第一章 新しい人生と新天地②

 兄に駅まで送られ、私とサイモンはヘイエルダール辺境伯領へと向かう汽車に乗った。話には聞いたことがあるけれど、行ったことのないヘイエルダール辺境伯領。雪の多い地域だと聞いている。私は汽車を前に、兄にお礼を言った。

「旅費から旅用のがさまでありがとう」

「いいかクロエ。美味うまい飯食って、ぬくぬくして過ごして、たっぷり楽しんでこいよ!」

 汽車が出る。駅で手をる兄の姿が遠くなっていく。

 落ち着いたところで、ボックス席の向かい側に座ったサイモンがふわりと微笑んだ。

「良い気分てんかんになると良いですね、おじようさま

「そうね……またしばらくお世話になるけど、よろしくね。サイモン」

 サイモンがおだやかに微笑んでくれる。

「お嬢様、ご覧ください。あの遠くにかすんでいる山を。あのふもとがヘイエルダールです」

「山が霞んで青いわ……遠いのね」

 車窓からの風に目を細め、サイモンがつぶやいた。こうして遠出をするのはストレリツィ家にとついだ時以来、五年ぶりだ。

 窓の外を見ながら、汽車の中で私は改めてこわごわとなつかしい名前を口にした。

「セオドア……様……」

 口に出してしまうと幼いころの思い出に押しつぶされそうで、五年のあいだずっと言えなかった名前。兄といつしよに、私をたっぷり可愛かわいがってくれていた、年上の優しいお兄さま。久しぶりに会う私にがっかりしないだろうか。

「色々お考えでいらっしゃるのですか」

 サイモンが話しかけてくる。

「ええ、少し……少しだけね。こんな自由、初めてだから」

「大丈夫ですよ。ノエル様が行って良いと言うからには、大丈夫です」

「そうね」

 今は何を考えても、良策は思いかばないだろう。

 私は思考を止め、風の気持ちよさに身をゆだねる事にした。



 ちゆうで一度宿しゆくはくはさみ、私たちはヘイエルダール領にとうちやくした。

 宿場町にはすでにヘイエルダールから従者と護衛が着いていたので、旅は順調だった。

 終点のヘイエルダール駅で下車をして、真っ先に感じたのはすずしい風。

 駅を出て目に入ったのは、王都にもまさるともおとらないはなやかな市街地だ。建物は可愛らしい色にられ、屋根にしつらえられた鉄製のかざりは見たことのない太陽のような形をしている。人々はみなぎんぱつに夕日のような金に近いひとみの色で、衣服も男女ともにあざやかなしゆういろどられていた。

 むかえの馬車に乗りえると、馬車は一路、高くそびえる城へと向かう。

「まるで外国に来たみたいね」

「ヘイエルダール領は数百年前まで別の国でした。今でもほかの領地とはちがう風習や法が守られているのですよ」

 馬車はいくにも城を囲むじようへきの奥まで進んでいく。街は華やかだったけれど、流石さすがに城はしようとつの最前線の城らしく、とても厳重だ。

 再会が現実になるのを前に、私はだいに不安になってきていた。

「セオドア様にどんな顔をして会えばいいのかしら。子どもの頃以来だし……いやがられないかしら」

「ご安心ください、だいじようですよ」

 そうして最後の城壁をけ、前庭の中を通り抜けていたところで、私はふと気になるものを見つけた。道と庭をへだてるいけがきかたわらで、小さな女の子が泣いている。仕立ての良い上品なワンピースを着た、五歳くらいの女の子だ。近くでおろおろとメイドが座り込んでいる。

