第44話 呪憑物・猿姫人形 3
天元健三郎(髭)の死は、人の持っていた道徳心の死をも意味していた。
普通の人間が、殺人者に変わる。その門を開いたのだ。
次に決着がついたのは、真壁浩人(イケメン)のペアだった。
「うそ…ですよね? 私、死にたくないです」
ペアである仮縫マキ(ソロ)は、縋るような気持ちで、冷たい表情で自分を見る真壁に語りかけた。
真壁は優しい人間だ。
みんなから頼られる聖人のような人だ。
確かに彼は、健三郎から家族を託された。だが、それは同時に、マキを殺すという意味でもある。
真壁がそんなことをするはずがない。
「わかっています。大丈夫です」
真壁が優しく微笑む。
マキはほっと安堵の息を吐いた。
やっぱりそうだ。真壁のような人間が、そんな酷いことをするはずがない。
救いの手を伸ばすように、真壁が手を差し出してきた。
「何も心配しないで。後は僕に任せてください」
真壁とペアを組んで良かった。
マキは心底そう思った。
真壁の手を取る。
次の瞬間、激しい衝撃が顔に走った。
「きゃっ!」
何が起こったのか、一瞬分からなかった。
ややあって、殴られたのだと気づいた。
誰に?
まじまじとその人物を見る。
真壁だった。
真壁が自分をぶん殴ったのだ。
衝撃で、両足をついていた。
「すみません。僕はまだ死ぬわけにはいかないんです」
「うそぉ…。最低! あんた最低!! 偽善者!! 人殺し!! 嘘つ…ぐぼぼぼぼぼぼぼぼ!!」
好青年の悪鬼への変貌を皮切りにして、参加者たちの殺し合いが始まった。
****
「お前が死ねよ!!」
「あんたこそ死ね!! 男だろ!!」
同じオカルトコミュニティで仲が良かった、鳥羽隆文(オカメン)と岡森麗奈(オカメン)も揉み合うように殺し合った。
成人の男女。力の上では男のほうが有利だ。
しかし、片足でバランスの要素が加わることで、そう単純な勝負ではなくなる。
鳥羽は必死に突き倒そうとするが、麗奈も必死に服にしがみ付いて耐えた。
「うわっ!」
鳥羽が体勢を崩す。同時に麗奈も倒れ込んだ。
地面に転がったまま、鳥羽と麗奈のふたりは、まじまじと互いの顔を見つめ合った。
「「あは、あははははははは」」
どちらからという訳でなく、ふたりは同時に笑い合った。
笑い合っていたけど、目は笑ってはいなかった。
やがて、鳥羽が「うっ」と顔を豹変させた。
次に大量の血と心臓を吐き出して絶命する。
「やった!! やったぁ!! 勝ったよ! 鳥羽くん!!」
血だまりの中、返り血を浴びた麗奈は、腰を下ろしたままでガッツポーズをする。
「勝った!! あははは! 勝ったよ、鳥羽くん! え? っていうか、鳥羽くん。なんで寝てんの?」
******
「なんで生きようとしてんの? もう、あんたの息子はいないんだよ? 生きてても辛いだけだって!」
揉み合った麗奈たちとは対照的に、忽那来夏(ヒステリック)と末次良子(小学生の母)のペアは、離れた位置で、一方的に来夏がまくしたてる戦い方だった。
「いま、生きてて楽しい? これから毎日子供のことを思い出して苦しむだけだよ?」
猿夢で最愛の息子の宏樹(小学生)を失った良子は、魂が抜けたような状態となっていた。
「楽になりなよ。もう立っているだけで辛いでしょ?」
心が弱った良子に、冷静な判断はできない。
来夏に言われるまま、良子は両足を地面についた。
******
「ねえ、未来ちゃん。ウチはどうしたらええの?」
友枝姫路(ギャル)は震える声で、阿久津未来(ギャル)に質問した。
誰とペアを組むか。
姫路に迷う理由はなかった。
未来と一緒なら、心配はない。
どんなゲームでもクリアできる。
そんな信頼があった。
だが──
「ごめん、姫。私は負ける気はないから」
ぞっとするような冷たい表情で言った。
彼女は本当に、姫路が知る未来と同一人物なのだろうか?
