17 襲撃

「マサユキを襲おうぜ」俺は紫煙を吐き出しながらタマダに言った。それから缶ビールを口に運んだ。

 一晩明けると、すっかりと二日酔いも治まり、ビールを飲めるくらいに体調が回復した。俺はタマダの家に転がり込んだままだった。

「どうした? 突然」タマダも缶ビールで喉を鳴らした。

「あいつ、親の金で贅沢三昧して調子に乗っているみたいだぜ」タバコを人差し指で叩いて灰を落とした。「あの、いいとこのお坊ちゃんが」

「それは面白くないな」タマダはガラムに火をつけ、音を鳴らして息を吸い込み、もったりと濃い紫煙を宙に泳がせた。「襲うのは面白そうだ」

「部活のOBだかなんだか知らんが、俺らを舎弟か何かのように扱ったあいつを、おもちゃのようにしてやりたいな」俺はセブンスターの火を灰皿でもみ消した。「わからせてやろうぜ。とんだワック野郎だってことを」


 俺はさらにその翌日もタマダの家に泊まった。正月三が日のすべてをタマダの家で過ごしたことになる。タマダの親は特に何も言わなかった。


 マサユキを個室のダイニングバーに呼び出した。ダイニングバーは車の往来が多い通りに面した雑居ビルの三階で、ビルのエレベーターホールに敷かれたグレーのマットは、くすんで汚れていた。『タマダが最近彼女と別れた』と告げると、マサユキはこれ見よがしに自分の彼女を連れてやって来た。

 マサユキは、いやらしく光るモンクレールのダウンジャケットに、馬鹿みたいに大げさなダメージ加工が施された、グレーのスキニージーンズを穿いていた。ダウンジャケットの下には、白いタイトなニットを着ている。

 マサユキと一緒にやって来た女が会釈した。「こんばんは。はじめまして、エリカです」

 派手な女だった。黒いピーコートの下に、身体に貼りつくようなサーモンピンクのニットに、タイトなブルージーンズを合わせていた。肉感的で、いつだったか海の家で会った商魂たくましい女を思い出させた。


 店員がビールと簡単なつまみを席に持ってきて、四人で形式的に乾杯をした。四つのジョッキがぶつかる、白々しい音をもって会はスタートした。

「お前らから誘ってくるなんて珍しいじゃん」マサユキはまんざらでもなさそうに、顎を突き出しながら威圧的に言った。

「いやあ、自分たちも就活の時期でして。先輩は就活も順調でしたし、仕事も絶好調とお聞きしたので」トーストにたっぷりと塗りたくられたマーガリンのように、タマダの顔には安っぽい笑顔が張り付いている。

「お前らもそんな時期か」マサユキはクールに火をつけた。カプセルを噛む、乾いた音が響いた。


 マサユキは饒舌だった。馬鹿な人間の多さに辟易していることについて、また、その中で自分を特別な人間にみせる重要性についてが、彼のトークショーの主だったテーマだ。語り口は一気にトップギアに入った。ともなって酒を煽るペースも早くなり、さほど時間を要さず、リピート再生が設定されたオーディオのように、同じ話が何度もループし始めた。

「要は、馬鹿が多いんだよ、世の中は。大部分の奴は馬鹿だね。これは間違いない。そして馬鹿の特徴は、自分が馬鹿だって気づいていないことなのさ。面接官だって馬鹿が多いし、どこまでも馬鹿な会社ばかりだ」マサユキは火がついたクールを上向きに掲げた。「馬鹿に対して、『自分は少し違うんですよ』という雰囲気を醸し出せれば面接はだいたいチェックメイトだ。特別にみえる何かを少しだけ差し出すんだ。馬鹿にもわかりやすくな」

 俺とタマダは『勉強になります』とか、『そうなんですね』と言いながら頷き、繰り返される話のほとんどを聞き流した。

「先輩はどうやって特別感を演出したんですか?」俺は訊いた。

「部活だな。高い目標に向かって仲間を叱咤激励して引っ張るリーダーシップと、それでいていかに後輩から慕われているかがわかるエピソードだ」

「最近の仕事はどうなんですか?」

「順調だよ。しかしだめだな、今の会社は。将来性が感じられない」

「転職も考えてるんですか?」

「考えてる。独立も」マサユキは目の前にあるジョッキ三分の一ほどのハイボールを一気に飲み干した。氷がグラスに当たる寒々しい音が響いた。それを合図のようにして、数分前にもご高説を賜った話に戻った。すごろくで数マス前に戻されたかのように。

「だいたい人間は、生まれたときにどの程度の人生が望めるか決まっているんだ」マサユキは厚い唇から紫煙を鋭く吐き出した。俺とタマダに勢いよく紫煙がかかり、俺は目を細めた。「親の遺伝子、経済力、もっと言ったら生まれた国や時代、性別」

 エリカは一言も喋らず、ただ黙ってにこにこと話を聞いていた。明るくつややかな茶髪が、頭の動きに合わせて時折弾んだ。

「持っている者は持っているし、持たざる者が持つことはない。そうできている」

「とても勉強になります。ところでマサユキ先輩、ひとつ自分たちと勝負をしませんか? 先輩の、いわゆる、持っているところをみせていただきたいです」痺れを切らした俺は、満面の笑みを携えて言った。

 マサユキの動きが一瞬静止した。眉が上下に動いて、下から睨みつけられた。

「何? 挑戦?」マサユキは不敵に笑った。

「一本勝負でお願いします」


 俺はグレンフィディックを一本オーダーした。

「十分間経過するごとに一杯、ストレートで飲み続けましょう。チェイサーはなしです。最後まで起きていられた方が勝ちです。どうでしょう?」

 タマダとエリカは微笑んでいる。実に朗らかなムードだ。

「いいね」マサユキは右の口角を鋭く持ち上げた。「負けたらどうする?」

「ここの払いを持つのはどうでしょう?」タマダが笑顔で言った。

「後輩に払わせるのはなあ……」マサユキは顎を撫でた。「タマダは彼女と別れたって聞いたけど、お前は彼女いるのか?」

「います」俺はグラスをテーブルに並べながら答えた。

「お前らが負けたら、お前の彼女を連れて来いよ。今、この場にな。俺が負けたらこれをやるよ」マサユキはボッテガ・ヴェネタの長財布をちらつかせた。ファスナーについた引き手がいやらしく左右に揺れて光った。「エリカもやるか?」

「やらない」エリカは満面の笑みで躱した。個室の黄色い照明に照らされた、湿った小ぶりな唇が怪しく光って見えた。

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