ちが変わっていった王子だった。
「見合いの練習すら不要とも思えるが、他の候補者たちとの手前、やったことにしておかないといけなくてな。しばらく俺と時間をつぶしてくれないか」
王子はさらにうそを並べる。
「承知しました」
王子の説明に、シアも一応納得する。
シアは紅茶を一口含んでから表情を和らげた。これまでに見せたこともない、女性らしい微笑みだった。
「でも、良かった。見合いの練習相手と言われても何をしていいのか分からなかったですし。とりあえず、今日の午前は殿下と話しをするだけで済みそうで安心しました」
「こうして話せるのも5年ぶりだ。今まであったことをゆっくり話そうじゃないか」
王子とシアは、これまでの空白の時間を埋めるがごとく互いの出来事を話し始めた。
王子は、シアにこの5年間の留学の日々を語った。当初は、兄である王太子に対抗心がないことを示すための行動として行かされたに過ぎなかったが、行く先々で様々な経験ができたのはとても良いことだったと今では思う。
「3番目の留学先はグランフルール帝国だった。グランフルールの女帝夫妻と接する機会があってな。なんともすごい?夫妻だった」
王子は妙なところで疑問形になる。
グランフルール帝国は、ヴィオンフォード王国よりも西に位置する帝国だ。グランフルールは概ね代々統治に優れた君主に恵まれ、世界最大の版図と国力を誇る国として世界的に有名である。
そんな大国の現在の統治者が、女帝マリー=ルイーズ・リュミエール・グランフルールだ。彼女が帝位に就いて間もないころは、年若い女性という理由で周辺国に侮られたものの、夫であるロランと協力して周辺国を様々な手で時には懐柔させ、時には屈服させた。
「大国の君主とその夫ともなると、他の王侯貴族とは一線を画しているんでしょうね」
シアは、グランフルール帝国を訪れたことはなく、また帝国についてあまり知識はなく、ありきたりなことしか言えない。
「いや、それが…。女帝陛下は統治者としてのカリスマ性を感じたんだが、夫を前にすると何というかアレなお方で。夫も普通の人間では、いやむしろ普通の人間なのか?」
王子は言葉を続けようと思ったが、話が纏まらなくなってしまった。
「殿下、どうされましたか?」
「いや、何というかちょっと一言では説明しづらい人物でな。どう伝えたらよいものか。当時の俺は、留学も3年目になって社交の場にも慣れてきたと思っていたころだった。大国の女帝陛下にも臆せず、堂々と挨拶もできた」
当時はまだ幼さの残る王子だったが、自国の恥にならないように一生懸命であったであろうことはシアにも想像できた。
「女帝陛下とは統治者としてあるべき姿、帝国が目指すもの、解決すべき課題など色々と話をさせてもらった」
「殿下にとって、良い出会いだったのですね」
「ああ、そうだな。そこまでは…」
王子は苦笑いをしながら当時の出来事を語り始めた。
女帝陛下との挨拶を終えた後、女帝陛下の計らいで宮殿の中を案内してくださった。もちろん、側近数名を引き連れていたので、女帝陛下と1対1ということはなかったが。
主要な施設だけでなく、皇族の居住空間も紹介してもらえるという破格の待遇もされた。
女帝陛下の私室にも案内されて、窓の向こう側に中庭で子供数人と遊んでいる男が見えた。その男は20代後半くらいで赤子を背負っていた。男の顔ははっきりと見えなかったが、鮮やかな青い髪をしていた。パッと見ただけの印象だが、子供たちはおそらく女帝陛下の息子で、青い髪の男は使用人か何かだろうと思っていた。男は宮殿内で見かけた使用人と似たような恰好をしていたしな。
女帝陛下は私室の説明もそこそこに終えて、大きく窓を開けた。
『紹介します、私の夫のロランと息子たちです』
彼女は高らかに宣言するように言った。
俺は驚きのあまり、男の姿をまじまじと見てしまった。
彼は世にも珍しい、金色と銀色のオッドアイ、初代皇帝の肖像画とそっくりな容姿をしていた。間違いない、女帝陛下の夫ロランだ。
