第4話 お見合い練習?本番?(マクシミリアン編【前編】)

 ついに来てしまった、この日が。

 アレクシアにとってはレティシア王女の見合い相手たちのための練習日、シアの見合い候補のうち二人(マクシミリアン王子とヴィクター)にとっては、見合い本番の日である。

 アレクシアは朝早くから王妹レオノーラの屋敷に呼び寄せられた。屋敷に入るや否や、レオノーラに誘導されて浴室に行くと、そこにはなぜか侍女の恰好をした第二側妃のメアリ妃殿下が待っていた。

「さぁ、シア。今からピッカピカに磨いてあげるからね!」

 自信満々のメアリ妃殿下を前に、シアは考え込んだ。

 なぜ、メアリ妃殿下が侍女の恰好をしているのだろうか?侍女だった経緯があるにしてもなぜここで私の世話をしようとしているのだろう?

「いえ、お気遣いなく」

 当然ながらシアは自分よりもはるかに格上の人間に傅かれる理由はないため、全力で断った。

 金銭的に余裕のない男爵家令嬢であったシアは高位貴族の令嬢のように、人に傅かれることはない。ここ5年ほど、男性騎士として生きてきたため、自分のことは全て自分で行う癖がついていた。なので風呂に入れと言われれば自分でできる。そもそも、なぜ今から風呂に入らなければならないのかシアにはよく分からなかった。

「遠慮しないで~。久しぶりに腕が鳴るわ!」

 そんなシアの意向はおかまいなしにメアリ妃殿下は全力でシアの髪を洗い、身体を磨き上げ、浴槽に入れた。シアは最初こそ遠慮したものの、メアリ妃殿下の剣幕に押されて完全に彼女のされるがままになっていく。メアリ妃の手際の良さと予想外の展開にシアはいつの間にか思考が追い付かなくなっていた。

 メアリ妃殿下は戸惑っているシアを見ながら、浴槽にそっと香油を加えた。

 香油の匂いが柔らかく、困惑していたシアの心も少しずつ溶けていった。それどころか、貴人の屋敷の浴室であるにも関わらず、安らぎを覚えるくらいであった。

 浴槽から上がった後も、メアリ妃殿下は無駄動きはなく、シアの身体を拭き、髪を乾かし、風呂上がりのスキンケアを施した。

 シアは亡き弟アルフレッドのイメージを損ねないために、普段から身だしなみには気を付けていたが、メアリ妃殿下の手によって、いつもよりも髪は艶やかに、肌に弾力を感じた。

 メアリ妃殿下に全力で傅かれてシアはあることに思い至る。

 国の友好を見据えた見合いだからこそ、ただの練習相手の私を少しでもレティシア王女に近づけるためにメアリ妃殿下がご協力くださっているのだろう、と。

 主催者側がシアをだましているから仕方がないが、シアの勘違いはまだまだ続く。



「まぁ!シア。このドレス、すごく似合っているわ」

「そうでしょうか?このようなドレスは着たことがないので」

 シアは鏡に写った自分の姿を見て戸惑う。何しろ5年ぶりにドレスを着たからだ。公式にシアが死亡していることになっているため、実家に帰っても男装で過ごしている。

 シアは鏡に写った自分の姿を凝視する。

 今の自分の姿はどうだ?弟に扮した姿に慣れすぎてしまって、自分の目には美男子が女装をしているようにしか見えない。

 光沢のある生地で作られた高そうなドレスはいくらしたのだろうか。背の高い自分の体形に合わせて作られたドレスなんて、他に使い道がない。ただの見合いの練習になんという金の無駄遣いをさせているのだろう。

