第一章 私の夫は犬なのですか②

 ティールームに案内され温かなお茶を飲んでいると、ほどなくして城から手紙が届いた。

 そこにはしっかりと私と公爵様が正式にけつこんしたむねが書かれていた。

 順番が逆だ。どうせ当人たちの意思を無視して進めているのだから、私を送り込む前に手紙くらい送っておいてほしい。

 しかしそれだけで執事は私がだれで、何故ここにいるのかを理解したようだ。

「私は執事を務めさせていただいております、ロバートと申します。ジゼル様にご不便のないよう、誠心誠意お仕えさせていただきますので、よろしくお願いいたします」

「ジゼルもロバートも、とつぜんのことで驚かせてすまなかったな」

 一番驚いていたのはこうしやく様だと思うが。

「しかし、公爵様が犬に変わったのは勝手に結婚させられていると知る前ですよね。魔女はそうでなくとも、人間はせきにしばられているから、手続きがかんりようした時点で呪いが発動したということなのでしょうか」

 魔法とは、術式をじんにしてえがくことで生成されるという。結婚を発動条件にするためには明確な定義が必要だったのだろうし、『真実の愛』も明確に定義があったはずだ。

 だとしたら、あの魔女は何をもって『真実の愛』だとしたのだろう。

 あごに手を当て考え込んでいると、犬、もとい公爵様がじっと私を見ていることに気が付いた。

「気になるのはそこなのか。本当におまえ、おもしろ──」

「その評価を下されると、私がほうと心で呼ばせていただいている王太子殿でんと同一視してしまいそうなのでおやめください」

 にクッションを重ねてテーブルの上になんとか顔を出した公爵様は、「なにがあった?」と戸惑った顔ながら、平たい皿に注がれたお茶をぺろぺろとめた。

 最初は犬らしい行動をとることにていこうがあったようだが、カップなんてとても持てないし、ずっと「ハッ! ハッ!」と荒い息をり返しているからとてものどかわいてがたかったらしい。

 そんな公爵様を前に、私はため息をこらえ、話し始めた。

「この世の不条理を描いたような話です」

 学院の食堂で王太子殿下に反論したことから、体面を保つために『面白い』という評価のもと側室になれと言われたこと。断ったら国王陛下に公爵様の妻になれと命じられたこと。あまりの腹立たしさで頭にぞうごんうずく中、なんとかおさえてあらましを話した。

「王太子殿下は最近りんごくマルタニアから帰国されたばかりで、俺もあまり人となりを知らなかったのだが。王太子をうつけに育て、この国を弱体化させるというマルタニアの策略かと疑ってしまうな」

「王宮内でごたごたがあって隣国に出されたと聞きましたが、そもそも何故国外で育てられたのでしょう」

 異文化を学ぶというほどマルタニアとこの国にちがいはない。元々同盟国で長く友好関係が続いているし、流通も盛んだ。

「第一王子と第二王子がくなったことは知っているだろう? あれはばつ同士の争いが元だったと言われている。王宮がきなくさくなり、第一王子が亡くなった段階で陛下は第三王子に保険をかけたのだろうな。案の定、第一王女も第二王子も亡くなったが、すぐ連れ戻さなかったのは、そのままマルタニアで過ごすほうが安全だと考えたのだろう」

 せいとなったのは王族だけではなく、側近や女官など、周囲で何人も亡くなったそうだ。

「しかし、第三王子の命までうばいはしないのでは? いくら公爵様がいるとはいえ、現国王陛下の直系の血がえれば国は混乱におちいります」

「いや。そもそも第三王子は早々に隣国へやられたのだから、王位けいしよう権などほうしたも同然とみなされていて、実質第一王子と第二王子の争いだった。それなのに第二王子まで命を落とすとは、それこそ当初考えられなかったことだった。死がからむと人は計算だけではなくなるのかもしれない」

