第9話
店主と別れの挨拶を交わした神住達はニケーがある待機港区画に続く道を歩き始めた。
通りに並ぶ街灯が明るく道行く人を照らしている。
学校帰りの学生や仕事帰りの大人達。商業区、表通りの入り口に近付いて行くにつれて見かける人の数はさらに増えていった。
時間にして夕方の五時を過ぎたばかり。
このくらいになると商業区は原則車両進入禁止となる。例外なのは商品の補充などの運搬トラックだけ。それも表通りは通れずに裏通りの規定の道しか使えなくなるのだが。この施策は歩行者が増える時間帯の事故を減らすという目的があって、商業区に店舗が増えてきた頃には既に実施されていた。だから学生にとっては生まれる前からそうなっているものであり、仕事帰りの大人達にとってもその半数以上が同じ感覚だった。
昼間に戦闘があったとは思えないほどに平和な光景。
慣れたとはいえ、通りを歩いている神住達はその落差は感じずにはいられない。
だけど、それが日常だ。
真鈴とはぐれないように注意しながら神住は進む。
程なくして人込みを抜けて、二人は商業区から少しだけ離れた場所を歩いていた。
目的地が待機港であるためか、徐々に人の数は減っていき、また同時に街灯の明かりも少なくなっていた。
それでもまだ五時半であるために周囲が暗闇に包まれることはない。
待機港区画に入ってしまえば停泊している戦艦から漏れる明かりがそれこそ街灯のように道を歩く人達を照らしてくれる。
昨今、無人の自動運転が主になっているレンタルの車に乗り込みさえすれば待機港区画までそれほど時間は掛からない。
近くにある車の乗り場を目指して歩いていると突然パンッと炸裂音のようなものが鳴り響いた。
すかさず神住は真鈴を庇うように前に出て音がした方に目を向ける。
「銃声か」
聞き慣れたとまではいかないものの聞き覚えのある音に呟いた神住に真鈴が心細そうに訊ねてきた。
「な、何が起きたんですか」
「さあ、わからないが」
暫くして何が起きたのかと周囲の人達が騒ぎ出し始めた。
それでも思ったよりも冷静な人が多く見られるのは銃声を聞き慣れていないが故に何が起こったのか理解していない人が多いからなのだろう。
多少冷静さを残している人はその場で頭を守ってしゃがみ込んでいる。神住は狙撃手を探しているために立っているが、真鈴は神住の体の影に隠れる位置で身を屈めていた。
「お前たち止まれ! 止まれと言っているんだ!」
男の声がして、続け様に二度目の銃声が響く。
今度こそ殆ど人が音の正体を理解したようで悲鳴をあげながら逃げ出す人、その場で蹲ってしまう人が多く見られた。
そんな中でも逃げ出した人達を押し退けながら数人の人影が駆け出していくのが見えた。駆け出している人の格好はどれも似たような感じ。顔を隠すためかロングコートのフードを深く被りその下は特徴を持たれないためだろう。どこにであるような無地の作業着を着ている。ただし、その作業着は綺麗なもので常日頃から何かの作業に勤しんでいる人には見えず、変装の類であることは明らかだった。
「散開して追いなさい。誰一人として逃がさないように」
「「「はっ」」」
銃を持った男達を引き連れて現われた一人の女性が声を張り上げて指示を送る。
男達は声を揃えて返事をするとそのまま走り去った人達を追いかけて行く。
人混みを掻き分けて逃げる人達を追っている多くは制服を着た警官達。その先陣を切って走っているのは警官とは異なる制服を着た男達だ。この制服がアルカナ軍のものであることは此処にいる誰もが知っていること。珍しいのは警官とアルカナ軍が協力して逃げる人達を追いかけているという事実だった。
状況を見極めるためにこの場に残り無線を使って指示を送っている女性もアルカナ軍の制服を着ている。襟元に付いた階級章から察するにこの場にて最も階級が高いのがこの女性のようだ。
女性が周囲で固まってる民衆を見ながら告げる。
「私はアルカナ軍第七小隊所属、ラナ・アービング少尉。申し訳ありませんが、この場にいる皆さんには状況の確認に協力してもらいます。その場から動かずに警官、あるいはアルカナ軍の聴取があるまで待っていてください」
周囲にどよめきが起こる。
人が集まり騒ぎが大きくなることは予測済みなのだろう。後から遅れて現われた警官とアルカナ軍の人達が迅速に近くにいる人に声をかけて聴取を始めていた。
「少しよろしいですか?」
手元の携帯端末に自分の身分証を表示しながら神住達に声を掛けてきたのは先程から指示を送っていたラナ。肩まで伸ばした明るい栗色の髪、着崩すこと無く軍服を着ているラナは「はい」と答えた二人に質問を続けた。
「改めて先程逃走していった人達について話を伺いたいのですが」
「あ、はい。いいですよ」
「念の為、お二人の身分証を見せて頂けますか」
通例としての確認作業があるのだと付け加えられると神住と真鈴はそれぞれラナと同じように自分の携帯端末に自身の身分証を表示して見せた。
「御影神住さんに、怜苑真鈴さんですね。お二人ともギルドに登録されているということは同じトライブ所属ということでしょうか」
「はい」
「ライダーは御影神住さんだけのようですね」
「ええ」
「それでは、お聞きします。お二人は逃走していった人達に心当たりはありますか?」
「いえ、わたしの知らない人でした。神住さんはどうですか?」
「俺も同じだな。そもそもフードを被っていて顔をはっきりと見たわけでもないし…」
「そうですか」
ラナは自分の端末に神住と真鈴の答えを記入していく。
「他に何か気になるようなことはありませんでしたか?」
「気になること?」
「あの…逃げた人達は何をしたんですか?」
神住の隣に並ぶ真鈴が聞き返す。
「えっと、それは…」
聞かれたから聞き返しただけ。だというのに何故か言い淀んでしまったラナはまるで助けを求めるかのように辺りを見渡した。その視線に気付いたのか、駆け付けてきた警官の一人がラナに声を掛けた。
「ラナ少尉。お話し中、申し訳ありませんが、こちらに来てもらえませんか」
「あ、はい。わかりました。すいません。私はこれで失礼します。ご協力ありがとうございました」
誤魔化すように早口で告げてからラナは慌てて駆けて行く。
その後ろ姿を見送って神住と真鈴は互いの顔を見た。
「答えてはくれませんでしたね」
「秘匿事項ってやつなんだろうさ」
「ということは?」
「そうだ、と言い切ることはできないけどさ、もしかするとさっき天野が言っていた事件と関係があるかもしれない」
「どうするんですか?」
「どうもしないさ」
心配そうに見上げてくる真鈴に神住は穏やかな笑みを向ける。
「真鈴と約束しただろ。この仕事には手を出さないってさ」
「でも、気になっているんですよね」
「なっていないと言えば嘘になるけどさ、今更追い駆けるつもりなんてないよ。それに」
「それに?」
「アルカナ軍の人に疑われるようなことはしないさ」
ちらちらと自分達の様子を窺っているアルカナ軍の視線を辿りつつ神住が告げる。
きっぱりと言った神住は真鈴と共に聴取を終えて帰って行く人と同じように自らの帰路につくことにした。
程なくして人集りは散り散りとなり、時間を経て人通りも少なくなっていく。
明日になればここで何かが起きたなんて気にする人はいなくなるだろう。
陽が落ちて、夜になり、星が出て、月が輝く。
商業区にいるのは夜の時間に食事や遊びに出ている人だけ。
それもまた日常と変わらない夜の光景だ。
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