 今さらと思うが、本当にこの姿で今日、見合いの練習をするのだろうか。

 シアは故人という扱いになっているため、シアの存在を明かせない、だから、この部屋の中もその周辺も屋敷の者が出払っている。

 メアリ妃殿下は引き続き、シアの着替えから化粧、髪の手入れをすべて一人で行った。やはりここでも手際が良い。 

 シアの髪形も、いつもの短髪ではなく、元の髪につけ毛をして、女性らしい髪形に仕上げられた。さらに、その髪を彩るように高そうな宝石のついた髪飾りでまとめられていた。

 シアの髪は、銀色であるが光の加減で色が変化するの特殊な髪なので、どうやってこんな数週間で特殊なつけ毛を調達できたのかシアは不思議に思った。 

 こんなにも手間を掛けてもらったものの、シアは見合いの練習相手という仕事に気乗りがしない。今からでもほかの女性が練習相手を務めた方がいいのではないか。

「確かに、このドレスはクスコバ王国の伝統のドレスだから見慣れないわよね。戸惑うのも分かるわ」

 メアリ妃殿下、気になるのはそこではありませんとシアは心の中で叫ぶ。

 ヴィオンフォード王国のドレスは、華美な装飾を施したものが多い。また、全体のシルエットとしてはウエストをコルセットで締め、胸を強調し、スカート部分を大きく膨らませている。また、結婚前の令嬢は男性の庇護欲をそそられるような華奢な雰囲気を醸し出すデザインになっている。これらのドレスは背が一般の男性よりも高く、体も騎士として鍛え上げており、体の凹凸の少ないシアにはあまり似合わない。

 それに比べ、クスコバ王国のドレスは華美な装飾は少なく、襟元や袖口に刺しゅうを少し施した程度、コルセットは使用せず、女性の体のラインに沿ったものになっている。クスコバ王国は全体的にスラリとした体形の女性が多いのか、シアは無理なく着ることができた。

「不思議なくらいすんなりとドレスが入ったのですが、こうして見るとわずかばかりの胸が…」

「何を言っているの!シア!そこがいいんじゃない」

 え?どういうことですか?

 シアはそう思いながらも動揺のあまり口が動かなかった。

「このドレスは、胸の大きい人には似合わないデザインなの!胸の大きい人がこのドレスを着るとドレス全体のシルエットが崩れて、下品になるの。これは手足が長くて引き締まった体形の女性しか似合わないの!つまり、この国ではシアしか似合わないと言っても過言ではないわ」

 メアリ妃殿下は興奮しているのか、話す速さがどんどん増していった。

「ア、アリガトウゴザイマス」

 そんなメアリ妃殿下に押されてシアは感謝の意を示すが、その声に抑揚はない。

「それにこのドレスなら、肌の露出がないわりに上品な色気があって素敵だと思うのよ。自信を持ちなさい、シア」

 クスコバ王国のドレスは首まで布で覆われており、露出はほとんどないが、女性の体形を偽りなく露わにしたデザインだ。だからこそ、シアの胸の大きさ…いや小ささが現実に晒されている。

 シアとしては、こんな男性だか女性だかわからない人間と見合いの練習をさせられる王侯貴族の男性がかわいそうではないかと思う。

「シア、お願い。笑って」

 メアリ妃殿下がシアの両頬にそっと手を当てる。いつの間にか、顔がこわばっていたようだ。

 なぜ、ここで笑顔をしなければならないかよくわからなかったがシアは完璧な笑顔を向けた。

「違うの、そうじゃない。アルフの仮面は外して」

 どうやら、アルフの振りが板につきすぎていて自然な笑い方を忘れていたようだ。もう一度、自分らしい笑顔を作ろうとしたが、アルフらしさが抜けない。自分はどういう顔で笑う人間だっただろうか。

