第9話 寂しみに揺れる
ダンスの終わりは始まりと同じく、エリザベートと向かい合って互いに礼をしたアレクサンダーは「飲み物でも?」と声をかけた。
二回続けて踊った影響で少し息があがっていたからだろうが、コクリと頷いたエリザベートをエスコートしてフロアの中央から出ようとしたとき、
「お上手でしたわ」
不意に声をかけられて顔を上げれば見覚えのある女性。
「誰だっけ?」とアレクサンダーが考えたのは一瞬で、隣に異母弟が立っていたことで直ぐに彼がエスコートしてきた令嬢だと気づく。
「私も負けていられないな。ゴールドフォグ男爵令嬢、踊っていただけますか?」
「はい殿下、よろこんで。それでは聖女様、御前を失礼いたします」
令嬢が異母弟に向ける視線でなんとなく想像はついたが、エスコートするため腕に触れていたエリザベートの手がピクリと揺れたことで確信する。
(学生時代の友人で補佐官だったか……よく傍にいる女性、気にもなるか)
令嬢をエスコートしてフロアの中央に進む夫の後ろ姿を見つめるエリザベートにアレクサンダーの胸が痛む。
自分がすぐ隣りにいるのに、孤独を感じているようで寂し気だから、
「彼女と二曲も踊ったあとならば君と踊っても問題ないだろう。俺があの令嬢をダンスに誘うから……そうすれば君と踊りやすいはずだ
アレクサンダーの言葉に、エリザベートはパッと驚いた顔を向ける。
マジマジと自分を見る紺色の瞳はいまにもこぼれ落ちそうで、最近すっかり大人びて見えたエリザベートの幼さを感じさせるかわいい表情にアレクサンダーは顔を緩める。
「そんなに驚くことか?」
「……まさか、そんなことをおっしゃるとは」
だよな、とアレクサンダーは内心で苦笑する。
アレクサンダーは夜会に出ても誰かと踊ることはなかったからだ。
(君以外となんて興味はないが……でも、君が望むなら……叶えたい、と思う)
異母弟の背中を見送るエリザベートの姿が脳裏に浮かび、気が狂いそうなほどな嫉妬が顔に出そうになるのを必死に抑える。
「かわいい幼馴染がそんな憂い顔を見せられたらな。ここにニコラスがいたら同じことをしたはずだぞ」
男の恋情を『兄』の表情で隠しながら微笑めば、エリザベートは泣きそうな顔で笑う。
(……嬉しいか?)
兄?幼馴染?アレクサンダーの胸は男の嫉妬の熱でどろりと溶けた。
***
(バカみたい)
さっきまで胸に灯っていた光がふっと消え、寂しさと同時にその光の正体が『優越感』だと気づかされたエリザベートは自分が恥ずかしかった。
アレクサンダーが夜会などで踊らないことは有名で、たとえ練習であっても自分だけがアレクサンダーのダンスの相手だということがエリザベートは嬉しかった。
(幼馴染でしかなかったのに)
親友である兄の『妹』、『妹』のような幼馴染、そして義『妹』。
自分はどうやったってアレクサンダーの『妹』でしかないと痛感させられて目の奥が酷く痛んだとき、
「なんだ?」
わっと会場がわいて、エリザベートはアレクサンダーと同じように会場の人たちの視線をおってフロアの中央を見ると
「殿下?」
エリザベートの視界の中でセバスチャンがマリアンを抱きあげて、宙に浮いたマリアンのドレスのすそが大輪の花のようにふわりと拡がる。
さきほどと同じような歓声があがり、派手好きな二人らしいといつも通りエリザベートは呆れようとしたが、
(……楽しそう)
向かい合って微笑み合うセバスチャンたちは、秘密の関係だから公の場であるいまは『仲のよい友人』『頼りにしている補佐官』の距離を保っているが、とても楽しそうだった。
(意外、だわ)
『妻』である自分とは最後まで合わせてくれることのなかったダンスの歩幅もマリアンには合わせていて、自分勝手だと思っていたセバスチャンの姿はエリザベートを驚かせた。
