第2話 スプリングフィールド男爵家を継ぐもの

 テオドールとシア親衛隊の全面的な協力もあり、シアが入団してから5年経った今でもシアが女性であることも、アルフとは別人であることも隠し通せている。もちろん、これは彼女自身が弟になりきる演技力があってこそ成しえたことであるが。

 彼女が完璧にアルフを演じれば演じるほど熱烈な女性ファンを大量に増やしてしまっている。そのファンの中には常軌を逸したファンが常に一定数おり、その対応にシア親衛隊の面々を苦しませていることをシアは知らない。

 今日の凱旋パレードでも、アルフの美し過ぎる笑顔にあてられた女性たちが次々に失神していった。そんな女性たちが人込みで押しつぶされることなく、一般人に紛れた兵士が次々に運び出し、救護所へ連れて行かれた。

 見物客が押し寄せている場であるにも関わらず、女性たちを運ぶ兵士たちの動きに無駄がない。シア親衛隊の面々があらかじめ対策を打って人員を配置していたからである。普通であれば、要人の警護に重点を置くところであるが、今回の主役は白銀の騎士団であるから、自分の身は守ることができる。それよりも問題となるのは、アルフ目当ての見物客が多くいることである。シア親衛隊を中心にパレードの進路の策定、城下の通りの整備を入念に行い、見物客が密集しないように一般人の通行制限を実施した。あまりにも密集している場所が発生した場合、兵士が分散するように呼びかけ、素行の悪い者は容赦な連行する。また、アルフの進路に合わせて、一般人に扮した兵士が移動し、失神する女性がいないか確認していく。こうして、アルフの気が付かないうちに、人災をまた一つ、また一つ防止していった。

「相変わらずすごい人気だな。アルフは」

 白馬に乗ったシアの横を、栗毛の馬に乗った伯爵家の次男ヴィクターが声を掛けた。

「ヴィクター兄様こそ大人気じゃないですか」

「いや、お前ほどじゃない」

 ヴィクターのブルネットの髪がそよ風に吹かれ、色香が匂い零れるほどの端正な容顔が露わになる。

 女性を中心に絶対的な人気を誇るアルフであるが、その次に人気があるのがヴィクターだと言われている。

 アルフは全般的に人気があるが、それに対し、ヴィクターの支持層は貴族令嬢、貴婦人が中心だ。貴族社会では、顔の造作だけでなく、身分も重視される。だからこそ、貴族令嬢の関心は伯爵家のヴィクターの方に向いてしまう。しかもヴィクターは、数多の令嬢と浮名を流した、あの父親譲りの容貌だ。

 未婚の貴族女性は婚姻対象として、既婚の貴族女性なら、ちょっとした火遊びの相手にでも…と考えてもおかしくはない。

 普通の女性であれば艶めいたヴィクターの姿に頬を赤らめるところであるが、シアは幼少期から見慣れたものであるから特に気にする様子はなく、歓談を続けている。

「アルフ、紙吹雪が髪についてるぞ」

 ヴィクターは手を伸ばし、そっとシアの髪を触る。いくつかの紙吹雪を取り払ったが、前髪についた紙吹雪がなかなか取れない。

「思ったより取りづらいな。あ、目の近くについてしまった。アルフ、目、閉じてくれ」

 シアは言われたとおりに、目を閉じる。

 ヴィクターは思う、やはりシアは綺麗だと。できることなら、このまま唇を奪ってしまいたいが、公衆の面前でそれはできない。それにシアはアルフの振りをしている。シアの正体がばれるようなことを自分からするわけにはいかない。

「よし、取れた」

「ありがとう、ヴィクター兄様」

 シアは外向きのキザな笑顔ではなく、無邪気な笑顔をヴィクターに向けた。

「しかし、あっと言う間に騎士団最強になってしまったな、アルフは。……ちょっと悔しい」

 シアの笑顔に思わず、ヴィクターは顔を緩めそうになる。しかし、シアに見られたくないので照れ隠しに愚痴をこぼしつつ、顔を背けた。

「兄様たちのおかげで、僕はここにいるんだ。僕は兄様たちがいなければ生きていけないよ」

 シアは両手でヴィクターの頬に手を当てて、少し強引に顔を向けさせる。いつも以上にイケメンオーラ全開でヴィクターを見つめる。

 この二人、少しでも姿勢を崩したら落馬ものであるが、二人の体格と体幹と馬との信頼で事なきを得ている。

「ちょっ、お前。それは反則!」

 さすがにヴィクターも動揺を隠せず、急いでシアの手を振り払う。

「全く……好きな子を守りたくて…騎士団に入ったのに…」

 ヴィクターの小さな小さな呟きは、パレードの喧噪にかき消され、真横にいるシアにも聞こえなかった。

 白銀の騎士団の人気第1位と第2位が仲良く語らっている姿に、女性たちが恍惚な表情を浮かべ、そして、次々にため息を吐いていく。対する男性たちは圧倒的な顔面偏差値にやられて、その場に茫然自失としていた。

「体調を崩す女性が増加しているぞ。女性だけでなく、動けなくなっている男性もいるぞ。早急に救護所に搬送しろ」

 伯爵家長男デリックはパレードの指揮を執りつつ、別なことを考えていた。

 シア、ヴィクター!パレードの最中にいちゃいちゃ語り合うなよ。そんなことしていると、男色モノの薄い本が裏市場に出回るだろうが!あと、落馬したらしゃれにならないから、そんなに接近するなよ。あー、お兄ちゃんは可愛い弟と妹のせいでものすごく心配だ!!

