第43話 呪憑物・猿姫人形 2

 天元健三郎(髭)は、内心で真壁浩人(イケメン)に申し訳ないと思っていた。

 蜜蜂花子(運営スタッフ)と誰がペアになるかという話が出たとき、おそらくは名乗り出ようとした真壁を制するかたちで、自分がペアになると主張した。

 花子と組みたい理由はひとつ。

 「負けがない」と思ったからだ。

 如月葉月(霊媒師)が言うには、憑りつかれた状態の人間が死んだ場合、ヒガン髑髏の呪蓋の中では、エンティティは新たな人物に憑りつき、イタチごっこになるだけだと言う。

 つまり、花子を殺してはいけないのだ。

 それはイコール、ゲームで負けさせてはならないことになる。

 100%勝つ存在。だからこそ、健三郎は名乗り出た。

 おそらく同じことに気づいた真壁には、申し訳ないと思いながら…。

 しかし──


(自業自得ってやつか…。本当、締まらねえなぁ。俺の人生は…)


 ゲームの内容は「ケンケン相撲」。両足を地面についたり、倒れたりすれば負けとなる。

 全員で何かをするのではなく、まさかの一対一の勝負だったのだ。


「待ってよ!! うわわわわ!!」

 突如、甲高い悲鳴が聞こえた。

 オカメンで参会者の中で一番のデブ、木村太郎だった。

 太った体形が災いしたのか、彼は早くも体勢を崩し始めていた。

 なんとか飛び跳ねて、ペアである野木智美(オカメン)に、近づこうとしてくる。

「ひっ!」

 智美が小さく悲鳴を上げて、ケンケンで後ずさる。

 体を支えることのできなかった木村は、あっけなく両足をついてしまった。

 ゲームに負けたのだ。


 誰もが彼を見守った。

 ゲームに負けた者がどうなるのか? その答えは、この先にある。

「あれ? なんともない!! 大丈夫みたいだ! ゲームに負けてもごばばばばばばばばばば!!!」

 気色の悪い音とともに、木村が豪快に血を吐き出し、真っ赤な肉塊が飛び出してくる。

 それは智美の顔面にヒットし、地面に転がった。

 ドクンドクンと脈打つそれは、木村の心臓だった。


「いやああああああああああ!!!」

 木村の心臓で顔を真っ赤に汚した智美が、切り裂くような悲鳴をあげる。

 気が動転したのか、彼女も両足をついてしまっていた。

「ひぃ!! うそ!?」

 慌てて足をあげて、智美は周囲に助けを求めるような表情を向ける。

 だが、何も起こらなかった。

 しばらく待ったが、智美に死の呪いが訪れることはなかった。


「あんたは勝者だ。もう足をつけても良いらしい」

 猿姫人形に訊いたのだろう、葉月が言う。

 ほかの3人も、肯定するように頷いた。


 智美は恐る恐るといった感じで、両足を地面につける。

 やはり、何も起こらない。

 これではっきりとした。

 敗者は心臓を吐き出して絶命し、勝者は死の呪いから解放される。


 重い空気が流れた。

 人面ナイフで畑中由詩(ポニテ)を埋めたときとは違う。

 あのときは真壁が殺人の重荷を背負わないよう配慮したため、人殺しに加担したという意識は薄かったはずだ。

 ワン・オールドメイドのときもそうだ。

 確かに死のリスクのある状況に人を選出はしたが、自分たちが殺したという認識は薄かった。


 だが今回は違う。

 明確に自分の意志で、相手を殺す必要があった。

 ただ単に肝試しに参加しただけの連中が、いきなり本気の殺し合いを命じられたのだ。

 異様な状況に精神がまいっているとはいえ、まだ理性のタガは外れてはいない。

 誰もが殺人をためらっていた。


「なぁ。霊媒師の嬢ちゃんよ…」

 その静寂を破ったのは、健三郎本人だった。

「どんな理由があろうと、花子ちゃんを負けさせるわけには、いかねえよなぁ?」

 目の前の蜜蜂花子が、涙をこらえるように、口元を押さえた。

 彼女は猿姫人形に憑りつかれているが、意識も記憶もあるらしい。

 

