花火のような初恋に

酉本博

第1話

「今夜、花火を見に行こうよ」

この夏三度目の観測史上最高気温を記録した八月二十七日の昼下がり、涼しげな風鈴の音が鳴り響く縁側に座ってぼぅっと入道雲を見上げていると塀の向こうからひょっこりと顔を覗かせた島崎遙香がそんなことを言ってきた。

「急にどうした」

「私明後日には街に帰っちゃうでしょ?だから思い出作りに、さ」

「…なんで俺に声かけたの」

僕の問いかけに、いっそ憎らしいくらいの、向日葵のような満面の笑みを咲かせる。

「君ならいつでも暇だと思ったから!」

してやったりといった風に高らかに笑う彼女から顔を逸らす。

「行かない」

「ウソウソ、嘘だってば!」

身を乗り出した彼女の弁明を無視して傍らに置かれた麦茶入りのコップを呷る。

「ほんとはね、誘った友達がみんな予定が入っててさ…。君が最後の砦なの!お願い!」

手を合わせて必死に頼み込む彼女の姿に溜息をつく。

「もう予定が入ってる」

「どんな予定?」

「それは…………」

沈黙が流れる。

僕の焦りに比例するように彼女の顔がみるみる明るくなっていく。

「なんだ暇じゃん!いつもの所で待ってるから!」

さっきと変わらぬ笑顔を取り戻して去ろうとする彼女を慌てて引き留める。

「いや行かないからな!」

「えー…強情だなぁ」

頬を膨らませてあからさまに不機嫌になる。が、すぐに「あっ!」と呟き塀の上に立つ。

「…なにする気?」

「こうする気!」

言うや否や自身のスカートを勢いよくたくし上げた。纏わり付く真夏の熱気を吹き飛ばした先には、色気はなくとも見るものに十分な背徳感を与えうる純白の二等辺逆三角形。

「はぁ⁈⁈」

突然の出来事に顔が火照る僕に、彼女は舌を出して笑いかける。

「来なかったら言いふらすからね」




夕食を済ませて集合場所に向かうと浴衣姿の島崎が待っていて、こちらに気付くと手を振って「早く早く」と急かしてきた。

「遅いぞ、女の子を待たせるなんてひどいよ」

「君が早すぎるんだ。約束の三十分前に来て遅いはないだろ」

確かにそうだ、と言って彼女はカラカラ笑った。

「というか、浴衣で来るなら先に言っておいてほしかったよ。Tシャツ短パンで来た俺が馬鹿みたいじゃないか」

「サプライズ、可愛いでしょ?見惚れちゃったかな」

そう言ってその場でくるりと一回転して見せる。淡い藍色の朝顔がひらりと舞い、絹のような黒髪からうっすらと甘い香りが鼻をくすぐる。街灯の光の無機質さに照らされてもなお余りある精霊のような神秘的な姿に、なんだかこそばゆい気持ちになってなって思わず目を逸らす。

「…サァ、馬子にも衣装ってやつ?」

「なにそれ、ひっどーい」

そうは言いつつも屈託なく笑う彼女に、この気持ちを見透かされているような気分になって余計に恥ずかしくなる。

「顔、真っ赤だよ?」

「うるせいやい!ほら、早く行こう!」

半ばやけくそ気味に山道に足を踏み入れる。またからかわれるのが嫌で振り返りはしなかったが、時折聞こえるカランコロンと下駄と木の根がぶつかる音でちゃんとついてきていることが分かった。

五分ほど進むと苔むした石の階段が現れ、そこを上ると少し開けた場所に蔦の絡まった小さな鳥居と朽ちかけた祠がある。そこから打上げ花火がよく見え、尚且つその場所を知る人が少ないため秘密の花火スポットとして毎年そこで花火を見ている。