「馬車、少し止めてもらえるかしら」

 考えるより早く馬車を降り、私は生垣へと向かった。泣いている女の子の前にしゃがんだ。女の子は驚いたのだろう、私を見てれた金色の目をまたたかせている。

「お姉さん、だれ……?」

 となりにいるメイドがおろおろと私に頭を下げる。

「馬車を見たいと、飛び出したときに三つ編みがからまったようで……」

「それは大変ね」

 見れば、生垣のカメリアの枝に、銀髪の長いおさげが絡んでぐちゃぐちゃになっている。

 私の視線で三つ編みのさんじようを思い出したのだろう、泣きんでいた女の子は再び声をあげて泣き始めた。三つ編みを引っ張ろうとするので、私は急いで手を押さえた。

「待って。無理に外そうとしてはかみいたむわ。私に任せて」

「でも、でも、せっかく三つ編みにしてもらったのに、リボンを取りたくないの」

「大丈夫よ。編み直してあげる。リボンも結びなおすわ。私、三つ編みは得意なの」

「本当に……?」

 満月のような金色の瞳が私を見つめる。

「本当よ。任せて」

 うなずき、私は絡んでいる場所を一つ一つていねいに解きはじめた。

「私の名前はクロエ。あなたのお名前は?」

「……マリアロゼ……」

「マリアロゼさん……れいなお名前ね。きっとあなたがうらやましくて、このカメリアもやきもちを焼いちゃったんだわ」

「……そうかな。えへへ……リボンね、王都からプレゼントで届いたんだよ」

 かたの力が抜ければ、自然と絡んだ髪がゆるむ。ゆっくりひとふさ一房、落ち着いて解いていけば、あっさりと髪は枝から解けた。私はぐしで髪を整え、さっと三つ編みを編み直した。

「はい、出来上がり」

 手鏡で仕上がりを見せてあげると、マリアロゼの顔がぱっとがおになる。

「かわいい……! ありがとう、クロエお姉さん!」

 マリアロゼの様子に、メイドがほっと胸をで下ろすのが見えた。振り返るとサイモンが微笑みながら頷いてくれた。勝手なことをしてしまったけれど、めいわくそうにされなくてよかった。

「お姉さんがその馬車で来たのね。マリアロゼてっきり王都の馬車だとおもっちゃって」

「それであわてていたのね」

 その時。城の方からさつそうと、身なりの良い少年が現れた。

「マリアロゼ! 見つけたぞ、どこにいっていたんだ」

「あっお兄さま!」

 長い銀髪を尻尾しつぽのようにうなじの所で一つに結び、気の強そうなり目の顔立ちをしている。制服だろうか、ベルベットのリボンタイがよく似合う服をまとった美少年だ。幼い頃の兄の姿が重なる。

「……あなた方は?」

 お兄さまと呼ばれた彼は私たちに気づいてげんそうにまゆひそめる。しかしすぐにじようきようを察して、背筋をばしてをした。

「僕はルカと申します。ルカ・ストーミア・ヘイエルダール。……あなたがマクルージュこうしやく領からのお客様ですね。失礼します」

 にらむような眼光を向け、ルカはマリアロゼと手をつないで風のように去って行く。どこかけいかいされているようなそぶりだ。二人を見送っていると、サイモンが声をかけてきた。

「お嬢様、私たちも参りましょう」

「ええ。……そうね」

 気を取り直して、私は高く聳え立つ石造の城をあおいだ。ここに、昔会ったあの人がいる。



 城内には石造りのひんやりとした空気がただよっていた。

 私たちはそのまま応接間に案内され、セオドア様が来るのを待った。一秒一秒を長く感じながら、私は目をせてかつてのセオドア様を思い出そうとする。声変わりをしたてのかすれた声が耳に心地ここちよい、やさしくてすらりとした上品な少年の姿を。

 しばらくった頃。かつちゆうを鳴らすような、重たい足音が遠くから早足でやってきた。

 ──ついに。

 深呼吸をして、立ち上がってとびらが開くのを待つ。

 扉の向こうで足音が止まった。息を整えるような間合いがあって数秒。従者がなめらかに扉を開いた。ハッとするほどの長身の男性が姿を現した。

「待たせたな。軍議が長引いていた……」

 低くやわらかなこわで、じゆうこうな軍装を纏った男性がびの言葉を告げる。彼は物々しい軍装の上から、足元まで長く垂れたマントを羽織っている。ごうけんらんぎんろうしゆうは領主のあかし。長めに整えられた暗い銀髪に、まえがみかげからのぞく発光しているかのようにまばゆい金瞳。

 声も背の高さも纏った服装も違う。顔立ちもずいぶんと変わっている。

 それでも──私は急に、六歳の頃の感覚にもどっていた。

「……」

「…………」

 彼も同じなのだろう。

 私たちはかみなりに打たれたように、見つめあったまま動きを止めていた。

 呼吸も忘れて、私たちはどれだけそのままでいただろう。

 われに返ったように、せきばらいしたのは彼の方だった。

「あ……出会いがしらに、じろじろと見て失礼した。あいさつおくれた。領主のセオドア・ヘイエルダールだ」

「こちらこそお久しゅうございます。クロエ……マクルージュです」

 私もぎこちなく辞儀をする。挨拶の一つでも、あざやかにかつての思い出がよみがえってくる。私が初めてカーテシーの真似まねごとをしたとき。つたなしゆくじよの礼にセオドアは丁寧にしんの礼を返してくれた。あの時を思い出して、私はつい微笑ほほえんでしまう。セオドア様も同じ気持ちらしく、ふわ、と雪がけるように微笑んでくれた。