恰好で勝手に使用人だと決めつけていたが、ここが皇族の私的な空間であること、男の髪が鮮やかな青い色という点で気が付くべきだった。本当に下手なことを言わなくて良かったと思う。
だが、俺以上に驚いたのはロランの方だった。
彼は『ごめん、ルー!』とだけ言って慌てた様子で子供を連れて中庭を出ようとしていた。それを見た女帝陛下が、目にも止まらぬ速さで夫を捕まえて?いや、抱きしめてキスをしたんだ。
そうだよな、シアが驚くのも無理はない。
皇帝の夫なのに使用人の恰好をしているというだけでも意味が分からないところに、女帝陛下がロランにした行為は突飛過ぎる。いくら大国の統治者とはいえ、客人の前でするべき行為ではない。
当然ながら、その二人の様子を見て俺は呆気に取られていた。女帝陛下の子供たちは見慣れているのか、まったく気にしていなかった。また、女帝陛下の側近たちも同様だった。
グランフルール帝国は、ヴィオンフォード王国と違う文化を持っているのかとも思ったが、留学前に勉強した知識では我が国と大きく変わるところはなかった。
『マクシミリアン王子殿下、あれは陛下のいつものことですから、お気になさらず』
呆気にとられた俺を察した女性の側近がそっと耳打ちした。とても小柄で一瞬子供かと思う身長だったが、顔を見ると陛下よりも年上の女性だった。
『あの行為にはどのような意味が?』
『あれは、ロラン様が陛下に卑屈な態度を取ったり、華やかな場で空気のように存在を消したりすると、罰として行っているのです』
俺の問いに丁寧に答えてもらったがまったく理解できない。
『陛下としてはロラン様が、『女帝陛下の最強にして最高の使用人』と呼ばれているのが納得できないのです。どんなにロラン様が活躍してもロラン様ご本人があのように小市民のような態度ですから。陛下はロラン様にもっと堂々としていただきたいという思いからあのような罰を与えているのです。しかし、本当のところは、ロラン様と公然と口づけするためのこじつけみたいなものですが』
『随分と女帝陛下に愛されているのですね、ロラン様は…』
態度以前にその使用人のような服を何とかしようという考えはないのかとも思ったが、なんと答えてよいのか分からず、ありきたりなことを言ってその場をごまかした。
『ええ、ロラン様もロラン様で陛下を愛していらっしゃいますよ、あのように』
側近の視線の先には、女帝陛下のお腹をやさしく撫でるロランの姿があった。
『ルー、いきなり激しい動きをしたらお腹の子が驚くだろう』
先ほどまで気が付かなかったが、女帝陛下のお腹は少し膨れていた。
女帝陛下はひとしきり夫との会話を楽しんだ後、俺を置き去りにしていることに気がつき、ゆっくりとした歩調で俺に近づいてきた。
『マクシミリアン王子殿下、失礼いたしました。すでにお気づきかと思いますが、私のお腹の中に5人目の子がいるのです。ロランは私にとって、最強にして最高の最愛の夫なんです。私はあの人をかれこれ20年愛しているのですよ』
女帝陛下は無邪気な少女のようにはにかんで見せる。謁見の間で相対した、威厳のある姿とは全く違う女帝陛下の姿だった。
大国の統治者は普通の人物ではやっていけないのだろうが、普通の人間であろうとする夫とそれを溺愛する女帝という信じられないものを見た。
後で聞いた話だがロランは仕事を精力的にこなす傍ら、時間を決めて自分の子供と遊ぶことにしているらしい。俺がロランと会ったのも、まさにその時間だった。女帝陛下は、愛する夫と子供たちの自然な姿を客人である俺に見せようと思い、本来の案内すべきコースとは違う、私室を案内することにしたらしい。
対するロランは他国から来た客人に見せるべき姿ではないと思い、姿を消そうとしたところ、女帝に捕まってしまってあのようなことになったそうだ。
「なんというか、変わったご夫婦ですね」
「まあな。だが、大国の統治者が互いに愛し合っているというのはなんともうらやましい話ではあるな」
王子は、気の早いことにシアと結婚したらどんな夫婦生活を送れるだろうかと想像した。
