白色矮星

小狸

短編

 笠原かさはら宗一郎そういちろうは、何かになりたかった。


 小学校の自己紹介の時、将来の夢の欄には、多くのことを書いていた。


 教師、医者、建築家、芸術家、画家、音楽家、漫画家、小説家、スポーツ選手、職人、掃除人、販売員、営業マン、サラリーマン、エトセトラエトセトラ……。


 一つに限定されることはなかった。


 誰一人、それを馬鹿にするものはいなかった。


 これは彼の周囲が特段良い人間たちであふれていたということではない。


 その夢を叶えることができるだけの力を、彼は持っていたのである。


 才覚、とでも言おうか。


 中学生にして、彼は将来を期待されていた。


 未だ頭角を現してはいないけれど、将来必ず、世界にとって大きな人間になると期待されていた。


 多くの分野に手を出し、何が自分に合っているのか、何に適正があるのかを、彼はずっと検証した。周囲の人々が推し進めたことが大きい。試して、検証して――一番自分に合ったものを将来の仕事にするつもりだった。


 そして、今に至った。


 今年で笠原は二十六になる。


 周囲の人々は定職に就き、同級生は結婚し始めている。


 けれど笠原は、未だ職に就いていない。


 大学を卒業し、多くの場所をバイトで巡り、未だ、自分に最適な何かを見つけることができていない。


 二十代――この辺りで、彼の人生に、初めてかげりが生じた。


 身体を壊したのだ。


 それもそうである。


 あらゆる資格を網羅的に取得し、才能を磨き続けるということは――つまり、目まぐるしく変わる環境に常に身を置き続けることに等しい。


 人間関係の変化と、環境の変化。


 確かに彼自身には多くの才覚があり、続ければ夢を叶えることができたけれど、その過酷な環境に耐えきれる程に、心は、強くはなかった。


 などと――今更である。


 身体は修復されても、心は修復されない。


 笠原は、朝、起き上がることができなくなった。


 何もできなくなった笠原に対して、周囲は厳しかった。無論である。成果まで到達しない努力を幅広く続け過ぎて、広いが深さは一切ない、それが彼の人生だったのだから。


 もしも何か一つでも熱中できるものがあれば――そしてそれを続けていれば、彼は間違いなく夢を叶えていたに違いない。


 無論、周囲の人にも非はあるけれど、そういう生き方を選んだのは笠原自身である。


 しかし、周囲から見た笠原像は、少しだけ間違えていた。


 彼は、何か一つ、断固としてなりたいものを持っていたという訳ではないのだ。


 ――何かになりたかった。


 ――けれど。


 ――


 ――才能があると言われた、嬉しかった。


 ――だから、周囲に言われるがままに、色々なことをして、色々なことを、褒められた。


 ――嬉しくて、それを続けた。


 ――しかし、周囲の人が褒めてくれなくなってきて、俺は。


 ――俺は? 


 何をしても簡単に上達できてしまう彼は、何かを続けた経験がなかった。


 結果的に、浅く広い経験を手に入れることはできたものの、何一つ、これからの人生に生かすことができるようなものは、何もなかった。


 ――どうして、気付かなかったのだろう。


 ――いや、違う。


 己の考えを、しかし笠原自身は否定する。


 ――俺は、何かになりたかった。


 ――別に、なりたかった何かがあった訳じゃない。


 ――ただ、言われた通りに努力していれば、何かになれて、もっと褒められると、そう思っていただけだ。


 ――なのに、もう誰も、俺を褒めてはくれない。


 ――もう誰も、俺の方を向いてくれない。


 ――どうしてだろう。


 ――俺はこんなに、頑張っているのに。


 頑張り続けていないからだ――ということを、しかし笠原は理解していない。


 手を変え品を変え、全てを適度につまみ食いしてきたツケが、ここで回ってきたのである。


 努力はしている。


 知識もある。


 何なら功績もある。


 ただ、それは何にも繋がっていない。


 こんな悲劇的なことがあるだろうか。


 才能があり、環境にも恵まれ、時間も多くあった。


 なのに、何も開花しなかった人生。


 これ見よがしにリアリティを売りにする小説だって、もう少し現実に対して配慮をしているだろう。


 ――周囲の人に、責任を投げつけようとは、思わない。


 ――俺はずっと、自分で望んで、色々なことに手を出してきたのだから。


 ――けれど、止めてほしかったという、ある種勝手な気持ちも、ある。


 ――君は何になりたいんだい、とか。


 ――君はどうしたいんだい、とか。


 ――そんな風に、声をかけてほしかった。


 ――話を、聞いてほしかった。


 ――なんて、身勝手か。


 現在、笠原はバイトも一時止め、家に引き籠っている。


 かつての天才の栄光はもうどこにも見えない。


 家から出るのも一苦労、人と視線を合わせると吐き気がする。


 でもそれは自分の道なのだと、ずっと思って、思い詰めて生きている。


 それでも、これも因果なのだろうか――彼は、夢を捨てなかった。


 何かになりたいと思った。


 その「何か」の部分に代入される要素は、何でもいいのだ。


 だからこそ、何にもなれない。 


 ――でも、今の俺は、何かになれる、わけじゃない。


 ――本当に、できることが減ってしまった。


 ――昔のように、頭が冴えわたっていない。


 淀んで、濁っていた。


 彼の才覚も、時代の流れや酷使と共に疲弊していたのだ。


 笠原は考えた。


 本気で何かを考えるというのも、笠原にとっては生まれて初めてのことだった。


 本気にならずとも、大抵のことは、できてしまったから。


 そして――小説を執筆することにした。


 読書は人並みにしていた。ただ、自分のことを文学青年だと思うようなことはなかった。小説こそ書いたことはなかったけれど、文章を書くことも――彼のいくつもある特技の一つであった。


 今の自分では一つのことくらいしか集中できない――その中で何をするのかと考えに考えた末の結論である。


 小説ならば、自分にも書くことができる、資格も試験も必要ない、ただ、面白い小説を書き、それを投稿すれば良いだけなのだから。


 笠原は出版社のサイトを調べ漁り、新人賞に投稿を続けた。一年間、それを続けた。


 しかし笠原の執筆した小説は、引っかかるどころか――一次選考にすら残らなかった。


 ――おかしい。


 ――いつもなら、この辺りでうまくいくはずなのに。


 ――どうして駄目なのだろう。


 彼は、舐めていた。


 これは決して、小説業界を、という訳ではない。


 ただ、何かを極めようとする人間全てを、彼は舐めていたのだ。


 生来の才能を上回る程の――人の努力を。


 泥臭い頑張りを。


 見えない精進を。


 彼はあっさりと、小説の公募をやめた。


 


 ――彼の常套手段であった。


 ただ、小説を書く以外に、彼のすることはなかった。


 仕事やバイトをしていた頃の貯蓄はまだいくらか残っていた。


 ネット上の小説投稿サイトに、ちびちびと新作を投稿しながら、子どもじみた承認欲求を満たして生きている。


 そんな風にして、こんな風にして。


 笠原宗一郎――元天才、現引きこもりの生涯は、静かに腐っていく。




(了)

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