なつかしいな」

「はい」

 おたがこしを下ろしたところで、セオドア様は改めて私に視線を向けた。

 昔と同じような優しいまなしだった。

「……会いたかった、クロエ」

「私も……お会いしたかったです、ずっと」

 子どもの時のように、気やすくなってしまいそうだ。私は気を引きめて、背筋を伸ばして口を開いた。

「お久しぶりです。ご好意に甘えて厚かましくもうかがってしまいました」

「私が呼んだのだから、えんりよはいらないよ。飲み物を用意させているから、少し待っていてほしい。君は確か、甘いはちみつ水が好きだったから……」

 口にした後すぐにセオドア様は、あ、という顔をする。

「……あ、いや……君ももう淑女だから、もっとちがうものがいいだろうか」

 幼いころの好物を言われ、なんだかくすぐったいような気持ちになる。

「蜂蜜水、久しぶりです。ぜひお願いします」

 それから用意された蜂蜜水をいただくと、ほっと、気持ちがほぐれていくのを感じた。

美味おいしい……」

「ヘイエルダール産の蜂蜜を、クロエは小さい頃も喜んで飲んでくれていたね」

「はい。あの頃もこうして、セオドア様といつしよに飲みましたね」

「……懐かしい。本当の兄妹きようだいのように……よく遊んだものだった」

 セオドア様は懐かしむように続ける。

「君にせがまれて、色んな本を読むのが楽しかった。君は絵が綺麗な絵本が特に好きだった。……そうそう、マクルージュのしきでかくれんぼもしたね」

「よく覚えていらっしゃるのですね」

「最後に会ったのは君が九つの時か──」

 セオドア様の眼差しが暗くなる。そして私を見つめてやむような口調で続けた。

「あれから、君に苦労をさせてしまった」

「苦労だなんて」

 セオドア様はちんつうな表情になる。

「ずっと責任を感じていた。……元々私がこんやくしやだったのは、君も知っているだろう?」

「……はい」

「私がもっとあの時力を持っていれば、領地を安定させられていれば……君とノエルの力になれたのにとこうかいし続けていた」

「そんな……」

くやしかったんだ、ずっと。婚約者だった女の子一人守れなかったことが」

「もう過ぎた話です。今いただいているおこころづかいだけで、十分すぎるほど救われています」

 私の言葉にセオドア様はしようで返し、そしてな顔になった。

「ノエルも話していたと思うが……しばらくヘイエルダールでつかれをいやすといい。それから改めて君の人生を取り戻してほしいと思っているんだが、どうだろうか」

「自分の、人生……」

「いきなり自由になっても、これからどうしたいなんて考えるのは難しいだろう?」

 私はカップに目を落とし、なおに頷いた。

「おっしゃる通りです。今回のこの訪問も実は、兄にすすめられるままに甘えてしまい……」

 昔は色々と未来を楽しく思いえがいたり、やりたいことがあふれたりしていた頃もあった。けれど五年の間にすっかり、私は未来をうまく思い描けなくなっていた。でも私はまだ一八歳で、人生はまだずっと先まで続く。

「ありがとうございます。もしよろしければしばらくお世話になりたいです。……めいわくになりすぎないよう、早めに静養を済ませて身のり方を考えますので」

「……迷惑なんて考えなくていい。それに私も……」

 セオドア様が言葉を切る。顔を見ると、彼は首を横に振って言葉を続けた。

「……私もできれば、君とゆっくり話がしたいんだ。会っていなかった間の話をしたいんだ。せっかくの……おさなじみなのだから」

「ありがとうございます」

「君が気に入ってくれるならばいつまでだっていても構わない。とにかく思うままに過ごしてほしい。もう君は自由なのだから」

「そんないつまでだって、……なんて」

「疲れているところ、長話をしてしまったな。さつそくだが部屋に案内させよう」

 その時。ドアの向こうから、コンコンと小さなノックがひびく。

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捨てられ花嫁の再婚 氷の辺境伯は最愛を誓う まえばる蒔乃/角川ビーンズ文庫 @beans

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