第20話
それから約二時間後。
弱い雨が降り続け、黒い雲が空を覆っている夕刻。第七駐屯地には独特な緊張感が漂い始めていた。
既に全てのデルガルにはアルカナ軍のライダーが乗り込んでおり、基地を囲むように三機構成の複数の小隊が配置されている。
神住が乗るシリウスは第七駐屯地基地の左側の位置に一つの小隊と共に立っていた。
「フェイカーの襲撃が来る可能性が最も高いのがこの方角なんですよね?」
長距離ライフルを携えたデルガルに乗るラナがコクピットで一人呟く。
「はい。そのはずです」
無線で繋がっているジーン同士、ラナの問いには同じ小隊の仲間が答えていた。
『既に姿を隠して接近してきている可能性があることを忘れないでください』
そう告げたのは駐屯地基地から全体の様子を把握しているであろうラウル。
ジーン全機に行き渡るように共通の回線で届けられた言葉は否応なくこの場にいる全てのライダーの緊張感を高めることに繋がっていた。
基地の周囲に配置されたデルガルを一見すると微動だにしていない。しかし実際はその頭部にある単眼のカメラアイが忙しなく周囲の異変を察知しようと動き回っていた。
『熱感知に反応あり! 基地の左舷の方向です! 各員サーモカメラに切り替えて、付近のデルガルは直ちにフェイカーの迎撃に向かってください!』
ラウルではない駐屯地基地にいる別のオペレーターの人の声が全てのデルガルに届けられた。
途端、言われた方角にいるデルガルが一斉に銃口を自機の正面に向けた。しかし銃弾が放たれることはない。どうやらいまだその姿を視認することができていないようだ。
その場にはシリウスと共にラナの小隊が配備されており、小隊長の立場にいる彼女は率先して他のデルガルよりも前に出ていた。
素早くコクピットのモニターに映し出されている映像をサーモカメラに切り替えることで一面にビビッドな光景が広がった。
待機港区画にある無数の戦艦に建造物。そこにいる人の姿や起動していないジーンの姿が浮かび上がる。が、フェイカーらしき機影は捕捉することができなかった。
困惑と焦りを周囲に悟られないように努めながらラナは無線を通して声を掛ける。
「御影神住さん、出番です。予定通りにフェイカーの姿を炙り出してください!」
「……」
シリウスに乗る神住に向けられたラナの言葉だったが、どういうわけか神住はそれに反応しなかった。じっと正面を見据えたままライフルを構えることすらしなかった。
「御影神住さん? どうして何もしないんですか?! フェイカーが襲撃をしかけて来たんですよ!?」
シリウスのコクピットに声を荒らげるラナの姿が映し出される。
双方向の無線通信で繋がっているということはラナにも神住の顔が見えているということ。つまり沈黙を貫いている神住の様子がラナだけではなく、他のアルカナ軍の面々にも見えている可能性があるということだ。
表情一つ変えずシリウスを動かそうとすらしない神住にラナは不信感を募らせていく。
「もういいです!」
意を決したように正面を見つめる。覚悟を決めたラナが苛立ちを隠そうともしないで問い掛けた。
「ラウル中尉、私がフェイカーの迎撃に向かいます。よろしいですね?」
『だが…』
「彼は動くつもりが無いみたいです。このままでは私達はフェイカーに先手を取られてしまいます」
『わかった。攻撃を許可す――』
「待ってください」
ラウルが攻撃指示を出す直前に神住がそれを止めた。
「一つ確かめたい事があります。何故さっきは熱感知に反応があったと思いますか?」
機器の誤作動でも無い限りサーモカメラに切り替えたとてフェイカーの姿を確認出来ていない現状だと神住にはそれは自分達を誘い出す罠に思えて仕方なかった。
だから動かない。いや、正確には動けなかったのだ。
本当にフェイカーのこの近くにいるのか。それすらもあやふやなままだったからだ。
戦場では動かないことよりも動くことの方が簡単な瞬間もある。相手が接近しているという事実を目の当たりにしながらもじっと待ち構えるのにはそれなりの胆力が要求される。ラナには、あるいはその部下達の一部にはそれが足りない者もがいるのだろう。先程のラナの進言はそれを考慮した上でのことのように聞こえた。
