2.5話「はじめてはいつも突然に」②

 ◆◆◆


 探索者パーティ『ドリフター』のリーダー、篠田は絶望していた。

 巨大なドラゴン型の迷宮獣ミュートロギア

 そいつには、魔導書グリモアルの火も歯が立たなかった。

 篠田は右腕に負傷をおい、サブリーダーの廣瀬に至っては完全に右足が折れていた。

 ほかの二名のメンバーはすでに逃げ出している。

 ここに残っているのは、篠田と廣瀬の二人と──そして、Aランク迷宮異能持ちのボディガードが一人だけ。

 多勢に無勢そのものだ。

『GYAAAAAA!!』

 咆哮とともに、ドラゴンが大きく口を開けた。

 来る。篠田は恐怖した。

 あの口から吐き出される、灼熱の炎。

 あれを避けるだけで精一杯で、ついにここまで追い詰められたのだ。

「う、痛……」

 廣瀬が唸る。

 もう、次は避けられない。

 あの炎で焼かれれば、骨も残らず焦がされてしまうに違いない。

 篠田が絶望で息を詰まらせた、そのとき。

「……こっちだよ!」

 ボディガードの少女が、ドラゴンに向かって駆け出す。

 彼女の異能を持ってしても、無謀なのは目に見えていた。

『──SHAAAAA』

 ごう!

 篠田たちから意識を逸らしたドラゴン。

 吐き出した灼炎の弾は、駆け出した少女を直撃した。

「……っ!」

 篠田は思わず目を瞑る。

 Aランク迷宮異能とはいえ、今のを生き抜けるとは思えない。

 まだ年若い少女を、自分たちの探索に付き合わせて殺した──そのことに篠田は深い後悔を覚えた……のだが。


「あっちち!」


 少女の太平楽な声が、篠田の耳に届いた。

「え?」

「服、ちょっと焦げちゃったじゃん。困るわぁ」

 パーカーのフードを目深に被ったままで、へらへらしている少女。

「……こいつは全部引きつけるし、おじさんとおばさんは早く逃げなよ」

 Aランク迷宮異能『守護鉄壁』。

 あらゆる攻撃を受け切る、鉄壁の防御を持った少女だ。


「む、無理だ」

 篠田は声を震わせる。

「あ?」

 リザードマンの攻撃を受けながら、少女は涼しい顔で応答する。

 篠田は苦々しげに呟く。

「廣瀬の足の傷が深い……意識もあいまいだ。これじゃ動かせない……!」

 少女は「まじか」と舌打ちをする。

「……つっても、私、こいつら倒せないよ?」

 少女の言葉に、篠田は絶句した。

「は……?」

「戦わなくていい、って言ったでしょ。私、いくら殴られても焼かれても迷宮内では絶対死なないけど……とうっ」

『GYA?』

 ぺちん、と少女の拳がリザードマンを殴る。

 まったく効いていなかった。

 殴られたところをボリボリとかくリザードマン。

 それを見下ろすドラゴン。

 残り数ページの魔導書グリモアル

「……まじかよ」

 状況は全く好転していなかった。

 年若いというだけで、自分たちが小遣いを渡してやとった少女を信じなかった。

 そのせいで──自分たちは、ここで死ぬのだ。

「に、逃げろ! あんたはまだ若いんだ、こんなところで──」

 せめて、少女だけは逃がそうと。

 篠田が声をあげた、その瞬間。

「うおぉりゃああぁーっ!!」

 ドラゴンが。

『GYAAAAAAAAA!!!』

 地に、沈んだ。

「え……?」

 何が起きたのだ、と篠田は硬直する。

 迷宮内異能か?

 いや、でも……。

「っしゃ、一撃ぃっ!」

 ドラゴンを地に沈めた少女は。

 いま、素手で、殴っていなかったか?

 目の前で起きていることを咀嚼しようと、篠田は脂汗を垂らす。

「あ……れ?」

 しかし、急激に瞼が重くなってきた。

 この緊迫の状況で、なぜ?

