第43話
「わかった」
冷ややかな視線をステファンに向ける神住。彼女は怒りを孕んだ笑みを浮かべて無言のまま神住を見つめ続けている。
「すぐにニケーを発進させろ。確実にフェイカーはニケーを追ってくるはずだ。それで被害は最小限に抑えられる」
『いいのですか?』
「構わない。現在のフェイカーの攻撃にニケーの防御を貫けるだけの出力はないはずだ」
『進路はどうするよ?』と大きく張った陸の声が聞こえてきた。
「待機港から出るように動け。戦場はアルカナの外だ」
『りょうかい!』
「俺もすぐに向かう。合流地点は後で送る」
『わかりました』
真鈴が答えて通信が切れると神住は素早く天野を見た。
天野は小さく頷き「ここは任せろ」と伝える。
じっと見つめてくるステファンの横を素通りして神住は研究所から足早に出て行った。
まるで眼中になどないと言わんばかりの神住の態度にステファンは一瞬だけ怒りを露わにして睨み付けてきた。
「安心して。わたしは何もしないわよ」
「失礼」
咄嗟に腕を掴んだ天野にステファンが告げる。すると天野は理解したというように手を放してすっと後ろに下がっていた。
クラエスがステファンの前に立ち告げる。
「フェイカーを止めるんだ、ステファン」
「名前が違うわ。あれは【ホープ】よ」
「ホープ。希望か」
「ええ。わたしが付けた名前よ。彼が残した最後の希望だから」
ステファンが愛おしいものを思い出しながら言った。そんな彼女の様子にクラエスが苦言を呈する。
「希望を冠した存在がすることには到底思えないな」
「そうかしら? 希望は抱いた人によってその意味を変えるわ」
「これがおまえさんの希望だというのか」
「ええ。そうよ」
眉間に皺を寄せるアドルにステファンが当たり前のように答えていた。
重い静寂が流れる。
誰かが何かを言おうとして言葉が出てこずに口を閉じる。互いの息遣いだけが聞こえてきて、誰もがバツが悪そうに目の前の相手から視線を逸らしていた。
「ステファン。ホープを止めて下さい」
怒気を含んだ声色でクラエスが言う。
「無理ね。ホープはもうわたしの手を離れてしまったもの」
「だとしても、おまえさんなら今ホープを動かしているライダーに連絡を取れるだろう。そこで戦ってはならぬと、シミュレーションなどではないと伝えれば良いだけだろうが!」
「残念。ホープのライダーと連絡を取る手段なんでないわ」
首を振るステファンにアドルが感情のまま詰め寄っていく。
そんな二人の様子を見ていたトールがそれまでの沈黙を破り掠れる声で呟いた。
「もう、否定すらしないんだね」
「元から否定なんてしていないわ。それに、みんなだって当てずっぽうで言ってきたわけじゃないのでしょう。確信があって、多分、証拠もあって、それでわたしに言ってきたのよね」
それなら否定しても仕方ないわと困ったような笑みを浮かべたまま答えるステファン。彼女の態度や表情に天野は観念したいうのとは少し異なる印象を受けていた。諦観したのでも、達成感や満足感を得ているのともちょっと違う。ただ現実をありのままに受け入れることを決めた、ある種の潔さが垣間見えた。
「私から質問をしてもいいですか?」
「必ず答えるとは約束できないけど、それでも良いかしら」
先程の神住の言い回しを真似るようにしてステファンが答えていた。
天野は「構いません」と頷き、自分の中の疑問を投げかける。
「貴女とジュラ・ベリーの関係は何なのですか? どうして貴女が今になって彼の意思を継ぐように行動を起こしたのですか?」
「彼は今も昔も変わらずに“仲間”よ。仲間だから、わたしは彼が受けた理不尽が許せなかったの。それでも一度目は彼の意思を汲んで飲み込むことにしたの。だけど、二度目は無理ね。許すことなんてできなかった。バドソンさんやトールさんは堪えていたのに」
「私は知らなかったからですよ。知っていれば私も今とは違っていたはずです」
「そうだな。わしも違っていたかもしれん。だが、それでも――」
「何もしなかったと言えるのかしら?」
「何もできなかったというのが正しいだろうな。おまえさんのように実力でどうにかしようなど、それを実行に移すほどの激情はわしには無かったのだからな」
