第10話 誰かのために

「……少し、驚かせてしまいましたね」


カーシャはそう言って、アリアの鱗に手を当てた。


【――――】


よくわからない言葉が、再び聞こえたかと思うと、アリアは元の姿に戻っていた。


「…………私、どうして」


口に出せたのは、その1言だけだった。アリアの頬を、涙がつたう。


「申し訳ありません。ですが、たとえ貴女に嫌われたとしても……僕は皇子として、これだけは。お伝えせねば、ならなかったのです」


カーシャの声音が重い。


「我が国には今まで、龍がいなかったのです。それでも国が滅びなかったのは、僕の父が異界へ行き、先代の龍と共に帰還することが出来たからです。先代の花嫁は病弱で、彼女を長く生かすために、龍は花嫁と共に異界に住まうことになりました。龍が異界に移った国であっても、次代の龍は生まれます。我が国も、次代の龍を待ち望んでいました。しかし、待てども待てども、龍は生まれませんでした。父が龍と共に異界から帰ってきても、それは所詮一時的なものです。先代の花嫁は、異界でしか暮らせないのです。それゆえ、先代の龍は、常に異界のことを気にしていました。1年のほとんどを異界で過ごして、欠かせないお役目……他国との折衝の時だけ国に帰ってくる。そんな、龍でした」


アリアは涙でにじむ瞳で、カーシャに鋭い視線を向けた。カーシャは、硬い表情だった。


「そんなこと、私に何も関係ない」


良くないことだとは、思っていた。恵子としての記憶を持つアリアは、ティーナやカーシャより、年上だ。こんなことは、大人として、許されることではないと。分かっていても、感情が抑えられなくて。


「私は、龍なんかじゃない!」


アリアはそう言って、部屋から飛び出した。自分でも、どこに向かっているのか分からない。邸の中を駆けて、駆けて。庭の1角でうずくまる。


(英一郎さん……どうして、迎えに来てくれなかったの……)


寂しくて、悲しくて。何故だか分からないけれど、不安で仕方がない。ここに居ない大好きな人のことを考えながら、アリアはずっと泣いていた。


――――


「……ここにいらっしゃったんですね、アリア嬢」


どれくらい、時間が経ったのか。カーシャの声が聞こえて、アリアは顔を上げた。目が合った瞬間に、カーシャの強ばった表情が和らぐ。


「貴女が誰を選ぼうと、それは貴女の自由です。本当は、この世の誰であれ、龍の唯一は奪えない。そうと分かっていても、僕は……」


カーシャが近づいてくる。アリアは肩を強張こわばらせた。


「僕は、貴女の花婿になりたいんです。貴女が思う人がどこにいるのか、僕には分かりません。でも、もし。もしもその人が、貴女の花婿でないのなら。僕に全てを預けてほしい。お約束します。僕なら、貴女に寂しい思いをさせることは、絶対に無い」


カーシャが、アリアに向かって、手を差し伸べた。その瞬間に、アリアは全てを理解した。龍にとって、花婿も花嫁も、本質的には同じなのだ。誰か、たった1人の大切な人に、自分を全て預けること。それが花婿や花嫁を選ぶということであり、そうしなければ、龍は不安に押し潰されてしまう。今、アリアが感じている不安と恐怖。それは全て、アリアが誰も選んでいないことから来ているのだと。


(……私、は)


どうすれば良いのだろう。たった1人、選ぶとするなら決まっている。英一郎さんだ。けれど、彼は何処にいるかも分からない。そもそも、恵子と同じように、この世界に生まれているという保証もない。今、ここで。伸ばされた手を、取りさえすれば。そうすれば、アリアは不安と恐怖から開放される。龍としての本能と、人としての感情がせめぎ合って、アリアは伸ばされた手を見つめることしか出来なかった。


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