9話「はじめてのダンジョン探索!」
◆◆◆
……迷宮省、ダンジョン対策本部。
会議室の一角。
本来、無味乾燥に保たれているべきオフィスの片隅を自らの城としている存在がいた。
「何これ」
氷のように冷たい、あるいは溶けた鉄のように熱い声。
自分以外の存在に決して心を許さない人間が放つ、独特の質量。
「……なんで、樹学院に、またダンジョン探索部が?」
彼女の牙城であるオフィスデスクに一脚数十万円のゲーミングデスク。それから読みかけの雑誌類に、巨大な垂れ耳犬のぬいぐるみ。
本来、オフィス……しかも会議室という場所に存在できる癒しは、やたらと葉っぱが分厚く、手入れの手間がかからない観葉植物だけと相場が決まっている。
彼女の周囲だけが、まさに異空間といった様相だ。
女帝。
そう称される、現役プロ
溝口葵衣。
若干二十歳にして、すでに探索者歴は十年に届こうとしている。
迷宮内異能を有する
そして、至高のひとり。
日本政府の実質的なダンジョンについての最高権威である迷宮省特別大臣という、閣僚の立場におさまってから数年。近頃はデスクワークばかりで現場に行くことが少ないのが、目下の悩みである。
「は? もぐもぐズ? なに、このふざけきった名前は」
小さく舌打ちをしながら、書類に目を通す。
便宜上、すべてのダンジョン探索計画書は迷宮省大臣の印を押されることが求められているのだ。プロの探索者チームであっても、高校の部活であっても変わらない。
もちろん、葵衣が自ら押印する必要はない。秘書が勝手にやりました、というのは閣僚の常套句だ。
けれど、葵衣はダンジョン探索計画書と探索結果レポートの二種類についてはどんなに忙しくても目を通すことにしているのだ。
探索結果レポートには、目が節穴の木っ端探索者が見落とした新事実が隠れているかもしれない。
何せ、ダンジョンの攻略は日進月歩。
いつ新しい発見があってもおかしくない。
東京不明迷宮の最先端探索層である第八層が発見されたのも、第七層の入り口付近でキャンプを張って数日過ごすという、一見すると意味不明な探索計画を出してきたチームの功績だ。
普通は次の層への階段というのはその階層の最も奥まったところにあると相場が決まっている。実際、多くの探索者が第七層の
けれど、新しい道を切り開いたのは、妙なキャンプを張った妙な探索者たち。
人生というのはそういうものなのかもしれない。
妙に何かを狙って何かをすれば空振り三振ばかりになり、何も狙わずにただ朗らかにバットを振り回すものに幸運の女神が微笑む。
それがダンジョンであり、人の営みだ。
「なになに、東京不明迷宮。第四層の見回りに、魔力素結晶の収集……か」
計画表に書かれているのは、そのまま迷宮省公式サイトの記入見本にでもできそうな、面白みのないダンジョン探索計画だった。
東京不明迷宮の第四層といえば、『完全踏破済』の安全で退屈な階層だ。
だからこそ、高校生が立ち入ることが許されているのだけれど。
けれど、こんな探索をするくらいだったら、まだ第一層でピクニックでもしてくれたほうがマシだ。少しは意外性と面白みがある。
「はー、品行方正だね。優等生の探索計画書だ」
さらりと目を通して、葵衣はすっかり興味を失ったように書類に印鑑を押した。
右肩下がりの印は、折り目正しく真面目な官僚であれば押し直しを要求するのかもしれない。
けれど、溝口葵衣にとっては、本当にどうでもいいことだった。
「……溝口、アカリ?」
そのダンジョン探索計画書に記された、名前以外は。
溝口アカリ。
それは、女帝・溝口葵衣の妹の名だった。
この子だけは、ダンジョンに足を踏み入れさせてはいけないと。
そう決めている、たった一人の妹。
「馬鹿な。あの子の迷宮適応指数は、最低値に書き換えたはず。そもそも、あの子が迷宮内異能を持たないランクFなのは事実なのに」
じっと書面を見つめる葵衣。
きゅっと唇を噛み締める。
「……やめて」
やめてよ、と葵衣は呟く。
──あの子を、よろしくね。
懐かしい声が、聞こえた気がする。
「お母さんと、約束したんだ」
あの子を、ちゃんと守るって。
◆◆◆
東京不明迷宮。第四層。
土曜日。授業はない。天気は晴天!