告白するクラエスとアドルは疲労を露わにして近くの椅子に座らずにはいられなかった。気丈にも立ち続けているステファンとは対照的に二人は先程に比べて老けてしまったようにも見える。
「貴女が雇ったライダーの名前を教えてもらえますか? それがあれば彼女の弟を助けることが出来ます」
「そうね。わたしはあなたの弟君も巻き込んでしまったのよね」
ラナを見てステファンが小さく「ごめんなさいね」言うと、白衣のポケットから携帯端末を取り出して天野に手渡した。
「彼らとの打ち合わせの履歴が残っているわ。証拠というのならそれで十分よね」
「ええ」
受け取った携帯端末を仕舞いながら天野は問い掛ける。
「それで、何か変わりましたか?」
「どうかしら。何も変わっていないようにも思えるし、何かが変わってしまったようにも思えるわね」
「この……馬鹿者が」
またしても悔やむようにアドルが呟いていた。
「そうね。わたしが馬鹿だった。でもこれだけは分かるわ。仮にあなた達に止められていてもわたしはこうしたはずよ。ホープを作り出した時にわたしの運命は決まってしまったの」
穏やかな笑みを浮かべてステファンが言い切った。揺るがぬ意思を見せた彼女にクラエスとアドルとトールの三人が何とも言えないような表情を浮かべ、康太、モグル、ティアの三人は居心地が悪そうに無言で壁際に並んで立っていた。
沈黙を破るようにラナが前に出る。その手には警察が使っているのと似た形状の手錠が握られていた。
「ステファン・トルート。貴女を今回のアルカナ軍駐屯地襲撃の主犯として拘束します」
何も言わずその手を差し出すステファン。彼女の手に手錠が掛けられるのをクラエス達は悲痛な面持ちで見ていた。
すると天野が「ああ、一つだけ……」と忘れていたことをたった今思い出したというような口振りでステファンを呼び止めた。
「何かしら?」
「貴女に教えておきたいことがありまして」
ラナによってアルカナ軍の本部へと連行されそうになっているステファンが立ち止まって振り返った先で、天野は彼女にぞっとするような冷淡な目を向けた。
「御影が使っている光の動力炉。あれはジュラ・ベリーが研究していたものとは違いますよ」
「どうかしら。そう言い切れるだけの証拠があなたにはあるのかしら」
「勿論」
ステファンの言葉に天野ははっきりと答える。その自信ありげな口振りの天野にステファンは訝しむ視線を向けて睨み付けていた。
「ジュラ・ベリーが研究としていたもの、それは光が持つ熱を高い出力で利用する動力炉でしょう。違いますか?」
「やっぱり、あなたも見ていたのね。アルカナ軍によって盗まれたデータを」
「いえ、そんなもの私も御影も一度も見たことはありませんよ」
「嘘ね」
「貴女みたいに御影の“あれ”を自分達が研究していたものだと言ってくる人はこれまでも数名ですが、いました。自分達の研究が盗まれ使われていると言って、その技術を返せと訴えてきたんです」
まるで独白のような天野の言葉にステファンは小さく「当然ね」と答えていた。
この場にいる他の人達は言葉を発することなく事の成り行きを見守りながらも天野の言葉の真意を探るように真剣な面持ちで耳を傾けていた。
全員の視線を受けながら、天野はこの場にいない誰かを嘲笑するように口元だけを歪めながら言葉を続ける。
「だからこそ違うと、間違っているのだと断言できるのです。御影の“あれ”は光が持つ熱を利用したものなんかじゃない。光を粒子化して使うという根本的な設計思想からして異なるものなのですから」
詳しい仕組みなどの説明は一切ない。それでもこれで十分なのだと言うように言葉を区切ってから天野は更なる言葉を投げかけた。
「この言葉の意味が分かるのならば自分が間違っていたと理解できるでしょう。そして、私の言葉の意味が分からないのならば話し合うにも値しない。
さて、貴女はどっちですか?」
ステファンは答えない。否、答えられない。挑発的な天野の言葉に驚愕して固まり立ち尽くしているだけだった。
「私が言っておきたかったことはそれだけです」
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