「第一王子の死で取り乱した一派がとむらがつせんをしかけた可能性があるということですね。もしくは、第三王子派か、クーデターか、他国の策略か……」

「複数人のおもわくが複雑に絡み合っていたんだろう。落ち着くのに長年かかり、その間に王宮の人事も大多数が入れわり、それはさいしようにまでおよんだ」

「それで平和になって、ようやく第三王子が帰国し立太子したかと思えばこれですか」

 私が言うと、公爵様は項垂れてほおを肉球でぷにっと支え、深いため息をき出した。

「しかし、何故陛下がジゼル様を公爵夫人となさったのかはわかるような気がいたします」

 落ち着いたこわいろで一人納得げにつぶやいたロバートに、思わず首をかしげたのは私だけではなかった。

「どういうことだ? あの伯父おじうえが腹いせでいきなりこんなことをするほど親鹿だったろうかと俺は首をひねっているところで、さっぱりなんだが」

「そこなのです。せんぱくな方ではないはずですから──いえ、推測で物を言ってもせんいことですのに、軽々しく口を出してしまい申し訳ありません」

 そう言葉をにごしたものの、執事が落ち着きはらっているところを見ると、悪くとらえてはいないようだ。

 公爵家の執事のほうが私などより国王陛下のことを知っているだろうし、私はいかりで阿呆な親子だと心の中でののしるばかりで見えていないものがあるのかもしれない。

 それでも今はまだ、冷静にぶんせきする気にもなれない。

「とにかく、こうして発動してしまった以上はのろいを解くしかない」

 そう言って公爵様はぺろりと垂れる舌をしまい、キリッと私を見た。

「ジゼル。そなたにとっても意に染まぬ結婚だったことはわかっている。だが、どうか妻として協力してくれないだろうか」

「協力するのはやぶさかではありませんが、なかなかの難題ですね」

「そ、それは、塩公爵などと言われている男を愛せと言われても難しいことはわかるが、好意を持ってもらえるよう努力する」

「その前に、『真実の愛』とは何か、定義を知らねばなりません。しようの愛、というのをよく聞きますが、見返りを求めず一方的に愛すればそうだと言えるのでしょうか。しかし、さきほどの彼女のように一方的すぎて相手にとってはめいわくでしかないということもあります。それは果たして真実の愛と言えるのかというと疑問に思います」

 じよと言うとまた呼ばれたと思って出てきかねない。

 それを察したのか、公爵様もその言葉をける。

「しかし、あのま──、あの女性は、その場の感情だけで動いているように見えるからな。それほど難しく考えることもないのではないか」

「難しくも何も。そもそも、好きとか愛とかってどういうものですか?」

「え?」

「そういった感情に覚えがありませんので教えていただきたいのです」

 私がそう言うと、公爵様はゆっくり五を数えるくらいだまり込んだ。

 自分だって口づけは初めてだと言いかけていたのにそのちんもくは何なのか。

「公爵様はご存じなのですか? でしたら教えてください。『真実の愛』の定義とは何ですか」

「え? いや、そう言われると……」

「呪いを解く条件としてどのようなものが『真実の愛』と判断されるのかがわからなければ、努力の方向性がわかりません」

いつぱん論で考えればいいのではないか?」

「では、一般論ではどのようなものなのですか?」

「いや、それは俺もわからんが……。そもそも異性はきようの対象でしかなかったし、なんとか遠ざけることしか考えたことがなかった」

 答えを持っていないのは私と同じではないか。

「ではロバートは? 『真実の愛』はどんなものか知っている?」

 こちらを生暖かく見守っているゆうぶりだ。しぶりよくがあるし、きっといも甘いも経験してきたのだろう。

 急にほこさきを向けられまどいつつ、ロバートは「そうですねえ」とえんりよ深げながらも話し出した。

「私自身は仕事のことばかりで、そこまでだれかを思うこともなく、すすめられた相手とけつこんを決めてしまいましたから、おだやかなふう愛、というところかと思いますが。私がこれまでに見聞きした経験から言いますと、相手を受け入れること、ではないかと思います」

「具体的には?」

 経験が足りないゆえに全然「なるほど!」とはならない。重ねて問えば、ロバートは少し困ったように首を傾げた。

いやなところもいいところも丸ごといとしい、と思うのだそうですよ」

 想像がつかない。嫌なところは嫌に決まっているのに。

 私があまりに難しい顔をしていたのか、こうしやく様はややあきらめたように、話をめくくった。

「とにかく、まずはそこだな。真実の愛とは何か、そしてどうしたらそこに至れるのかを検討しなければ」

「そうですね。広く意見を聞き、ぶんけんもあたってみましょう」

 妻となったのだからできる限りのことは協力するつもりだが、一方的なさかうらみで呪いをかけられたことを思えば、自分がここに至るけいと重なり、共感も同情もある。

 いや、そもそも公爵様がいきなり結婚することになってしまったのは、私がうまく立ち回らずに王家を敵に回したせいだ。元々結婚相手を探していたとはいうものの、選ぶ自由もなくごういんに相手が決まってしまったのだから、私は公爵様に対して責任を取らなければならないだろう。

 まあ、動物愛とかあいとか友愛方面だったらいけそうな気がするし、その線でがんるのもありだと思うのだが、それを言ってしまったら「人としてあなたを愛せる気がしません」と言っているのと同じことになるわけで、夫婦としてさすがにそれははばかられる。

