草露の庭

黒宮ヒカル

0:種ノ章ーseedー

0-01:新しい街

優しくて、懐かしい夢を見た。

夕暮れ時に幼い私は砂場で一生懸命お城を作っていた。

不格好だけれども友達と泥だらけになりながら一生懸命作るのが楽しくていつも帰る時間を忘れてしまうから、お母さんが迎えに来てくれた。


杏里あんり、ご飯できたわよ~」

「あっ、おかあさん!」


砂も落とさずにお母さんの声に立ち上がると、目の前の男の子がふっと笑う。


「お迎え来たみたいだね」

「うんっ!そーまくん、またね!」

「またね、杏里」


一直線にお母さんの所へと走っていって大好きなお母さんの腰に抱きつく。

『あらあら、今日も砂まみれね』なんて云われながらも温かい手を繋いでくれる。

『あのね、あのね、お母さん!』と他愛ない話をする私をお母さんは何時だって優しい笑顔で聞いてくれた。


小さな頃の幸せな記憶。

今は懐かしい大切な日常。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




体に伝わる微かな振動に私は重たいまぶたを開けた。

まだ働いていない頭は瞼を閉じようとするけれども、何とかゆっくりと瞬きしながら辺りを見回す。


ぼんやりと目を開けていると、革張りの内装が目についた。

広々としているここは、如何にも高級そうな車内でひどく乗り心地が良い。

一般庶民の私が何でこんな所に居るんだっけ……?と記憶を手繰り寄せていると、誰かの気配を感じた。


すぐ間際に居るのはタブレット端末を片手に携えたお洒落なスーツに身を包む壮年の男性だった。

髪は少し後れ毛があるものの後ろへ撫でつけてあって清潔感があり、貫禄はあるものの穏やかな紳士といった感じの人だ。

少し垂れ目気味な目に甘いマスクの持ち主で、ふわりと香る爽やかな香水は嫌味な感じが一切なく正しく『オシャレおじ様』だ。


(そうだ。私、さとるさんの車に……。……、……っ!?)


がばりと意識が覚醒する。


そうだ。私はただの庶民なのに、華族であり様々な事業を手にかけるすめらぎグループの代表取締役、すめらぎ さとるさんと一緒に黒くて長い車に乗っけられている。


(わ、私うたた寝とか……!何ってことを!!)


こんな偉い人と一緒に高級車に乗っている状態なのに眠ってしまった。


(私なんて神経が図太いの!!)


思わず心の中で悶え叫びつつ恐縮してしまい、今更だが姿勢を正す。

ぼんやりしていたり青くなったりと一連の私の動きを見ていたのだろう。

目を丸くしたと思えば悟さんはくすりと音を立てて笑った。


「そう緊張しなくても、とって食べたりしないよ」

「す、すみません。寝てしまって……」

「いやいや、寧ろ可愛い寝顔が見られて役得――って冗談は抜きにしても君が休んでくれて良かったよ。……色々あったからね」

「……はい」


悟さんはここ数日を思い出してか、悲し気に眉を寄せる。

私もつられるようにして、昨日までの事を思い出した。




商店街の福引で当てた旅行券を両親にプレゼントしたのだが、大好きな両親は先週旅行先で事故死、帰らぬ人となった。


私の境遇にあわれむ人は居ても、引き取ろうとする人は居ない。

父と母は所謂いわゆる駆け落ちだったのだ。

『もう高校生なのだから、これを機に独り立ちさせたらいい』なんて声も聞こえるが

一体高校を中退した少女を雇ってくれる店はどれほどあるだろうか。

だけどうつむく私に声をかけてくれたのが悟さんだった。


いわく、母とは従姉弟で父とは友人らしい。

云われてみれば確かに母とよく似た雰囲気と顔立ちの紳士だった。


だから家族として引き取ると云われたが、一般市民として生きてきたのに

いきなり華族の令嬢として暮らすのは恐れ多すぎて丁寧に辞退した。

代わりに悟さんの屋敷のメイドとして働かせて貰えないかとお願いした次第だ。




ぼんやりとしているうちに皇の本邸がある海石榴つばき市についた。

海が見える綺麗な街並みで帝のお膝元、神宿しんじゅくのようにオシャレな店が多い。

そこを歩く人たちも和洋折衷でハイカラな服装ばかりだ。


「綺麗……」

「気に入って貰えたかな?ここが今日から君が住む街で、君の母上が幼い頃に住んでいた街だ」


母が小さい頃に住んでいたこの街で新しい日々が始まる。

胸の内は不安でいっぱいだけれども、私にはもう帰る場所がない。


(ここで認められるように頑張らないと)


見えてきた予想よりも大きなお屋敷に自然に体が強張った。

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