第7話 烽火の軌跡
国王が主催する出兵する兵たちのための式典の場合は「勝利祈願」となるが、中立の立場であるべき聖女が主催する場合は「兵士の無事を願う」ための式典となる。
具体的に決められた式次第があるわけではないため、エリザベートは王宮の官吏や侍女たちと相談しながら式典の内容を決めていった。
「騎士団長、時間をとってくれてありがとう。早速なのだけれど式典で……」
次の出兵まで時間がないため、人を送って返事を待つ間も惜しくなったエリザベートは王城内のあちこちに足を運んだ。
妃殿下に足を運ばせてしまったと恐縮する者たちには悪いと思ったが、エリザベートはこちらの方が性に合っていた。公爵家は使用人も家族のように扱うため、自分だけ動かずに周りを動かすやり方にはどうにも慣れなかった。
今回のように騎士たちの練習場に来ることは気分転換にもなる。
エリザベートは騎士団長が書類を確認するのを待つ間、練習場に顔を向けて騎士たちの訓練を見ていた。そして彼らの剣や槍についたお守りに口許を緩める。
「侍女たちも騒いでいるけれど、騎士団の方々はとても人気者なのね。お守りをいくつもつけていらっしゃる方がいるわ」
エリザベートの視線の先、金髪の騎士が振り回す槍の先には色とりどりのリボンがたくさんついていた。大きさも様々で、なかなか興味深い。
「建国のときからある騎士団の伝統ですからね。あの槍の騎士は伯爵家の次男で、技術もあり、容姿も優れているので令嬢たちから大人気なんですよ」
「まあ、そうなのですね。団長様、あちらの方々は?みなさん、何もつけていませんが今回は行かない方々なのかしら」
エリザベートが指さした先を見た騎士団長は苦笑して、
「彼らは孤児院出身なので……いまの騎士団は試験に受かった者ならば平民でも登用していますが、こういうことではどうしても差ができてしまいまして……」
「そうなのですね」
仕方がないこと。
それはそうなのだが、彼らのうちの一人が他の騎士の煌びやかな剣や槍を見て、その目に宿る羨望にエリザベートの心が痛む。
(無事に帰ってきて欲しい、つまり『帰るところ』があるという意味……)
エリザベートは執務室の机の引き出しの中にいれたままのお守りを思う。
アレクサンダーが戦場に行くと聞き、エリザベートは四つのお守りを作った。
あのようなことがあって気まずさもあったが、幼馴染ともいえる間柄で妹分としてお守りを贈ることはおかしくないと思っていた。
しかし侍女たちの噂話で、戦に行く者に渡すお守りには『あなたの帰る家になりたい』という想いがこもっていると聞いてアレクサンダーに渡せなくなってしまった。
他の三人と同じように、そんな他意なく贈ってしまえばよかったのに、一度知ってしまった以上はアレクサンダーに渡すことはできなかった。
あんなことがあり、結婚した身で愚かだとしか思えないが、幼い頃から抱いてきた気持ちを無にすることがエリザベートにはできなかった。
(せめてセバスチャン殿下がもっと……いいえ、人の所為にしてはいけないわ)
アレクサンダーではない男性と結婚し、夫となった者に貞節を誓う。
始まりは政略結婚でも夫に対して何かしらの情を抱けば、十代の恋など泡沫のように消えるとエリザベートは思っていた。
(自分の心なのに、うまくいかないものね)
初夜のことで夫に対する情も期待も完全に枯れ、いまも夫はマリアンを『補助要員』として南にある享楽の国アラシャーランドに『視察』に行っている。
それに対してエリザベートが感じるのは虚しさだけで、悋気はもちろん寂しさなど一切わかなかった。
***
「殿下、どうかご無事で。殿下のために何かしたいのに、何もできない無力な自分が情けないですわ」
「気持ちだけいただきますよ」
(いま身につけているドレスや宝飾品を売った金を寄附してくれれば兵士たちの食事情が向上する、とは思わないのだろうな)
「さぞご不安だと思います。殿下の荒ぶる心を鎮めるため、ぜひ今夜は一緒に」
「失礼、他に挨拶したい者がいるので」
にこりと顔に微笑を貼り付けると、令嬢たちの囲いからアレクサンダーは抜け出す。
戦場に行く兵士を労うための会というのに、この場に兵士は招かれず一部の将軍クラスだけが参加している。軍服よりも煌びやかな夜会服を着た者の方が圧倒的に多く、戦場では夢でしか見られない料理がズラリと机の上に並ぶが誰も手をつけていない。
(第二王子派も必死だな)