 先ほどのシアとヴィクターの姿は、見る角度によっては二人が口づけを交わしているようにも見えてしまう。そんな二人の様子に想像を膨らませて、今日もどこかで薄い本が作られてしまうかもしれない。

 シアがアルフとして振舞い、彼女が目立てば目立つほど、こうした男性同士の恋愛を主軸にした小説本が市場に出回っていく。これらの本は、通常の小説本と違い、ページ数が薄く、すぐに読み終わるものになっている。その他の特徴としては目を引くような美麗な男性二人が密着している表紙が使われていることが多く、少ないページ数にも関わらず、挿絵まで入っている。そして、男性の片方が必ずと言っていいほど、シアに似ている。

 シア親衛隊は、風紀が乱れるという表向きの理由を掲げ、薄い本を定期的に取り締まっている。いつしか普通の市場では販売しにくくなり、今では裏市場で売られるようになってしまった。

 裏市場に売られている薄い本は、内容がさらに過激になっており、シアに似た男性がもう一人の男性とありとあらゆる場面で淫らな行為を重ねるものとなっている。

 シア親衛隊長のデリックとしては、「うちの可愛いシアになんてことさせるんだ!」と義憤を覚え、日に日に取締りを強化している。おそらく、これがシアではなくアルフだったらそこまで強硬な取締りなどしなかったであろう。

 シアがアルフの振りをしているせいだと分かっていても、妹分であるシアが男の身体で口に出すのも憚られる行為をする本が世に出回ることが、彼にとっては許せないことなのだ。

 デリックは明日から、より一層薄い本の取締りに力を入れようと密かに決意した。



 白銀の騎士団は、救護が必要な女性が行く先々で発生しつつも、概ねつつがなく城下で凱旋パレードを終えることができた。その後、白銀の騎士団は入城し、国王陛下の謁見の間に集められた。謁見の間は、城下のお祭り状態の喧噪と比べ、騎士団員約百名と国の重鎮たち十数名がいるにも関わらず静寂そのものであった。

「皆、大儀であった」

 国王陛下が登壇するやいなや、その場にいた者全てが一礼をした。

「全員、顔を上げよ。」

 その一声で全員の視線が国王に集まり、国王はすぐ横にいる宰相に視線を送る。

「本日は、レッドドラゴン討伐に尽力した白銀の騎士団に対する論功行賞を執り行う」

 国王陛下から直々の論功行賞と聞いて、内心としては浮足立つようなことであるが、訓練された彼らは表情を崩すことなく、次に紡がれる言葉を待った。

「名前を呼ばれたものは前に出よ」

 宰相はドラゴン討伐で特に活躍した者の名前を次々と読み上げ、呼ばれた者は騎士団と重鎮らにそれぞれ一礼してから国王陛下の御前に出た。

「最後に、アルフレッド・スプリングフィールド!」

「はっ!」

 アルフの名前を呼ばれたシアも、他の騎士と同様に国王陛下の御前に並んだ。

「そなたは5年前に続き、今回もドラゴン討伐に多大なる活躍をした。褒美を何なりと申せ」

 国王は満面の笑みを浮かべながら、シアを促す。シアは少し思案してから、口を開く。

「では、我がスプリングフィールド家に良き男子の後継を望みます」

 父上、母上、これでスプリングフィールド家の存続が叶います!

 シアは迷いなく、国王陛下の顔をじっと見つめる。シアの曇りのない瞳に、国王陛下は思わず半歩下がった。

 バロウズ伯爵家の当主とその息子たちは「ついに、あいつ言いやがった!」と心の中で叫ぶが表情を崩すわけにはいかない。

 前回のグリーンドラゴン討伐時は、スプリングフィールド家領の整備とシアの騎士団内の環境を整えることを優先し、後継については望まなかった。だからこそ、今回の褒美を逃すわけにはいかない。たまたま今回、5年という短い期間でレッドドラゴンが発生したが、次回、ドラゴンが現れるのかは分かったものではない。

「ふ、ふむ。そなたは確か、王家に忠誠を誓うために継承権を放棄したのだったな」

 国王陛下は若干狼狽えながらも、何とか声を発した。アルフレッドに扮しているシアに継承権がないからというのが本当の理由だが、アルフレッドが死の淵から戻ってくることができたのは王家の全面的な支援のおかげであり、その王家のために一生尽くしたいという思いから継承権を放棄したというのが表向きの理由だ。