まあ、ダンジョン内に入ってしまえば、外の天気など関係ないのだけれど。
東京不明迷宮は、階層によって見た目が違う。
第一層は、いわゆる洞窟風のダンジョン。
第二層は、湖畔の周辺を模したダンジョン。
第三層は、炎の神殿。
第四層は、小さな村と周辺の森が舞台だ。
アカリたちは、今日一日この階層で探索をする予定である。
各階層には、先人たちのおかげで『最短ルート』というものが存在している。
周り道なく進めば、次の階層にさくっと降り立つことができるわけだ。第一層は『絶対安全領域』の名の通り、
東京
つまり、先へ先へと探索が進み、最前線が押し上げられることが世界から期待されている。ダンジョンの奥底に何が眠っているのか? 人類が二十年前から求め続けていた答えが、おそらく先にあるのだから。
そういうわけで、最短ルートのおかげで、浅い階層についてはプロのトップ探索者たちはほとんど見向きもしない状況になっているのである。
第四層に降り立つ。
村っぽい場所の中央広場っぽいところ。そこが、第四層のスタート地点だ。
「よーし、稼ぐぞ、稼ぐぞ、稼ぐぞっ! 今日の保育所代をペイするぞー!」
「……ふ、ふふ……新作
目に¥マークを浮かべて腕をブンブン振り回すレイと、明らかに徹夜明けの座った目でへらへらと不気味に笑い続けている北加瀬。
「が、がんばろうっ」
アカリはちょっと引いた。
この人たち、ものすごく怖い。なんというか、目が血走っている。
……そんなアカリは、といえば。
「あ、わ……今日のアカリさん、すごく可愛い……です……」
いつもより早起きして、バキバキにキメてきたメイク。制服のスカートはミリ単位で調整済み。念入りにブローして、コテで内巻きにしてきた髪はさらっさら。
ものすごく、気合が入っていた。
もう主観的にも客観的にも完全無欠の可愛さである。
その証拠に、東京
賛辞の言葉とネットリとした視線を受けながら、アカリはちょっと気持ち良くなってしまった。と同時に、「朝の八時からこの人たちは何をやっているのだろうか……」、と思うなどした。
女子高生の日常である。
「ふふん、どうよ!」
くるっと回ってポーズ。
ダンジョン初探索なのだ、これくらい可愛くしておかなくちゃ。
「す、すみません……私、何も考えずに……学校のジャージで来ちゃった……」
桔梗は、胸にデカデカと『木月野』と書かれた真っ青なジャージを着用していた。
樹学院伝統のクソダサジャージ(二年生の学年カラー)である。
巨大なリュックを背負っているので、ダンジョン探索というよりは『遠足』という感じだ。ちっこいし。
「い、いいんだよ! 大丈夫だよ! 桔梗せんぱい、そのままでも可愛いんだから!」
「いや。普通に、モサいっしょ」
「ぴぇ……」
「れ、レイちゃんっ!!!」
「でも、マジでモサいじゃん……」
「それ、俺が言ったらセクハラなんだよなぁ」
完全にガックリと肩を落とした遠足に行くちびっ子じみた十七歳。
しょもしょも、という音が聞こえてくるようだ。
「す、すみません……その、おしゃれとかわからなくて……」
「むむむ……」
おしゃれとかがわからない桔梗せんぱいについて、アカリには思うことがあった。
すなわち。
「あの、桔梗せんぱい?」
「は、はい?」
「あの、せんぱいってめちゃくちゃ可愛いんですよ!」
「は、はぁ?」
「だから、今度私とお買い物いきましょ! ね?」
アカリは胸を張る。
「私、可愛いを作るのは得意なんで!」
「……は、はい」
桔梗はこくんと頷いた。
だって、たしかにアカリは可愛いのだ。
誰もが憧れるような、完璧なオンナノコ。
「あの、せんぱい。よかったら、買い物行くまで……これ」
アカリは自分の髪を結い上げていたリボンを解く。
髪の両サイドを結い上げていた、大きなリボンを桔梗に差し出す。
自分はサイドアップの髪型になってしまい、ちょっと幼い感じになったけれど……これくらいで、溝口アカリの美少女っぷりは揺るがない自信があった。