「怪我、してますね……血、すごいです」

 小さな囁き声。

 そうか、失血症。

「応急処置をしますから、安心して」

 小さな手が、篠田に触れる。

 誰かを救う意思をやどした手だ。

「……おやすみなさい」

 桔梗の声に、篠田は廣瀬と折り重なるように意識を手放した。

『GYA……』

 一撃にて沈んだドラゴン。

 それにもっとも狼狽えたのは、リザードマンたちだった。

 迷宮獣ミュートロギアには知性がない、というのが定説だ。というよりも、迷宮内の特定範囲を守るためのプログラムのようなものだ、というのがこの二十年の定説だ。基本的には。

 だから、リザードマンに感情があるかどうかには議論の余地があるだろう。

 けれど、その爬虫類じみた目(事実、爬虫類だ)に宿っているのは、明らかな戸惑い、そして、恐怖。

「……お、お、」

 そして。

 恐怖を宿した少女がもう一人。

 巨大なドラゴンを、一撃のもとに下した──

「う、おおおお!」

 溝口アカリだ。

 アカリがくる日もくる日もドブネズミ相手に磨き続けた拳が、リザードマンを瞬殺した。

「す、す、すごい……!?」

 桔梗がピクリとも動かないドラゴンとリザードマンを見て叫ぶ。

 一撃。

 そんなことが、人間に可能なのか?