「はい。ですから、領地経営に長けた優秀な男子の斡旋に国王陛下のお力添えいただきたいのです」

「そ、そうだな。うん。わ、分かった。少々時間が掛かるかもしれないが必ず応えよう」

「はっ!ありがたき幸せに存じます!」

 全身に喜びに満ちたシアとは対照的に国王の面立ちは優れなかった。



 国王陛下との謁見を終えて、シアは白銀の騎士団の詰所に戻っていた。

 言うべきことは言った。あとは、どんな後継を国王陛下が選んでくださるか。

 シアはこれからスプリングフィールド家に来るであろう男子に期待と不安がせめぎ合っていた。

「アルフ兄、お疲れ様です。紅茶でもどうですか?」

 バロウズ伯爵家の三男トーマスがシアに声を掛ける。

「ああ、ありがとう。いただこうか」

 シアの返事を受けて、トーマスは手際よくお茶とお茶菓子を用意した。

 トーマスがティーカップに紅茶を注ぐと、複数の花の香りが混ざった匂いが広がる。どれも、スプリングフィールド家の庭を彩った花々と同じものだ。お茶菓子は、騎士団の宿舎の庭先でコリンが栽培していたハーブが練り込まれたクッキーで、紅茶もクッキーもシアの好物だ。

「うん、いい香りだね。スプリングフィールド家の庭と同じ匂いがする。今度の長期休暇に領地に戻ろうかな」

 シアが遠くを見るような目をしていた。その横顔は哀愁を称えていて、トーマスにはいつも見慣れたシアとは違った人に見えた。

「あの…。アルフ兄は本当に家を継ぐつもりはないのですか?」

「継ぐつもりはないし、継ぐこともできない。それはトーマスも分かっているだろう」

「それはそうですが。アルフ兄としては無理でも、アルフ兄の仮面を捨てれば…」

 トーマスがポツリと呟くと、シアの目が一気に鋭くなった。

「トーマス!これ以上は…何も言うな」

 目にも止まらぬ速さでトーマスの口はシアの手で塞がれた。

 あまりの出来事に驚いて、トーマスは目を大きく見開いたが、この状況を何とかするには頷くしかなかった。その様子を見てシアはそっと手を離した。

「アルフ兄、僕が悪かった。もうこの話はしません」

 トーマスは深々とお辞儀をする。

「いいよ、気にしないよ。君と僕の仲だからね」

 発した言葉とは裏腹に、シアの声はあまりにも平坦で何の感情を読み取れなかった。

 しまった、踏み込み過ぎたとトーマスは反省したが、その後のシアとの会話は弾まなかった。トーマスはその間に飲んだ紅茶の味もクッキーの味もほとんど感じられなかった。

「じゃあ、僕はこれで失礼するよ。紅茶もクッキーもおいしかった」

 ほぼ社交辞令に近い声を発したシアは自室に戻っていった。

「はぁ…」

 トーマスはシアの後ろ姿を見送りながら一つため息をついた。

 トーマス自身、自分に何ができるかは分からないがスプリングフィールド家を守りたいと思っている。

 国王陛下からの褒美で、後継者が宛がわれたとしてもその男はスプリングフィールド家の血を継いでいない。このままシアがアルフとして生き続けるならば、スプリングフィールド家をその男に譲ることになる。トーマスは大事な友であるアルフとシアが、先祖代々守り続けた土地を赤の他人にそっくりそのまま譲るのは何か違うのではないかと思う。領民の安定した暮らしを保障するためと言えば、それが最善なのは分かっているつもりではあるが。

 アルフとして家を継ぐことができないなら、シアであることを明かして婿を取るべきではないのだろうか。彼女はもう十分に国に尽くした。これ以上、騎士を続けなくてもよいとトーマスは思う。だが、シアのあの様子ではそのつもりはないらしい。

「私は無力だ」

 トーマスは自身のふがいなさを恥じる。

 彼は、アルフが亡くなった直後、スプリングフィールド家に婿入りしようかと考えたこともあった。だが、父親であるテオドールに相談する前にその考えを捨てた。

 トーマスの母親は誰なのか明らかにされていない。彼にはバロウズ伯爵家の血以外にどんな血が混じっているか全く分からない。

 貴族社会は華やかではあるが、陰湿な面も多分にある。だからこそ、トーマスは勉強も武術も真摯に取り組んで他の貴族の子息に馬鹿にされないように頑張ってきた。父や学校の先生から、トーマスは優秀な文官にも騎士にもになれるだろうと言われた。しかし、トーマスがどんなに真面目に生きていても、父親が遊びで作った子供に過ぎない。もちろん、そんな自分を虐げることなく育てた父には感謝している。出自を知りながらも仲良くしてくれている兄弟たちにも感謝しかない。

 バロウズ伯爵家内で円満に生活できているとしても、スプリングフィールド家の立場から考えたら、どうだろうか。こんな得体の知れない男を婿にもらおうと思うだろうか。継ぐ家もない貴族の三男が、自身の保身のために跡継ぎがいなくなった家の不幸を狙った卑怯な男にしか見えないだろう。

「どうか、シア姉が幸せになる道を選びますように」

 トーマスはシアが去った方向に祈りをささげた。



 凱旋パレードから一週間後、アルフはいつものように王城内の見回りをしていた。見回り自体は兵士でもできるが、国王や王族が住まう区画の見回りは白銀の騎士団が担っている。