「……申し訳ありません」

 しばらく試行錯誤したが、自然な笑顔ができそうになく、シアはメアリ妃殿下に謝るしかなかった。

「謝らなくていいわ。このお見合いで本来のあなたを思い出せればいいわね」

 メアリ妃殿下は優しくシアの頬を撫でてから手を離した。

「ところで、今日のお相手の方はどなたとどなたでしょうか?」

 シアは、大まかな日程と見合い相手の人数しか教えられていない。

「そうね、そろそろ言ったほうがいいわよね。いつまでも隠しておけるわけじゃ…」

 メアリ妃殿下が言い終わる前に、扉をノックする音が聞こえた。

「あぁ、待ちきれなくて向こうから来たみたいね」

 メアリ妃殿下が扉の方へ歩き始める。

「いえ、ここは私が」

 メアリ妃殿下を制してシアが扉に向かおうとすると、

「いいのよ、シアはここで待ってて。今日のあなたは騎士じゃなくてお姫様なんだから」

 メアリ妃殿下に断られてしまう。

 アルフの振りをして5年、シアはすっかり騎士の習い性が身についてしまった。貴人が動こうものなら、自分は護衛に回ってしまう。扉の向こうに誰がいるのかまずは自分が確認しなければと体が動いてしまった。

 自分は偽物の騎士だったはずなのに、いつの間にか頭の先から足の指先まで騎士の習性が身についてしまった。

 シアは自分の存在について思案しながら、その場に立ち尽くす。

 そんなシアを気にせず、メアリ妃殿下はさっさと扉に向かう。

「はぁ。お庭の近くの部屋で待っていてって言ったじゃない」

 彼女は扉を開けるや否や、ため息一つ吐いた。

「母上、申し訳ありません。気になってしまって、つい」

 扉の向こうにいる人物は、彼女のただ一人の息子・マクシミリアン王子だ。

「まぁ、いいわ。こっちの準備が終わったから入りなさい」

 メアリ妃殿下は呆れながらも、手招きした。

「失礼する。………!!!」

 王子は、部屋に入った瞬間に雷にでも打たれたかのようにその場から動けなくなった。

「殿下、どうかなさいましたか?」

 シアは自分の姿を見て立ち尽くした王子を案じた。

「この世で一番…」

 王子が苦しそうに言葉を紡ぎだす。だが、なかなか次の言葉が出ない。

 シアは、王子の異常な反応に困惑を覚える。『この世で一番不気味なものを見た』と言われたらどうしようかと悪い想像をしてしまった。正直言って、今の自分は男なのか女なのか判別がつきにくい。

「美しいものを見た。でしょう?マックス」

「は、母上!なぜ私の言いたいことを、いや、違う!何でもない!」

 王子は顔どころか耳まで紅潮させた。

 シアは王子の慌てぶりにどう反応したらよいのか分からず、目の前の母子の様子を眺めるしかない。

 そんなシアの様子に気が付いたのか、王子が力強く音を立てながら彼女に近づいていく。

「いいか、今のは忘れろ!分かったな、シア」

 王子は紅潮させた顔のまま、シアをにらみつけた。

「はい、わかりました」

 つい反射的に返事をしてしまったが、シアは引っ掛かるものを感じた。

 殿下が私のことをシアと言った?

「あの、殿下。私は」

「アレクシアだろう?」

 王子はシアの顔をまっすぐに見つめた。

「………!」

 はぐらかすべきか、そのまま素直に答えるべきなのか、シアはなんと答えていいのか分からない。

 アルフとして生きると決めたとき、まだ幼い第二王子には正体を明かさないことを国王陛下と約束していた。

 対応に困って、シアはメアリ妃殿下の方を向くと彼女は素知らぬふりをして部屋の整理整頓をしていた。あくまでも、今日は侍女として行動するつもりらしい。

「シア、またお前に会えて良かった」

 王子はそっとシアの手を取り、彼女の手の甲に口づけする。

 シアは王子の行動に目を丸くする。

 貴族社会では男性から女性への挨拶として、手の甲に口づけすることはよくある。しかし、よほど親密な関係でなければ、直接女性の手の甲に口づけをすることはない。

 王族からそのような挨拶を受けるのは、貴族令嬢としては誉れであると言えるが、殿下のことを年下の男の子としか認識していなかったシアとしては困惑するばかりである。自分の記憶に鮮明にあるのは、シアの後ろをぺたぺたとついてくるかわいい男の子だった王子の姿だ。

「殿下、もしかして、今、この瞬間から見合いの練習が始まっているということですか?」

 そうだ、きっとそうに違いない。今日の見合い相手の一人が王子殿下だったのだ。王女の見合い相手となると、それなりの身分のある相手が必要、だから第二王子がその候補筆頭となるのは当然のこと。