 ランクAの迷宮異能を持っていても、ドラゴンと一騎討ちタイマンなんてありえない。

「アカリちゃん……でも、ランクFって?」

 たしかに、アカリはそう言っていた。

 そうでなければ、アカリは学外で探索者シーカーとして活動できていたはずなのだから。

 では、一体どうやってドラゴンを倒したのだろう。

 たった一撃のパンチで、ピクリとも動かなくなったドラゴンを前に、桔梗はドキドキと胸を高鳴らせていた。

 と、そのとき。

「……ひっ、うげぇ」

 アカリが膝をついた。

 ごほごほ、と激しくむせこむ。

「あ、アカリちゃん!?」

「だ、大丈夫……ちょっと、びっくりしただけ」

 大きく息を吸い込んで、アカリは顔を上げた。

 じっと自分の手を見つめる。

 ドラゴンを、殴り倒した。私が。

 やれた。いけた。

 ──やっぱり、私は間違ってなんていなかった。

「私、やれるんだ……ダンジョンで、冒険できるんだ!」

 ランクFだって、できるんだ。

 じわりと涙が浮かびそうになるのを、こらえる。

「き、桔梗センパイ!」

 笑顔で、桔梗を振り返る。

「私、やりました!」

 そのとき。

 さらさら、さらさら……とドラゴンとリザードマンが虹色の砂になって消滅する。

 キィン──という澄んだ音。

「わ、魔力素結晶……大きいっ」

 現れたのは、虹色に輝く結晶だった。

 魔力素結晶。

 アカリはその美しさに釘付けになる。

 教科書でしか見たことがないけれど、間違いない。ダンジョン出現後の世界を支える現代の燃料だった。


 グラム数万円から売却ができる。

 金よりも価値のある。

 魔力素結晶きんのたまご


「こんな大きければ! 学校、イッパツで救えます……!」

 桔梗が、ぱぁぁぁっと笑顔を輝かせて魔力素結晶に駆け寄った。

 しかし、それよりも早く──鉄壁のパーカー少女が動いた。

「もらい」

「えっ!?」

 アカリが声をあげる。

 いやいやいや、待ってよ。

「ちょっと!」

 フードの少女は、すたすたと歩き始める。

「返してってば!!」

「返すって、ウチが拾ったし」

「いや、私が倒したんだよ!?」

「拾った方のもろっしょ、ダンジョン探索のキホンだよ」

「いやいやいや! そんなこと──」

「っていうか……あんた、ウチの学校がっこの子じゃん?」

「は?」

 少女が、フードを外す。

 長い手足。ポニテに結い上げた金髪。

「よっ! あんたあれでしょ。……委員長キャラの、えっと、誰だっけ?」

「ゆ、夢見ヶ崎レイ!! ……さん!?」

 虹色に輝く魔力素結晶を手に、ニヤリと微笑む少女。

「いやぁ、見られちゃったなぁ?」

 夢見ヶ崎レイ。

 樹学院、一年花組。

 授業中はいつも爆睡、遅刻常習犯で早引き上等犯。

 人目も憚らず爆睡して大口開けて笑う、ヤンキー女。

 優等生のアカリとは正反対の、クラスメイト。

「うえぇえぇぇっ!?」

「あ、思い出した! 溝口だ。溝口!」

「そ、そうだけど、こ、こほん! ごきげんよう、夢見ヶ崎さん?」

「あはは、なんだそれ! きもっ!!」

 レイは、アカリの優等生キャラに爆笑した。

「わ、笑わないでよ!」

 アカリはぷんすこした。

 女子高生のふりまく明るい空気が、ダンジョンを温める。

「ふへへ」

 キラーン、という虹色の輝き。

 魔力素結晶は、レイのパーカーのポケットに放り込まれた。

「あっ」

「いやぁ、今月ギリギリだから、マジで仕方なくダンジョンのバイト受けたんだけどいいこともあるもんだわ! ラッキー」

「待って、返してよ……っていうか、どうしてあなたがここに?」

「どうしてって、バイトだよ」

 レイは肩をすくめた。

「……っていうか、あんたら出口わかる? ウチと一緒に外出ない?」

「あ、それはぜひですっ」

 桔梗が気を失っている篠崎たちを指さす。

「この人たち、早く救助を読んであげないとですから」

「あ、やべ! おじさんたちのこと忘れてたわ」

「いや、忘れてたって……!」

「んふふ。いやぁ、この魔力素結晶の前じゃ、はしたガネのバイト代出してくれたおじさんのことなんて忘れて当然っしょ?」

 ダンジョン内ではスマホは圏外だ。

 はやく外に出て、自衛隊ダンジョン防災ダイアルにコールしなくては。

「ほら、ついといでよ。ダンジョンなんて長居するようなとこじゃねーし」

 ひょいひょいと手招きするレイ、そのとき。

「危ねぇ!」

「え?」

 どん、とレイに突き飛ばされる。

 何? ドラゴンは倒したのに。リザードマンも消えたのに。

「な、なな?」

 桔梗もレイの行動に驚いて硬直している。

 身を縮こまらせている様子が、まるでモルモットみたいだった。ぷいぷい。

「ど、どーしたの?」

「うるせー。静かにしろ……死ぬぞ」

「え?」

 先ほどの、レイとドラゴンの戦いを見ていた。

 あれほど巨大な迷宮獣ミュートロギアの攻撃を、びっしんばっしん受け止めていた。ダンジョンの地面が焼け焦げるほどの、灼熱の炎。あれを受けても無傷だった。

 不敵に戦うパーカーの女子高生はカッコよかった。

 そのレイが、本気マジのテンションで「死ぬぞ」って。

 レイの視線の先を見る。

「──ぁ」

 やばい。

 アカリは本能で悟った。

 そこにいたのは、「人」だった。

 ダンジョン最凶の迷宮獣ミュートロギアはドラゴンでも、ヒュドラでも、ヤマタノオロチでもない。

「影人魚……!」

 人型だった。

 けれど、それは人ではなく。

 ヌルリと気味の悪い表皮、蛇とも魚ともつかない下半身。

 男とも女ともつかない、人の上半身。目も鼻もない中で、鋭い牙をもった口だけが嫌に目立つ。

 ダンジョン内を泳ぐように移動する、人型の怪異。

 リザードマンのような二足歩行型のロギアすらも珍しいダンジョンの中で、知性と策略を持って人間を喰らう──最恐最悪の怪異である。

 ランクAの迷宮異能持ちが、ようやく対処できるとされる。

 もちろん本物を見るのは初めてだけれど、そんなアカリにもわかる。

 ──あれに見つかったら、殺される。

「声出すなよ。あいつが離れた瞬間に、おっさんたち背負って逃げるぞ」

「……っ」

 震える桔梗。硬直するアカリ。

 幸い、影人魚はこちらに気付いていないようで、城の廊下をゆっくりと進んでいった。ドラゴンの間に繋がる入り口のドアが半開きで、その隙間からヌルリとした下半身のヒレがひらひらと見えている。

