第5話 青に願う
「ここにセバスチャン・ウィリアム・ハートフォードとエリザベート・マリア・ローズウッド・ハートフォードの結婚を認める」
高位神官の朗々とした宣言にかぶさるように拍手が響き、祭壇の前で微笑み合う若い男女に次々と祝いの言葉がかけられる。
そんな二人の姿を目に焼き付けるように昏い目を向けていたアレクサンダーは拍手していた手を下ろすと、同じ最前列に座っていた父王に「外の空気を吸ってきます」と言って席を立つ。
いつも堂々としていた公爵が一回り小さくなったようで、自分に向ける申しわけなさそうな視線に耐えられなかった。
「マリーが義妹、か……笑えないなあ」
乾いた声で笑ったアレクサンダーは礼服のジャケットの内側に忍ばせておいた携帯用ボトルを取り出し、下町の酒場が『とりあえず酔うならこれ』と言って勧めてきた強さだけがウリの酒を喉に流し込む。
カッと焼けるような熱さが喉を下り、その刺激に思わず目に涙が浮かぶ。
「アレク」
「ニック、久しぶりだな。『事故』でケガを負ったと聞いたが……無茶をし過ぎだ」
アレクサンダーの言葉にニコラスは胸に手を当て、その下にある固く巻いた包帯の白さとその面積を思い出して顔をしかめる。
「そんな顔色で妹の門出を祝うんじゃないよ」
「……アレク」
ニコラスのすまなさそうな顔にアレクサンダーは苦笑し、再度ボトルを傾け、もう一口飲む。そして自分の胸元を見下ろしながらポツリと呟く。
「首飾りのこと、ありがとう……想像通り、よく似合っていた」
「あれくらいしか、できることはないから」
『花嫁が青いものを身につけると幸せになれる』
そんな伝説に願いを込めて、アレクサンダーが注文した青い首飾りは、ニックの手を借りてエリザベートのもとに届き、花嫁の首元で青く輝いていた。
「お前に渡したいものがあるんだ……よけいなお世話かもしれないけれど」
そう言ったニコラスは礼服のポケットから手の平サイズの貼られた箱を取りだし、アレクサンダーの胸に押しつける。
紺色に光るビロードとそれを意味するものにアレクサンダーの口の端が僅かに引きつる。
「これは流石に……いくらマリーに似ているといっても、ちょっと困るというか……」
「……勘違いするな、俺も女の子が好きだ。これは……とりあえず中を開けてみてくれないか?」
ニコラスの言葉にアレクサンダーが箱を開けると、中に入っていたのは懐中時計。
それなりに価値のあるもののようだが、
「今日は俺の誕生日ではないぞ?」
「……いま何時だ?」
ニコラスの言葉に時計のフタをあけ、文字盤に映る姿絵に気づいてフタの内側をみる。
「あの日、あの青い首飾りを贈った日に……画家を呼んでおいて描かせたんだ。うちの庭で……今日よりよっぽど美人で、可愛く笑っているだろう?」
今日アレクサンダー見たエリザベートは美しかったが人形のようで、心から同意するとニコラスの言葉に力強くうなずいた。
「シェイドから報告を受けた……戦場に行くというのは、本気か?」
「隣国との国境戦は『誰かさん』の思惑で泥沼化している。周辺の領地では民が多く死に、逃げた領民たちは難民となって他の領に渡るが生活はままなっていないと報告を受けている。誰かがやらなければいけないことだ……だから、俺がやる」
「『誰かさん』がいま一番に死んで欲しいと思っているのはお前だぞ?罠にかかりに行くようなものじゃないか」
「俺が行けば奴らの手は分散し、動きやすくなるだろう?それに……少し距離をおきたいんだ。分かっていたことだったけれど……覚悟が足りなかった」
本意ではなかったとはいえ、触れそうなほど近づいていた二人の手を先に引っ込めたのはアレクサンダーのほうだった。
それだけではない。
ひっこめる前にエリザベートの肩、異母弟のほうへと押すような真似もした。
自分で決めたことだというのに、アレクサンダーの心は叫ぶ。
エリザベートの夫となり、我が物顔でエリザベートの腰に触れる異母弟に『触れるな』とつかみかかりたくなる。
政略的なものでも有効な関係を築く。そんなエリザベートの性格を知っているのに、自分ではない男に微笑みかけるエリザベートが憎らしくなる。
「今夜は下町に飲みにいこうぜ。そんな酒よりももっと最低で、もっと酔える酒を出す店はまだまだあるからな……アレク、死ぬなよ」
「お前もな……焦らないでいこう」
***
「いま、何と?」
婚姻の儀を終わらせるため、エレスティア宮の侍女の手を借りて夜の準備をしたエリザベートは、式のときとは打って変わって冷たい、憎しみすら感じる瞳で睨むセバスチャンに驚き、その言葉の理解をし損ねた。
そんなエリザベートにセバスチャンはわざとらしく大きなため息を吐き、
「この結婚は形だけ、と言ったんだ」
「なぜ、です?」
「俺には恋人がいるからだ。彼女以外を妃としても、俺にとって本当の“妻”は彼女だけだ」
『恋人』と聞いて一人の令嬢の顔が浮かんだ。
多くの令嬢が『最高の結婚相手』であるセバスチャンとの結婚を羨むなかで、嘲るような目を向けていた金色の髪の女性。
(あの席は高位貴族ではなかったから、彼女が妃になることは無理だったのね)
貴族社会では爵位は越えられぬ壁であり、王子妃になるには侯爵令嬢以上であることが慣例である。
稀に力のある家だったり、令嬢本人が才能豊かな場合などの例外はあるがそれでも伯爵令嬢で、下位貴族である子爵家や男爵家の令嬢が『妃』になることはできない。
