第5話 伏線 5

「なに、ニヤニヤしてんだよ。きもっ!」

 妹の容赦ない科白で、圭祐の幸せな気分は台無しになった。

 珍しく話しかけてきたんだから、もっとマシなことを言えよ、と思う。


「暇ならお風呂に入って来なさい。昨日入ってないでしょ?」

「げ!? マジ!? 汚っ!」

 母親の科白に、妹が心底、嫌そうな顔をした。

 そんな妹を無視して、圭祐は風呂場に向かった。


「え? 7日間のデスゲームってなんですか?」

 服を脱ぎながら、乙希との会話を思い出す。

「ま、デスゲームと言っても、人が死んだりはしなんだけどね」

「それって、その時点でデスゲームと言わないんじゃ?」

「目黒くん。君は、デスゲームとバトルロイヤルの違いを説明できる? デスゲームとサバイバルの違いを説明できる? つまりはそういうことよ!」

 どういうことなのか、全然わからなかった。


「来週、夏休みに入ってすぐくらいに、有名YouTuberの5人が企画した肝試しがあるの。呪われた廃村で最後まで逃げ出さなかったら、賞金がもらえるの。ちなみにリタイアのことをOUTって表現していて、OUTって『死ぬ』って意味もあるでしょ? だから、デスゲーム。ちなみに賞金は1億円ね」

「1億!? マジですか!?」

「うん。大マジ。だけど、残った人で山分けになるから、人数が多いほど取り分は少なくなるけどね」

「どれくらい参加するんです?」

「最大で100人。全員逃げ出さなかったとしても、100万円は手に入る計算ね」


 確か中学のときの担任教師が言っていた。

 世の中の職業には貴賤がなく、どれも社会にとって必要なものだ。だけど、同じ必要とされる職業でも、楽に大金が入るものと、きつくて楽しくなくて金額も少ない職種がある。その選択肢を増やすために、一生懸命勉強するのだと。

 この肝試し企画は、まちがいなく「楽に大金が手に入る」部類だろう。

「でも、実はこれ、シャレにならないものだったの」

 圭祐は首を傾げた。乙希の意図することが分からなかったのだ。

「怪異に命を狙われている目黒くんなら理解できるでしょ? この世には、触れてはいけない存在がある」

「まさか、そのデスゲームって…」

「そう。ガチでヤバい本物が紛れ込んでいる。最悪、呪いで死人が出るわ」


 圭祐はお湯を浴びながらも、思わず身震いをしてしまった。

 詳しい話はまだ聞けていなかったが、単なる肝試しで実際に死人が出たら、阿鼻叫喚の様相となるのは、火を見るよりも明らかだ。

 しかし、と疑問に思う。

 乙希はどうして、そんな危険だと分かっているデスゲームに参加しようとしているのだろう?

 

 お湯を頭にかけ、髪を洗う。

 思わず目を閉じるも、すぐに目を開けた。

 目を閉じるのが怖い。

 理屈じゃなかった。本能が視覚を奪われることを恐れている。

 怖い映画や映像を観た後に、風呂に入ったら、誰しも一度は経験のある行動だろう。

 だから、シャンプーが目に入っても、目を開けたまま髪を洗った。


 自分でも怖がりだと思う。

 こんな調子で、デスゲームとやらで、役に立つのだろうか?

 どうして乙希は自分なんかに協力を求めてきたのだろう?

 

 と、そのときだ。


 妙な気配がした。

 ズ~ン、と何かが降りて来たような、不気味な感覚。日常の世界が、何か異様なものへと変容していた。

 どこがどう変わったのかは分からない。

 けれども、何かおかしい、何か変だ、という警鐘が、頭の中で鳴り響いていた。


 怖い。

 素直にそう思った。

 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い!!


 純粋な恐怖だけを詰め込んできたような感覚がある。

 まるで、恐ろしい夢を見るときの始まりのような、確信たる恐怖がそこにはあった。


(ヤバい!!)


 圭祐は脱衣所に出ると、まだ濯ぎ足りない髪をタオルで拭き取り、急いで下着を着た。

 残りの着衣を手に抱えて、脱衣所のドアを開ける。


 濃い闇が広がっていた。

 ずずっ、ずずっ。

 何かの気配がする。

 奇妙な静寂がそこにはあった。

 いつもなら聞こえるはずの、車の通る音や外国人が陽気に歌う声が聞こえない。

 それなのに、気配だけが音を出している。


 ごぉん!

 

 ひと際大きな音がした。

 圭祐は心臓が止まる思いだった。

 だがすぐに、それは冷蔵庫が氷をつくるときに出す音だと理解した。


 ジャアアアア!


 水の流れ出る音がした。

 見ると、冷蔵庫の横の炊事場の蛇口から、水が細い筋を垂らしていた。


 いつからの流れていたのだろう?

 さっきまでは流れていなかったはずだ。

 いや、そうだろうか?

 なんとなく、水は最初から流れているような気がした。

 圭祐は蛇口に近づいて、水を止めた。


 ジャババババ!!


 再び水が流れ出た。

 びくっとなって、圭祐は慌てて、蛇口をひねる。


 そこで、初めて気づいた。

 水が流れ落ちる先、ボウルの中。

 半分近く水に浸かった、母親の頭部があった。


「うわあああああああああ!!」


 肺を空にするような絶叫をあげて、飛びのいた圭祐は壮大に転んだ。

 ソファに躓き、腰の下あたりから、一回転して、頭から床に落ちる。

 

 頭の中は真っ白だった。

 なんで母親が!なんで頭部!?死んでる死んでる!!あああ、ああアアア!!

 ほうほうの体で逃げ出そうとした圭祐は、その声を聞いた。


「兄貴、痛いよう…」

 妹の、声、だった…。


「お腹が痛いよう。なくなっちゃったよう…」

『いたいねぇ~いたいねぇ~』


 そんな妹の声に重ねるように、奇妙な声が混じってくる。

「苦しいよ~。痛いよ~。兄貴どこ~」

『くるしいねぇ~、いたいねぇ。どこぉおおお~』


 声は、頭上から聞こえていた。

 ゆっくりと視線を動かす。


 ゆらゆらと揺れていた。

 てるてる坊主だ。

 不自然に曲がった首に、ロープが巻き付いている。

 腹がぱっくりと割れて、内臓がこぼれ落ちていた。


 妹のてるてる坊主だ。


「おかえりなさ、いませ~」


 そんな妹の後ろから、あの怪異が、不気味な顔を覗かせてきた。


「うわああああああああああああ!!!!」

 

 恐怖で体がうまく動かない。

 無様に手足を動かし、無駄に大きな動きで、ほんの数メートルの距離を必死に移動した。


 だが―


「おかえり~。いかないで~」

 怪異の腕が伸びてくる。

 そして、圭祐の足を掴んできた。

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