桔梗のもさもさしたおかっぱの問題点は、長い前髪が顔の表情をほとんど隠してしまうことだ。丸くて柔らかい頬や、くりくりとした瞳。なんとも庇護欲を掻き立てるマロ眉などが、全部まるっと隠れてしまっている。
これでは、せっかくの小動物的なキュートさが、イマイチ伝わりづらい。
「こうして……こう!」
「わ、わ……」
だから、大きなリボンをヘアバンドのように使って前髪をかきあげてやる。
そして、形のいい頭の上できゅうっとリボンを結ぶ。
頭を一周しているせいで、結び目がやや小さいのが残念だけれど、逆になんというか、頭の上から植物の芽が出ているみたいで可愛らしい。
「リボン、お揃いだね。桔梗せんぱい」
「……ぁ、はい」
桔梗が真っ赤になって頷いた。
新しい髪型のおかげで、照れ顔が丸見えだ。
「梨々子せんぱい、でしたっけ。いなくなったの、東京
「……え?」
桔梗は、親友の名前が出たことに目を見開く。
ダンジョン内で行方不明になった親友を、待つ。それがいかに馬鹿げたことであるのか、桔梗にもわかっている。
実際、梨々子がもう帰ってこないであろうことをわかっていて、迷宮省は樹学院に口止めを命じたのだ。ダンジョンで原因不明の失踪事件が起きた、しかもその犠牲者が高校生……そうなれば、厳しい追求は免れないだろう。
それなのに。
溝口アカリという少女は、本気の本気で、桔梗が梨々子を待つことを応援してくれている。梨々子が再び迷宮内で無事に発見されることを、心の底から信じている。
そのことが、桔梗には眩しくて、くすぐったくて──嬉しかった。
「……実は、うちのお母さんも、ここで……東京ダンジョン内でいなくなってるんです」
アカリがまだ幼い頃、第一世代探索者として最前線でダンジョン最深部攻略にあたっていた溝口茜は消えた。
失踪から七年経って、日本の法にのっとって死亡したものとしてみなされている。けれど、アカリは思うのだ。
もしかしたら、母はまだダンジョン内にいるかもしれない。
自分が、ダンジョンでたくさん大活躍すれば、また会えるかもしれない。お母さんが、見てくれるかもしれない。
……だから、アカリはどうしてもダンジョン探索部に入りたかった。
一歩を踏み出せない自分だけど、気持ちだけは──ダンジョンでキラキラしている自分を、お母さんに見てほしいという気持ちだけは、ずっとずっと持っていた。
アカリは、にかっと笑ってみせる。
「だったら、可愛い格好して会わないと! キラッキラの青春してるとこ、見てもらおうよ! ね!」
首をかしげて、リボンを揺らす。
つるりとしたおでこを丸出しにした桔梗が、目を丸くしてアカリを見つめる。
「……うん」
やたらとダンジョン探索部にこだわっている、変な後輩がいる。
そういう噂を聞いて、目をつけた……はじめは、それだけだった。
けれど、この後輩が好きだ。桔梗は、そう思った。
「ま、買い物行くにもお金稼がないとね〜」
見つめ合う二人の間に、レイが割り込む。
「わわ!」
「ひゃ、ひゃいっ」
赤面する桔梗につられて、アカリもなんだか照れ臭くなった。
「……こほん、それはそうだね。レイちゃんの言う通り!」
アカリは立ち上がって、ずびしと正面を指さす。
「というわけで、さっそく探索をはじめよう! たくさん魔力素結晶あつめよっ!」
第四層で、わりと弱めの
チームで唯一のランクA迷宮異能『鉄壁』を持っている夢見ヶ崎レイのために、まずはお金を稼ごうという考えだった。
「いざ、探索のっ! はじまりですっ!」
スマホをチラ見する。
全国のダンジョン探索部の人気ランキングを表示する画面では、『もぐもぐズ』はいまだ最下位だ。
けれど。
「ふふふ……弱小部だからって舐めないでよね。私たち、こっからなんだから!」
そう、すべてはここからなのだ。
◆◆◆
「ここに出てくるのは、岩トカゲという
桔梗が迷宮省から発行されているガイドブックを見ながら呟く。
「岩トカゲ……」
「とても硬いトカゲだそうです」