二人の揃った姿は初夜の床のイメージが強すぎて、二人の関係が不倫であることは事実なこともあって、二人の間にあるのは穢らわしいものだと思いこんでいた。
(少なくともマリアン様は『女性』として求められているのだわ)
エリザベートは『女』として愛されているマリアンが初めて羨ましくなった。
愛されてはいる、『娘』や『妹』として。敬意も払われている、『公女』として。しかし、『女』として恋情を求める男性たちはエリザベートを『女性』とは見ていない。
(アレクサンダー殿下もマリアン様のような方がよいのかしら)
あの夜、アレクサンダーがその指に絡めていたマリアンと同じ金色の髪をエリザベートは思い出す。顔も名前も知らない女性だが、彼女がアレクサンダーに『女』として扱われたと思うと嫉妬が湧きあがった。
「アイツ……気にすることはない……おそらく友人と踊って気持ちが高揚しているんだ。もともと派手に踊るヤツだし」
「……はい」
(違う、あの人じゃない、私がイヤなのは……ジェイ様なの)
そう思った瞬間、エリザベートの視界は大きな手の平で占められる。
『見る必要はない』と言わんばかりに現れた手の主の優しさと勘違いっぷりに、愛しさが反転して憎らしくなった。
(この人に『私』を刻みつけたい)
「アレクサンダー殿下、ちょっと来くださいませ」
女の恋情を『妹』の表情で隠しながら微笑み、すぐ目の前の手を握る。
突然触れたことに驚いたアレクサンダーが反射的に手を引いたが、手に力を込めて逃がさないようにする。
「え?」
アレクサンダーの戸惑いを無視して、エリザベートはアレクサンダーの手を引いて直ぐ近くにある窓からベランダに出る。
夜会が始まったばかりなのに早速抜け出してきたような二人に、警備担当の騎士がギョッとしたのち姿勢を正して敬礼をする。
「申しわけないのだけれど、私の侍女を呼んできて下さる?」
「……しかし」
第二王子を担ぐ貴族派主催の夜会、その警備する騎士に第二王子妃である自分を知らぬ者はいないとエリザベートはできるだけ高慢に振舞う。
内心びくびくしている自分に、背徳的な高揚感に気づかない振りをするために。
「しかし……」
「戦場に行かれるお義兄様に『
「……分かりました、侍女の方を呼んで参ります」
突然の事態を理解できず戸惑うアレクサンダーをそのまま放置し、エリザベートは緩く編んでいた髪からリボンを引き抜く。
アマリアが飾ったピンク色の花が髪から落ちたが気に留めず、解けた紺色のリボンをエリザベートはアレクサンダーの手首にきつく結んだ。
ほどけないようにしっかりと結ぶエリザベートをアレクサンダーは呆然と見ていた。
「お守りです」
「……ああ、ありがとう」
身につけたものを外して渡す行為は二人が親密であることを示すのだが、純粋に『お守り』と思っているエリザベートの気持ちに水を差さないためにアレクサンダーは黙っていた。
「ありがとう、大事にするよ」
「大事にしてください、そのリボンは私のお気に入りですから……汚れていても、千切れていても構いません。どうか……絶対に返してください」
***
エリザベートの侍女を連れてきた兵士に人払いを命じ、ベランダに一人残ったアレクサンダーは欄干に寄りかかり深いため息を空に向かって吐いたが、
「……卑怯だろ」
ぶわりと顔に熱がたまり、アレクサンダーは片手で自分の赤くなった顔を隠す。
熱が引くまで人前に出られない。
「この夜が終わるまでここにいる羽目になりそうだ」
『困った』という風に言う口許のゆるみは隠せず、アレクサンダーはリボンに唇を寄せるとそっと口づけた。
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