第4話 霧の中の真実

「……嘘」


 小さかったが、静かな部屋に響いたエリザベートの声が聞こえたのか。

 ベッドが微かに揺れ、体を起こしたアレクサンダーの姿にエリザベートは息をのんだ。


 シーツで腰周辺は隠れているが何も身につけていないのは一目瞭然だった。


「マリー?どうしたんだ?今日は約束してなかった……なかった、よな?」


 思考がぐちゃぐちゃで言葉が出ないエリザベートとは対照的に、アレクサンダーはいつも通りだった。

 自分に見られて困ることですらないらしいという事実に、エリザベートは鈍器でガツンと殴られた気分だった。


「あの……誰、ですか?」

「誰って……ああ、彼女?」


 アレクサンダーが隣の膨らんだ山を隠していたシーツを少し避けると淡い金髪が流れ出た。

 エリザベートは直視できずに目を逸らした。


「夜会で気が合って、なんとなくの流れで。マリーももうデビュタントだからいいよな。大人の社交界では珍しくないことさ」

「その女性ひとと……婚約、いえ、結婚するの、ですか?」


 エリザベートの耳にアレクサンダーの吹き出す音が聞こえ、続いた笑い声にゾッとする。


「やっぱり君はまだ子どもだな……まあ、箱入りのお嬢様じゃあ仕方がないか。公爵もニックも君のことを大事にしているからな。でも、世の中には俺みたいな男もいるのさ。いや、俺みたいな男のほうが多いんじゃないかな」

「……ジェイ様と兄様は仲が良いじゃありませんか」

「女性に対する考え方が違っても友だちにはなれるからね。まあ、男同士だし。でも、その様子だともう友だちではいれなさそうだな、マリー……いや、エリザベート嬢」


 突き放すような言葉にとっさにエリザベートは気まずさを忘れてアレクサンダーを見ると、自分やニックに向けられたことはない冷徹な第一王子の目と視線が絡まる。


「申し訳ないが、出ていってくれるかい?」

「はい……許しもなく、失礼いたしました」


 目の奥が痛み出したことに気づいたエリザベートは顔を伏せ、そのままアレクサンダーに背中を向けて退室しようと思ったが、扉を開けた瞬間に、


「そう言えば、ここにきたってことは何か用事があったのか?」

「いえ……あ、はい……用事がありました。私と、第二王子殿下との婚約が決まりました」

「ああ、そうなのか。おめでとう、あとで祝いの品を届けさせよう」


(バカみたい……少しでもいいから傷つけたいと思って、もっと傷つけられるなんて)


 ***


「ゲートが作動した……もう出てきていいぞ」

「……ああ」


 アレクサンダーの言葉に、隣にいたニコラスは体を起こした。

 頭にかぶっていた金髪のかつらをむしり取り、周囲に散らばった女性物の服と一緒に袋の中に雑に押し込んでいく。


 一部始終を聞いていた者として何か言うべきだと思ったが、うつむいたまま動かないアレクサンダーの姿に何を言っていいか分からず、口を何度かパクパクと動かして沈黙に逃げた。


「悪い……一人にしてくれ」


 声の震えに気づかない振りをして、ニコラスは「分かった」と答えると部屋を出た。


 願いを叶えてくれた親友のためにできることは一刻も早くこの場を離れること。

 そしてエリザベートの名を、マリーと呼ぶその慟哭を聞かない振りをすることだけだった。



「アウレリア王妃、シャドウモーン侯爵……絶対に許さねえ」


 妹エリザベートとの婚約を諦めて欲しいといったとき、当然ながらアレクサンダーはその理由を求めた。

 彼には聞く権利があると父公爵の許可はすでにとってあったため、ニコラスは事情を説明した。


 語りたくない公爵家の過去だったが親友のために最後まで語り、「しばらく時間が欲しい」とアレクサンダーが言ったときはニックもホッとした。

 「協力して欲しい」という手紙が来たのは二日後の夜だった。


 エリザベートにアレクサンダーの事後の現場を見せることをニコラスは反対した。

 エリザベート一筋のアレクサンダーとは違って世慣れて男女の機微をよく知るニコラスには、この結果でエリザベートはアレクサンダーを嫌悪する、もしかしたら一生信頼を寄せることはない、だから考え直せと何度もアレクサンダーを諭した。


 それでもアレクサンダーの決意は変わらなかった。


 自分が嫌われれば嫌われるほど、エリザベートが第二王子との婚約の裏を探ることはないとアレクサンダーは言った。

 公爵もニコラスも仕方なしに第二王子との婚約を許諾したのだと、ただ一人で悪者になることを決めてしまった。


「エリザベートがこれからも俺と父上は味方だと思えるようにって……大馬鹿野郎が」


 ***


「ドレスを作り直すのですか?」

「ええ、水色のドレスがいいの。時間もないからデザインはマダムに全てお任せすると伝えてくれる?」


 婚約を嫌がっていたのが嘘のように、数日ふさぎ込んだあとに突然婚約を受けいれたエリザベートにアマリアは戸惑った。

 しかし新たに水色のドレスを仕立てるように公爵から聞いていたこともあり、それ以上何も聞かずにエリザベートの指示に従った。


「なにも聞かないでくれてありがとう……そうね、長い夢から醒めただけなの」

「夢、ですか」

「そう……でも、もう大丈夫。私は筆頭貴族ローズウッド公爵の娘、エリザベート・マリア・ローズウッド。この国の貴族として義務を果たさなくちゃ」


「義務……セバスチャン殿下との婚約は義務なのですか?」

「ええ。でも、誰であれ結婚するなら互いに尊重し合って、慈しみあえる、そんな幸せな夫婦になりたいと思っているの」

「お嬢様なら大丈夫ですわ……ええ、大丈夫ですとも」


 自分に言い聞かせるようになってしまったことを、アマリアは仕方がないと思った。

 思わず視線が部屋のトルソーに掛けられたクリーム色のドレス、エリザベートが三ヶ月かけてマダムと打ち合わせて完成したドレスに向かう。

 そんなアマリアの視線を追ったエリザベートは苦い笑みを浮かべ、


「あれは捨ててちょうだい……勿体ないけれど、下げ渡すのも嫌だから」


 黙って頷いたアマリアがトルソーからドレスを外すのをぼんやり見ていたことに気づき、エリザベートは落ち込む気分を上げるためにわざと明るく振る舞う。


「水色のドレスができたら、次はウエディングドレスを注文することになるわね」

「え……そんなに直ぐ、ですか?」


「セバスチャン殿下は二十歳、成人して二年も経っているもの。王族の場合は後継ぎのことを考えて早く結婚する傾向もあるし、一般的な婚約期間である半年を過ぎたら結婚することになるでしょうね」

「結婚したらお嬢様はお城に行かれるのですね」

「セバスチャン殿下のエレスティア宮で暮らすことになると思うわ。どんなところかしらね、いまから楽しみだわ」


 王と王妃が暮らす宮殿を挟むように二つの離宮、第一王子アレクサンダーの住まいであるセレンディア宮と第二王子セバスチャンの住まいであるエレスティア宮がある。

 セレンディア宮とエレスティア宮は距離はないものの二つを繋ぐ道はなく、国王の侍従を除いて二つの宮殿を同じ者が訪れることはない。


(エレスティア宮に行ったら公式の場以外で会うことはなくなるのね)

 

 いままでの五年間が突然消えるわけがない。

 寂しいと思うのは仕方がないことだと、エリザベートは力なく笑った。

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