残念ながら、行く先々でシアに護衛されている姿や身の回りを姉目線で世話されている姿しか思い浮かばない。成長してからシアと接する機会があまりにもなさ過ぎて、想像力が働かなかった。
「殿下?どうされましたか?」
「いや、何でもない。もし、もし、仮の、仮の、仮の話であるが、シアが結婚するとしてどんな相手がいいか、どんな結婚生活を送りたいか」
「いえ、殿下。私は跡取りの目途がついたら、修道女に…」
シアは無表情で答える。その姿は、すべてのことを諦め、自らの運命が最初から決まっていたかのようだった。
「想像するだけなら、罰は当たらないだろう。どうせ、お前のことだ。これまで全く考えていなかっただろう。今すぐ考えろ!」
王子はシアの言葉を遮り、一気に捲し立てる。
「そう言われましても…」
「いいから、考えろ!」
王子は椅子から体を少し起こし、シアに迫る。
王子のあまりにも鬼気迫る姿に少々戸惑いながら、シアは頭を働かせた。
「家は、大きくなくてもいいです。あ、でも私は背が高いのである程度の高さは欲しいです。どこかの名士の家の家庭教師にでもなって生活費を稼いで、暇なときは刺しゅうで遊ぶ程度の余裕が欲しいです」
「結婚する相手はどんな奴がいい?」
王子として気になるのはむしろ、そっちだ。自分と結婚すればある程度の身分は保証される。国王の心づもり次第ではあるが、新たな領地を得て、スプリングフィールド男爵家を維持したまま、公爵家を興すことも可能だ。
「結婚相手ですか。考えたことがないですね」
またしても、無表情な顔になるシアだった。
「そこを何とか考えろ!」
「えー、殿下。どうしてそこまで必死なんですか?」
シアは眉根を寄せた。
「あ、あぁ。実は母上が聞いてこいとしつこくてな」
とっさに自分の母親を悪者にした。
母上、申し訳ありません。………いや、ちょっと待て。母上も知りたい話だよな、これ。シアの希望する相手と結婚してもらいたいと常々思っているのだから。
心の中で母親へ謝罪をした次の瞬間、王子の中で罪悪感が消えていた。何事も頭の切り替えは大事だと王子は都合よく解釈した。
「メアリ妃殿下の思いつきですか。それなら仕方ありません」
シアは特に疑問に思うことなく、納得する。
「で、どうなんだ。そこのところ」
「5年くらい男の振りをしていますからね。男性に過度な幻想や期待を持っていませんよ、私」
世間知らずの年頃の貴族令嬢ならば、現実的にありえない男性像が浮かぶことだろう。しかし、シアはアルフの代わりに騎士団で働いてきたため、男性の実情を知りすぎてしまっている。
「それでも、多少の希望はあるだろう。少なくとも、こういう男は嫌だとか」
王子に促され、シアは考えをしばらく巡らせる。
「結婚相手と考えるなら、戦友みたいな人がいいでしょうか」
「…戦友?」
「そう、戦友です。普段は気楽に接するような関係で、馬鹿みたいな話もできて、いざ有事になると互いに息の合った連携ができる関係というか」
自分はシアの言う戦友になりえるだろうか。他の候補者はシアと同じ騎士団で働いて一緒に任務をこなす間柄だ。だが、自分は5年ぶりに再会したばかりだ。他の候補者から遅れを取っていると言っても過言ではない。
「すみません、王子。分かりにくいことを言ってしまって。結婚について全く考えていなかったので、考えろと言われても答えがまとまらなくて」
「そんなことはない、良い答えだったと思う」
王子は静かに、そしてはっきりと頷いた。
シアに気が付かれることなく、王子は決意した。
シアに守られる存在ではなく、ともに手を取り合える関係になろうと。シア本人は知らされていないが、シアへのプロポーズまで半年を切っている。
それまでに少しでもシアとの接点を増やし、成長した姿を見せつけなければ。
弟のような王子だなんて言わせない。一人の男としてシアに意識させてやる。そして、来るべき日には俺を選べと堂々と言えるように。
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