第18話 デスゲーム1日目 5
「お兄ちゃん」
その声を聞いた途端、恐怖が消えた。
別の感情が恐怖を上書きする。
「お兄ちゃん…。痛いよう…、助けてよう…」
「朝陽?」
妹の朝陽の声だった。
森の奥で何かが揺れていた。
白い何かが揺れていた。
だが圭祐は、それを恐ろしいとは思わなかった。
自らの足で、誘われるように、ゆっくりと近づいていく。
白い何かは、まるで圭祐をどこかへ案内するかのように、ゆっくりと遠ざかっていった。
「朝陽…、朝陽…」
圭祐はうわ言のように、妹の名前を呼んでいた。
最近はずっと仲が悪かったはずなのに、なんとしても妹に会いたい気持ちになっていた。
「うわあああああああああ!!!!」
切り裂くような悲鳴が聞こえたのは、そのときだ。
圭祐は頭を殴られたかのように、正気を取り戻した。
見ると子供が腰を抜かしていた。
「清明どうしたの!?」
母親らしき人が駆け寄ってきた。
確か名前は、梅宮愛。子供のほうは梅宮清明だったはず。
「幽霊が出たってよ!」
「え!? なになに? どこどこ!?」
気が付くと、ちょっとした騒ぎになっていた。
どうやら圭祐は、いつの間にか、梅宮親子の宿泊ポイントまで来ていたらしい。
そこで、おそらくは霊感があったのだろう、清明に姿を見られてしまったのだ。
(ヤバい!!)
圭祐は慌てて逃げ出した。
「おい! いないぞ!!」
「あれじゃない! なんか動いてる!!」
「どこだよ!」
「え? マジなの!?」
幸い、見えている人は多くなかったらしく、圭祐の位置が特定されるようなことはなかった。
*****
「なんの騒ぎだい?」
向井はテントから顔を出して、先に外に出ていた白川哲也に尋ねた。ガタイの良いマッチョな青年だ。
静かな廃村なので、遠くの喧騒もよく聞こえた。
「なんか幽霊が出たそうです」
「マジか!? 本格的になってきたなぁ」
「俺、見てきます!」
白川は興奮したように走りだし、闇の向こうへ消えていった。
「まあ、僕はいいかな」
向井にとって幽霊はそこまで見たいモノではない。
頭では大丈夫だと分かっていても、あの気持ちの悪い恐怖に慣れることはない。
たとえるなら、ジェットコースターが苦手な人が、何度ジェットコースターに乗っても慣れないみたいな感じだ。
向井はテントの中に戻った。
そこには、かろうじて人の顔をした、黒い半透明の靄が立っていた。
「うわあああああああああああ!!」
向井は思わず、ひっくり返ってしまった。
「向井さん。俺です! 目黒圭祐です!」
「け、圭祐くん!? た、頼むから脅かさないでくれ」
「そんなつもりはなかったんですが、すみません」
向井は圭祐から、事あらましを聞いた。
乙希とちょっと気まずい感じになって、着替えるからとテントを追い出されたこと、妹らしき幽霊に呼ばれたこと、目撃されて騒ぎになったこと。
「君が騒ぎの原因か」
「…すみません」
「いや、責めているわけじゃないんだけどね。でも、妹の声がねぇ…」
向井はしばらく頭の中を整理してから答えた。
「なんらかの霊障が、君の記憶に作用して、妹の声を再生した可能性もあるね…」
「偽物ってことですか?」
「可能性のひとつだよ。あるいは彷徨っていた妹さんのプネウマが、君についてきてしまったか」
「でも、向井さんたちが気づかないってありますか?」
「いくら霊能力があっても『縁』が薄ければ認識はできないさ」
霊感がある、とは普通の人よりも霊との『縁』が強い状態だと向井は考えている。
数値化すれば、霊感があれば+3、同い年であれば+1、同じ学校などの共通点があれば+1、相性がよければ+5など、そんな感じだ。
また、生前に好意や憎しみの感情があった場合も、縁は強くなる。
「その声からは、嫌な感じはしないんだよね?」
「ええ、一応は。最初は怖かったですけど、声がはっきり聞こえてからは…」
ふと向井の頭に閃くものがあった。
「もしかしたら、──いや、その可能性が高いのか?」
「向井さん?」
「ああ、ごめん。ちょっと考え事を」
「何かわかったんですか?」
「わかったわけじゃないけど、もしかしたら妹さんの体の一部が、ここにあるのかもしれない」
殺害された目黒朝陽の性器および子宮と、圭祐の睾丸および性器はいまだ見つかっていない。
つまりは犯人が隠し持っている可能性がある。
そして、犯人がここにいるのなら…。
「朝陽が俺に見つけて欲しいって! そう呼びかけてきたってことですか!?」
「その可能性がある」
「じゃあ、あのまま朝陽についていけば…」
ずぉおおおおおおおおん!!!
その感覚をどう表現すれば良いだろう?
全身を貫くような不気味な感覚が、死の淵に足を突っ込んでいるかのような恐怖が、世界を覆った。
小さいのならば、何度か経験があった。
けれども、この規模の、これほどまでに強大な恐怖の感覚は初めての経験だった。
「これは…呪蓋!? まさか呪蓋が降りたのか!!??」
外からパニックの気配を感じた。
圭祐が外に飛び出した。
向井も後に続く。
多くの人が恐怖に慄いていた。
霊感がある者も、霊感がない者も、等しく呪蓋に取り込まれ、言いようのない恐怖に、それでも確実に何かに襲われるという確信に、軽いパニック状態になっていた。
「きゃあああああああ!!」
ひと際、高い悲鳴が轟いた。いたるところから、叫び声がこだましていた。
向井はすぐに、その理由を知ることになる。
目の前に、ソイツがいた。
顔の上半分が抉れた、女性のウイスパー。
ヒガン髑髏の使者だ。
「ニエは…、ササゲラレ…タ、ワガシレン…を、イキ…ノビ…ヨ」
ウイスパーは闇に溶けるように消滅した。
「はぁ…はぁ…はぁ…!!」
荒い呼吸が聞こえてきた。
それが恐怖から過呼吸になった、自分の息だと、しばらくして気づいた。
「向井さん! 今のは!? 贄ってなんです!?」
贄。向井は、その意味を知っていた。
「たぶん、誰かが死んだ」
「おい! 人が死んでるぞ!!」
遠くから向井の言葉を証明づける声が聞こえてきた。
「女の子だ! 女の子が死んでる!!」
遮るものがない廃村では、遠くの声がよく届いた。
この声が、どの場所がから聞こえてくるかは判然としない。
近いのか、遠いのか。
「おい、この子って!!」
悲痛な叫び。
向井は何故か、嫌な予感がした。
何かが大きくズレはじめたのを感じた。
「大変だ!! 雛原さんが! 雛原さんが死んでいるぞ!!!」
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