 そして。

『アぁaア……アAァア……Aaaa……』

 影人魚が、歌っている。

 聞くだけで呪われてしまうような、ゾッとする声だ。

 レイが低い声で囁く。

「こっちに気づいてない。いいか、合図したら走る」

「ま、待って。この人たちどうするの?」

「だから、背負うんだよ……身体強化くらいはできるだろ?」

「で、きる……けど」

「わ、私、できない……です……身体強化、うまくできなくて……」

 桔梗が泣きそうな声を出す。

 迷宮内の魔力素から恩恵を受けられる第三世代とはいえ、身体強化を使うのには『コツ』がいる。

 意識して練習をしていない者であれば、上手く使えないのは当然だ。

 レイが舌打ちをした。

「まじかよ……」

 先ほどの様子を見るに、桔梗は戦うことはできない。

 レイは防戦に特化した迷宮異能を持っているようだ。

 おそらく、自分たちだけなら逃げ切れる。

 けれど――この人たちは?

 超自然回復の恩恵を受けられる第三世代でもない人が意識不明のままでダンジョン内に放置されれば、影人魚に気づかれなくても命は危ない。

 それは、ダメだ。絶対に。

「あのさ」

 アカリが小さく手を挙げる。

「入り口まで、レイちゃんがこの人たち背負って全力疾走したらどれくらい?」

「は? そうだな……往復三分、ってところか」

「え、そんなに近いの?」

「ああ、こいつらが見つけたショートカットだってさ」

「そうなんだ……とにかく、三分ね、うん……わかった」

「アカリちゃん。わかったって、何が……?」

 桔梗が不安げに首を傾げる。

「私が、おとりになる」

「は?」

「あ、アカリちゃん?」

「私、こう見えてダンジョン内ですっごい修行してきたんだよね。だから、影人魚を私が引きつけるから……その間にレイちゃんが、この人たちを運んで」

「おい、でも二人も担げねぇぞ」

「だから、一人を外に連れ出したら、戻ってきて。それまでは、絶対に待ってるから」

「無茶だろ!」

「でも、それしかないよ!」

 レイの視線と、アカリの視線がぶつかり合う。

 そのときだった。

『――Aaアァアaァ……』

 影人魚の歌が、真後ろで聞こえた・・・・・・・・

「ひっ!」

「わ、わわ」

「うわぁああっ!」

 振り返る。

 それを目にした瞬間に――全身が凍った。

「ひ、ひぃ……」

 影人魚が、手招きをしていた。

 目も鼻もない顔で、こちらを見据えて――おいで、おいで、と手招きをしているのだ。

「きゃああぁっ!」

「走って! さっきの作戦しかないよ!」

「おい、待――」

 アカリは、駆け出す。

 身体強化――念じる。

 風のように走り、影人魚に殴りかかった。

「馬鹿っ! ……って、え?」

『Aaァaaァaaa!』

 ダンジョン最凶の迷宮獣ミュートロギアである影人魚が――吹き飛ばされた。

「嘘だろ!?」

 レイは叫ぶ。

 こちらの攻撃は通らず、様々な迷宮異能を使って探索者を追い詰める知能を持った迷宮獣ミュートロギアのはずだ。

 それが、吹き飛んだ。

 この溝口アカリという少女は何者なのだ。

「レイちゃん、走って!」

「……ちっ」

 影人魚の意識が、アカリに持っていかれている。

 アカリはどこまでも続く廊下を走り、壁を駆け上がり、攪乱する。

 ダンジョン内を泳ぐようにしながら移動する影人魚から、上手く逃れている。

 たしかに、好機は今しかない。

「すぐ戻る! お前も来いっ!」

「あっ」

 レイが桔梗の腕を引っぱった。

「い、いやです。アカリちゃんを置いていけない」

「お前に何ができるんだよ!」

「ここで、この人を守ります!」

