第2話 腐肉はなぜ呻くのか?
「縛るやつできるか!?」
ハルカはイブキの言葉を受け素早くお札を取り出す。彼女もまたパワーアップした
「天地の詞、敵をしば―――『守れ』!」
そして縄を作り出そうと詠唱した瞬間、何かがハルカに突っ込み吹き飛ばした。
「おいおい...。」
イブキがジリ、と足を後ろに下げると、すかさず
―――やばいかもしれない。
ヒュドッッッッ!!
なんの音か理解する時間もなくイブキは勘を信じて右側に転がる。
「......ッ!」
避けれた。偶然だ。まぐれだ。
一呼吸でも遅れていたら死んでいた。その事実が遅れてイブキの頭を刺激する。
ヒュドッッッ!
「!」
「ウアアアアアアアアア!」
再び突進。左へ飛び回避。咆哮。焦り。恐怖心。
突進。伏せる。怒り。苛立ち。怖れ。死の実感。
突進。回避。突進。回避。
命のやり取りを制したのはイブキだった。
「ウア?」
「落としたぜ?大事なやつなんじゃねえの?」
イブキは悍ましいものでも持つように、しかし勝ち取ったものを持つように誇らしげに右腕を掲げる。
これを注射して、あいつはパワーアップした。
ハルカが起き上がり、イブキを見てやろうとしていることを察して叫んだ。
「イブキ!?ダメ!」
イブキは反抗期の中学生のようにその言葉を無視する。
「今の俺じゃ、お前に勝てない」
イブキは左手で
構える
「だから、賭ける。」
そのままイブキは注射器を自らに注射した。
● ○ ●
「なっ!?」
「ウァ」
ハルカと、思わず
ハルカの静止も間に合わず注射器の中身は彼の体内に注入された。彼の体がミシッと音を立て、ビシッという音が響いた。筋肉が閉まる音だ。骨が軋む音だ。
「...?」
しかし、イブキ本人は全身を突き刺す針のような痛みのほかには何も感じなかった。力が満ち溢れる感覚も、腐り落ちる感覚も何もない。
「ウアアア!!!」
忘れていた敵意を取り戻すように
―――注射すればあいつのように傷も治って筋骨隆々になると思ったのに...。
形勢逆転のチャンスは、注射して何も起こらなかった時点でとうに過ぎ去っていた。
イブキは静かに悟る。自らを救うものはもう何もないこと。もう二度と家に帰れないこと。もう、生きられないこと。
不思議と心は落ちている気がした。死そのものより泣き叫ぶ時間すら与えられないことが悲しかった。
迫り来る
グシャ、と鈍い音が響いてイブキが崩れ落ちる。しばしの静寂をおいてハルカの悲鳴が響いた。
安楽木イブキは16年間の短い生涯に幕を閉じた。
● ○ ●
「イブキ!」
彼女は叫ぶ。現実を認めたくなかった。
イブキは初対面だと思っていたが、実は彼女はイブキを知っていた。小学校中学校ともに同じだったのだ。接点はなかったがそれでも6歳から16歳まで毎日姿を見ていたのだ。
彼女は知っていた。イブキが実は気遣いができること。誰にも知られないところで努力していること。
「イブキ!」
彼は起き上がらなかった。
● ○ ●
「脈は...眼の反射...ああ...。」
背後からぶちぶち、と縄が切れる音がする。時間がない。
「天地の詞!骸を蘇生せよ!」
ビクン、とイブキの死体が跳ね上がる。しかしイブキは起きあがらない。
「ねえ...あんた...まだ高校生でしょ...。」
「ウアアアアアア!」
「起きてよ!」
刹那、ベキボキ、という音が響く。陥没し歪な形になっていた頭蓋骨は元通りの形に治っている。起き上がった彼の体には傷一つなかった。
「イブキ!死んだんじゃ...。」
彼女は言いかけて違和感に気づく。間違いなく目の前にいるのはイブキである。しかしその神は真っ白に染まっている。
どう言うことだ。
イブキはハルカの安堵の声を無視して何やら考えていた。
頭が砕かれる感覚がした。血が体から逃げるように流れていく感覚がした。確かにイブキは“死”を経験していた。
「ウアアアアアアアアアアア!」
突進する
「
ドッ、という音がしたかと思えば
ハルカも
数秒遅れて理解する。イブキが蹴ったのだ。
イブキは陥没したビルの壁に突進し
「なっ!?」
そしてそのまま頭を引き抜いた。
飛び散る血。力なく崩れ落ちる
「イブキ...?あんた...間違いなく
ハルカの頭は疑問符で埋め尽くされていた。
しかし治癒の副作用か怪力の反動か、彼は疲れたように膝から崩れ落ちる。
「なんで...。」
「血をもってこい。」
心配し駆け寄ったハルカに掠れた声でイブキは言う。
「血、だ。」
「何言って―――。」
ハルカは言いかけて口をつぐむ。イブキの肌が青白い。そしてその青白い肌をコケにするようなほどの赤い瞳。
「血を...」
うわごとのようにイブキは繰り返す。
そしてそのまま彼は意識を手放した。
● ○ ●
「...誰だ、あんた。」
限りなく白い世界。空も、床も、周囲も吸い込まれそうなほどの白さで終わりが見えない。
そんな白い世界で、一人の男が王座に腰掛け足を組んでいる。
「どこだ、ここは。」
イブキは不機嫌だった。今し方気持ちの悪いゾンビに殴られたばかりであり、目覚めたら眩しい白い世界。見慣れない男。非日常は勘弁である。
「やあ。」
男は尊大な態度を崩さないままイブキに声をかける。
「ここはいわば―――精神世界だ。君のね。」
「じゃあここが俺の―――その、精神世界ってやつだとして、どうしてお前は偉そうに座ってんだ?」
「君より僕の方が偉いのは当たり前だろう?なんてったって僕は“夜の王”だ。」
要領の得ない回答にイブキはさらに苛立つ。
何が『僕は君より偉い』だ?
何が『夜の王』だ?
意味不明だ。
「会話のキャッチボールができないのか?」
しかし男はニヤついたまま王座に踏ん反り返っている。
イブキがこの男の態度をどうにかしたいと思えば、男は弾かれたように立ち上がった。
「...適応するのが早いね。権限は君の方が上みたいだ。」
「なるほど?」
イブキが座り心地のいい椅子を思い浮かべれば、床から染み出すように椅子が生まれる。
...面白い。
ここはイブキの精神世界。念じれば大抵のことは叶うらしい。
イブキは男が跪くように念じる。
「おっと。勘弁してくれよ。傲慢がすぎる。この僕に跪かせようとするなんて。」
「...。」
「もっと感謝してくれてもいいんだぜ?僕がいなければ君は死んでいた。」
「?」
説明しろ、と念じても何も起きない。
「そろそろ起きる時間だよ。あの女の子に感謝するといい。倒れた君をベッドまで運んでくれたみたいだ。」
男はイブキに歩み寄るとイブキの体に重なる。。
「行ってらっしゃい。」
白い世界が遠のいて、イブキは目を覚ました。
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