第6話 別れの選択

「エリザベート様、ご報告が……」


 エレスティア宮の侍女服のように青白い顔をしたアマリアの表情に、緊急事態だと悟ったエリザベートはアマリア以外の使用人を全て下がらせた。

 しかし二人きりになっても口を開こうとしないアマリアにエリザベートは急いで防音魔法を展開すると自分とアマリアを包んだ。


「アレクサンダー殿下がヴァルモント帝国との国境で起きた戦に行く参加するそうです」

「……嘘。それは……貴族派の予想や願望ではないの?」

「私もそれを疑い……公爵様にも確認をとりました。事実です。三ヶ月後に派遣される部隊を率いて行かれるそうです」


 ハートフォード王国の北にあるヴァルモント帝国では寒波などが原因で数年に一回飢饉が起きる。先代の皇帝はそれを解決するためにハートフォード王国と貿易を活発化し、北で豊富な鉱物などの資源を交易品にして食料を輸入していた。

 しかし、その後に帝位を継いだ彼の息子は戦争によってハートフォード王国の穀倉地帯を奪おうとしたが、国力が拮抗している二つの国の戦争は泥沼化していた。


「国境沿いでは治安が悪化し、いまは大丈夫だそうですが疫病が流行ることもあるとか」

「ジェ……、いえ、アレクサンダー殿下の出征は王妃様の進言?」


 エリザベートの考えはこの国の王太子争いを考えれば当然のことだったが、アマリアは首を横に振り、


「アレクサンダー殿下が自ら志願したそうです。陛下は許可しなかったそうですが……最後には折れて許可したと」

「陛下にとってアレクサンダー殿下はご寵妃だったエレナ様の忘れ形見ですものね……アマリア、陛下に面会したいと侍従長にお伝えして」

「畏まりました……エリザベート様」


 ツメを噛むのはエリザベートが不安になったときに出るクセで、幼い頃からエリザベートの傍にいたアマリアは優しくエリザベートの手をとるとそれをやめさせた。


「ご安心ください。殿下についてシェイド、ウィスパー、ヴェールの三人も一緒に戦場に行くことが決まりました」

「あの三人も行くのね」


 エリザベートの頭に公爵家の影だが、エリザベートがアレクサンダーに初めて会ったときに父公爵がアレクサンダーへの謝意として付けた三人の護衛の顔が浮かぶ。

 公爵家の影には基本的には名前がないが、表向きには護衛となる彼らに名前が必要だと思ったアレクサンダーはエリザベートに名付けを頼んだ。


 剣が得意で、アレクサンダーの剣の師匠でもあるシェイド。魔法が得意で、アレクサンダーの魔法の先生でもあるウィスパー。そしてヴェールは暗器を自在に操り、情報収集などの隠密行動と料理がとても上手だ。


「殿下の実力に合わせて彼ら三人がいれば滅多なことはありません。もしかしたらこの長い戦争を終わらせることもできるかもしれませんわ」

「……そうね」


 ***


「国王陛下」


 エリザベートが礼をすると、ハートフォード国王であるエドワード・アーサー・ハートフォードは鷹揚にうなずいて侍従長以外の者を下がらせた。


 睨んだり、疑わし気な目を向ける若い近衛騎士たちにエリザベートは苦笑する。

 彼らにとっては貴族派が推すエドワードの妃になったエリザベートは、絶対的な皇帝派であるローズウッド家から出た裏切り者となるのだ。


「エレスティア宮での生活はどうだ?」

「はい、不自由なく暮らしております」

「そうか……さて、このタイミングで私のもとにきたということはアレクサンダーの件かな?」

「陛下のことが心配で……大丈夫ですか?」


 エリザベートから見てエドワードとアレクサンダーは仲のよい父子だった。

 エレナの死後は会うことは減ったが、エドワードはエレナの月命日には必ずセレンディア宮を訪ね、エレナの墓に花を供えた後にアレクサンダーとお茶を飲みながら思い出話や近況報告をしていた。