「…ああ、そうだ。悪いが、死んでくれ」

 葉月が躊躇いなく、冷たい言葉を返してきた。

 健三郎は、ふっと笑った。

 下手に誤魔化されたり同情されるよりはいい。

(そうか、俺は死ぬのか…)


 健三郎は走馬灯のように、自分の人生を振り返っていた。

 自分には何でもできるという根拠のない自信のもと、いろんな仕事や事業に手を出した。

 確かに自分には人にはない器用さや、仕事ができる部分もあった。

 だが、どれも天下を取るには程遠い才能だった。

 家族のことを省みず、時には当たり散らし、実力もない癖に偉そうな態度をとっていた。

 妻の朱音や娘の渚にとっては、最悪の父親だっただろう。

 嫌われて当然だ。

 

 結局、自分の手には何も残らなかった。

 愛する家族のため、仕事を頑張り、金儲けをしていたはずが、家族を不幸にしていただけだった。

 目的と手段が逆になっていたのだ。

 いや、違う。

 結局は、健三郎は自分のことしか考えられない、愚かな人間だっただけだ。

 単に他人から「すごい」と言われたいだけの、ゲスな生き物。


「真壁浩人!!」

 健三郎は真壁の返事を待たず続けた。

「あんたを男と見込んで頼みがある!! 俺には一人娘がいる。金に困っていたんで、金が欲しくてこの企画に参加した! K大の薬学部に通う俺の自慢の娘だ! 名前は土盛渚! 妻の名前は土盛朱音だ! 頼む! なんとか金の工面をしてやってくれ! 最期に父親らしいことをしたいんだ! 頼む!!」

 健三郎は声が涙で滲むのを止められなかった。

 低いオッサン声が、情けないほど涙声になる。


「…わかりました。約束します。僕にできる限りのことをすると」

 真壁は承諾してくれた。

 奴ならば信頼できる。


 健三郎は意を決した。

 文字通り棺桶に足を入れるように、足を降ろそうとする。


 だが、動かなかった。

 足が下せない。

(死にたくねえ! 死にたくねえ! 死にたくねえよぉおお!!)


 健三郎は臆したのだ。

 ここまで啖呵を切って、カッコつけて、あとは足を降ろす流れなのに、死ぬのが嫌でそれができなかった。

 惨めだ。情けない。カッコ悪い。

 それは分かってる。

 だが──。


「くそっ! くそっ! 死にたくねぇ! 死にたくねぇよぉおおお!! なんで俺なんだよ! ちくしょうぉおおおお!!」

 惨めに無様に心情を吐露した。

「こんなんじゃねえ! こんなんじゃねえんだよ! 俺の人生は!! なんで俺ばっか、こんなに不幸なんだよ…。ちくしょう! ちくしょう…」


 無様なおっさんの咆哮を聞いて、誰も何も言わなかった。

 惨めな姿に、憐みの視線を投げかけてくる。

(俺はどうしたらいい…。いや、やるべきことは分かってる。だけど…)


 ──健三郎! ちゃんと地面に両足つけて、歩いて行かんかい!


 唐突に、脳裏にその言葉が甦った。

 大好きだった祖母の言葉だ。

 早くに離婚し、シングルマザーとなった母の代わりに、幼い頃の自分の相手をしてくれた祖母。

 しわくちゃと手と、優しい笑顔が大好きだった。


 ──健三郎。おまえはすぐにズルをしようとする。それはな、賢い方法かもしれん。だけどな、急がば回れと言ってな、地面に両足つけて、一歩ずつちゃんと歩いていくほうが近道なんよ。


 ああ、と健三郎は思った。

 確かに自分にはそんなところがあった。一歩ずつ進むことを愚かと思い、堅実に生きることを馬鹿だと蔑んだ。だから、足元をいつもすくわれている。


 ずっと俺は、片足で生き急いできたんだな。


 健三郎は、ゆっくりと地面に両足をつけた。

 最期くらいは、きちんと両足で立っていたかった。

 初めて自分の足で人生の上に立ったような気がする。

 

(だけどな、ばあちゃん。俺はもう一歩も動けねんだ。人の話を聞かない性格で、迷惑かけたな)

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