第35話

「いつから始めればいいんだ?」

「こちらは今日からでも構いませんが」


 なんてことも無いように平然と答える神住に天野とラナは思いっきり首を横に振っていた。


「いや、そっちの準備もあるだろうからな。三日後くらいに始めるのではどうだ?」


 二人の様子を慮ってアドルが提案してきた。

 天野はほっと胸を撫下ろして、


「それでしたら何とか場所の確保が出来ると思います」

「あの、私は……」

「アルカナ軍が持つフェイカーの情報についても私がどうにかしてみせましょう」


 部下の立場では言い切ることの出来ないラナを助けるように天野が言った。


「そうか。まあ、無理はするな。アルカナ軍が持つ情報は無くとも」


 ちらりと神住の顔を見るアドル。その意図に気付き神住は平然と告げる。


「俺が持つ情報でしたら、この端末に保存されています。好きに使って頂いて結構ですよ」


 どこからともなく取り出したギルドの備品であるタブレット端末をテーブルに置く神住。

 神住の言動に驚いた天野が目を丸くしている。


「おい。いつの間に用意したんだ」

「この部屋にあった端末を使わせてもらったぞ。勿論端末は全ての回戦との接続を切ってあるから、この中の情報が盗み読まれるようなことにはならないから安心しろ」

「いや、私が驚いているのはそれではなくてだな。いつの間に用意したのかと聞いているだ」

「さっき、この部屋に入ってわりとすぐだな」

「あの時か」


 天野は神住がテーブルに置かれていたそれに触れた時のことを思い出していた。

 あまりにも自然な動作だったために誰に咎められることも無く流されていたが、その裏でこのようなことをやっていたとは。しかし、神住がそれに情報を打ち込んでいたような素振りはない。だとすれば、それを行ったのは神住の仲間の誰かだということになる。

 微笑み返してくる神住に天野は自分の予想が正しかったことを知る。ならば重要なのは誰にやさせたかではなく、どうしてやらせたか。


「こうなるって予想していたのか?」

「まあな」


 平然と答える神住に天野はまた嘆息してしまう。

 神住の思考は自分とはまるで違う。それを見せ付けられたみたいで、弟子時代一度として神住の上に行けなかったことを思い出して複雑な気持ちになってしまった。

 そんな天野の心情を知ってか知らずか、クラエスが端末を受け取って神妙な面持ちでその中身に目を通している。


「今日はこのデータを検証してみることにします。私達の間でコピーを取ってもよろしいですか?」

「ご自由に」


 確認してきたクラエスに神住は満足そうに笑みを浮かべて答えていた。


「では、本日はこれで――」


 クラエスが他の三人にアイコンタクトを送るとゆっくり立ち上がる。

 自分の意図しない形で突然やるべきことが与えられてしまった。そう感じているのか浮かない表情を浮かべているトールと、笑みを浮かべてやる気をみせているアドル。何か思い悩んでいるように見えるステファンに対して、あまり表情が読めないクラエス。

 天野はばらばらの感情を浮かべている彼らを見送ろうとしいる隣で、神住が徐に付け足した。


「最後に一つだけいいですか?」


 四人が振り返ったのを確認して言葉を続ける。


「ジュラ・ベリーさんが事故で亡くなったのはいつのことですか?」

「確か、部隊が解散してからそう時間は経っていなかったと思いますよ」


 曖昧に答えるクラエスにステファンが意外だというように付け加えた。


「あら、忘れたの? 部隊の解散から一月後。七月の二十一日よ」

「良く覚えていますね」

「そうね。あまりに突然のことだったもの。忘れたくても忘れられないわ。あたしはね」


 そう言い残して出て行くステファンに続き他の三人も部屋を後にした。

 残された天野とラナは疲労困憊と言わんばかりにソファに体を沈めていた。


「疲れました」

「そうは言ってられないさ。まだまだ私達にはやることが残されている」

「わかっています」


 これからどういう順番で事を進めて行くか考えながら天野はちらりと疲弊した様子のラナを見た。


「なんですか?」

「君はアルカナ軍の情報を何も持っていないのか、それとも意図的に彼らに話さなかったのか、どっちだい?」


 射貫くような天野の視線がラナに向けられる。

 ラナは何かを考え込む素振りを見せつつも、その問いには答えなかった。


「今回の話し合いではそれでも何とかなったけどね、これから先もその調子ではこちらとしても困るのだが」

「ですが、軍が持つ情報の大半は機密情報です。私の立場で話せることと話せないことははっきりしています。私が話せないことは話すことはできません」

「だとしてもた。少しは譲歩すべきなのではないのかね。それを決められるだけの裁量は与えられているはずでしょう」

「ええ。多少は」

「だというのに君は口を閉ざした。それにより君の弟君を助けることが難しくなってしまったとしても、同じ事をするというのかね?」

「私個人と、アルカナ軍は別……ですから」

「ふむ」


 今度は言い淀むこともなくはっきりと答えてみせたラナに天野はどこか関心した声を出した。

 私情よりも軍の規律を優先させた。

 天野の中でラナに対する人物評が変わった瞬間だった。


「少しは聞きたいことは聞けたかい?」


 体の向きを変えて天野が神住に訊ねる。

 来客がある時に部屋に常備されている壁沿いの棚の上にある水差しから透明な硝子のコップに水を注ぎ飲んでいた。


「まあ、少しはね」


 空になったコップを棚の上に置きながら神住が答えた。


「ですが、真犯人については何も情報は得られませんでした」


 神妙な面持ちでそう呟いたラナに神住は「そうでもないさ」と再びコップに水を注ぎながら返した。

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