「久しいな、アルフ。元気にしていたか」

「これはこれは、マクシミリアン王子殿下。お久しゅうございます」

 シアは臣下らしく丁寧に礼をする。

 シアの前に現れた少年は、ヴィオンフォード王国の第二王子マクシミリアン・セドリック・ヴィオンフォードである。16歳の彼はさらりとした金髪を長く伸ばし、南国の海を思わせるような青緑色の目をしている。5年間の留学を経て先日帰国したばかり。王子が留学している間、アルフの振りをして手紙を交わすことはあったが、5年間会っていなかった。それに、アルフが亡くなったときには既に王子は留学していた。

「堅苦しいのは苦手だ。楽にしてくれ」

 王子の命に従い、シアは礼を解くが、直立の姿勢で王子の次の言を待つ。王子はカツカツと靴音を立てながら、シアのすぐ目の前に立ちはだかった。

 5年前、王子は11歳、まだまだ子供という外見だったが、5年経った今、王子は大きく成長した。国内でお披露目すれば、見目麗しい王子としてもてはやされるだろう。

「殿下、顔が近いです」

 シアの指摘を無視して、王子はさらに詰め寄る。王子が成長したとはいえ、まだシアの方が、多少身長が高いため目線を少し下げて話してしまう。

「ちっ」

 王子はシアの顔を直視しながら、舌打ちを一つした。

「あの…殿下?」

 シアは、アルフとして振舞うようになってから男性に嫉妬されることも少なくない。しかし、幼少から一緒に接してきた王子が今更、この顔に嫉妬心を持つとは思えない。だからこそ、王子にそのような態度を取られるのは全くもって解せない。

「本当に姉のシアと同じところにほくろがあるんだな」

 なおも王子はシアの顔をじろじろと眺める。

 王子はアルフが亡くなったことは知らない。シアは、もしものことを想定して、王子宛ての手紙には大けがが治ったら、なぜか姉と同じ位置にほくろができたと書いておいた。

「お前、いくつになった」

「21ですね」

「違う!身長の話だ!」

 どうやら王子の不興を買ったらしい。王子の質問の仕方に問題があったと思うがシアは内心に留めることにした。

「去年、身体測定をしたときに179だったかと」

「ふんっ、これでは横に並んだときに絵にならんではないか」

 王子はなおも不機嫌なままだ。

「横に並ぶというのは、王子の護衛ということでしょうか。でしたら、護衛対象より、護衛が大きい方が万一のときに的になりやすくて…」

「違う!そういう意味ではない!」

 王子は身長について敏感なお年頃なのだろうか。シアは20歳を過ぎてからもまだ若干身長が伸び続けているという事実を言ったら王子はさらに不機嫌になるかもしれない。

 どう答えれば、この王子は満足するのか。5年ぶりに会ったせいか、どう対処したらよいものか、シアは考えあぐねた。

 留学前までの王子は、シアの後ろをぺったりとくっついてくる可愛い弟みたいな子だったのに。

「機嫌を直してください、殿下」

「別に気を悪くしているわけではない」

 そうは言いながら、明らかに機嫌を損ねている。

 昔の王子は、シアが作ったお菓子をあげたら喜んだが、16歳を迎えた今、そんなことをしても喜ばないだろう。実に思春期の男の子の扱いは面倒だ。

 そういえば、亡くなった弟のアルフも王子と同じくらいの年齢のときに、やたらとバロウズ伯爵家の兄弟達やコリンに対抗意識を燃やしていた気がする。騎士団に入ってからは幾分か落ち着いたが。

「はっ、お前を呼び止めたのは背比べのためではなかった。母上がお前を呼んでいたのだ」

「メアリ妃殿下が、ですか?」

「そうだ、お前に至急頼みたいことがあるらしい。今すぐ、母上の私室に向かってくれ」

 メアリ妃とは、幼少期から関わりがあるが王子を使ってまで伝える至急の用事にシアは思い渡る節がない。

「では、伝えたからな」

 王子は足早に去っていく。



「あら、もう来てくれたのね」

 年のころなら40歳過ぎの細身の女性がシアを出迎えた。この女性がマクシミリアン王子の母メアリ妃殿下である。

 メアリは、国王陛下の第二側妃だ。元々は子爵家出身で王妃の侍女をしていた。王妃はあまり身体が丈夫でなく、王妃業務を満足にすることができなかった。そこで、外交など対外的な王妃業務は王妃自身が行い、書類作成、決裁文書の確認、王妃主催のお茶会の差配など、対内的な王妃業務は王妃の代理でメアリが行っていた。

 王妃が第一王子を生んでから7年、王妃は子を成すも死産を重ねていたため、国王は、側妃を設けることにした。側妃は政治的な均衡を考え、王妃の実家とは対立する貴族家から選ぶことにした。しかし、このままでは王妃側の勢力は求心力を失うばかりである。そこで、牽制要員として、メアリを第二側妃として迎えることになった。王妃とメアリは現在でも協調路線を貫いている。

 メアリは公式の場でも私的な場でも控え目なドレスを身にまとい、常に王妃より目立たないように気を遣っている。

「メアリ妃殿下のお召しとのことでしたので、急ぎ見回りを終えてはせ参じました」

「ここには、私とあなたしかいないわ。楽にしてちょうだい、シア」

 メアリから捨てたも同然の名前で呼ばれて、シアは思わずピクリと身体に緊張が走る。

「大丈夫よ。警戒しないで。ここにはあなたと私の他に誰もいないわ」

 確かにこの部屋にはメアリ妃殿下とシアしかいない。シアは少し集中して他の人間の気配を探ってみたが、部屋の近くに人の気配を感じられない。

「今回、あなたに頼みたいのはシアとしてなの」

 シアとして?死んだはずの人間が表に出ては支障があるはずなのに?