けれど今回、この場に限れば神住の問い掛けによってそれは止められた。一度冷静になって思考を巡らせる時間が与えられたのだ。
「他の地点ではフェイカーの姿が観測されているのですか?」
『いいえ。まだ何も発見出来ていません』
「だとしたら、先程のそれは俺達を誘き出すための罠の可能性があります」
全てを言い終えるよりも前に一発の銃声が鳴り響いた。
コクピットの中で思わず振り返る神住。
それに驚愕しているのはラウルやラナ達も同様だった。
駐屯地基地のモニターに常時映し出されている全てのデルガルのコクピット内の様子。その中の一つに呼吸を荒らげて涙目になっている若いライダーの姿があった。
『マット一等兵、何をしているのですか!』
「あ、その、す、すいませっ……」
ラウルの声はこの若いライダーを責めるものではなかった。どちらかと言えば自らの失態を責めているかのような声だ。
小隊を構成するとき、その方針は指揮官によって異なる。より攻撃力を高めようとする者がいれば、各員の生存率を向上させることに重きを置く者もいる。ことラウルに限り彼が重きを置いているのはバランスだった。ライダーの技量、デルガルの装備、ありとあらゆる要因を考慮して得手不得手がでないようにと組まれている。
そういう意味ではマット一等兵という若手のライダーが組み込まれる小隊にはそれなりに熟練したライダーがいることが望ましい。今回、ラウルがその目的で選出したのがラナ・アービングという人物だった。
しかし今回はその配慮が裏目に出てしまった。例え経験が浅くとも問題は起こらないはずだと考えていたのがミスに繋がった。
だが、ラウルはそれを声には出さずに必死に起きてしまったことへの対応を考え続けていた。
『これからはいつフェイカーからの攻撃があってもおかしくはありません。各員警戒を強めてください』
冷静に伝えられたその言葉を聞いてデルガルのライダー達の緊張感は否応なく高まっていった。
しかし相手の姿が確認できていない現状でデルガルが出来ることは殆ど無い。せいぜいフェイカーの攻撃に備えて武器を構えることしかできないのだ。
マットが乗るデルガルが持つ長距離ライフルから放たれた弾丸は遙か彼方、あらぬ方向へと飛び去ってしまっている。せめてそれが命中していれば話は違ったのだろうが、残念なことにマットの射撃は戦闘開始を告げる号砲の役割しか果たすことはなかった。
「うわあっ!!!」
突然一機のデルガルがその機能を停止した。
機体に空いた穴が物語る。それは先程のマットの射撃が外れたことを嘲笑うかのように、正確に一発の弾丸がデルガルのウィークポイントを撃ち抜いたことによってできた穴だ。
先に一機のデルガルが沈められたことに対する動揺は思っていたほど広がっていない。全てのライダーが冷静になるように努めて、倒されたデルガルの近くにいる他のデルガルが一斉に発射されたと思わしき方向にそれぞれが持つ銃火器による一斉放射を行った。
舞い散る硝煙と排出される無数の薬莢。
残念なことにそれらはフェイカーを捉えることなく、デルガルは一機、また一機と正確な狙撃によって沈められてしまっていた。
『くっ、このままでは。基地正面と右舷方向に配備されているデルガル小隊は素早く左舷方法に集合して援護してください。損傷が少ない隊員は攻撃よりも負傷したライダーの救出を優先してください』
フェイカーの襲撃は左舷方面からであると割り切ってラウルは基地周辺に散らしていた小隊を集合させることにしたようだ。
『
モニターで戦況を確認しているラウルは神住の姿を探した。
攻撃を受けている地点にいるのはデルガルだけではない。神住が操るシリウスもまた同地点に配備されている。
基地にあるモニターが映し出したシリウスは左手に備わるシールドでフェイカーの狙撃から身を隠しながら、その瞬間を待ち続けていた。
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