「名前のまんまだ!」
きゃあきゃあと騒ぎながら森の中を進むもぐもぐズ。
北加瀬がぼそりと呟く。
「攻撃力は?」
「えぇっと……平均値139、ですって」
「139か〜。ってことは、ウチらがこないだ戦った、多摩川ダンジョンのリザードマンと同じくらいってこと?」
「ううん、リザードマンは最小値が139だったはず……。あっちのほうが多少は手強いけど、油断できない相手だね。岩トカゲ」
多摩川ダンジョンで遭遇したファイアドラゴン、そして影人魚の印象が強すぎたために忘れがちだが、リザードマンも当然強敵ではあった。
ちなみに、ファイアドラゴンの攻撃力(迷宮省調べ)は400。そして、ダンジョン最凶の
大規模ダンジョンの各階層に生息している
「でも、東京ダンジョンの第四層では、
「……アカリちゃん、すごいよく喋るね」
「はうっ」
「溝口、お前オタクだったんだな」
「はうぅっ!」
「あっはは、いいじゃん。すげー詳しいやつがいたほうが頼もしいしさ!」
好きなこととなると饒舌になるアカリであった。
しばらく森の中を進んでいると。
『PIYAAAA!』
甲高い声をあげて、岩トカゲが飛び出してきた。
「うわっ、でた!」
「……っ、ほ、本物の
「わ、わわ……!」
体長は頭の先から尾の先まで含めて、二メートル程度だろうか。
ただし、その半分は尻尾が占めているため、本体の大きさとしては一メートル程度。チームの中で最も背の低い桔梗の胸あたりまでの大きさだ。
つまりは、だいたい小学校低学年程度の大きさ。
しかし、その体表は名前の通りゴツゴツとした岩のよう。しかも、見るからにアカリたちに対して警戒心を抱いている。
真っ先に動いたのは、レイだった。
「いよーし、倒すぞっ!」
メンバーたちの前に仁王立ちになる。
「……『鉄壁』!」
夢見ヶ崎レイのもつ、迷宮内異能。
いかなる攻撃も受け切る、不屈の防御。その名も『鉄壁』。
『PIGYAAAA!』
当然、噛み付いてくる岩トカゲなど相手にもならない。
「うっはっは! 全然痛くねぇし!」
しかし、ランクAの『鉄壁』には難点がある。
「……って、おい。誰か攻撃しろよ。ウチだけじゃ、こいつ倒せねぇし」
攻撃の手段が、まったくないのである。
もちろん、第三世代であるアカリたちは迷宮内にいるだけで多くの恩恵がある。身体能力の向上や、回復力の増加などだ。
レイは迷宮内異能こそ優れているが、そちらの
「……渦巻け、水神。ほとばしれ、我が壮麗なる奔流!」
北加瀬の声が響く。
詠唱。彼の手にある
「──
青く輝く奔流が、岩トカゲに襲いかかる。
迷宮異能の有無に関わらず、超常現象を引き起こすことのできる
北加瀬自身、ランクCの迷宮異能『魔導書操作』を有している。
その分、今の詠唱の威力も上乗せされている──はずなのだが。
『PI?』
「あれ?」
岩トカゲは少しも動じなかった。
ノーダメージ。
焦った北加瀬が後ずさる。
「お? あれ、岩タイプには水が効くんじゃねえのかよ」
「……違います、土剋水──土は水に強いんです」
「ん? それって……オンミョードーってやつ?」
「は、はい」
桔梗が呟く。
相性なんて、そんなものがあるのか。ダンジョンには詳しいはずのアカリでも、聞いたことがなかった。
「っと、あぶない」
「ぐきゃ!」
岩トカゲが北加瀬に襲いかかる。
北加瀬をすかさず突き飛ばしたのはレイだ。
「【鉄壁】!」
『PIGYAッッッ⁉︎』
レイの体を薄く覆った
「……っ!」
「タロー、怪我ない?」
「え? あ、ああ……」
「ありがとは?」
「え?」
「お礼、言ってよね。ウチ、あんたのこと助けたし!」
「……恩着せがましいやつだな」
「ありがとうって言うタイミング逃した方が、あとで気にならね?」
「……それはそうかも」
ありがとう、と北加瀬はつぶやいた。
アカリは考える。
相性。
「それって本当なの?」
アカリが尋ねると、桔梗は不安げに瞳を揺らした。