「やっぱり早すぎたみたいだね」

鳥居越しに遠くの空を見れば、天の川が星飛沫を瞬かせているのが見えた。

「…花火が上がるまで退屈だね」

「どうせそんなことだろうと思って、ほら、これ持ってきた」

ポケットから線香花火の詰まった巾着を取り出すと、彼女は目を輝かせて喜んだ。

「わぁ!やった!!」

「沢山あるから花火が始まるまでの時間つぶしにはなるだろ」

「たくさん、かぁ…」

彼女が不敵に笑う。

「久しぶりにする?線香花火長持ち勝負」

突然の提案に一瞬面食らったが、つられて僕もニヤリと笑う。

「いいぜ、今日こそ吠え面かかせてやる」

「その言葉、忘れるなよ?」




「くそ!また負けた!」

「アハハハ!せっかちな君じゃ私にはいつまで経っても勝てないよ!」

そういって彼女は、負けて悔しがる僕を見て腹を抱えてゲラゲラと笑った。

「もう二度としない!」

「去年も同じ事言ってなかったっけ?」

「うるさい!もう忘れた!」

「ふぅん、そう」

興味なさげに呟いて、彼女は巾着袋をのぞき込む。

「あと二本か…ねえ」

「なんだよ、勝負はしないぞ」

「しないよ。最後だから純粋に楽しもう」

そういって僕に花火を一本差し出す。

茜色の光球が灯り、パチパチと火花を散らす。激しくも儚いその姿は日常的にもかかわらず、どこか幻想的だ。

「やっぱり線香花火が一番好きだなぁ」

「そう?私はね、この街で見る花火ならどれも好き。山の向こうから打ち上がる打上げ花火も、こうして君とする線香花火も。街に帰っても何度も思い出す。でも駄目ね、パッと咲いてから散っていくまでがワンセット。次の夏が来る頃には去年の花火は思い出せなくなってる」

「ならまた来年も見に来ればいいじゃないか」

そう言うと、彼女は少し困ったような笑みを浮かべた。


「私、来年はここには来ないの」


線香花火の火玉が落ちる。

「なんで…」

僕の言葉を遮るように、彼女は続ける。

「高校、結構遠くてね。寮に入るの。だから、ここで花火を見るのは今日が最後」

さらりと、なんでもないかのように彼女はのたまう。

「だから、なるべく長く覚えていたいの。だから、君を誘った」

「誘った?僕以外予定が埋まっていたんじゃ…?」

「あれ嘘。騙されたね」

してやったりといった風に舌を覗かせて笑う。

「本当は井上ちゃんたちに誘われていたんだ。でも断っちゃった」

「なら、尚更なんでわざわざ僕を?」

か細い笛の音が響き渡る。


「私、君のことが好きなの」


夜空で光がはじけ、寸刻遅れて太鼓のような重低音がこだまする。

「初恋の人と見る花火なら、きっと強く刻まれる。もし君が私の事を悪く想っていないなら、ただ、隣で一緒に花火を見ていてほしい」

天に咲き誇る光の花を儚げな笑みを浮かべて見上げる彼女に、僕は何も言うことができなかった。




「さて、花火も終わっちゃったし、そろそろ帰ろっか」

そう言って彼女は立ち上がり鳥居の方へ歩いて行く。

「…っ、待って!」

とっさに呼び止めてしまったのは、彼女が鳥居をくぐってしまったら彼女との繋がりが完全に絶たれてしまうと思ったからだ。

「なぁに、どうかした?」

立ち止まって振り向いた彼女が不思議そうにこちらを見る。

彼女を引き留めたくて反射的にはじき出された言葉は思考も気持ちも何もかも置き去りにしていて、続きが浮かばない。それでもまとまらない言葉を懸命に紡ぐ。

「君が、ここで見た花火を忘れる前に絶対逢いに行くから!線香花火を持ってさ!だから、覚えていて!」

我ながら、とても可笑しなことを言ったと思う。彼女の呆気にとられた表情を見て顔から火が出そうになった。

一瞬遅れて彼女がクスリと笑みを零す。

「分かったよ、待っててあげる。約束だぞ」

そういって差し出された小指に自身の小指を絡める。

「忘れたら承知しないからね!針千本よりもひどいんだから」

「そっちこそ!俺の一世一代の殺し文句を忘れてくれるなよ?」

照れ隠しの言い訳に、彼女は瞳の端に涙を浮かべて笑った

「忘れるもんですか!それに…」

不意に、彼女の顔が眼前に迫り、それと同時に頬に柔らかな感触がした。

「…は⁈」

突然の出来事に尻餅をついて狼狽する。

「私の線香花火、誰よりも長いの知ってるでしょ?」

そう言って、彼女は悪戯っぽい笑みを咲かせた。

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