「ウチも嫌だよ…。未来ちゃん、どうしたらええの?」
「足を地面について」
「未来ちゃん…。お願いやぁ」
「じゃあ、戦おう」
未来がケンケンで近づいてくる。
彼女は本気で、姫路を殺すつもりなのだ。
「未来ちゃん、うちのこと嫌いになったん?」
「…違うよ。私は姫のこと、大好きだよ」
「だったら、なんでよぅ?」
「姫がどう思うかは、姫の自由だよ。だけど私は、この世は『好き嫌い』じゃなく、『勝ち負け』だって思ってるから。私は、負ける気はない」
刹那、顔に強い衝撃が走った。
未来が蹴りを放ったのだ。
ああ、と姫路は誇らしい気持ちになった。
リーダー集団のトップである真壁も、相手の顔を殴って勝負を決めた。
未来は足で、同じように顔を攻撃してきたのだ。
ふたりは何処か似ている。
まるで、真壁と未来は元からの知り合いで、今は他人のふりをしているだけ、そんなふうにも思えた。
(やっぱり未来は凄いなぁ)
姫路は死ぬ瞬間、未来の子供として生まれ代わりたいな、と思った。
そうしたら、「子育てする才能」を持った未来に育ててもらえる。
だったら、ぜんぜん怖くない。
姫路は倒れ込む瞬間、そんなことを想像しながら、微笑んだ。
******
次々と勝敗がついていくなか、硬直しているペアがあった。
梅宮清明(小学生)と松田龍也(小学生)の小学生ペアだ。
幼い子供だからこそ、互いを殺すことに強い躊躇いがあった。
死にたくない。
そして、相手も殺したくない。
決断できずに、時間だけが過ぎていく。
「なあ、麻衣」
永い永い硬直のあと、先に口を開いたのは、龍也だった。
「おまえが決めろ、麻衣」
名前を呼ばれた佐土原麻衣(小学生)は、当初、その意味が分からなかった。
「麻衣。おまえが決めてくれ。どっちが生き残ったほうがいい?」
「龍也!!」
清明が非難するように叫んだ。なんて残酷で身勝手な決断を迫るのだろう。
「だって仕方ねえだろ!!」
龍也も逆ギレして叫んだ。
「俺は清明を殺したくないし、死んでほしくもない!! だけど、俺も死ぬのは怖いんだよ!!!」
清明は何も言えなくなった。
熱い物が鼻の奥に込み上げてくる。
龍也の気持ちが痛いほど理解できた。
清明もまったく同じ気持ちだったからだ。
「俺、…どうしたらいいか分からない。お母さんも、あんなふうになるし。どうすればいいんだよ!? 清明、おまえは俺よりも頭良いから分かるだろ!!」
「分かんないよ…。僕だって分かんないよ…」
熱い液体が頬を流れ落ちる。
気持ちだけが先行して、頭の中はぐしゃぐしゃで、もう何が何だか分からなかった。
「俺にだって酷いこと言ってるって自覚はある。だけど、麻衣。俺はおまえのことが好きだ」
龍也は清明にだけ伝えていた。
──俺、麻衣に告白するよ。
龍也は最悪のタイミングで、そして、おそらくは言うことのできる最期のタイミングで、その気持ちを口に出した。
麻衣は答えない。
ただ、その見開かれた両目からは、大粒の涙が流れている。
「そんでもって、清明も麻衣のことが好きだ」
龍也の突然の言葉に、けれども清明は、咄嗟に否定することをしなかった。
清明が麻衣のことをずっと好きだったことは事実だ。
誰にも明かしたことのない恋心。
それを龍也が知っていたことに驚いた。
こんな状況でなければ、恥ずかしさから咄嗟に「違うよ!」と、嘘をついていたことだろう。
だが、清明は嘘をつけなかった。
誤魔化す気も起きなかった。
言葉の重さを理解していた。
龍也がどんな気持ちでそれを口にしたのかも理解できた。
だから、清明は正直に答えた。
「うん。僕も…佐土原が好きだ」
「はは…」
龍也は安心したように笑った。
「なんか漫画とかで、好きな子を巡って男同士で勝負するだろ? あれって変だよな?」
龍也がいつもの調子で言った。
「うん、そうだね。勝負なんて意味がない。だって、決めるのは女の子のほうだから…」
清明と龍也は涙に濡れた顔で、友達同士の笑顔を向けあった。
「嫌! 嫌ぁ!! できないよ! 私にはできない!!」
麻衣が頭を抱えるようにして、否定の言葉を発する。
「うん。本当にごめん」
「佐土原、悪いとは思っている。だけど、佐土原の決めたことなら、納得できる気がするんだ」
「ふざけないで! 嫌だよぉ! できないよぉ!!」
麻衣は必死に否定した。
ふたりが何を言っているのか理解できない。
ふたりとも大の仲良しで、大事な友人で、そのどちらかを選ぶなんてできなかった。
しかも、選ばれなかったほうは死んでしまうのだ。
こんな酷い選択があるのだろうか?
「ごめん。ふたりとも。私は選べない。もう無理…」
「佐土原!!?」「麻衣!!」
ふたりの悲鳴があがる。
麻衣が何をしようとしているのか、理解してしまったからだ。
彼女は両足をついて、この残酷な選択から逃げようとしていた。
そんな麻衣の体が、宙に浮いた。
「本当に大きくなったな、麻衣」
麻衣を持ち上げたのは、父親の典秀だった。
そして、麻衣のペアの相手でもある。
「ふたりに同時に告白されるなんて、やるじゃないか」
「パパ、やめて! 降ろしてよう!!」
麻衣は必死に暴れた。
彼女は失念していたのだ、典秀もまた、片足で立っていたことを…。
典秀が体勢を崩す。そして呆気なく、足をついた。
いや、いずれにせよ、典秀は麻衣に譲るつもりだった。
「…本当に大きくなった。もう立派な女性だ。いいかい。君の判断は常に正しい。君は絶対に間違わない。なんとしても生き延びるんだ」
典秀は麻衣を突き飛ばすように降ろすと、顔を両腕で隠すようにして、地面の上で「カメ」になる。
娘に無惨な死に顔を見せないための、彼なりの配慮だった。
「そんな…。パパ。パパぁあああ!!」
麻衣が見ていて胸が痛くなるくらい泣きじゃくる。
動かなくなった典秀の背中を抱きしめながら、悲痛な声で泣いていた。
「…清明」
名前を呼んだ龍也が、両足を地面につける。
「何やってんの!!?」
清明は思わず叫んでいた。
「好きな女の子を泣かせた。俺にはあいつを幸せにする権利はねえよ。それに、たぶん。麻衣はおまえのことが好きだ。だから、俺のぶんまで麻衣を頼んだぞ」
そうして龍也が絶命し、猿姫人形のゲームは終了した。
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