しかし、例外がある。
それが『愛妾』という公的な愛人で、アレクサンダーの生母であるエレナ妃がそうだが「王家の存続」の目的のためだけに王宮に迎え入れられた存在である。
彼女たちは王によって宮を与えられ、政治に利用されないために生涯その宮から出ることができない存在である。
(形だけ……『妃』として私を迎え、「子どもができないこと」あたりを理由に彼女を『愛妾』として迎えるつもりなのね)
透けてみえるセバスチャンの案にエリザベートは呆れたが、同時に自分にも呆れた。
形だけの結婚だと聞いて安堵したからだ。
エリザベートは脳裏にチラチラと浮かぶチョコレート色の髪の持ち主をかき消す。
(この結婚は『王族』の結婚……結婚の確認はどうするつもりなのかしら)
別に好んで愛し合う二人の間に入り込んだわけではないのに、と敵意を隠さない夫にエリザベートはため息を堪え、視線を廊下に通じる寝室の扉に向ける。
このエレスティア宮の主寝室の近くには神官が待機しており、彼は明日の朝に花嫁の体内に巡る王族の魔力を測定し、婚姻が成立したことを確認することになっているのだ。
「神官の確認はどうなさるのですか?」
「ふん、愛さないと言っているのに妻の座に執着するなど浅ましい。それについては解決している、そろそろ……ほら、来たな」
書棚のほうから聞こえたコンコンという音にセバスチャンはニッと笑い、書棚の本を慣れた手順でとっていくと、魔法陣が起動した。
いざというときの脱出路なのだろう、壁に大きな穴があいた。
(やっぱりあのご令嬢だったのね……でも、髪の色が?)
彼女はセバスチャンに向かって「ウィリー」と親し気に声を掛け、セバスチャンが拡げた両腕の中に笑顔で飛び込む。
そんな彼女を抱き留めたセバスチャンの手が撫でる髪の色は栗色で、教会でみた金色とは違う髪色に『今後の展開』の想像がついた。
「殿下、その方を紹介していただけませんか?」
「なんだ?お前はマリアンを知らないのか?全く、公女だともてはやされているから高慢なことだ」
自分のことは誰でも知っていると思うことのほうが高慢なのだが、『王子』であるセバスチャンは自分のことを知っていて当然と考えても仕方がないとエリザベートは折れ「申しわけありません」と頭を下げることにした。
頭を下げていたので見ることはできなかったが、女性の嘲り混ざりの吹き出す音が聞こえた。なかなか性格のよい方だとエリザベートは思った。
「仕方がないわ、ウィリー。
「全く、マリアンは優し過ぎるんだよ」
「優しくしてあげなきゃ。この子は私たちのこれからに欠かせないのだから」
(……“これから”、ね)
ここにきてセバスチャンが口を開く直前まで、エリザベートの『これから』には夫となったセバスチャンがいて、政略結婚であっても互いを尊重し、いずれ夫婦での友人でもよいから『情』が生まれればよいと思っていた。
しかし結婚初日、それも初夜に浮気相手を紹介しただけでなく「数年後には浮気相手を愛妾に迎えて子を産ませ、その子を後継者にする」と言った夫に情がわくわけもない。
「結婚式は貴女に譲ったけれど、ウィリーは私のものなの。だからもう返してもらうわ」
「マリアン、私の秘密の花嫁。神官も新床を終えた花嫁の顔をまじまじとは見ないだろうからね……美しい金色の髪がこんな地味な髪色にしなくてはいけないとは」
「心配しないで、ウィリー。こんな髪色は今夜だけよ。そう思えば刺激的じゃない?」
「そうだな……分かったらさっさと扉の向こうに隠れていろ。神官の確認が終わったら扉を三度叩く」
「あら、だめよ。花嫁の純潔の証くらいはご自分でやっていただかないと」
「そうだったな」とセバスチャンは懐から小刀を出し、ベッドの上に放る。
「敷布に血をつけていけ」
「……分かりました」
エリザベートは小刀を手に取り、指の先を切り肌の上に血を浮かせる。
そして偽装を終えると、詠唱をして傷を治す。
「へえ、治癒魔法が使えるのね」
「この女の母親が聖女ヴィヴィだからな。希少な魔法の使い手だから母上たちは妃に選んだようだが、俺には君だけだ」
「キャッ……やだ、まだいるじゃない」
ふざけ合う声を背中で聞きながら、エリザベートは先ほどマリアンが出てきた扉を潜り、秘密通路に身を潜めた。
エリザベートにとって虚しいだけの夜だった。
ただ一つエリザベートがわかったことは、男女の営みとは美しくもなんともないということ。
部屋の中の様子を探れるようになっているのか、扉の隙間からマリアンの甲高い悲鳴のような声やセバスチャンの唸り声がエリザベートの耳に絶え間なく届く。
指南書にあったような、ある種の神聖さを感じさせる儀を想像していたエリザベートにとって耳に届く音全てが生々しい。
ふと、エリザベートの脳内で指南書の誰でもなかった男がアレクサンダーに代わる。
そして耳に届く音が想像力を刺激し、あの夜も、あの夜ではない違う夜も、アレクサンダーは身を委ねる女性を腕に抱き、息を荒らげ、唸り声をあげたのだろつとエリザベートは思った。
「……っ」
エリザベートの閉じた瞳から涙がこぼれたが、小刀で切った傷が癒えきれてなかったのだと嘘をついた。
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