16 悪戯電話

 ゆったりとした年の瀬だった。やることもなく、すべきこともなかった。展望のようなものも見当たらず、ひどく弛緩していた。

 あたりはまだ明るく、レースのカーテンからは黄色い陽光がタマダの部屋に射し込んでいるが、俺の頬はアルコールで熱く、焦点が定まらず視界がぼやけている。

 床には空になった缶ビールや缶酎ハイが林立し、ウォッカの瓶がだらしなく転がっている。その隣には袋を平面に開いたポテトチップスがいくつか並び、細かい屑が散っている。酩酊していた。

 タマダはグラスに注がれたストレートのウォッカをゆっくりと飲み下すと、口を開いた。

「悪戯電話をかけようぜ」

 俺とタマダは、共通の知り合いに片っ端から電話をかけた。『先輩がお前のことを呼んでるから今すぐに来い』だとか、『事故ったから今すぐ助けにきてほしい』だとか、あるいは『痴漢の疑いをかけられて捕まっている』だとか。

 内容なんてどうでもよかった。喋ったそばから、自分達が何を言っているのかわからなくなり、それがまた面白くて腹の底から声を出して笑った。前後の脈絡はなく、辻褄を合わせるつもりなんてさらさらない。純然たる悪戯電話だった。


「いい加減しつこいんだよ! てめえら!」

 五回だろうか? 十回だろうか? とにかく短時間で何回も執拗に悪戯電話をかけた相手から激怒された。

「おいおい、落ち着けよ」言葉の輪郭の歪みを感じながら俺は言った。「お前、覚えてる? 真夏の教室に数日放置した、おにぎりを食わされたよな。俺らに。納豆みたいな味がするとか言ってよ。今から持ってくから、また、ありがたがって食ってくれるか? あの日のように」

「二度と電話してくるんじゃねえ!」

 電話は切られ、悪戯電話はそこで終わった。満足した俺たちは、その場で倒れるように寝入った。


 何時だか分からないが、目が覚めた。万力で締め付けられているように、頭が割れるほどの頭痛を感じた。布団と一緒に、生暖かく湿ったものに包まれている感触がある。腐ったマンゴーのような異臭が鼻孔を突いた。起き上がろうとしたが、うまくいかなかった。

 諦めて俺はそのまま倒れ込み、再び深い闇の中に落ちていった。


 タマダに肩を叩かれて目が覚めた。

「おい、なんだこれ?」タマダの声が聞こえた。

 あたりにはハッシュドポテトのようなものが飛び散っていて、饐えた匂いを放っていた。ほっかりと、やや温かい。俺の身体もタマダの身体も、その湿ったものにまみれている。

「ああ、頭いてえ……」俺は身体を起こし、頭をさすった。

「飲みすぎたな……。で、これは何だ?」タマダは大げさに両腕を広げてみせた。

「お前のゲロだろ」俺は再び寝転がり、目を擦った。

「いやいや、お前のゲロだろ? どう見てもお前の周りが一番ひどいぞ。髪の毛にもべったりとついてるじゃねえか」

「吐いた覚えはないな。お前の父親が酔っぱらって部屋に入ってきて、吐き散らかしてったんじゃないのか? いずれにしても、もう手遅れだ」俺は目を閉じた。「もう一眠りして、まともな頭になってから考えよう」

 タマダも『違いない』というふうに、布団に倒れ込んだ振動が身体に伝わった。


 日が沈みかけ、あたりが夕暮れに包まれた頃、俺たちは再び目を覚ました。感傷的で、愁いを帯びた夕日がタマダの部屋に射している。頭痛は少しだけ収まっていたが、水をたっぷりと吸った真綿のように頭が重たかった。

「ゲロだ」タマダは無感情に言った。「ポテトチップスしか食べてなかったのが幸いしたな。ほとんどハッシュドポテトと言っても過言ではない」

「どうなってんだよ、お前の父親はよ。こんなに吐き散らかしていきやがって」

 部屋に飛び散っている嘔吐物を手ですくって、俺は窓の外に投げ捨てた。アンダースローから放たれた嘔吐物は綺麗な弧を描き、夕焼けで赤く染め上げられた地面に落ちた。

「お前、無茶苦茶言うなあ。どう見てもお前の寝ゲロだろうが」

 俺は平身低頭、タマダに詫びた。


 嘔吐物をすべて窓の外に放り投げてから、床と壁を綺麗に拭き上げた。タマダは布団や衣類を洗濯機にかけた。時間をかけてシャワーを浴び、頭のてっぺんから足の爪まで清潔にした。歯を磨き、よく冷えた水をコップで三杯たっぷりと飲んで、ようやくまともに思考できるようになった。

 綺麗になった部屋の床に、清潔になった身体であぐらをかいてタマダと向き合った。ビールが飲みたいような気がしたが、猛烈な二日酔いに苛まれていて一滴も飲むことができなかった。

「アキと別れた」タマダはガラムに火をつけて言った。短く煙を吐き出して、顔をしかめてすぐに灰皿で火をもみ消した。

 俺は頷いてから立ち上がり、窓辺に寄って外を眺めた。街には濃い闇が降りていた。街頭や往来する車のライトが光っているにもかかわらず、どこまでも暗く、奥行きを感じさせない平板な色に沈んで見えた。

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