 桔梗が気を失っている篠崎を指さす。

「――祓えたまえ」

 桔梗が小さく呟き、指で印を結ぶ。

 途端に、桔梗の周囲が清浄な光に包まれて――ぼやけた。

「これで、影人魚からはこちらが認知しにくくなるはずです……っ!」

「なんだ、その迷宮異能……? っく、勝手にしろ!」

 レイは、これ以上の問答は時間の無駄だと判断し、気を失っている『ドリフター』のサブリーダー廣瀬を背負って駆け出した。

 アカリは目の端でそれを確認した。

 あと、三分逃げ切る――っ!

「はぁ、はぁ、こっち! こっちだよ!」

 影人魚をおちょくりながら、走る。

『Aaァaaァaaa!』

 徐々にいらついているのか、影人魚は魚のような下半身をうねらせながら叫ぶ。

「あぶない、アカリちゃん!」

 大きく開けた影人魚口から、咆吼とともに光弾が吐き出される。

「ひっ」

 光弾が直撃したお城のような石柱が、折れた。

 先ほどのドラゴンの炎とは比べものにならない殺傷能力だ。

(あ、あんなの当たったら絶対痛い! 絶対跡残る! っていうか、死ぬかも!)

『アァー……Aaあァaaァaあ……aァアla!』

 連撃。

 アカリは、身体をひねって躱しながら、なおも影人魚のヘイトをとり続ける。

「す、すごい……」

 桔梗が、指で作った印を解かないままに呟く。


 ――影人魚と渡り合う、というのはトップランクの探索者でも難しい芸当だ。

 まともにダンジョンに潜るのが初めてのアカリに、そんな芸当が可能なのか。

 ランクFとは思えない、迷宮内での身体強化。

 それに、先ほどの超自然回復。

「アカリちゃん……あなた、一体……」

「おりゃあああぁ!」

 アカリが影人魚に殴りかかる。

 その動きは、どんどん速度を上げているように見える。

「こっち、こっちだ!」

 床、壁、天井――すべてを使って駆け回るアカリの動きは、明らかにランクFのそれではない。

 影人魚の歌が、苛立ちを帯びて大きくなる。

『あー……アァAaァaaァ……aaa……!』

 ぴたり、と。

 影人魚の動きが止まった。

「え?」

 自分を追いかけてこなくなった影人魚に、アカリが少し動揺する。

『ァ……Aアァ……あーアァーAaァaアァア』

 不気味な歌が大きくなる。声がうねる。

 次の瞬間。

『アアーーーー』

 巨大な光弾が、天井に向かって放たれた。

 真下には、桔梗と篠崎がいるのだ。

「あ……っ!?」

 桔梗は息を呑む。

 印による守護は、ただの目くらましだ。

 天井の破片が直撃すれば、ただでは済まない。

「……見られ、てた……?」

 影人魚は、こちらを認識していた。

 そのうえで、無視し続けていた――アカリと桔梗の距離が、十分に離れるよう誘導するように。

 ぞくり、と桔梗は背筋を震わせた。

 崩落した天井の破片が迫る。

「危ない、桔梗センパイ!」

 アカリが猛ダッシュで桔梗に駆け寄る。

 しかし。

 間に合わない――そう、二人が思った。そのとき。

「――『守護鉄壁』っ!」

 桔梗の前に、夢見ヶ崎レイが立ち塞がった。

 レイが展開した防御壁が、天井の破片を弾いていく。

「っぶねーっ!!」

「レイちゃん!」

「ゆ、めみがさきさん……」

「ほら見ろ、やっぱり詰みだったじゃねーか」

 アカリも合流し、三人と影人魚が対峙する。

「逃げるぞ!」

 すでにレイは、篠崎の体を担ぎ上げていた。

 アカリは大きく頷く。

『あ……アァAぁ……』

「でりゃああーーっ!」

 怖い、逃げたい、早く。

 きっと、1人であればその気持ちに呑まれていただろう。

 けれど、アカリの身体は動いた。

 ドゴッ!