 だからこそ、王子の先ほどの挨拶は自分に向けたものではなく、本来の見合い相手であるレティシア王女に向けたものだ。彼女の愛称もシアだろうし。王子はレティシア王女と会ったことはあるだろう、多分。

 と、シアは冷静さを欠いた頭を総動員して自分を納得させた。

 シアは、そっと自分の手を引っ込めた。王子に口づけられた箇所が何かこそばゆい。

 しかし、そこは騎士たるもの、常に冷静でなければ非常時の判断を誤ってしまう。

 シアは、顔を引き締めた。

「あ、あぁ。見合いはもう始まっている」

 王子は瞬かせながら答えた。

 誰だよ、アレクシアに練習と吹き込んだのは。こっちは必死に求愛しないといけないのに、肝心の本人が王女の代理として練習に付き合っていると思っているからまともに取り合う気がないではないか。

 王子は心の中で悪態をつく。

「ここはいいから、あなたたち早くお庭に行ったら?」

 ずっと黙っていたメアリ妃殿下が口を開く。

「いつまでもここにいても仕方ない。庭園に案内しよう」

 気を取り直して、王子は手を差し出した。

「あ、あぁ。そうか」

 その手を見て、シアは一瞬反応が遅れる。普段は護衛対象となる貴婦人の手を取ってエスコートをする立場であったために、自分がエスコートされる立場だと認識するのに少し時間がかかってしまったためだ。

「今日のお前…いやシアは、令嬢だからな!そこのところしっかり自覚しろ」

 王子は口を尖らせる。

 明らかに不機嫌そうではあるが、シアの手を離そうとはしない。

「すみません、殿下」

 王子は、ドレスに慣れないシアの歩調に合わせて庭園に向かった。



 庭園に足を踏み入れると、美しい花々が王子とシアを迎えた。

「さすが、王室の庭園ですね」

 シアはほうとため息をつく。

「そうだな、城の庭園よりは小さいが美しさと言ったらこっちの勝ちだな」

「いえ、殿下。ここも十分広いですよ」

 その証拠に遠くを見渡そうとしても端が見えていない。

 二人は、庭園をゆっくりと回り始める。

「ここの敷地は王立劇場約3個分と聞いたことがある。屋敷を差し引いたら2個分は十分あるんじゃないか?」

「殿下、私思うのですが。面積の例として、よく『王立劇場何個分』って言いますが、王都以外の一般人からすると実感がわかないと思うんですよね」

「…そういうものなのか?」

「ええ、何かの基準が欲しいから便宜的に表現しているだけだと思うのですが、地方の人間からするとだから結局どのくらい?うちの農地より広いの?狭いの?と思うんじゃないかと」