 シアの頭の中は疑問で一気に膨らむ。

「今度、クスコバ王国のレティシア王女がこちらにいらっしゃる予定なの」

 クスコバ王国はヴィオンフォード王国からはるか遠くに位置し、シアは国名だけかろうじて知っている程度だ。

「王女はちょっと変わった方らしくて、結婚相手がなかなか見つからないらしいの」

 シアは失礼のない程度に相槌を打ちつつ、この話の帰結を見守る。

「実は、彼女、去年まで騎士として生きてきたそうなの。まるでどこかの誰かさんみたい」

 メアリ妃殿下はすこし意地の悪い笑顔を向けた。

「向こうとしては、結婚相手は王族に限らず貴族であれば良いとのことでね。お見合いをして王女様本人が気に入れば構わないそうなの」

「王女様のお見合いに、私がお役に立てることはあるのでしょうか?」

「それが大ありなの。こちらとしてはクスコバと友好関係を結びたくて、それには王女様との婚姻が一番の近道。向こうに失礼のないように、シアには王女様役をして見合いの練習相手になってもらいたいの」

「ご冗談を!メアリ妃殿下。僕に女装をしろということですか?」

 シアは思わず少し大きな声を上げた。

「一時的に本来の姿に戻るだけでしょう!」

「いや、しかし、僕はかれこれ5年くらいドレスに袖を通していませんよ」

「シア。家のためとは言え、それはひどいわ。……それにしても伯爵家のあの兄弟……従騎士のあの子も……こんなだから、うちの子が…夢を…諦めきれないんだわ…」

 メアリ妃殿下は途中から声を抑えてブツクサ文句を言っているようだが、よく聞き取れない。

「あの、メアリ妃殿下」

「あら、ごめんなさい。別のことを考えてしまったわ。レティシア王女もあなたと同じ体格で雰囲気もどことなく似ているの。というわけで、あなたが代役に最適なの」

「そういわれましても、すっかり弟になりきっているので」

 今更、一時的に女性に戻れと言われても正直困る。シアについて知っている人間はほとんどいないので、死んだはずの人間が動いていると思う者はいないと思う。だが、アルフが女装していると思う人間はそこら中にゴロゴロいるだろう。

 アルフファンの侍女たちに女性の恰好をした姿を見られたら、白銀の騎士団のイメージダウンにならないだろうか。

「シア、あなたもいつまでの弟の振りをして生きていくわけにはいかないと思うの。いつかは誰かに知られてしまうわ」

「ですから、先日、国王陛下に当家の跡継ぎにふさわしい男子を褒美に願ったわけでして」

「そうなると、女性に戻る準備をしないと!ね?ね?そう考えるといいきっかけじゃない?」

 メアリ妃殿下はわざとらしく明るくシアに小首を左右に傾けながら迫ってくる。

「ソウデスネ」

 シアは棒読みで答える。

 正直、どこがいいきっかけなのかシアにはさっぱり分からない。逆らってもあまりいいことはないとメアリの言動から感じ取った。

「それじゃあ、レティシア王女様の基本情報は次のとおりよ。」

 メアリ妃殿下はシアにメモ用紙を渡す。


 レティシア・S・クスコバ 

 年齢 22歳

 身長 180センチメートル

 経歴 クスコバ王国第八王女として出生 13歳で士官学校入学 16歳で竜騎士団に入団 18歳で竜騎士団の副団長就任 21歳で竜騎士団を退団 

 趣味 庭園散策、刺繍

 その他 幼少期から教会で慈善活動にいそしむ姿を見かけることがある。


「これは…」

「びっくりするくらいシアとよく似ているでしょう?」

 メアリ妃殿下の言葉にシアは頷くしかできない。王族という点を貴族に置き換えたらほぼシアを説明しているように見える。

「シアは無理に演じないで、素直に見合いの席に座ってもらえばいいから」

「分かりました」

 それなら何とか自分でも務まりそうだとシアは思う。

「見合相手は当日まで明かさないでおくわね」

「…それはなぜですか?」

 シアにはメアリ妃殿下の意図が良く分からなかった。練習ということであれば、レティシア王女の見合相手を知ったうえで対応した方がよいのではないだろうか。

「あなたにはまっさらな気持ちで相手の様子を見てもらいたくて。変な先入観を持たせたくないの」

 正直良く分からないが、そんなものかとシアは納得することにした。

「見合いの練習が終わったら、私に気になったところをこっそり伝えて。それと、あと特に良い印象を受けた方がいたら、必ず必ず私に教えてほしいの」

 シアは漫然と代役をこなすのではなく、本番に向けて修正点があれば伝える義務があるだろう。王女とシアがよく似た人物であれば、シアの意見や気づきは参考になるかもしれない。だが、妃殿下の様子を見るに後者に重きを置いているのはなぜだろう。