「……ぐ、うあああぁりゃああ!」

 城状迷宮の廊下に、規則正しく林立する石柱を蹴り抜く。

 身体強化をほどこした足で、その根元を粉砕する。

『ァA……ァa』

「もう、一本ッ!」

 砂埃と共に、二本目の柱が折れる。

 アカリたちと影人魚との間に、石柱が壁を作る。

「今ッ!」

 それを確認した瞬間、アカリとレイはかけ出した。

「桔梗センパイ、こっち!」

 レイは篠崎を担いで、そしてアカリは桔梗を抱き上げて。

「……アカリちゃん」

「舌噛まないでくださいよ、ダッシュッ! ダッシュッ!」

 砂煙の中をアカリは走る。

 敗走。

 けれども、これは事実上のアカリたちの勝利だった。

 事実、影人魚と相対した場合の探索パーティの生還率は六〇%以下とされている。

 かつ、影人魚と遭遇するのは現状では先端階層のみだとされている。

 つまりは、一流の探索者たちによる一流のパーティで、四割は生還できないのだ。

 奇跡。

 影人魚との戦闘を切り抜けたのが、ダンジョン探索が初めての女子高生というのは、奇跡と称するほかはないのである。



「……あぶなかった」

 ふぅと、大きく息をつくレイ。

 アカリは地面にへたり込んで、桔梗を抱きしめた。

「アカリちゃん、ありがとう……よかった……」

「影人魚、話には聞いてたが……ありゃ、やっぱバケモンのなかのバケモンだわ。なんだよ、迷宮異能使うなんて、聞いてねぇ」

 アカリは脈打つ心臓を両手で押えながら、どうにか声を出す。

「あ、ありがとう。夢見ヶ崎さん」

「いや、いいって……おかげで、このおっさんたちもどうにか助けられたしね」

「……よかった、です」

「あ、そうだ。手伝ってくれたお礼に、これやるよ」

「わわっ」

 ぽい、と放り投げられたものをキャッチする。

 文字通り値千金の魔力素結晶──ではなく、

「……これ、魔導書グリモアル?」

「あ、それしかもこれ……魔導書作家パピよん☆の……」

「う、うおおぉっ!」

 ダンジョン内で魔法の如き力を発揮する魔導書グリモアルは、探索者シーカー登録をしていないと売買ができない。

 ランクFのアカリにはどんなに欲しくても手に入らない憧れのアイテムである。

「あのおじさんたちのものだけど、もう数ページしかないし。貰っちゃっていいだろ!」

 ぐっ、と親指を立てるレイ。

「でも、いいの?」

「うん、ウチは使わないし、こんな残りページじゃ売れないし。……ダンジョンなんか、潜らないでいいなら潜らない方がいいんだからさ!」

「え?」

「なんでもない。ほら、もう一冊あるよ」

「わわっ!」

 ぽい、ともう一冊。レイは桔梗に魔導書を放り投げた。

 アカリは、手の中の魔導書(残り数ページ)をじっと見つめる。

「これが……魔導書……!」

 じぃん、と胸が熱くなる。

 突然の出会い。

 仲間、戦い……それに、魔導書すてきアイテム

「アカリちゃん」

「桔梗センパイ……」

「ダンジョン探索部、はじめての活動……成功だね。まだ二人だから(仮)かっこかりだけど」

 ほにゃっとした笑顔。

 アカリは、思う。

「……いいや、全然成功じゃないでしょ!! 返してよ、魔力素結晶っ!!」

「誤魔化されてくれないかー」

 肩をすくめるレイ。

「まぁ、いいや。ほら、早く帰ろうぜ」

 こうして、事故的にはじまったアカリのはじめてのダンジョン探索は終わった。

 ──多摩川不明迷宮ダンジョン、第四層階層主フロアボス、初撃破の瞬間だった。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る