「なるほど」

 王子はシアの言うことに納得する。

 王立劇場どころか王都にすら行ったことのない人間の方が大多数だ。今更ながら、その事実を理解した。

「ただ、他にどう表現するかと言われても最適な建物、敷地がないので結局王立劇場何個分とこれからも言い続けるのでしょうね」

 シアは顔をほころばせた。

 久しぶりのシアの自然な笑顔に王子もつられて笑顔になる。

 俺は、この顔が見たかった。もっとシアと他愛もない話をしたい。

「シアは王立劇場に入ったことは?」

「ありますよ。観客ではなく、しご…と」

 シアは答えかけて、途中で言葉に詰まる。

 殿下は私と弟のことをどこまで知っているのか分からないためどの程度話してよいのか分からない。部屋を出る前にメアリ妃殿下に聞いておけばよかった。

「騎士団の仕事だな」

 やはり、殿下は私ががアルフの代わりに騎士をしていたことを知っている。

 シアは体がこわばり、歩みを止めた。

「あの、殿下。私とアルフのことをどこまでご存じなのですか」

「全部だ」

 王子は、ポツリとつぶやく。

「では、弟が亡くなったことも。私が弟の代わりに騎士をしていることも…」

「だから、全部だ。俺は親友を失った。だが」

「だが?」

 シアは機械的に王子のことばを繰り返した。王子より少し背の高い彼女はのぞき込むような形で見つめてきた。

「いや、なんでもない!」

 シアの美しいサファイアブルーの瞳に見つめられ、恥ずかしさのあまり続きの言葉を言えなかった。

 ──愛する人は生きていた。

 そう続けたかった。亡くなった親友の死について触れているときに言うべき言葉ではない。

「殿下?幼いころから姉のように接してきた私に隠し事ですか」

「隠し事?いやそんなものではない、うん、多分」

 王子はエスコートしていない方の手をブンブンと振る。

 傍から見れば、まったく隠せていない。今となっては、口説け、他の候補と競い合えと言われているくらいだ。気が付いていないのは、隣を歩く銀髪の美女ただ一人だ。

「なんだか怪しいですね」

 王子の挙動不審な態度を見て、疑念を抱く鈍感な美女だった。

「怪しくないっ!先月、父からアルフが亡くなったこと、シアがアルフの振りをして騎士をしていると告げられたのだ」

 シアの追求の目から逃れるために、話の方向を少し変えた。親友のアルフが亡くなったことは確かに悲しい。だが、5年掛けて何となく察していたために、そこまでの大きな衝撃はない。先月、会議室に集められたときに父である国王から告げられたときも、やはり、そうかと思うだけであった。

 それよりも、5年前、シアが死んだと手紙で知らされたときの喪失感は自分の身が引き裂かれたような思いだった。あの痛みは今でも忘れられない。

「では、それまではご存じなかったということですか」

「いや、もっと前からうすうす感じていた。お前と久しぶりに会った瞬間に確信に変わった」

 シアは、王子の言ったことが信じられなかった。この5年間、誰も見破ったものはいない。それどころか、女性であることすら誰も気がつかなかった。王子を警戒して、ここ5年ほどなるべき顔を合わせる機会をなくしていたはずなのにどこで気が付いたのだろうか。

「ど、どうして殿下は…お気づきに?」

「それはまぁ、その」

 王子は会議室で言ったことをシアにも告げる。

「そんな…、アルフが筆不精だったなんて」

 士官学校に行っていたときも騎士団に入団したときも、母と自分に頻繁に丁寧な手紙を送っていた。おかげで、シアは騎士団の様子や騎士の人となりをある程度事前に把握でき、記憶喪失と称しながらも周囲に違和感を与えることなく、すんなりと騎士団に溶け込めた。

 だから、王子から来た手紙にも丁寧に返事を書いていた。まさか、それが決定打の一つになるとは。

「あいつ、女の前では格好つけるからな。昔からそういうやつだ」

 今思えば父宛には手紙があまり来ていなかったような気がする。

「シア、慣れないドレスで歩き疲れただろう。あの東屋で休憩しよう」

 王子の提案には賛成だった。ドレスは、ヴィオンフォード王国式と違い、窮屈なものではないが動きやすさの点では騎士団の制服の方が断然上である。また、靴は王子と身長の兼ね合いで、ヒールこそないもののデザイン重視の華奢なものだ。少し歩いただけで、疲れがたまっていた。

 東屋の中に入ると、王子は完璧な所作でシアを椅子に座らせた。

「どうした?シア?」

「いえ、殿下がすっかり洗練された王子様になられたなと思いまして」

「ん、そうか?」

 王子も愛する女性に褒められて嫌な気持ちはしない。

「殿下がいつレティシア王女殿下とご結婚されても、胸を張って送り出すことができます」

「バカっ!何を言う!お前は俺の傍にいろ!」

「駄目ですよ、殿下。私は家の後継問題が解決したら修道女になる予定ですから」

 シアは駄々をこねる弟を慰めるように王子の頭を撫でた。

「スプリングフィールド家の後継については、もう少し先になると父上から聞いている。今日はその話はよせ」

「そうですね。見合いの練習という名目ですが、久しぶりに二人でお話する機会ができたのですからもう少し楽しい話をしましょう」

 シアは体を少し伸ばし、東屋から見える風景を眺めた。東屋を取り囲むように、バラが植えられている。東屋を利用する者に配慮したのか、他の場所に植えられたバラよりも淡い色合いのバラを集めており、目に優しいものとなっている。もう少し、風景を楽しもうと先の方まで見まわそうとすると、視界の端に、人影のようなものが見えた。