「少しずつ打ち解けてもらえるように努力する。だから、ジゼルも遠慮なく何でも言ってほしい」

 そんなにうるうるのつぶらなひとみで照れたようにうわづかいに言われては、「わかりました」と言うしかない。

 わかってやっているのか。無意識だとしても、強制していないのにこのを言わせぬ小動物の力はすごい。

 そこで気が付いた。

「そういえば。私は公爵様を従えることができるのですよね」

 私がぽつりと呟くと、ギクリというように主従がそろってかたふるわせた。

 とはいえ、こんなおびえて震えながら私を見ているような子犬にちやな命令などするつもりもない。

 無理に相手を従えるのは本意ではないし、「対等な関係になりなさい」とでも命令すれば安心させられるところだろうけれど。

 それはいつでもできるし、まだ様子を見たいところだ。もしかしたらねこかぶっているだけかもしれないし。──犬だが。

 だって、どうやったって彼の立場のほうが上なのだ。

 国家権力にあらがうこともできずガタゴトとこのようなところまで身一つで運ばれてきた身としては、保険をもっておきたい。

『おまえ』から『そなた』に、そして『ジゼル』へと変わったことを考えると、少し見直してもいいかとは思うのだが。

 だから私はこう聞いた。

「ところで、うわさばかりが一人歩きしていますが、実際に公爵様は結婚相手にどんな制約を求めておいでだったのですか?」

「俺にかんしない。俺の行動を制限しない。俺に命令しない。それだけだ」

 なるほど。相手の自由をうばうのではなく、自分の自由を保障したかったのだろう。

 それならばいい。

「わかりました。では私も公爵様も、おたがいにそれを守ることにいたしませんか」

「え?」

「公爵様は妻となる人に命令されたくないから、けんせいしておきたかったのですよね。そしてまだ私のことがこわい。でもそれは私も同じです。ですから、公爵様が安心して暮らせるように、私はそれに従います。その代わり、私も同じことを公爵様に求めます」

「え? だが、それでは、真実の愛などはぐくめないのでは──」

「自分が命じるつもりだったことでしょう? 何か不都合でも?」

「──ありません」

「もちろん、命令はしません。あくまで守るかどうかは公爵様だいです」

「いや、だが、しかし……、その、ジゼルはそれでいいのか?」

 つかの間考え、小首をかしげた。

「それはどういう意味でしょう」

「俺は公爵だ。王家に最も近く、金もある。そんな男を従えることができるのだぞ? 何でも自由に命令することができるんだぞ?」

「はあ」

「『はあ』って……」

 声真似まねをしないでほしい。

びんぼう貴族だと言っていただろう。実家にえんじよをしろだとか」

「それを命令してはこんが残るのでは? 一時的に利益を得ても、最終的にそれが得になるとは思えません。聞いてくださるなら、実家への援助はお願いしたいところですが」

 私がそう言うと、公爵様は言葉をみしめるようにじっと黙り込んだ。

「……そんな風に言われるとは思っていなかった。その、言葉では命令なんてしないといくらでも言うだろうが、ジゼルの言葉は、なんというかしんらいに足るな。上辺だけではないし、ただの能天気で考えなしなわけでもない。きちんとおのれで考えた言葉で、実がある」

 それは計算高いということだろうか。

 しかしどこか感心した様子なのを見ると、いやみではないのだろう。

 公爵様は一人うなずくと、さっぱりとしたように顔を上げた。

「ジゼルの実家へは援助する。妻として協力してもらうのだし、何より結婚したのだから当然のことだ」

「ありがとうございます。そうして公爵様が私のことをづかってくださるなら、私はそれで十分です。命令する必要などなく、ただお願いや相談をし、助け合えればよいだけなのですから。それがつうの夫婦ですよね?」

「そうだな……。そう言ってもらえるとは思わなかったのだ」

 爵位や金銭を求めて結婚した相手に公爵様を意のままにできると知られたら、どうなるかなどわかりきっている。だから一方的でごうまんに見えるような公言をして、そういう相手をけたかったのにちがいない。

 これだけ良識を持った人だ、これまでさぞ心苦しかったことだろう。言葉や命令でしばらずに済みほっとしているように見える。

 評判とは正反対に、この人は真面目まじめやさしすぎるのではないだろうか。わざわざ公言したのだって、自分が不利益をこうむることより相手を考えたがゆえだ。

 のろいが解ければ天使のような美しい顔が出てくるし、そうでなくとも犬の姿はかわいらしく見ているだけでいやされるし、気遣いもできて、互いの自由を尊重してくれる。

 この結婚はもしかしなくても最高なのではないだろうか。

「俺はジゼルと結婚できてめぐまれていたのかもしれない」

「私も今同じことを思っていました。公爵様のような方でよかったです」

 けつこんしても援助など望めないと思っていたし。

 あくまで結果論だから、殿でんにも陛下にも感謝はちりほどもしないけれど。

「互いを疑い、牽制し合い、命令しあっているようでは真実の愛など生まれようもありません。お互いに自由にいきましょう」

「ああ、わかった」


    ● ● ●


 そう言いながら「では実家に帰ります」とおをした私に公爵様は「ええー!? さっきの今で!?」とまん丸の目を見開いたけれど、身一つでこのしきへと連れてこられたのだから簡単な荷造りくらいはしたいだけ。それに家族も気にかかった。

 本音を言えば、本当に私を自由にするつもりがあるのかどうか公爵様をためしたかったというのもあるのだが、しつと二人揃っておろおろする姿に完全なるゆうだとすぐにわかったし、疑ったのが申し訳なくなった。

