0-02:新しい職場
あれから2年。
私はメイド長の厳しい指導を受けながら、使用人として働いてきた。
初めこそコネで入ってきた新人と噂されていたけれども頑張って食いついてきたのもあって、今では同僚として受け入れられていると思う。
新米メイドから卒業し一人前のメイドとして働いていると、雇い主である悟さんに執務室に来るようにと呼び出されてしまった。
休日には
(え。まさかとは思うけど、当主直々にお叱り?)
穏やかな顔で云われたけれども、何か不手際があっただろうか。
……いや、そんな事はないはずだ。
そんな恥を晒す前にメイド長から厳しい叱責があるはず。
(でも、大事な話って何だろう)
心当たりが全くないまま、繊細な模様が織られたカーペットの上を歩く。
行き届いた使用人の品性がその家の格を表すのだとメイド長は常々云っていた。
埃を立てないよう姿勢よくきびきびと、しかし慌ただしさを全く感じさせないよう品よく歩いていると重厚な扉が見えてくる。
深い飴色の扉はシンプルなデザインだけれども上品だ。
――コンコンコンコン
「御用命と伺い参りました。当主様、入室しても宜しいでしょうか」
「どうぞ、入りなさい」
「失礼致します」
静々と入り深々と礼をした後顔を上げれば、何時もなら執務机に向かって仕事を捌いている悟さんが窓際に立ち外の景色を眺めていた。
ふっと振り返ったその表情は雇い主の時とは違う叔従父の時の表情で思わず困惑してしまう。
悟さんは公私をきちんと分ける方だからてっきり仕事関係の話で呼び出されたと思ったのに違ったのだろうか。
なるべく表情に出さないように気を付けていたのに戸惑う私が分かったのか悟さんは微かに苦笑する。
「君の想像の通り今日は君に担当してもらいたい仕事について話し合うために呼び出したんだ。ただ雇い主と使用人では決定事項の通達になってしまうからね……。なるべく話し合いの中で良い案を見出したいから、仕事の話だが遠慮はしないでほしい。まあ、まずは席に掛けてくれたまえ」
「はい。失礼致します」
悟さんが執務室の一角に用意されたソファーセットに腰かけたのを確認してから
向かいの席へと腰を下ろす。
そのタイミングを見計らったように先輩メイドが紅茶を出して退出していった。
この優しい香りはきっと海石榴市で作られた和紅茶だろう。
以前先輩執事に屋敷にある茶葉や豆の産地とか特徴とか教え込まれたから多分そうだ。
オシャレなティーセットから漂う湯気の向こうで悟さんが柔らかく微笑む。
今日もナイスミドル、オシャレおじさまを体現している彼のこの柔和な笑みにやられたご令嬢やご婦人方は一体何人いるのだろうか。
まだ顔を合わせたことはないが、私よりも年上な一人息子が居るとは思えない。
……いけない、チャーミングな微笑に思わず現実逃避してしまった。
「メイド長から聞いたよ、君は真面目で物覚えがいいから可愛がりがいがあるって」
メイド長とは私を教育して下さった年配のメイドさんで代々この家に仕えている方だ。
物凄く厳しい人だったけれども、そこには仕事に対する誇りが見えてだからこそ完璧を求めているのだと態度から伝わってくる。
なにより凛とした佇まいで素早く優雅に仕事を終えてしまう姿はできる女!といった感じで単純に憧れていた。
そんな人に熱心に指導してもらえたのだ。
なにより悟さんに雇ってもらった時私はまだ高校生だったし、正式な手順で入った訳でもなかったからひたすら食らいついていくしかなかった。
「皆さん正式な手順で雇用されていますから、仕事で証明しなくちゃと思って……。
それにメイド長は厳しくも優しくて、教え上手な方なので」
「そうか。僕としては彼女仕事に関して厳しいから、そのうち君が泣きついてメイドをやめて家族になってくれるんじゃないかと少しは期待したんだけど。……よく頑張ったね、杏里」
