6

早く大人になりたいと背伸びをしていたのは、大人になったら何をするか夢を描いていたのは、いつまでだったか。気がつけばお酒も煙草も許されるようになって数年は経過していたが。……、未だにどっちの味もよく分からない。あんなものの何が美味しいのやら。煙草の匂いがついている服を纏い、アルコールで胃がおかしくなっている身体で帰路を進みながら思う。

「え、と。大丈夫です、……おまえ」

ナンパかなんかに声をかけられたかと思えば苗字を呼ばれる。顔をあげて相手を見るとそこには、高校生の時に好きだった人に似ている……、気がする人が居た。それに動揺したのか足がふらついて彼の胸に倒れ込んでしまう。あたたかい。久し振りに触れた人肌に張っていた気が緩んだのか、そのまま意識を手放した。


目を覚ますと知らない天井がそこにあって、慌てて上体を起こして辺りを見渡すが、何処か分からなかった。やばい。昨夜の記憶は曖昧だけど、誰かの家まで来てしまったようだ。服……、は着ているから大丈夫そうだけど、早い所出て行かなければいけない。昨夜上司から勧められた新入社員に代わってお酒を呑んだ反動で頭が痛いけど、今はそれどころじゃない。

「おはようさん」

ハンガーにかかっていたジャケットと鞄を持って家から脱出しようと扉を開けると、玄関に続く廊下に備え付けられているキッチンに立っていた人に声をかけられた。誰だっけ、この人。見覚えがあるような無いような人の顔を見つめて、痛む頭で記憶を探っていると、首を傾げられた。

「オレのこと、忘れちまったか?」

眉尻を下げて笑う彼を見た時に漸く古の記憶が蘇る。高校生の時に好きだった人、な気がする。あの頃も充分カッコよかったと思ってたけど、今のが更にカッコいい、気がして。顔が熱くなるのを感じる。と同時に頭が一瞬猛烈に痛んで、ジャケットと鞄を手離し表情を歪めてしまったのが自分でも分かった。その顔を彼に見られたのだろう。軽々と抱き上げられて、ベッドへ連れ戻された。そして、水が入ったコップを渡される。

「お粥とかなら食べれそうか?薬も飲ませたいから、何か胃に入れて欲しいんだが」

「それなら、食べれると、思う。たぶん」

「わかった」

微笑んで再びキッチンに立つ彼を見送りながら水を飲む。好きだな。と高校生の時の想いが顔を出す。しかし、あんなにカッコいい人だ。恋人ぐらい居るに決まっている。そう思い込んで、顔を出した想いを再び沈ませた。


あの後お粥を食べて薬を飲んで、頭痛が治まってから帰ったあの日から、一ヶ月は経った。お礼をしたいからと帰り際に聞いた連絡先を活用することは出来ずに、ただただ会社と家の往復をするだけの生活を送っていた。会いたくないかと聞かれれば、そんなことは無いと答えられる。お礼をしたい気持ちだって、あるにはある。だけど。文章を考えている内に時間が経ち過ぎて、今更送るのもどうかと思うようになってしまった。こうやってチャンスだと分かっているのに行動に移せないのが、大人になると言うことなのだろうか。そんなことを考えながらぼんやりと昼休みを過ごしていると、スマホの画面が光った。そこには彼の名前があって、今夜暇なら食事でもどうか。と言う内容が綴られていた。

「断られると思ってたから、来てくれて嬉しかった」

「……、ごめん」

何事もなく終わった食事の帰り、笑ってそう言う彼が何だか眩しく見えてしょうがない。やっぱり好きだな。とぼんやり浮かぶ想いはあれど、伝えてはならない。こんな想い、伝えたところで困らせてしまうだけだ。

「あの、さ。……、また、誘っても良いか?」

「か、まわない、けど。大丈夫?」

「なにが?」

「恋人、とか」

「はあ?!」

突然彼が発した大声に驚く。そんなに大声出すほどのことだったのだろうか。理解が出来なくて首を傾げると、彼が溜息を吐いて、睨まれた。

「オレ、恋人も居ないし結婚もしてない」

「こんなにカッコいいのにモテないの?」

「あのなー。おまえにはそう思われたいから、カッコつけてんの」

……、何を言っているのだろう、この人は。わけがわからなくて傾げた首が戻せない。だってそのまま言葉を受け取るとするならば、彼は私を……。いや、そんな筈がない。そんなの。そんなのって。

「この前再会した時から……、いや。高校生の時から、ずっと好きです。オレと、恋人になってくれませんか」

真剣な顔をしてそう言う彼は本気で言っているのが伝わるし、ここで断ってしまったらもう二度と彼と会えなくなってしまうのが分かる。でも、私なんかで良いのだろうか。と躊躇してしまう。もっと良い女性は星の数ほど居る筈で、そっちを選んだほうが良いと思うのに。私を選んでくれたことが嬉しく思う自分も少しは居て、頭の中がぐちゃぐちゃになってしまう。いつから私はこんなにも優柔不断になってしまったのだろう。昔のがもっと、失敗を恐れずに心のまま動けていた、気がする。

「……、高校生の時から、沢山。変わってしまっていますが。それでも。私で、よろしいのですか……?」

「それでも。私が、良いんですよ」

あまりにも優しい声色で言われるから、ただでさえ溢れそうになっていた涙が溢れてしまう。それを見て慌てて涙を掬ってくれる指は、いつの日かの教室と変わらず優しくて安心出来る。やっぱり、私。

「よろしく。お願い、します」

絞り出した言葉は彼の耳に届いてくれたのだろう。瞬きをして、マジ?なんて呟いている。マジも何も言い出したのはそっちなのに。何だか面白くて笑えてきて、とめどなく溢れていた涙が止まる。それを見て怒ってくる彼は可愛くみえて、こんな表情もするんだ。と思った。

「本当はもっとこう、色々とカッコよく決めてやろうって考えてたのにさ。マジでカッコ悪い」

「例えば?」

「例えば……、って言わねーよ」

絶対リベンジしてやる。と意気込んでいる彼の隣を笑って歩く。自分に自信なんてないし、この選択で良かったのか分からないけど。一日でも彼と長く居られるように、ルーティン化された日常の中で少しずつでも頑張っていこう。そう、素直に思えた。


結局この日から更に数年経った頃、彼からリベンジをされたけど、これもあんまりカッコいいとは言い難かった。でも。この日に飲んだキャロルという名前のカクテルは、これまでに呑んだどのお酒よりも美味しかった。

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