実朝と言えば鎌倉、鎌倉といえば紫陽花、紫陽花といえば雨。トントントンと連想が浮かびますが、下駄のところで「どこへ飛んで行こうか」と岐路に悩まされる仕上がりかなと感じました。実朝の下駄というものが実在してるのか不勉強なので定かではありませんが、下駄が「どうなった」のかが気になるところです。見えているのか、音が聞こえているのか。ただ、そこに言及すると紫陽花の季語が弱くなる印象も。
雨音を感じながら、何度か脳内で振り返ってみたい一句ですね☆
作者からの返信
なるほど。言われてみると最後が投げやりでした。
紫陽花の雨に濡れながら(傘を差して)歩いていると、下駄をカランコロン鳴らしながら散歩する実朝公の後ろ姿の幻を見たよ、という句です。
もっと隙の無い妄想を句にしなければ。御指導ありがとうございます。
友未は逆に「げた」に惹かれました。げたの登場で実朝公が目の前に姿を現してくれました。
作者からの返信
友未先輩、ありがとうございます。嬉しいです。
傘を差して鎌倉の鶴岡八幡宮の砂利を踏んで歩いた時、傘で見えない方向に下駄を履いたお侍さんの一行を見た気がしたんです。病院に行った方がいいでしょうか。