「ありがとうございます」
冗談を交えつつ、努力を認めてくれた悟さんに
思わず頬が緩んでふにゃりとした締まりのない笑顔になってしまう。
いけない、今は仕事中だとはっとして表情を引き締めると苦笑される。
「そう硬くならないでくれ。……さて、本題に入ろうか。メイド長からそろそろ独り立ちさせてもいい頃合いだと聞いてね、君には正式に何らかの仕事に従事してもらう。候補の資料があるからまずはゆっくりと確認してくれたまえ」
「はい、拝読させていただきます」
渡された資料にはいくつかの候補が書かれていた。
まず本邸の方では清掃の担当と調理助手の仕事があげられている。
清掃は今までの経験が最も生かされそうで屋敷の掃除の他にベッドメイクなども業務内容のようだ。
調理助手の方は基本的に食器を洗ったり管理したりする仕事のようだ。
他にも下ごしらえを手伝ったり、買い出しを頼まれたりすることもあり料理の配膳、お客様がいらっしゃったときのお茶の用意も含まれる。
本邸以外だと候補地は3つあり、まず皇グループが管理するリゾートホテルの従業員としての配属。
ベッドメイクや清掃もあるが、基本はスイートルームなどのお客様への対応が仕事で
最終的にはコンシェルジュの1人になるように教育されるそうだ。
次に首都である
こちらはメイドというには少し異色な仕事内容で本邸に届けられる荷物や仕事を分類・管理し、必要があれば本邸へ連絡を取ったりするようだ。
最終的には重要な案件でない場合、手紙などの代筆を行い本邸の検閲を受けた後、郵送する仕事を割り振られるようだ。
最後に本邸から離れた所にあるナデシコ邸へコンシェルジュとしての配属。
ナデシコ邸は若い芸術家に貸し出しているアトリエ兼アパートメントで皇グループは彼らのパトロンとして支援しているそうだ。
その代わり皇グループからの依頼を時折受けているようだ。
ナデシコ邸での仕事は基本芸術家たちのサポートとケア、それに近況報告。
他のメイドたちもいるが、集中力を乱さないためにも人の出入りや人数は最小限のようで少数で様々な仕事をこなす必要があるだった。
コンシェルジュは芸術家たちと共にナデシコ邸に住み込みで働くようだ。
様々な候補があったけれどもどれも重要なものばかりで、そんな役目を任せてもいいと思ってくれたことが物凄く誇らしい。
だから私は一番気になった仕事を選ぶ事にした。
「ナデシコ邸付きのメイドとして働きたいです」
「ナデシコ邸か……ここから徒歩で1時間ほどかかるし丘の上だから行きは本当に大変だよ?それにあそこは男共の巣窟だし、癖のある輩ばかりだし、住み込みの使用人は居ないし夜勤の使用人もいない。君がこの仕事を受けてしまうと夜は君1人になってしまう」
「そうなんですか?」
てっきり何人か住み込みの使用人がいると思っていたのだが、違うようだ。
集中力が乱されるからなんだろうか……。
だけれども誰もいなかったら、夜中とか困るんじゃないだろうか。
そんな事を考えていると悟さんは渋い顔で事情を話してくれた。
「どうしても大人と若者の感性はズレてしまうのか、前任者とは折り合いがつかなかったようでね辞任してしまったんだよ。夜間の使用人をつけようともしたんだが、夜中に集中的に作業するものも多いみたいで、中々上手く行っていないのが現状だ」
だから新しいコンシェルジとして芸術家たちと年が近く、比較的穏やかな性格で
仕事を任せられる存在、つまり私に白羽の矢が立ったそうだ。
だけれども、その仕事を割り振ってくれたはずの悟さんは何故か項垂れてしまった。
「心配だ……。杏里は可愛いからきっと彼らに迫られるに違いない。やっぱり駄目だっ。監督者もいないのに若い男女が1つ屋根の下だなんて……!」
「悟さん、心配して下さっているのは有難いですけれど私もう19です。信じて任せて貰えませんか?」