 不安そうなうるうるの瞳が頭にちらつき、急ぎ公爵家へもどったころにはすっかり夜もけていて、げんかんホールにある階段から相も変わらず犬の姿のままの公爵様が帰りを待っていたかのようにむかえてくれた。

「も、戻ってきたのか」

「はい。許可をいただきありがとうございました。父と兄たちとも直接話ができましたので、もううれいはありません」

「母親とは会えなかったのか?」

「とうにくなっておりますので」

 そう答えると、こうしやく様は「そ、そうか」とまん丸の目をしぼませた。

 悪いことを聞いてしまったと思っているのだろうけれど、公爵様こそご両親ともすでに亡くなっているはずだし、私の母が亡くなったのは幼い頃のことだ。

「本来なら俺もあいさつに行くべきところだったのだが」

 公爵様が犬の姿の己を悲しそうに見下ろす。

「いえ。人の姿であってもいきなりお連れすれば大変なことになりますので」

 先に王宮から手紙が届けられていたおかげで、思ったよりすんなり話を聞いてくれたのはひようけしたけれど。

「そ、そうか。食事を用意してある。このように早く戻ってきたということは、夕食は食べていないのだろう?」

「はい、ありがとうございます」

 夕食にはおそい時間だが、待っていてくれたのだろうか。

 ずっと忘れていた空腹が思い出され、一気におなかが切なく鳴きそうになる。

 階段を下り切った公爵様はちらりと私を見てからろうを歩き出した。ついてこいということだろう。

 とつぎ先で意地悪をされて満足に食事をあたえられないという話もたまに聞くから、そのようなことはなさそうでほっとした。

 我が家ではちくすら領民たちに配ってしまい、夕食をまんしていた時期があったから慣れてはいるが、やっぱりご飯は三食食べたい。

 思ったより普通の生活を送れそうだとかたの力をゆるめた私の前に並んだのは、我が家では見たこともないごうな食事だった。

 さすが公爵家。

 公爵様の目の前に用意されたのも同じメニューではあるが、犬が食べてはいけないとされている食材は除外され、小さく切り分けられていた。

 確かに、ナイフが使えないのだからそうせざるを得ないだろう。

 小型犬の口にはちょうどよさそうだけれど、公爵様はそれを悲しいひとみで見つめ、あきらめるように少しずつ、はぐっと食べていく。

 あいしゆうただよちんもくがたい。

「どれもとてもおいしいです」

「そうか。それはよかった。好きな食べ物はあるか?」

「卵ととりにくとパンとジャガイモ以外ですね」

「なに? 大体の食事に出るものばかりきらいなのだな」

「いえ、嫌いなのではありません。よく食べていたので、それ以外が食べられるとうれしいというだけです」

「ああ……、なるほど……」

 そんな悲しげになつとくしないでほしい。

「公爵様は何がお好きなのですか?」

「俺は…………別にないな」

 たっぷり間を置き、考えた末に気が付いたようにそう答えた。

「ジ、ジゼルはなにかやりたいことなどはあるか? 今度の休みの日に、どこにでも連れて行ってやるぞ」

「特にありませんね」

「いや、街に買い物に行くだとか、ピクニックだとか、遠乗りだとか。観劇はどうだ?」

「特に興味ありません」

「なんだと……?」

 そのまん丸な目でほうに暮れたような顔をされても困るのだが。

「では公爵様は?」

「え……? いや、俺も特には……」

 結局同じではないか。

 まさかふうそろってしゆとは。

 たがいの理解を深めようとあれこれ聞いてくれているのだろうけれど、これではさっぱりだし、むしろ物悲しさがどんどん漂っていく。

 公爵様はほかに何を聞こうかというように、そわそわと部屋の中を見回し、視線がいそがしい。

 その視線につられて、気が付いた。

「私の家には執事と料理人しかおりませんでしたので、公爵家はもっとたくさん使用人がいるのだと思っていましたが。それほど差はないのですね」

 これまで姿を見かけたのは、執事と料理人、ぎよしや、それから護衛と、じよらしき人が二人だけ。

「ああ。人は極力少なくしている。いつかこんな姿になるかもしれなかったからな。何より、人が多いとその分だけめんどうも増える」

 なるほど。多くの人間に口止めをするのは難しい。

 それに男女問わず好意を寄せられていたというから、使用人とて例外ではないわけで、家で気を抜けないのはつらい。財産があっても、そんな理由で人を減らさねばならないとは、私などよりよほど悲しいのではないか。