「分かりました。僕で良ければ協力しましょう」

「そうと決まれば、ドレスの採寸を始めましょう!」

 メアリ妃殿下は、シアの上着を脱がせ始める。

「えっ?えっ?」

 シアはいきなりのことに状況が呑み込めない。

「採寸するんだから、下着一枚になってもらわないと!」

「あの…、それなら仕立て屋とかお針子の方とか呼ばないのですか?」

「あなたのことは秘密なんだから、人を呼べないわよ。大丈夫、私は侍女時代に王妃殿下の服のお仕立て手伝った経験があるから」

「ハイ、ショウチシマシタ」

 もはや、シアは心を無にしてメアリ妃殿下にされるがままになった。



 シアがメアリ妃殿下のいいように扱われていたころ、会議室に4人の男が集められていた。

「国王陛下からの招集ってなんだろうな」

「この会議室は完全防音です。他の者に聞かせたくない意図でもあるのでしょうか」

「なんで、オラまで~」

「母上も母上だ。この俺にアルフへの妙な伝令を頼んで、その後、ここに行けと言うんだからな」

 バロウズ伯爵家の次男ヴィクター、同じく三男トーマス、シアの従騎士コリン、マクシミリアン王子が口々に声を発する。

「皆、集まったな」

 会議室の奥の扉から現れたのは、国王陛下、シアの父・グレアム・スプリングフィールド男爵と騎士団長のテオドール・バロウズ伯爵だった。

「今日、其方らを呼び出したのは他でもない。先日のアルフレッド、いや、アレクシア嬢の褒美の件だ」

 レッドドラゴンを討伐した褒美として、シアが願い出たのはスプリングフィールド家に良き後継をということだった。となると、ここにいる4人はその候補ということか。

「おや?他の3人はともかく、我が息子よ。驚いた様子がないな」

「薄々そうではないかと思っていた」

「ふむ。なるべくアレクシア嬢を遠ざけるようにしていたのだが」

 国王陛下は鷹揚に腕を組む。スプリングフィールド男爵領内ならともかく、王都でアレクシアをよく知る人物は限られる。幼き頃より交流のあったマクシミリアン王子であればシアの扮装はすぐに見破られる可能性が高かった。また、あえて秘密を共有させることも考えたが王子は当時11歳の子供であるから、ここから秘密が破られては都合が悪いと国王陛下は考えていた。

 幸い、王子は留学中であったのでシアが亡くなった旨の簡潔な手紙を送っただけにとどめた。王子が長期休みの期間に王都に戻ってきたときは、国王陛下はそれとなくシアを遠征任務に就かせて二人が出会わないように配慮した。

「今日、久しぶりに出会って確信した。あんなに全く同じ位置にほくろはできない。いくら双子でも」

 王子は、自身の左目の目元に人差し指をトントンと当てる。

「それについては、アルフの振りをしたシア嬢が手紙に書いていただろう」

「手紙もそうだ。あいつはそこまで手紙をよく寄越すやつじゃなかった」

 王子はポツリとつぶやく。

 シアと王子がアルフについて認識がずれたのは無理のないことだった。

 アルフはスプリングフィールド男爵領にいるシアには頻繁に手紙を出していた。だから、シアは、弟が親しい人間には手紙をよく出す人間だと勘違いしてしまった。

「それにあいつはキザな野郎だが、そこまで女に配慮のある人間ではない。あんなに熱狂的な信者が増えたのはシアのせいだ。最初は小さな違和感だったが、今日会って確信した。あいつは、アルフじゃない、シアだ」

「アルフとシアは見分けが付かないくらい似ていると思うが。多少の違和感を覚えても、そこまで確信したのには他にも理由があろう?なぁ、我が息子よ」

 王子が挙げた理由はどれも決定的とは言えないものだった。長年あの双子と一緒にいたことのある者でさえ、見分けがつかないほどよく似ているのに、再会したばかりの王子が確信を持つというのはどういうことか。

「そ、それは…」

 王子は言いよどみ、口をキュッと結んだ。

「どうした?言えぬのか?」

「う、うるさいっ!自分で考えろ!」

 王子は耳の端まで一気に赤くなる。

 顔を近づけたら、昔と変わらないシアのにおいを感じたなんて誰が言えるか!!そんなことを言ったら、変態か、それとも甘えん坊のガキのままだと馬鹿にされるだけではないか!あ~、好き勝手にぺたぺたとシアに抱き着けた昔が懐かしい。