「やはり娘はいいな。セドリックの娘自慢が羨ましくて、エレナに娘を産んでくれと懇願したのを思い出したよ。アレクサンダーときたら『城下の市場に行ってくる』というような気軽さで戦場に行くというのだから困ったものだ」

「そうですね……陛下、私にできることは何かありませんか?」


 気落ちしたエドワードを励ましたい気持ちで言ったことだったが「実はお願いしたいことがあったんだ」と早速いわれてエリザベートは驚いた。


「今度の勝利を願う式典を『聖女』として主催して欲しい」

「王子妃、ではなく?」


「先ほどの近衛兵をみれば分かると思うが、いまの君の立場は微妙だ。それに、正直言うと隣国と戦争しているいまは王位継承争いを拮抗状態に保ちたい。王子妃として何もしないという方法もあるけれど、有用なエリーを遊ばせておくほどの余裕はない。それなら『聖女』として活躍してもらおうかなと。もちろん、この件はアヴァロンの承認を得ている」


 アヴァロンはこの世界のどこにも属さない一族。

 世界で一番高い山の麓に住み、族長は神の声を聴き、神から借りていると言われる光の魔法を使うことができる者たちを保護している。


 光の魔法を持つ者以外には門戸を開かない閉鎖的な一族で、ほとんどの者がアヴァロンの里で一生を終える。


 しかし例外もあり、それが里から出て活動する『聖女』や『聖人』と呼ばれる者である。彼らは世界各地に赴いては神の恩恵を与えてきた。

 その代表が治癒と回復という、ひとの生命に関わりのある魔法だ。正直言って、生きてさえいれば治せるという卑怯にもほどがある神の御業だ。


「君は聖女ヴィヴィと、アヴァロンが認めたセドリックの娘。加えてヴィヴィは現在の族長の妹姫だし、君は光魔法が使える。アヴァロンは君が『聖女』と名乗ることを問題なく認めてくれた」

「分かりました、陛下とアヴァロンの考えに従います」


 ***


「姫様が式典の聖女に決まりました」

「そうか……親父殿はマリーを中立にして王太子争いを長引かせるつもりだな」

「ご明察です」

「……で、『それ』は何だ?」


 「よく気づきましたね」とヴェールは褒めたが、アレクサンダーとしてはあんな風にどや顔でチラチラ見せられたら気づかないわけがないだろうと声を大にして言いたかった。


「姫様が戦地に行く私たちのために作ってくださったお守りです」

「……だよな」


 紺色のリボンにクリーム色の刺繍糸で『勝利を祈る』という意味の文様が刺繍されている。

 このお守りは騎士団の伝統的なイベントであり、送り主は伴侶、恋人、姉妹の順で周囲の羨まし度が変わるのだった。


「私は投てき系の武器が多いので手首に巻いていますが、他の二人は剣とスタッフに巻いていましたよ。そのためにわざわざ得物を白く染めて」

「……羨ましい」

「姫様自ら私たちの名前を刺繍して下さっているので、絶対にあげませんよ」


 色々な意味のこもったため息を吐いたアレクサンダーは、騎士団経由で届いた式典の計画書を見ると、聖女エリザベートの名前をなぞった。


「マリーは聖女ヴィヴィの娘。俺も詳しくは知らないが、聖女の娘は聖女になるのか?」

「全員が聖女になるわけではありません、資格を得られた者のみが聖女になれます。姫様も資格はあるのですが……少々ややこしいことになっていますね」


「聞いていてなんだが、ヴェ―ルはアヴァロンに詳しいな。アヴァロンの里に行ったこともあるのか?」

「はい、公爵様がまだ公子様だった頃に当時のアヴァロンの族長に呼ばれまして、護衛騎士として里までご一緒しました」

「へえ、五年以上こうやって一緒にいるのに知らないことはまだまだあるな」


「ふふふ、男は年齢の数だけ秘密があるのですよ」

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