第10話 月桂樹と風梨花

「いい天気だな」


 透けるような青空を見上げたアレクサンダーは新鮮な空気を思い切り吸い、声のした方を見れば普段は華やかなだけの王宮の庭を黒い鎧を着た騎士たちが駆けていく。


「絶好のお出かけ日和だ、そう思わないか?」

「左様ですね」


 慣れた気配がしてアレクサンダーがベランダの入口を見ればローズウッド公爵が頭を下げていて、娘であるエリザベートの温かみあるふわふわとした栗毛とは真逆の硬く見える黒色の髪が僅かな風に揺れた。


「一人での行動は、褒められたものではありませんよ」

「王都を出るまでは安全だからな。あちらさんだって俺が戦場で死んだにしたほうが楽なんだろう、俺が戦地に行くと宣言して以来大人しいものだ。ヴェールも暇だといっていたよ」


「どれだけ武勲をあげようとも死んでしまえば関係ありませんからね……殿下、くれぐれも背中には気を付けてください」

「これが守ってくれるさ」


 アレクサンダーがローズウッド公爵に背中を見せると、紺色のマントがはためいて、淡いクリーム色の風梨花フリージアと黒い狼が現れる。

 可憐で品のある風梨花と対照的に、口を開けた狼は獰猛で野性味あふれていた。


「ほう、意外とセンスが良いですね」

「公爵に褒められると背中がこう、ムズムズするな」

「精鋭部隊を黒で染め上げたことも良案です。戦場では『名前』はとても効果的ですからね」

「彼岸への餞別めいた褒め言葉はやめてくれ……俺は死ぬ気は微塵もない」


(そう約束した)


 あの日エリザベートが巻いたリボンはそのまま手首に結ばれている。

 外しがたくてウィスパーに浄化魔法と強化魔法を付与してもらったときもつけたままだったが、「うっかり手首飛ばしたらすみません」と言われたあとに軽く火傷を負ったとき格好つけすぎたと少しだけ後悔した。


「俺のことよりも、探し物は……なにか手がかりくらいは見つかったのか?」

「有力な隠し場所が数か所見つかりましたが、国中に散っているため……全て確認を終えるのに四年はかかりますね」


「四年……その頃には二十歳か。子どもが一人くらいいるかもな」

「……殿下」

「公爵が『おじいちゃん』、ははは、似合わないな」


 アレクサンダーの目の前でローズウッド公爵は苦笑する。

 記録上ではローズウッド公爵は国王より三歳上の四十代。二人の子どものうち兄のニコラスは二十歳を超えているので記録に間違いはないと思うのだが、


(父子というよりも兄弟……色が違い過ぎるから公爵とマリーが躍る姿はどうみても恋人同士なんだよな)


「私の時間は普通の人の半分ですからね」


 ***


「王宮のほうが賑やかね、騎士の方々が出発し始めたのかしら」

「早くに出た方々は王都の外郭で二週間ほど野営していると聞きましたから、アレクサンダー殿下が直接率いる部隊もあと数日で出発するそうです」


「そう、エレスティア宮の中で動きは?」

「特に何も……と言いたいところですが、王子妃に与えられている予算の一部が横領されました。調べたところ王都一の人気服飾店に青系のドレスが三着、エリザベート様の名前で注文されております」


 自称『補佐官』であるマリアンへの贈り物だとエリザベートは直ぐに察した。

 第二王子に与えられた年間予算のほうが多いのに妃の予算に手を出すとは、ケチとか本当の妻にある権利だと思っているかは不明だが、どちらにせよ『迂闊』の一言である。


「犯人は?」

「それが……大変申し訳ありません」


 『分からない』と項垂れるアマリアにエリザベートは首を横に振った。


「仕方がないわ。エレスティア宮は貴族派の総本山なのだから、ここの侍女や女官は私の目や耳にはなってくれないもの」


 身の安全は『聖女』であることと、聖女を守るためにアヴァロンから派遣された神官兵がいるからある程度は安心できるが、内情を探ることはできない。


「力をつけなくては……アマリア、おそらくセバスチャン殿下は直ぐにでも、私に子どもができないといってゴールドフォグ男爵令嬢を『愛妾』に迎えるはずよ」

「王子である殿下には未だ宮を与える権限はありませんから、ご令嬢はお嬢様と同じこの宮で暮らすことになるのですね……気が滅入りますね」


 アマリアの言葉に頷きながら、エリザベートは現在のエレスティア宮で最も権力のある者を思い浮かべる。


「問題はアウレリア王妃の動きなのだけれど……なぜかあの方は私に対して、異様なほどに好意的なのよね」


 セバスチャンの非歓迎ぶりとは対極的な歓迎ぶりをみせたのは、セバスチャンの母であり、エリザベートの義母にあたるアウレリア王妃だった。

 彼女はエリザベートがエレスティア宮にきて直ぐにお茶会に誘い、「私のことはぜひ母と呼んでくださいね」と少女のような、悪意の欠片もない笑みを最後まで絶やさなかった。


「それ以来、お茶に呼ばれては『母と呼んで』と言われるのだけれど、何でかしら」

「娘が欲しかったのでしょうか?でも、噂では王妃陛下はご懐妊時に絶対に男の子がよいと神官を呼んで祈祷までさせたそうですよ?」

「国王の妃が『王子』を望むことは不思議ではないわ。すでに陛下にはアレクサンダー第一王子がいらしたのだし」


 エリザベートの言葉に「それはそうですね」とアマリアが頷き、ふと思い出したように口を開く。


「これは関係ないかもしれませんが王妃陛下はずっと栗色に髪を染めていらっしゃるそうですよ」

「髪を染めている人は多いから珍しくないけれど、貴族に好まれる金色じゃないのね」

「それが、元の毛色が金色なのだそうです」


 貴族に人気なのは金色であるが、色が抜けにくく染まりにくい髪質だったりする場合は金色を諦めて仕方なしに茶色系、しかしその場合でも薄茶や金茶などを選び、赤味が強い栗色に染めることは少ない。


「好みと言ってしまえばそれまでだけど、好んで栗色に染めているとしたら珍しいわね」

「不義の子であることを隠すため、とかでしょうか?」

「いいえ、シャドウモーン侯爵夫妻はどちらも金色だわ」


 エリザベートは自分の栗色の髪を引っ張る。

 社交界では赤色系の髪を持つ令嬢は気が強そうに見えて婚期を逃すと言われて忌避されるのだが、エリザベートが気にしたことはない。

 真っ赤ではないということもあるが、父と兄が「母に似ている」と言うこの髪は幼き頃に母を亡くしたエリザベートにとって母を感じられる数少ないものだったからだ。


「王妃様次第でエレスティア宮の勢力図は大きく変わるでしょうけれど、いまは情報を集めることから始めましょう」

「畏まりました」

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【金曜日更新】禁断のティアラ ~ 千切れた絆の行方 酔夫人 @suifujin

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