 そんな風に、これまでしなくてもいい苦労をしてきたのだろう。

 けれど公爵様は、ふっといきで笑った。

「理由はちがえど、屋敷に人が少ないというのは初めての共通点だな」

「そんな共通点は私たちくらいのものでしょうね」

 公爵様が少しだけ声を上げて笑った。

 ゆっくりとこうして仲を深めていくのもありかもしれない。

 それでのろいが解けるのがいつになるかはわからないけれど。



 食事を終えると、今日は日が暮れてからシークラント公爵家に辿たどり着き、実家と往復までしたから私もくたくただった。

「で、しんしつはどこです?」

 執事にたずねた私に、公爵様が「ん?」と割り入った。

「ジゼルの部屋に続き部屋があっただろう」

「あれは私の寝室ですよね。夫婦の寝室はどこですか?」

「うん……?」

 公爵様は今日一番、目をぱちくりとさせた。

「私たちは本日、せき上で夫婦となりましたので、私がるのも夫婦の寝室になるかと思いますが」

 きょとんとする公爵様にそう返すと、「お、おま、そん……!」とチャカチャカつめの音を立てながらじたばたと手足を動かした。

「私は満足にしゆくじよ教育を受けられてはおりませんが、基本として教わっております」

「いや、その、だな、いくら夫婦とはいえ、俺たちは、その、いきなり伯父おじうえけつこんさせられただけであって、こんいん手続きとて同意なく進められてしまったのであるから──」

「こちらです」

 公爵様がもだもだやっている間にロバートがにこやかに案内してくれるので、「ありがとう」と答えてすたすた歩き出す。

 その後ろを「お、おい! 待て!」とわんきゃん鳴きながらついてくる。

「別に公爵様もいつしよに寝なければならないという決まりはありませんから、お好きな場所でどうぞ。お互いに自由。そういうお約束ですし」

「いや、だが……」

 公爵様はむにゃむにゃと言葉をにごした。

 仲を深めようというのにそれぞれ自由にやろうというのがじゆんしているのはこういうところだ。けれど、決して両立できないことでもないし、相反しているわけでもない。

 こうしやく様は背後と進行方向を交互に見つつこんわくしていたものの、結局そのままチャカチャカと爪の音を鳴らしながらついてきた。

「……俺だけ自室で寝たら、げたみたいで格好がつかないからな」

 夫が来てくれないと妻としてあつかわれずみじめな思いをすると習ったのだけれど、男性側もそういうことを考えるものなのか。貴族とは、夫婦とは面倒なものだ。

 ロバートに案内された寝室は、さすが夫婦用だけあって広い。

 場所だけかくにんし、自分で寝る準備を整えようとしたものの、あわててやってきた侍女にあれよあれよと連れていかれて、結局湯あみまで手伝ってもらった。

 そうして寝室にもどり、さっさととんもぐり込むと、公爵様はベッドの下でぐるぐる回り続けていた。

 犬の習性なのか元来のくせなのかわからないが、困ったりなやんだりするとそうして全身に表れるのがとてもわかりやすい。

「どうぞ」

 布団を少しめくって声をかけると、「あ、ああ」とまどったような声が聞こえ、しばらくしてかくを決めたようにぴょんとベッドに飛び乗ってくる。

 戸惑いながらもまくらの置かれた場所にあごをのせ、せの形で収まったのを確認すると、私はその上に布団をぱさりとかけた。

「おやすみなさいませ、公爵様」

「あ、ああ」

 それしかあいづちが返ってこなくなった。

 心地ごこちが悪いのだろう。そっとしておこうと背を向けて目をつぶると、あまりのつかれですぐにねむりに落ちていったから、公爵様がいつ眠ったのかはわからなかった。


    ● ● ●


 布団はふかふかでシーツはパリッと張りがあり、せつけんのいいにおいがして心地ここちよい眠りだった。おかげで目覚めもさわやかだ。

 公爵様はまだ眠っているだろうかと寝返りを打つと、そこには思ってもみないものがあった。

 ふわふわのはくはつ。布団からき出したたくましいうで

 そしてなにより、とうのようなはだに、整った顔面。

 昨日いつしゆんだけ見た、人間の公爵様がそこにいた。

 さすがにおどろいて淑女らしく「きゃあ」と悲鳴をあげそうになったけれど、「なんで??」という思いがまさり、気づけばじっと観察していた。

 ──まつ毛長いな。

 昨日は一瞬すぎてよく見ていなかったけれど、形のいいくちびるは男性にしては厚めで。今は閉じられているひとみは、確かだいだいいろだった。天使のような少年らしさと色気の同居したたたずまい。

 これは幼少のころからねんれい問わずおそわれてきただけのことはある。

 しかし、ここにこうして人の姿で寝ているということは、呪いは解けたのだろうか。

 もちろん私は何もしていない。昨夜はぐっすりと眠っていた。だから夜の間に愛をはぐくんだということはないし、口づけだってしていない。

 いや、寝ぼけた私が襲ってしまったということもあるだろうか。

 寝起きで働かない頭をめぐらせながらも眼福な顔をじっとながめていると、まつ毛がふるりとふるえ、まぶたがゆっくりと開いた。

「おはようございます、公爵様」

「あ、うん。おは……、おは……? え? あ!!」

 だれ? と聞かなかっただけめてさしあげよう。

 私の存在を思い出したのか、人間版公爵様が慌てて起き上がろうとしたので、私は手のひらを突き出し制した。

「お待ちください。そのまま飛び起きると公爵様のもろもろまで飛び起きます」

 人妻になったとはいえ、初夜は同じベッドに横になっただけで終わった清い身であるから、朝の光がさんさんと差し込む中でいきなり公爵様の公爵様をの当たりにするのはげきが強い。