アレクサンダーの出征が決まって以来、第二王子派は自分たちも兵士たちを応援していると言わんばかりに集会や夜会を開いている。
しかしフタを開ければ多額の税金を投じたただの貴族の社交場、供された料理は翌朝の廃棄物となるだけだった。
欺瞞と虚飾に満ちた夜会の参加者の行動や表情は二つに分かれる。
太陽のようなエレスティア宮のイメージから
一方で、月のようなセレンディア宮のイメージから
第二王子派主催の夜会は通常ならば白が多いのに、今回は圧倒的に黒の方が多い。
白を着た若い貴族はどこか気まずそうで、気が進まなくてもこの場に来ざるをえなかったのだろう。そういう意味では気の毒だ、とアレクサンダーは苦笑した。
ざわり
会場の入口が騒めき、黒を着た者たちの眉間に皴がより、白を着た者たちの顔が安堵したことから、アレクサンダーは貴族派の重鎮がきたのだと察したが、それは意外な者だった。
パッと人垣が割れたと思うと、アレクサンダーの目に入ったのは異母弟と、異母弟にエスコートされた、
「……あの女は誰だ?」
「ゴールドフォグ男爵家のマリアン嬢です。第二王子殿下のご学友で、殿下の補佐官のうちの一人です。『聖女』は中立である必要があるため、姫様をエスコートするわけにはいかなかったのでしょう」
それならば一人で参加すればいいとアレクサンダーは思ったが、エリザベートをエスコートしているのでなければ異母弟が誰をエスコートしようと構わなかった。
主要な参加者が集まったという連絡がいったのだろう。
ラッパが高らかに国王の入場を知らせ、この国の王が堂々とした足取りで階段を下りてきた。
国王の後ろには王の従兄弟であり信頼の厚い最側近・ローズウッド公爵。
そして国王がエスコートするのはセバスチャンの生母であるアウレリア王妃ではなく、エリザベートだった。
「親父殿、役得だな」
「そうですね」
エリザベートは貴族派の象徴である白色のドレスに、国王派を象徴する黒色のマントを羽織っていた。マントを留めるピンは青色の宝石で、見覚えのある意匠に元は自分の送った首飾りだとアレクサンダーには直ぐに分かった。
(公爵の気遣い、か……いつの間にあんな表情をするようになったのだろう)
アレクサンダーの知る“マリー”はパステルカラーの衣装を好み、春に咲くミモザのように明るく微笑む少女だった。しかしいまアレクサンダーの目の前で、国王のエスコートされて降りてくる“エリザベート”の微笑みは静かで、黒いマントの影から見え隠れする白いドレスが夏の夜に咲く月下美人を思わせた。
「音楽を。そうだな、『銀月のワルツ』にしよう。私と踊ってくれるかな、聖女殿」
「はい、よろこんで」
国王の差し出した手に、小さくて華奢な手がのる。
本来ならばファーストダンスは配偶者や婚約者と踊るのが習わしだが、義父でもある国王の誘いならば受け入れても問題ない。
それよりも選曲のほうが問題で、案の定、楽団の指揮者は戸惑った表情で国王とアレクサンダーを見た。
会場もざわつき、視線が集まる感覚に気まずくなったアレクサンダーは持っていたグラスを傾けて、酒を飲む振りをして表情を隠す。
ざわつく会場を落ち着かせたのはローズウッド公爵の凛とした声だった。
「演奏を始めなさい。この夜会は戦場に行く者たちを励ますもの、隊を率いていく第一王子殿下の御生母が生前好きだった曲で始めるのはよいことです。構いませんか、王妃陛下」
「……もちろん。亡きエレナ妃も天から王子の無事を願っているでしょう」
アレクサンダーが生まれる前から、アレクサンダー親子の平穏と無事を脅かし続けた王妃の厚顔と、王妃から送られる秋波をものともしないどころか目一杯利用する公爵の狸っぷりに苦笑半分、呆れ半分。
そんな気持ちをおくびにも出さず、
「両陛下の御温情に感謝いたします」
礼をする自分も立派な道化だとアレクサンダーは思った。
王城で一番立派な夜会会場に『銀月のワルツ』が流れ始める。
セレンディア宮の静かなダンスホールで聞くオルゴールの音とは違う活き活きとした音色が心地よかった。
アレクサンダーの視界の中で、ダンスホールの中央で向かい合った父王とエリザベートが礼をする。
手と手が重なり、国王の手袋をはめた手がエリザベートの腰に添えられる直前に、
「陛下!」
ぐらりと姿勢を崩した国王にエリザベートは悲鳴を上げた。
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