「え、あ、ごめんなさい……変なこと言った、よね」
「ううん、違う違う! さっきの、土は水に強い、ってやつ」
「……えっと」
「ねえ、そしたらさ──」
『PIGYAAAA!』
岩トカゲは、レイの障壁に弾き飛ばされたことで怒り狂っている。
「──岩の弱点、あるんでしょ?」
「あ、えっと……」
桔梗は口籠る。
自分の言うことを、アカリが信じてくれるなんて。信じられなかった。
「おぉっと、攻撃するならこっちだし!」
興奮した岩トカゲ……ぶっくりと膨れた腹に小さな手足をもった、体長一メートル程度のモンスターは、何度も何度も体当たりを繰り返す。
そのたびに、【鉄壁】を発動したレイがその攻撃を受け切っている。
「ちょっと! おしゃべりしてる場合じゃねえっしょ!」
「そうだけど! ちょっと待って、桔梗せんぱいに話を聞きたい!」
ずっと、自分のことを開示してこなかった桔梗。
アカリは、その桔梗が何かを発しようとしているこの瞬間を逃したくなかった。
桔梗は、小さな声で。けれどもはっきりと、語り始める。
「
「妖怪?」
陰陽道を含んだ日本独自の呪術体系……巫術。桔梗の生家である、木月野一族は代々その巫女の力を操る超常の一族だった。
かつて、地上を跋扈した魑魅魍魎たちと戦い続けてきた歴史の影に存在した一族だ。
ダンジョンが地上に現れてから、木月野一族をはじめとした日本の呪術家たちは震撼した。
もちろん、魑魅魍魎たちには日本固有の種族もいる。魑魅魍魎たちは、人々の想像力や恐怖を喰らって実態を得る。無辜の人々が、鬼や妖を恐れるほどに彼らは力を持つのだ。
呪術家たちの意見はこうだった。
おそらく、
日本の民が思い描く『怪異』は、変質した。
ゲームやアニメーションで目にした、西洋のモンスターたちを明確な脅威として思い描くようになったのだ。
けれど、本質は変わらない。ならば、桔梗の一族が長年やってきたように、
その証拠に。
木月野桔梗が持つ、ランクEの迷宮内異能は──
「
低ランクとはいえ、レアスキル。
その内容は、
「岩トカゲ……たぶん、ツチノコの怪異の仲間」
「ツチノコって、あの太った蛇?」
捕まえると百万円とか、一千万円とか。そういう生き物、ツチノコ。
「なぁ、ツチノコってことは生捕りにしたら金にならない!?」
レイが叫んだ。
桔梗が話の腰を折られて、戸惑った声をあげる。
「え? でも、本物じゃなくて
「言わなきゃわからないって!」
「……ふむぅ」
アカリは考える。
美少女女子高生探索者、
アカリの脳裏に、ツチノコを抱えて笑顔で写真におさまる自分たちの姿が浮かぶ。いい。とてもいい。
「よし、決めた! もぐもぐズの最初のミッションは、ツチノコ狩りにします!」
「よっしゃ!」
「え、ええ……」
「弱らせれば、
「……そう。岩は土。木剋土……木は土に剋つ」
「木なんて、そこら中に生えてるじゃん。なのにあいつ、ピンピンしてるぜ」
「えっと、五行の木は本物の木のことだけじゃない……風とか、雷とか……そういうものも、全部『木』の力を持ってる」
五行、というのは言うまでもなく陰陽五行説だ。
「風に、雷……」
「ウチらの異能じゃ、全然無理だね」
「そもそも、私は迷宮異能持ってないし……」
迷宮内異能のなかには、魔力素を使って雷やら風やらを操ることができる能力もある。
しかし、もぐもぐズにいるのはランクAの【鉄壁】の持ち主。とっても体が丈夫なレイ。ランクCの『魔導書操作』を持っている北加瀬、それからランクEの『
北加瀬が、むむっと唸る。
「……雷なら、僕の
そして、魔導書の種類によって、様々な技を並行して繰り出すことができることだ。
北加瀬が、ポケットからあるものを取り出した。
「……単語帳?」
「ちがう、試作品の
ぱらぱら、と北加瀬が単語帳を開く。
どうやら、あのなかにプログラムが書き込まれているそうだ。
起動のためのトリガーになる詠唱を唱える。
「──轟け雷鳴、奔れ我が壮麗なる稲妻。
ぱしん、という乾いた音とともに、魔導書から雷撃が放たれる。