「わあ! うそだろ! 俺……!? キャー!」

 昨日と人格が違う。

 公爵様は一人青くなったり赤くなったり百面相をしながら、最終的に布団の中にかくれた。

「落ち着かれましたらお聞きしてもよろしいですか?」

「……なんだ」

 われを取り戻したらしく、布団の中から低めた声が返った。

「公爵様の呪いは解けたということでよろしいですか? 昨日のおためしが時間差で効いてきたのでしょうか」

「いや、違う。犬の姿になるのは夜だけだとじよが言っていたんだ。朝になったから一時的に戻っただけだろう」

何故なぜそれを寝る前に教えてくださらなかったのですか」

「忘れてたんだよ!」

 けているなと思ってはいたが、そこまで大事なことを忘れないでほしい。

「犬の寿じゆみようは短く、すぐ死なれては困るからと言っていた」

「魔女も何も考えていないわけではなかったのですね。でしたら、昼間は人間の姿でいられて、命にかかわることもないということで、のろいが解けずとも支障はないのでは?」

「それじゃいつまでも初夜ができないだろ! あとぎだって作れない」

「魔女は結婚しても結ばれないようじやをしたかったのかもしれませんね。しかし、昼間に事を済ませてしまえばよいのでは」

 公爵様が「なるほど」というように布団から顔を出す。

「今からします?」

「ななななな、そんなれんな! しょ、初夜は夜にすると決まっているものだ! こ、こんな明るい朝っぱらからでは、全部丸見えではないか! いいのか!?」

 真面目まじめなのか、正直なのか。

「別に、ふうなのですから夜だろうと朝だろうとかまわないのでは?」

「いや、しかし、だから昨夜も言っただろう。俺たちはたがいに気持ちがあって結婚したわけではないのだし」

「そういう貴族は少なくありませんし、むしろ、だからこそ子を作ることが夫婦としての役割なのでは」

 再び「確かに」というように真面目な顔でだまり込む。

「体から始まる愛もあるそうですから。ためしてみましょうか?」

 夫婦なのだからそれを試すことに何の支障もないし、初めての夜は必ずしろという教育まであるくらいだ。

 しかし公爵様は視線をあちこちに彷徨さまよわせ、「その、なんだ」と言葉を探す。

「そこから始めるのもありなのかもしれんが、やはりそういったことはもっと、こう、心を持ってのぞみたい。家同士が決めたけつこんであれ、つうは相手が決まってから何か月も何年も時間があるわけで、その間に互いの人となりを知り、理解を深め、その日の夜に至るわけだろう? そこが決定的に欠落しているのだから、昨日知り合ったばかりでやはりそれはよくない」

 真面目か。おとか。

「その……、昨夜ジゼルも言っていた通り、女性はこういうものを『義務』だと教育されてくるだろう。その結果、その体に子を宿し、腹の中で守り育てねばならないのは女性で、それを昨日のように覚悟だとか義務だとか、そういう気持ちで臨むのは、だな……」

 子どものためによくないとか、そういうことだろうか。

 だが黙って話を聞く私をちらりと見て公爵様が続けたのは、ちがうことだった。

「ジゼルばかりが背負うことはないのだ。もちろん仕方ない場合もあろう。だができるなら、愛とまではいかなくとも、やはりちゃんと俺自身を知った上で、受け入れてもいいと思えてからのほうが、互いによいのではないかと。これからの長い人生を共に歩んでいくのだから、無理はしてほしくないのだ」

