13 どうなったんだろうな

「飲んだな」

「ああ、飲んだな」

「どっちが地面で、どっちが空かわからないな。どうなってんだ、これ?」

 マーキングをする猫のように砂浜の上で転がったあと、俺たち三人はおもむろに海に倒れ込んだ。強い日差しを身体で感じながら海の中に入っていった。

「浮いてる浮いてる」

「浮いてますねえ」

 しばらく波間に揺られていたが、そろいもそろって気持ち悪くなり、砂浜に戻って寝転がった。そのうちサグ野郎が波打ち際で機能を停止し、地響きのような音をたてて眠りに落ちた。

 サグ野郎から五メートルほど離れた場所に移り、俺とタマダは両足を投げ出した格好で砂浜に座った。

「夏ですね」タマダは遠くを見つめて言った。

「夏と言ったら思い出すな。高校の部活の夏合宿」

「あれは辛かったな」

「特に一年のとき。練習もきつかったけど、OBの付き人な。着替えから飯から、何から何まで用意して。部屋住みのヤクザかっつーの」俺は海水で濡れた髪をかきあげた。

「お前が付き人をやってたマサユキ、あいつはとんだワック野郎だったな」タマダは目を細めた。「そういえばお前、マサユキの荷物なくしたよな」

「知らねえよ。荷物がなくなったとか。そこまで管理できるかよ」俺は砂浜に踵を叩き下ろした。「今でも腹が立つぜ」

 タマダが違いないと頷いたそのとき、サグ野郎の異変を目の端が捉えた。

「おい、あいつ、泡吹いてないか?」俺は立ち上がった。「しかもよく見りゃ、ほとんど海水に浸かってやがる」

 潮が満ちたのか、サグ野郎は浅瀬で溺れているように見えた。打ち上げられた死体のようなものに見えなくもない。あれは死体だと言われたら、そうですかと概ね納得するだろう。

 俺はサグ野郎に駆け寄った。タマダは動かずにその場で微笑んでいた。俺はサグ野郎の上半身を起こし、頬を叩いた。反応はなかった。鋭く強く頬を張るとサグ野郎は目を開けた。何か言いたげに力なく口が動いたが、よくわからなかった。

 俺はサグ野郎の両脇を抱えて、砂浜の日陰まで引きずって後退した。周りに人がいない適当な場所で、ゴミ捨て場にゴミ袋を投げ込むように放り投げた。ペットボトルの水を渡すと、サグ野郎は勢いよく喉を鳴らして美味しそうに水を飲んだ。飲み終えると、サグ野郎は再び眠りについた。

 俺とタマダは酔いが若干冷めていることに気がついた。白い日射しに焼かれ、汗をかいたからか、体調が回復していた。サグ野郎はそのまま置いておき、再び酒を飲むことにしてタマダとその場を離れた。


 先ほどの海の家とは異なる店を求めて、砂浜と道路の境にある道を歩いた。熱い風が吹き抜け、身体にまとわりついた。遠く、麦わら帽子が風で飛んでゆくのが見えた。

 そのとき、俺たちは後ろから声をかけられた。「タマダ君?」

 振り返ると、そこには女が一人立っていた。

「タマダ君だよね? 久しぶり」女は長い髪をかきあげ、薄く笑った。

 記憶を辿るように、あるいは少し戸惑ったようにタマダの視線が宙を彷徨った。一息置いてからタマダは言った。「ああ、マナカ? 久しぶりだな」

 俺も女に見覚えがあった。タマダが高校生のときに付き合っていた女だ。

「今も二人で遊んでるんだ」マナカは俺を一瞥して笑った。

「友達と来てるの?」タマダが訊いた。

「うん、友達と来てる。今ちょっとわたし一人になってるんだけど」

 外から見る限りは、良心的に見える海の家が目の前にあった。俺たちはマナカの友達が戻るまで、一緒に一杯飲むことにした。

「元気だった?」俺は斜め前に座るマナカに言った。

「元気だったよ」マナカはビールに口をつけた。「大人っぽくなったね」

 そう言うマナカはあまり変わらないように見えた。高校生の頃から大人びていたからかもしれない。記憶が正しければ、マナカはいいとこのお嬢様で、小学校から私立に通っていた。身に着けているものはいつもシックで、いかにも高価そうだった。タマダとマナカは、高校生のころから洗練されていたのをよく覚えている。