 周囲が鎮まっている中、このように王子の脳内だけは忙しく暴れまわっていた。

「ふーむ、年頃の息子は扱いが難しいな。あとであれの母親と相談することにして、とりあえず本題に戻ろう。其方ら4人をスプリングフィールド家の後継候補に考えている」

「あ……」

 コリンは口を開きかけて、グッとつぐむ。

 国王陛下の許しなく発言をすることは不敬にあたる。

「よいぞ、コリン。言いたいことがあるなら存分に言い給え」

「王子殿下やバロウズ伯爵家のご子息たちが後継候補というのは分かります。でも、オラ…自分はアレクシアお嬢様の従騎士で元々はただの庭師の息子なので…」

「後継候補にふさわしくない…と」

「はいぃぃぃっ。その通りでございます」

 コリンは精一杯身を小さくする。

「テオドール」

「はっ」

 国王陛下の声を受けて、テオドールは一瞬のうちにコリンの眼前に躍り出た。そのまま、彼はコリンの首を掴み、彼の身体をわずかばかり宙に浮かせた。

「ぐっ…だ…だん…ちょ…」

 コリンは驚きで頭が回らない。彼の口からはうめくような声が途切れ途切れに零れる。

「父上っ!一体何を」

「父様、何をなさっているのですか?」

 長年コリンと仲良くしていたバロウズ伯爵家の兄弟がテオドールをコリンから引きはがそうとする。

「お前たち、あの男の目を見ろ」

 テオドールは乱雑にコリンを手放した。

 コリンは粗い息をしてその場に伏せている。

「コリン、大丈夫か」

 ヴィクターがコリンの身体を支えるが、コリンは目を閉じたままだった。

「目を開けろ!」

 国王が一喝する。

 コリンは覚悟をしたかのように、静かに目を開けた。

 彼の目は普段のごく平凡な茶色の瞳ではなく、ルビーのように真っ赤な瞳をしていた。

「コリン・ブラウン。いや、コーニーリアス・ニコラウス・ルービンシュタイン!」

 国王陛下がコリンの本当の名を告げる。

「恐怖や怒り、負の感情が高ぶったとき、ルビーのような赤い瞳に変化する。それこそが、ルービンシュタイン王家の証だ」

 グレアムが苦々しく言葉を吐く。

 ルービンシュタイン王国は、内乱により30年以上前にほろんだ国だ。その後、共和国が建国されたが、また内乱が勃発して今ではただの荒れた土地になっている。

「コリン、本当なのですか」

 トーマスは心配そうにコリンを覗き込む。

「ほ、本当です。でも、オラは王族として生きてきたことはないです。ただの庭師の息子で…」

 弁解するコリンを無視して、国王陛下は昔話を始める。

「今から30年くらい前のことだ。ある男が庭師の父親と対立して、家出同然に出ていった。その男は冒険者稼業をしながら、気ままな旅をしていたところ、一人の女と出会った。それがコーニーリアスの母親であり、ルービンシュタイン王家最後の王女だ。男は女の素性を知らぬまま、ともに冒険稼業をしていたが、数年経ったある日、共和国からの追手が次々にやってくる事態が発生した。女は、自分を捨てて逃げるように願ったが男はそうしなかった。なぜなら、女の腹に自分の子が宿っていることを知っていたからだ。困った男は、捨てたはずの故郷に女を連れて戻り、父親の雇い主のもとに女の保護を頼んだ。その雇い主がここにいる、グレアム・スプリングフィールド男爵だ」

「だ、旦那様には本当に感謝しかなく…」

「コリン、卑屈な態度はしなくていい。胸を張れ」

 グレアムが平伏しているコリンを支えて、その場に立たせる。

「コーニーリアス王子、手荒な真似をして悪かった」

 国王陛下は、コリンに頭を下げた。本来、国王は臣下に頭を下げるものではない。しかし、今回はコリンを他国の王子として扱った。

「い、いいえっ!びっくりしたけど、オラは…じ、自分は怪我をしていませんし。それに自分は王子じゃないです」

 コリンは、謝罪を受けてまたしても身を縮めてしまった。 

 グレアムは、一般人に溶け込ませるために、コリンをあえて領民と交流させて育ててきたが、さすがにやり過ぎたかもしれないと今更ながら後悔した。

 あの雰囲気ならば王族だとはだれも思わないという点で成功したが、コリンの将来を考えると失敗だったかもしれない。

 コリンには、いつか表舞台に立つ日のことを考えてシアやアルフと一緒に勉強をさせたり、剣の稽古をつけさせたりして教養を身につけさせたつもりだったが、心根が完全に庶民だ。

「うむ。コーニーリアス王子の育成はまた別の機会に譲るとして。其方ら4人には、来月、アレクシア嬢と見合いをしてもらう」

 国王陛下の発言に候補者一同が氷のように固まった。

「何か問題あるのか?」

 国王陛下はわざとなのか、本気なのか分からない、おとぼけ顔をした。

 王子と伯爵家の次男は、こ、このオッサン、わざと分かってこんなことを!と内心で毒づき、伯爵家の三男と亡国の王族は、わわわわわ、私(オオオオオオ、オラ)が、シア姉(お嬢)とみみみみみ見合い??と内心動揺していた。

「単にスプリングフィールド家の養子に入っただけでは、その後のアレクシア嬢の居場所がなくなる可能性がある。あくまでもこれは、アレクシア嬢への褒美であるから、本人が幸せになってもらわねば困る。そこで、アレクシア嬢の婿としての後継を考えている。其方ら4人がアレクシア嬢の見合い相手だ」