「だけれども……」
煮え切らない悟さんをじっと見つめていると、暫くして折れてくれたのか
深々とため息をついてから、困った笑みを浮かべた。
「…………はぁ、わかったよ。君も
ただ違和感を覚えたらすぐ本邸に連絡するんだよ?部屋は日中も施錠をするんだよ?」
「畏まりました、悟おじ様」
家族を亡くした私だけれども、こうして血の繋がった優しい人が過保護な位心配してくれる。
それが物凄くくすぐったくて温かくて、思わずくすりと零して茶目っ気交じりに『悟おじ様』なんて普段呼んでもない云い方をする。
仕事中だと云うのにそんな態度を取った私を咎めるでもなくいつものどこか困ったような優しい笑みを浮かべる。
その笑みはそうやって丸め込んでしまう所も母そっくりだと云われているかのようだった。
「さて、ナデシコ邸に配属にあたり、かの場所について詳しく話そうか。杏里は『神に愛された芸術家』って知っているかい?」
「神に愛された芸術家、ですか?」
――神に愛された芸術家
彼らの事は最近そう呼ばれるようになったけれども昔は『奇跡の御業を授かったもの』とか『魔女の生き残り』とか云われていて中世の頃には既に確認されている。
曰く、神の寵愛を受けた職人が天職の御業を振るうと、作品に奇跡が宿るとか。
「たしか帝都にお店を構えているパティスリーのパティシエさんは神に愛された芸術家でしたよね?彼のマカロンを食べたら、どんなに悲しくて辛いことがあっても、明るい気分になれるって聞いた事があります」
「そう、彼らは受け手側の感情を思いのままに操る事ができるんだ。そしてナデシコ邸に住まう芸術家たちは神に愛された芸術家、もしくはそれに準ずると思っている子達の集まりなんだ」
『だから悪い大人に食いつぶされてしまわないように、パトロンとしてサポートしているんだよ』と悟さんは付け加える。
そんな凄い人たちが住んでいるのがナデシコ邸、これから配属される場所。
更に詳しい話を聞き、持ち出し禁止の資料に目を通しながら、期待に応えなくてはと知らず知らず体に力が入った。
持ち出し禁止と書かれている割に資料は薄く、顔写真、名前、年齢、職業、アレルギーの有無、部屋番号程度しか情報がない。
困惑した私はそっと顔を上げ、苦い顔で悟さんを見つめる。
「あの、資料ってこれだけなんですか?」
「云っただろう?前任者と折り合いが付かなかった、若者と大人の感性が違ったと。残念ながら真実味のある情報はこれだけだ」
これだけの情報で気難しい芸術家たちをサポートできるだろうか。
不安に駆られていると悟さんは困ったような笑顔を浮かべた。
「今からでも他の仕事に変えられる。ナデシコ邸のことは忘れなさい」
「悟さん、前任者と折り合いが合わなかったってことは今ナデシコ邸は
どうなっているんですか?」
すると今度は悟さんがやや苦い顔になってしまった。
前任者は辞任したと先ほど云っていたから、ナデシコ邸にいる芸術家は
身の回りのお世話はされても、コンシェルジュのような存在はいないんじゃないだろうか。
だとしたら今ナデシコ邸はとんでもないことになっているのでは……?
「芸術家たちの近況報告は年長者たちにお願いしてはいるものの
彼らにも自分の創作活動や活動時間帯があって中々難しいところだ。
身の回りの世話は難しくもなんとかなってはいるが……精神的なケアはお察しの通りだ」
悟さんは『それでも前任者がいた時よりは安定している』と肩をすくめる。
だから私は――
~分岐~
【ナデシコ邸への配属を望む】
→『0-03:S/ナデシコ邸への配属を望む』へ
【ナデシコ邸への配属を辞退する】
→『0-03:E/ナデシコ邸への配属を辞退する』へ
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