 なやみながら言葉を選んでいるけれど、言わんとしていることはわかった。

 女性にとってはたった一度で人生と体が変わってしまうことであり、長いことそれらと向き合っていく必要がある。

 その時にかくと義務だけではやるせない。そう思ってくれたのだろう。

 だが実際には割り切って考えざるを得ない女性はたくさんいただろうし、私もそのつもりだった。そんな風に女性のことを考えてくれる人がいるとは、思いもしなかったから。

 私がなおも黙っていると、こうしやく様はあせったように続けた。

「い、いや、その結果やはり俺のことが気に食わないとか、生理的に受け付けないとかそういうこともあるだろうが、その時はきちんと話し合ってだな──」

「公爵様のこと、きらいではありませんよ。いい人だと思います。それに、人の公爵様も犬の公爵様も、れるのがいやということはありません。むしろでたいと思います」

「いや、まあ、犬はな。もふもふだからな。でたかろう」

 人間の公爵様も、と言ったのだがそこはれいに流された。

 耳を赤くしながら視線を彷徨わせているあたり、聞こえていないはずはないから、まあいいだろう。がしてやるとする。

 しかし。思わず笑いが込み上げて、こらえ切れずに、ふふ、と息がれ出てしまった。

「塩公爵の欠片かけらもありませんね」

 最初はこんなヘタレな人が何故あのような強い態度を取っているのかと思ったが、正反対だからこそ効果的だったのだろう。

 それにヘタレではない。やさしすぎるだけなのだ。

 強くてごうまんな態度は自分を守るためだし、一方的な宣言は結婚相手のことを考えたからこそえて公言していたのだから。

 しんとしていることに気が付き公爵様を見やると、おどろいたように固まっていた。

「なにか?」

「いや……。笑ったな、と思って」

「私も人ですが?」

「それはそうなんだが、その……」

 公爵様はもごもごしていたものの、「とにもかくにも、まずは朝食だな」とどこか棒読みで声を張り上げた。

「そうですね。おなかきました」

 公爵様はベッドを下りようと体をひねりかけて、はっとしたようにおのれの体を見下ろした。

 それから、ちらちらと私を見る。

「なにか?」

「い、いや、先にしんしつを出てくれないか? 俺がこのまま立つと、その……」

「なるほど。ではお先に失礼いたします」

 ベッドから下りて一礼し、くるりと背を向けると、公爵様がいそいそとシーツを体に巻き付ける気配がした。乙女かな。

「では、お食事の席にて今後のことをお話しいたしましょう。この国を乗っ取るはずとか」

 り返らないよう気を付けながらそう声をかけると、背後で息が止まる音が聞こえた気がした。

「はあ──!?」

 朝からひびく大声に、続き部屋からづかうようなノックが響く。

だんさま、奥様、いかがされましたか!?」

 じよの声だ。

「公爵様が少々驚かれただけよ。問題ないわ」

「いやいやいやいや、ちょっと待て! 何を平然と──!」

「ご安心ください。まずはこの結婚に対する国王陛下の意図をかくにんするところから始めますから」

「旦那様!? 奥様!? 本当にだいじようなのですか?」

「大丈夫なわけがないだろう!」

「ええ!? 開けてよろしいですか!?」

 このようにさわがしい朝は領民のいつが起きた時以来だが、それに比べてずいぶんと平和だ。

「本当に問題ないから、そのままそこで待っていて。公爵様も落ち着かれてください」

「落ち着いていられるか! 今俺は国家てんぷくの片棒をかつがされようとしているのではないのか!?」

「失礼しました、言葉のせんたくが過激すぎましたね。少々腹立ちを思い出してしまいまして。本当にあれが王子で、国王陛下もただの親鹿ならいずれこの国はかたむきますから、その時は公爵様に国王として立っていただこうというだけです」

 さきほどシーツを巻き巻きしていたようだから、振り向いても平気だろうか。黙り込んでしまった公爵様を確認しようと振り返ると、ぜんとしたまま口をぱくぱくさせていた。

「そんなことを考えていたのか……。まさか、従属の呪いを使って……!?」

「ですから申し上げたはずです。命令せずとも聞いていただく方法はいくらでもあると。それに、無理矢理祭り上げても同じことのり返しになるだけですし、国のために動けないただの第二位王位けいしよう権持ちならそれこそ──」

「待てその先は聞きたくない。何も言うな。笑うとかわいいなとか思ったいつしゆん後にこれとは、本当に予測がつかない……」

 後半は口の中でつぶやいていたからよく聞こえなかったけれど、あきれていることはよくわかった。

 別に、公爵様をどうこうしようと思っているわけではない。

 第二位王位継承権持ちまでが、くさりゆく国を何とかしようというがいがないのなら、この国は見限るほかないと思っただけだ。南のりんごくに移住とか、いいかもしれない。

「朝から冷や水を浴びた気分だ」

「今私は大きな権力を手にする人をはいぐうしやとしておりますので。使える立場にある者が使わなければ苦しむのは国民ですし」

「言っていることは理解する。だがやっぱり使うとか言ってるじゃないか……」

「それは公爵様のことではなく権力のことですよ」

 公爵様はため息をきながら、つかれたようにソファにどさりと座り込んだ。

 シーツを何重にも巻き巻きしているからこうそくされているみたいで、今侍女にドアを開けられたら私にあらぬ疑いがかけられるだろう。

「安心してください。たんらく的にいきなりじようせまるようなことはしません。それこそ権力に押しつぶされてあとかたもなくなりますしね。その前に、一つ教えてください。一晩て頭がスッキリしたら、どうにも引っかかったのです」

「うん?」

「陛下は公爵様ののろいのことをご存じなのですか?」

「ああ……。話してはいないが、何かしら事情があることは察しているだろうな」

「では、『められた』とおつしやっていたのは」

「俺がけつこん相手に条件をきつけてせいやく書を書かせる前に、結婚手続きを進めただろう? それはつまり、結婚相手をかいして俺を自由に動かすつもりだと思ったんだが。今はわからなくなった。ジゼルがごまとはどうしても思えんし。だんは平静なのに、伯父おじうえの話題になるとそこまでにくにくしげな顔をするし、ここに来た事情が事情だしな」