「三人で最後に会ったのは二年半くらい前になるかな?」マナカは指を組みながら言った。

「たぶんな」タマダは目線を落とすと、そのまま一気に残りのビールを飲み干した。それから立ち上がった。「泳いでくるわ。マナカちゃんに久しぶりに会えて良かったよ」

 タマダの気配だけがその場に取り残された。

「声をかけない方がよかったかな」マナカは乾いた笑みを浮かべ、ビールを一口だけ飲んだ。

「そんなことはない。ただ、少しタイミングが悪かったかもしれない。タマダ、今の彼女とあまりうまくいっていないんだ。君と別れる直前みたいに」

「ああ」マナカは薄く吐息を漏らした。「変わってないんだね」

 マナカは頬杖をつき、背中が遠くなるタマダを見るともなく見ている。

「変わらないさ。タマダも、俺も、君も」

「タマダ君と別れる直前に三人で集まったでしょ? 池袋で。結局タマダ君は待ち合わせ場所に来ただけで、気が乗らずに帰っちゃって、なぜか君と二人で買い物に行ったあの日。覚えてる?」この場に残されたタマダの気配に話しかけるようにマナカは言った。

「覚えている。驚くほど寒い正月明けだった」

「懐かしい」マナカは細く長い指と指を組み、ゆっくりとほどいた。「わたし、結婚するの」

「そうなんだ」俺はわずかに静止した。「おめでとう。どんな相手?」

「ありがとう。相手はもう三十歳を超えているんだけど。転勤で海外に行くことになったの。先に籍を入れて、わたしが大学を卒業したら一緒に住む予定」

「そうか、ずいぶん早いな」

「自分でもびっくり」

 店内に風が駆け抜けた。日陰で吹く風は涼しく、いい気持ちだった。店員を呼ぶ声や、談笑に興じる客の声が賑やかで、心地よかった。

「ねえ」マナカは残りのビールに唇をつけ、静かに飲みくだした。「幸せになれるといいね。君も、タマダ君も。それから、わたしも」

 マナカは席を立ち、浅瀬に浮かぶタマダに向かって動き出した。なれるさと俺は言おうとしたが、言葉は形になるタイミングを逃して、そのままどこかへ消えてなくなった。


 海から繁華街に移動して、なぜかタマダとマナカと三人で飲むことになった。マナカがタマダを誘った。タマダは乗り気ではないように見えたが断らなかった。マナカの友達は帰っていった。

 マナカは酒に弱く、すぐに酔っぱらった。腕をタマダに巻きつけ、身体ごとタマダにしなだれかかった。その細い身体を蛇のようにタマダに絡みつけ、身をよじった。

 タマダも酒がまわったのか、あるいは昨晩からろくに寝ずに飲み続けているせいでハイになっているのか、愛想がいいアルパカのように応じていた。

 マナカはまともに立っていられないほど酔っぱらい、俺とタマダに眠気の限界が訪れて、ホテルを取って泊まることにした。三人のホテル代をなぜかまとめてタマダが支払った。そのとき俺は、昨晩からほとんどタマダにご馳走になっていることを思い出した。

 タマダとマナカは細長いホテルの廊下の壁と壁にぶつかりながら、ゲームオーバーになったピンボールのように、一つの部屋に吸い込まれて消えた。


 翌日は十時頃に目が覚めた。アメリカンフットボール選手にハンマーで殴られたように頭が痛んだ。起き上がれるようになるまで時間がかかった。意識が混濁していた。

 熱いシャワーを浴び、ゆっくりと時間をかけて身体を清潔にした。入念に歯を磨くと、ようやくそれなりの動作ができるようになった。

 タマダの部屋を覗くと、すでにマナカの姿はなかった。


 その日も熱風に身を焼かれるほど暑い日だった。相変わらず空からは、白く尖ったレーザービームのような太陽光線が降り注いでいる。

 ホテルからほど近いカレーショップに入り、タマダと昼食を取ることにした。カレーはスパイシーで、ぼやけた頭ではうまく認識できないくらい複雑な味をしていた。一口飲み込むごとに汗が噴き出た。辛いということだけは、かろうじてわかった。水を一リットルくらい飲みながら、やっとのことで食べた。食後にアイスコーヒーが運ばれてきた。

「タマダ」俺は汗をおしぼりで拭いながら言った。「もうマナカとは会わない方がいい」

 タマダは小さく頷いた。

 アイスコーヒーのストローを回しながらタマダが呟いた。「サグ野郎、昨日どうなったんだろうな」

 氷がグラスにぶつかる涼しい音が響いた。

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