岩トカゲに雷撃は直撃する。先ほどの水の異能とは比べ物にならないくらいの勢いで、岩トカゲが吹き飛んだ。
雷撃。すなわち、五行のうち「木」。
明確に通るダメージが違う。
「すっげぇ、魔法みたいじゃん!」
「どーだ! 俺の新作魔導書!」
「これは売れるぞ、タロー!」
「……いや、売上はお前に関係なくね?」
レイと北加瀬のやりとりをよそに、ボロボロになった岩トカゲが身を起こす。
体表を覆っている岩がぼろぼろと剥がれて、満身創痍だ。
けれど。
『PIGYAAAA!!』
全身を使って、こちらに敵意を向けてくる。
おとなしい
「……調伏!」
岩トカゲ……もとい、ツチノコにむけて迷宮異能を発動させる桔梗。
うまくいけば、あの荒れ狂ってるツチノコは桔梗の眷属になる。眷属とは、つまりはよく躾けられたペットである。
『PIYAAA!』
「う、だめ……うまくいかない……」
桔梗は涙めでアカリを見る。
ランクE……無能力ギリギリの桔梗の
そもそも、桔梗が幼い頃から修練している、呪術を用いた調伏であっても徹底的に弱らせた魑魅魍魎を、さらに拘束してやっと成功するものなのだ。残念ながら、桔梗は天才ではない。
本当だったら怪我をする前に、岩トカゲを倒してしまうほうがいい。
「桔梗せんぱい、もし私がアレ捕まえてたらどう?」
アカリは、桔梗に尋ねる。
そんな無茶、怖いに決まっている。だけど、努めて明るく声をかけるしかなかった。
桔梗が俯いてしまったから。せっかく前髪を上げて、可愛いのに。
「え?」
「暴れてるツチノコ、押さえてたらテイムできるかな?」
「それは……やりやすいかもしれないけど……でも……」
「よし、任せて!」
アカリは駆け出す。
もちろん、迷宮内の魔力素を使った身体強化を忘れない。
人類の可能としてきた動きを、はるかに凌駕する加速──並の身体強化ではない、迷宮異能を持たないアカリが、唯一持っている武器を、一人で磨いて、磨いて、磨きまくって手に入れた手札だ。
「おりゃー!」
駆ける。
あっという間に、岩トカゲの真後ろに立った。
『PIGY!?』
アカリの気配に、岩トカゲは体長の半分を占める尾を振り回す。
「おっそい!」
しかし、アカリの速さには敵わない。
次の瞬間には、飛びついてきたアカリにねじ伏せられていた。
暴れる岩トカゲ。身体強化でねじふせるアカリ。
何発かパリパリと雷撃が飛んできた気がして顔を上げると、アカリと岩トカゲの取っ組み合いに完全に気圧されてしまった北加瀬が、葵顔をして
岩トカゲとの格闘に集中していたせいで一言も発せられなかったが、アカリは強く思った。いや、こっちに撃つなよ……と。
「ひ、ひぃ……」
「ばっか! アカリに撃ってどーすんだよ!」
「ご、ごめっ」
「ビビるんなら、ウチの後にいなって。タロー一人くらい、ウチが絶対守るからさ」
「……」
「な、なんだよ」
「いや、べ、別に」
「照れるなって! こっちも恥ずかしくなんだろ!」
長身のレイに、小柄な北加瀬。
レイの後で背を丸めている北加瀬は、画面の向こうの魔導書作家アイドル、パピよん☆の顔をしていた。恋する乙女の顔である。
それはさておき。
「桔梗せんぱい!」
「は、はいっ」
岩トカゲ、もといツチノコをおさえこんだアカリが叫ぶ。
いつも自信なさげな桔梗だが……ここでこの岩トカゲを
「い、いきます……
『PIIIGYA!』
「て、テイムッ!」
『PIGYAA!』
「て、ていむ〜っ!」
忍者のような印を結んで、何度も
よく見ると、魔力素が反応する光が桔梗から発せられている。といっても、たぶん暗闇でやっと確認できるレベルの弱々しいものだけれど。
なぜアカリが気づいたかといえば、焦って何度も何度も迷宮異能を連発する桔梗の顔がなんとも可愛すぎたのでガン見していたからである。
岩トカゲの
「
『……ぴ』
ついに桔梗のテイムが成功したのは、アカリにもすぐにわかった。