「当然です。雲の上の人すぎてかかわりなど持ちようもありませんでしたし、初めて会ったと思ったら腹いせであの横暴なのですから、手駒になれと言われようと全力で反発します」

「はっきり言うな……。まあ、気持ちはわかるが」

 これでも表現はだいぶおさえている。

「公爵様と陛下との関係性はどうなのですか?」

「特別あつかいされているわけではないし、何を考えているのかはいまいちわからない。だがおいとしても公爵家の人間としても注視されているのは感じる。良くも悪くもだが」

 公爵様は嵌められたと疑ったけれど、私が公爵様を従えることができることまで知られていたとして、陛下に利点はあるのだろうか。

 いや、国王なのだから直接命令したほうが早いだろう。そうなると、ほかに私をとつがせる利点など思いつかないし、やっぱりただの腹いせとしか思えない。

 そんなことで人の人生を振り回したのだとしたら、国民の意地は見せてやろう。

「とにかく、これからは早まらずに俺に相談してほしい」

「わかりました。では手始めに、国王陛下と王太子殿でんの周辺についてご存じのことがありましたら教えてください」

「……何故なぜだ?」

「まずは敵を知るべきですから。とはいえ、もぐり込んで弱点をさぐれというのではなく、社交界で話されているようなことでかまいません」

「完全に敵と言ったな」

「私がこうしやく様に嫁いでも堪えている様子が見られなければ、殿下は追加で腹いせをくわだてるかもしれません。そうなった時に手を打てるよう備えておきたいですし、また何もできず国家権力に振り回されるのはいやですから」

「いや弱みをにぎろうとしているようにしか聞こえないんだが」

 公爵様は引き気味に私の様子をうかがうけれど、期待にえず申し訳ないが「まったくそんなつもりはありません」と否定することはなく、さらりと話を流した。

「それに私はこれまで家や領地のことでいつぱいで、貴族としてのいつぱん常識にうといので。公爵夫人となったからには、いつなんどき社交の場に出ても問題ないようにしておかねばなりませんので。そう考えると、そうですね、お二人個人というよりは、王家や貴族の人間関係をあくしておくのが先でしょうか。社交界は情報戦ですので」

 完全に臨戦態勢じゃないか? とけいかいしながらも、公爵様はわかったとうなずいた。

「ロバートにたのんでおく」

「ありがとうございます。それと」

「まだあるのか」

「はい。国王陛下とお話しできる機会を作ってくださいませ」

 公爵様は学習能力が高いらしい。

「断るとごういんにその機会を自分で作るつもりだな?」

「もう私のことを理解してくださったのですね。話が早くてうれしいです」

「わかった……。二週間後に王家しゆさいの園遊会がある。その時に結婚のあいさつという名目で時間を作ってもらうようにするから、暴走するなよ?」

「ええ、大人しくお待ちしております」

 急いではいないし、待っていればその機会が来るというのならそれにしたことはない。

 公爵様は私の答えにほっとしたようにほおゆるませ、それからはっとしたようになり、いかめしい顔を作った。

 もうこわい人ではないとわかっているのだからなのに。

「まだ演技が必要ですか?」

「いや、なんというか、これは習慣で、外に出た時に気が緩まないようにと……」

「まだ私を警戒していらっしゃいます?」

 いやみではなく、普通に聞いたつもりだ。

「いや。何を考えているのかわからないという意味では確かに警戒しているが、進んで俺を害することはないのも、俺の自由を尊重してくれているのもわかった」

「ありがとうございます。十分です」

「……おまえはおもしろ」

「なんですか?」

「いや、興味深いと思ってな。普通は『私を信じてくれないのですか!?』と泣いたり批難したりするだろう」

 食い気味で口をはさんだ私の勢いにひるんだように言葉をていせいし、公爵様は頬をかいた。

「昨日会ったばかりの人をどうやって信じるのです? そもそも泣いておどしてではむしろ不信になりますよね」

「そう考える人間ばかりではないということだ」

 まあ、目的のために使えるものは使うというのはわかる。私はなみだなんて不確定すぎるものは使わないだけで。

 そんな私を見下ろし、公爵様はふっと口元を緩めた。

「だから、ジゼルのきよかん心地ごこちがいい」

 本当にそれは、固く閉じたつぼみが朝日に緩んだようなささやかな変化なのに。

 うっかりれてしまった。

 私が甘かった。この人の満開のみはもはやきようにすらなるだろう。

 ごうまんひとぎらいの塩公爵と呼ばれているほうが安心なのかもしれない。

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冷酷公爵に嫁がされたはずが、ツンデレな子犬に溺愛されています 佐崎 咲/角川ビーンズ文庫 @beans

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