 国王陛下は、アレクシア嬢が納得しなければ、他の候補者を探すつもりではあるということは、言わないでおく。

「あの、陛下。発言よろしいですか?」

 伯爵家の三男が許可を求めると、国王陛下はすぐさま許可を出す。

「この見合いは、アレクシア嬢は受けると言ったのですか」

 国王陛下、グレアムとテオドールの三者がさっと目を逸らした。

「父上、シアは知らないということか」

 そんな勝手なことをしても良いのかと王子は非難めいた視線を自分の父親に向けた。

「知っていると言えるし、知らないとも言える。クスコバ王国のレティシア王女が見合いに来るので、シア嬢には見合い相手の王侯貴族の子息たちの練習に付き合ってほしいとメアリが説得しているところだ」

「父上、そんな王女いたか?」

 王子は5年間で何か国も留学していただけに、各国の王室情勢に詳しい。

「そんなもん、存在しない。シア嬢によく似た境遇の王女を勝手にでっちあげた」

 完全なだまし討ちである。これが本当にシアにとっての褒美なのかと候補者4人は一斉に頭をもたげる。

「コホン。うちの娘は疾うの昔に結婚を諦めている。いきなり見合いをせよと言われても首を縦に振ることはないだろうし、仮に見合いを受けると言わせても当日逃げ出されたらかなわないからな」

 グレアムはため息に似た浅い息を吐いた。

「それと、誰が見合い相手かシア嬢に伏せているから、見合い当日まで本人に秘密しておけ」

 テオドールから、さらに不安になる情報がもたらされた。候補者たちは、シアを騙しているようでどうも落ち着かない。

「其方らは、長年アレクシア嬢に思いを寄せてきたと聞いている」

「待て、父上。そんな話をどこで聞いた?嘘を言うな!」

 王子は父親の発言を中断させた。

 人のことは言えないが、王子殿下はどう見てもシアに思いを寄せているだろうと彼と関わりのあるバロウズ伯爵家の兄弟は思うが口をつぐむことにした。

「我が息子よ。ならば、これは何かな」

 国王陛下は、グレアムに目で合図した。

 合図を受けたグレアムは、スケッチブックを取り出し、これを全員に見えるように提示した。

「…父上、それは」

 王子はグレアムの方に駆けだし、スケッチブックを奪おうとする。しかし、元白銀の騎士団員だったグレアムの足さばきは衰えておらず、高い身長と長い手足を利用してスケッチブックを掲げながら王子の追撃をヒラリヒラリとかわす。

「息子よ。元の場所に戻れ」

 国王陛下は無表情に言い渡す。王子も諦めてその命令に従った。

「まだ騎士団でやっていけそうじゃないか」

「冗談はよせ」

 テオドールとグレアムは国王陛下の背後で互いのこぶしを交わした。

「これなるは、我が息子10歳のみぎりに使用したスケッチブックである」

 国王陛下の発声を受けて、グレアムがゆっくりと一枚一枚めくって提示した。

 どうやら女性のドレスのデザイン帳のようである。10歳の子供の作とは思えないくらいの精緻な出来だ。ただ、モデルと思しき女性は全て同一人物のようで、一般的な女性よりもかなり背が高そうである。

「特にこれは最後のページが秀逸でな」

 それは金髪に青緑色の瞳をした男性と、銀髪に青い瞳をした女性が結婚式の衣装を着ているイラストだった。この男女が誰と誰を想像して描いたかは誰の目にも明らかだった。しかも、男性の背をかなり高く描いているところに、幼い少年なりの見栄を感じる。

 そして、残念なことに現在も意中の女性の身長を超えていない。

「ぐ、グレアム。早く仕舞え!そんなもの」

 王子が半狂乱になりながらスケッチブックの方向に指を差す。

「これを見せたのは、難しい年頃の息子を困らせるためではない。見合い当日、アレクシア嬢にどんなドレスを纏ってもらうかという話がしたくてな。これが参考になると思い、持ち込んだというわけだ」

 国王陛下はもっともらしいことを言っているが、口の端が軽く震えており、明らかに笑いをこらえている。

 あくまでも参考資料ということならば最後のページをわざわざ見せる必要はなかったのでは?という考えがよぎった者は一人ではないはずだ。

「これを言うと身内贔屓というか、親バカだが、実によくできたドレスのデザイン帳だ。シア嬢の背の高さ、手足の長さを活かした素晴らしいデザインだ。おそらく、今頃メアリがシア嬢の採寸をしていることだろう」

 王の側妃が男爵令嬢の採寸をしている?これに関しては、候補者4人全員が疑問に思ったが、シアのドレス姿が見られるならもはや何でもいいと思ってしまう。

「………、待ってください!父上」

「どうした、息子よ」

「こんな子供の落書きを形にしてはならぬ。今なら、もっとシアに似合うドレスのデザインが作れる」

「ほう?それは面白い。して、いつまでに仕上げてくるのか」

 ドレスを仕立てるのに、ある程度日数が必要だ。いつまでもデザインができるのを待つというわけにはいかない。

「……明日までには仕上げてみせる」

 王子の脳内には既にいくつものドレスのデザインが浮かんでいた。年頃の少年らしく、うっかり下着のデザインも考えかけたが、すぐに脳内から消去する。

「息子がやる気を出しているようだし、ドレス選びはまた後日としよう」

 国王陛下は、今日一番の笑顔を一同に向けた。

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