11 EXTRA

 閉店間際のパルコに駆け込み、サグ野郎の水着やらタオルやらビーチサンダルを買った。それから道玄坂に戻り、俺たち三人は手始めにアトムのエントランスをくぐった。

 クラブで遊ぶにしては早い時間にも係わらず、ちょっとした通勤ラッシュくらいに人が溢れていた。コインロッカーに荷物を放り込んで、バーカウンターに向かった。俺はラム・トニック、タマダはレッド・アイ、サグ野郎はレッドブル・ウォッカを頼んで乾杯した。

 バーカウンター周辺の人々を物色するように旋回してから、リングインするボクサーのように軽やかな足取りでダンスフロアの前方に進んだ。

「お姉さんたち、サイバーエージェント?」サグ野郎が二人組の女に声をかけた。

 女たちの見た目は二十歳そこそこで、水商売風のゴージャスな装いをしている。どう考えても俺らと同い年くらいで、IT企業に勤めるOLではなさそうだ。

 女たちは耳に手をあて、なんて言ったかサグ野郎に訊き返した。

「お姉さんたち、サイバーエージェント?」サグ野郎は一層大きな声で繰り返した。「二十一世紀を代表する美女って感じですね」

「知らねえし」一人の女が言った。

「失せな」もう一人の女も言った。

 二人の女は高いヒールをフロアに打ちつけるようにして去っていった。タマダがサグ野郎の肩を叩いた。サグ野郎はタマダの胸を拳で叩きかえした。ワールドカップの出場を賭けた試合でPKを外した選手と、それを慰める選手のように見えた。

「よし、次」サグ野郎はこれ以上ないほど凛々しい顔で言った。


 ほどほどのところで切り上げて、アトムの隣りにあるハーレムに場所を変えた。時刻は二十四時くらい。人の数がより一段と増え、ピークタイムがやってきた。

 バーカウンターであらためて乾杯し、あたりを見渡してから声かけ運動に取り掛かった。

「お姉さんたち、サイバーエージェント?」サグ野郎は言った。

 サグ野郎が声をかけた二人組の女は、どう見ても筋金入りのBガールだった。日焼けした肌にドレッドがよく似合っていて、鷹の爪の刺青が首を絞めるようにして刻まれている。やはりどう考えてもIT企業に勤めるOLではない。

 二人組のBガールは、舌打ちをするようにサグ野郎を一瞥すると、一人の女は中指を突き立て、もう一人の女はあろうことか噛んでいたガムをサグ野郎の顔面に吐き捨て、颯爽と去っていった。

 まるで収穫の気配がなかった。フロアではヒップホップが切れ目なくかかっていて、スヌープ・ドッグの『ビッチ・プリーズ』が流れている。

「アウトローさんだ」タマダが言った。

 俺は訊き返した。「なんだって?」

「目の前にアウトローさんがいる」

「アウトローさん?」

「そう。ラッパーの」タマダはガラムに火をつけた。「本当に危ない人だから、間違っても絡むなよ」

 アウトローさんと呼ばれた男を俺は眺めた。ミッキーマウスとサザエさんの中間のようなハードなスパイラルヘアをして、首にも両腕にも、露出している肌という肌すべてに色彩豊かな刺青が敷き詰められている。ゴールドのネックレスが何本も首からぶら下がっていて、手首にも指にも無数の鎖や輪が装着されている。左腕では金無垢のロレックス・デイデイトが鈍く光っていた。疑いようもなくアウトローといった感じだった。

「あんな人に絡むわけないだろ」俺は肩をすくめた。

「いや、お前ちょっと何するかわからないところあるからな。マジに頼むぜ」


 再び積極的な声かけに戻ったが成果には至らず、ピークアウトした二十七時頃にハーレムを出て、裏にあるウームへ移った。俺たちは居場所を求めてさすらうジプシーのようだった。

 ハーレムとは打って変わり四つ打ちを主体としたビートと、じらすようにして徐々に姿形を変えるリフレインに酔わされた。一階のサブフロアでは、ケン・イシイの『エクストラ』がかかっていた。

「月の裏側にダンスフロアがあるのを知っている?」

 サブフロアの後方で突然女に声をかけられた。女の声は小さかったが、なぜかはっきりと響いてよく聞こえた。タマダとサグ野郎はバーカウンターに酒を買いに行っていて、俺一人だった。

 俺は質問の意味がわからずに口を開けた。

「月の裏側にはダンスフロアがあるの。あなたはそれを知っている?」当たり前のことだけれども、念のため確認させてもらうわ、という風に女は言った。

「知らない」俺はラム・コークで喉を湿らせた。「聞いたことがないな」

「そう」女は残念そうに言った。「タバコを一本もらえる?」

 汗で湿気ったセブンスターのソフトパックからタバコを一本抜き出して、俺は女に差し出した。女がタバコを口にくわえるのを確認してから、火をつけたライターを女の口元に近づけた。深紅に塗られた大きな唇が炎で揺らめいた。女は深く息を吸い、それから煙を吐き出した。

 女の前髪は切れ味が鋭いヘルメットのように横一文字に重たく、顔は鉄仮面に見えた。表情というものがまるでなく、切れ長の目の周りを鮮血のようなアイライナーが太く、力強く覆ってる。

 女が動くと、陽炎みたいにぼやけた掴みどころがない真っ黒な服が揺れた。耳、首、手首、指には鉄板のようなシルバーアクセサリーが装着されていて、ミラーボールの光を受けて鈍く光っている。

「その月の裏側のダンスフロアには、シーラカンスの親子が住んでいたの」

「シーラカンス?」

「そう、シーラカンス。失われてしまったと思われていた古代魚」女はタバコをくわえ、その場の酸素を慈しむように息を吸い、濃い紫煙を吐き出した。「でも昨日、空からミサイルが降ってきて、シーラカンスの親子は死んでしまったの」

 そう言うと女は左手をかざした。自分の手の甲を観察するように顔に近づけて、ひとしきり眺めた。それから俺を見た。

「乾杯」女はカクテルが入ったコップを掲げた。「シーラカンスに」

「シーラカンスに」

 コップとコップがぶつかった。しかし、その感触がなかった。ちょうどそのときタマダとサグ野郎が戻ってきた。俺は二人に肩を掴まれ、その場から引きはがされるようにして二階のメインフロアへと連れていかれた。

 サブフロアを出るときに横目で女を見た。女は右手の甲をかざし、隅々まで検分するように観察していた。女の周りには誰もいない。女に注意を払う者も誰一人としていないようだった。

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