「庭師の方でしょうか?」

 シアが誰に聞かせるわけでもなく、つぶやく。

 距離からしてシアの声に気がついたとは思えないが、庭師の恰好をした老年の男がシアに向かって小さくお辞儀をした。

「え?トム?なんでここに?」

 男爵家であるスプリングフィールド家の庭師が、王族の屋敷の庭を手入れしているのは普通はありえない。

「あ、あぁ。叔母上のお抱えの庭師が体調を崩したらしくてな。一時的に借りているらしい」

「そうだったのですか」

 まさかトムが監視役だとは言えず、王子はうその理由をとっさに思いついた。

 シアは王子の説明に一応納得し、トムに向かって令嬢らしく小さく手を振った。トムもその動きに気がつき、もう一度お辞儀をしてから生垣の裏側へ下がった。

「殿下、顔色が優れないようですが大丈夫ですか」

「大丈夫だ。気にするな」

 王子はシアの顔の前で片手で制した。

 シアの手前、強がってみたものの、王子の心中は穏やかではない。

 不埒なことをしたら、俺の命はない。たとえ王族であったとしても、だ。

 王子はシアの隣の椅子に座ろうと思ったが、トムと目が合ったような気がしてテーブルをはさんで正面の椅子に座ることにした。

 こうして監視役兼死刑執行人の配置も整い、お見合い本番が始まった。

 最初の婚約者候補・マクシミリアン王子の運命やいかに。



 生垣の裏側では、トムが剪定道具の手入れをしていた。一通り道具の手入れを終えた後、なぜか腰につけていた縄を外し、これを広げたり、伸ばしたりと状態を入念に確認している。高い位置にある植物の手入れや、枝を矯正するのに縄を使うことはあるが、この庭園はあまり高い植物はない、十分手入れが行き届いているため矯正しなければならない枝もない。では、なんのために使うのか。

「フォフォフォ。王子様、もしお嬢様に不届きなことをしたらこの縄で」

 トムは不気味な笑顔で縄を両手でピンと引っ張った。どことなくトムの周囲もただならぬ気配がしている。

 目の色こそ、赤く変化することはないがコリンはこの祖父の血を確実に継いでいる。



 王子とシアが東屋で休憩して、少し経ったころに一人の侍女がやってきた。

「マクシミリアン王子殿下、アレクシア様。お茶をお持ちしました」

その侍女の姿を見て、王子とシアは激しく動揺する。

「メアリ妃殿下??」

「母上??」

「今日は、侍女のメアリとして来ておりますのでお気になさらず」

 そう言うや否や、メアリ妃殿下はさっさとお茶の準備を始める。

「今日も朝から大変お世話になりましたが、そこまでしていただくわけには」

「母上にやらせるわけにはいかん。ほかの侍女はいないのか?」

 シアと王子、それぞれがメアリ妃殿下を止めようとする。

「あいにく、他の侍女は出払っておりまして。私では不足だということでしたら屋敷の主人であるレオノーラ様が給仕いたします」

 メアリ妃殿下は踵を返そうとする。

「いえ、待ってください。それは困ります」

 シアはメアリ妃殿下の背に必死に追いすがった。

 王妹のレオノーラ殿下は先代の国王と先代の王妃との間に生まれた王女だ。給仕する人間の格がこれ以上上がってしまったら、シアの気が休まらない。

「殿下も止めてください!」

「あ、あぁ。母上でいい」

「母上でいい?」

 王子の言葉に反応してメアリ妃殿下の目に力が入った。

「母上がいい!」

 王子も慌てて言い直す。

「畏まりました。誠心誠意給仕させていただきます」

 メアリ妃殿下は満面の笑みを浮かべた。

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