アカリに取り押さえられながらも大暴れしていた岩トカゲがぴたりと暴れるのをやめて、キッズに大人気のマスコットキャラクターのごとき媚び媚びの鳴き声をあげたのだ。
「や、やった……!」
「げ、顔が可愛い!」
先程まではものすごく怖い顔をしていた岩トカゲだが、
体も丸みを帯びて、昔小さい頃に妖怪図鑑っぽい絵本で見たツチノコそっくりだ。
『ぴ〜っ♪』
「わ、きゃっ……くすぐったいよっ」
アカリの腕から抜け出して、ツチノコは桔梗にじゃれついた。その様子は、もはや犬。しっぽをブンブンふっている。ふっくらしたお腹がキュートだ。
「かわいい〜!」
「いいねいいね、写真とろ! 『シーカーランカー』に載せようっ!」
「いや、可愛くても爬虫類だろ。しかも、
ツチノコにじゃれつかれている桔梗を見ながらおしゃべりに興じる三人を振り返って、ツチノコくんは首をかしげた。
つぶらな瞳とふっくらボディ。
そして、その両手は地面に転がっている桔梗のおっぱいにちょっと食い込んでいる。そのなだらかな膨らみ越しに、ツチノコを見下ろす桔梗の困惑顔。
『……ぴ?』
「「「か、かわいい〜っ!!」」」
ツチノコのキュートさに、もぐもぐズは陥落した。
数時間をダンジョン内で過ごして、ひとつの疑問が持ち上がった。
「この子、迷宮の外に連れて行けるのかな?」
迷宮異能は、迷宮の中でしか作用しない。
それが、定説だ。
そうでなければ、ダンジョン出現後に生まれた第三世代たちによって世界は異能バトルあふれる殺伐としたファンタジーワールドになってしまっていたことだろう。
「テイムなんてレアスキル、プロの探索者にもいないしな」
「前線向きでもないし、かといって後衛にも向かないもんな〜。迷宮獣と仲良くできるスキルなんてさ」
「うぅ……」
「桔梗せんぱい、去年試したことってある?」
「ないわ。梨々子以外、私の異能なんて当てにしなかったし……」
「そうかぁ」
ツッチー(ツチノコに名付けたキュートな名前)は、話し合いをするアカリたちを不安げに見上げている。
ツッチー(ツチノコに名付けられたキュートな名前だ)とは、その日の探索で親交を深めた。具体的に言うと、東京ダンジョン第四層を一緒に冒険した。
何度も出てくる弱めの
たった数時間とはいえ、非日常を一緒に過ごした存在には愛着が湧く。
ツッチーと一緒に撮った写真は、各人のスマホに十枚以上ある。ちなみに一番多いのはアカリで、ベストショットが撮影できるまで何度も粘ってツッチーにちょっと引っ掻かれたりもした。
「迷宮の外に出た途端に、また凶暴化したりして」
「そもそも、
「たしかに」
そんなことが起きれば、世界は異世界モンスターバトルあふれる殺伐としたファンタジーワールドに以下略。
『ぴ……?』
きゅるきゅるのおめめで、もぐもぐズを見上げるツッチー。
「ぐ……」
「か、かわいい……!」
ツッチーを置いていくという選択肢は、アカリたちにはなかった。
「もぐもぐズ、全員帰投します!」
アカリは宣言する。
その手には、しっかりとツッチーを抱いていた。
『PIGYAA!!!!』
結論として、ツッチーはダンジョン外に出た瞬間に凶暴化した。
ダンジョンの出入り口にいる迷宮省の職員のボディチェックをどうにか潜り抜けたのに。
渋谷の地に降り立った瞬間に、ツッチーを押し込んでいたリュックがもぞもぞと動き出したのだ。
けれど。
結論として、悲しいことやヤバいことは起きなかった。
悲しいことというのは、アカリたちが自分たちの手でツッチーを倒したり、周囲にたむろしている探索者たちがツッチーから魔力素結晶のドロップを拾い上げたりすることで、ヤバいことというのは、ツッチーが渋谷駅で大暴れするということだ。
「──畏み畏み申す」
何十回もテイムに失敗していた桔梗とはまるで別人のような顔で、彼女はツッチーを調伏し直したのだ。
釣り上がった目で恐ろしい形相だった岩トカゲは、もぐもぐズのマスコットであるキュートなツッチーに戻った。
「え……?」
「おