18 もっと良かったりして
最初の四十分くらいは凪のように平穏で、マサユキは変わらずに饒舌だった。七十分が経過した頃に事態が動き始めた。マサユキの頬は霜降り肉のように、まだらに紅潮し、両の瞼はとろけたように、だらしなく半開きになった。エリカは静かにその様子を眺めていた。
俺とタマダも酩酊の沼に腰までどっぷりと浸かった。発する言葉と思考の境界があやふやになり、すべての意味が溶けて混ざり合った。あるいは最初から意味なんてなかったのかもしれない。そう思った。しかし、何かを思ったその瞬間に、脈絡のない地点に意識が飛ばされ、思ったことは片っ端からどこかへ消えていった。どこまでも暗闇が続き、上下も左右もない宇宙空間に放り出されたようなものだった。
お前さあ、俺の荷物なくしたよな? 夏合宿で そういえば飲みすぎて吐き散らかして帰らされた先輩がいましたね、夏合宿 荷物の中には当時の彼女からもらったネックレスが入ってたんだよ 合宿施設の床が固くて、裸足であちこち走り回らされるから、すげえ
二本目のグレンフィディックがやってきて九十分が経過した頃、マサユキの上半身がテーブルに倒れ込んだ。勢いよく叩きつけたノートパソコンのモニターのように。前頭骨とテーブルが衝突した音が響き、その衝撃で食器が乾いた音をたてた。
「ギブ」マサユキはテーブルに突っ伏したまま言った。「やるよ」
マサユキから差し出されたボッテガ・ヴェネタの長財布が、宙で緩慢に揺れた。
「何言ってるんですか、先輩」風に吹かれたタンポポのように、タマダは左右に揺れながら笑った。「起きてられなくなったときが試合終了ですよ」
「もう起きてない」
「起きてるじゃないですか」俺は言った。
「負けを認めるって」マサユキの舌打ちが響いた。
「態度が悪いな」椅子を引いて俺は立ち上がった。
俺はマサユキに近づき、首根っこをニットごと鷲掴みにして引っ張り上げた。ニットの首周りから、繊維が千切れる感触が手に伝わった。マサユキは背後を振り返るように首をひねり、薄目で俺の顔を見た。
そのまま力任せに、俺はマサユキを地面に叩きつけた。マサユキの身体はバウンドするように転がり、壁にぶつかると、だらりと伸びた。
マサユキは腕に力を込め、起き上がる素振りを見せたが、力尽きて墜落するヘリコプターのように、不安定に上半身を半回転させながら、その場に崩れ落ちた。
「てめえ……承知しねえぞ」
「お好きにどうぞ」
目の前に転がっていたボッテガ・ヴェネタの長財布を掴み、俺はマサユキに投げつけた。頭にあたり、弾みで宙に舞ってから地べたに落ちた。
「欲しがるとでも思ったのか? 女物みたいなファスナーがついた、このろくでもない財布を」
俺は財布を地面に塗り込むように踏みつけた。タマダは大声で笑っていた。エリカはハイボールを一口飲んだ。エリカの目は涼し気だった。
俺はグレンフィディックの瓶を握った。倒れ込んだままのマサユキに近寄り、髪を引っ張り、顔を起こした。マサユキは充血した目で、薄く俺を睨んだ。半開きの口から言葉が出てきそうな気配があったが、湿った唇が震えただけだった。
「飲めよ」俺はマサユキの顔を地面に押さえつけ、グレンフィディックの瓶を口に押し込もうとした。マサユキの口は硬く閉ざされた。
俺は拳でマサユキの頬を殴打した。鈍い音が響いた。息混じりに口が開かれた瞬間、口内に瓶をねじ込んだ。クラシカルなサイドブレーキを引くように瓶の角度を持ち上げると、ウイスキーがマサユキの口腔に溢れ出した。
マサユキは口を広げようとしたが、頭は壁でロックされ、顎も俺の膝で塞がれていて、口の外にウイスキーを大きく逃すことはできなかった。それでも口の端から琥珀色の液体が漏れ出て、マサユキの顔や髪を湿らせた。
グレンフィディックの瓶がすっかり空になると、マサユキは白目を剥いて動かなくなった。俺はその場に立ち上がった。手から瓶が滑り落ち、くぐもった音が鳴った。瓶は転がり、壁にぶつかってその動きを止めた。
「行こうぜ」タマダは笑顔で言った。
俺は頷いた。それからエリカの方を向いた。
「来る?」俺は訊いた。「もっと良かったりして」
エリカは微笑み、口の前で両の手のひらを合わせ、気だるそうに答えた。「うん」
そのとき、マサユキが身体を震わせて、その口から嘔吐物が噴出した。チューブから残り少ないマヨネーズをひねり出したときのような、下品で顔をしかめたくなる音が鳴った。つい先ほど口に放り込まれたトマトや魚が、ほとんど原型をとどめたままで現れた。
俺たち三人はマサユキを見下ろし、個室を抜け出て、そのまま店を出た。その後、俺はエリカの家に吸い込まれた。
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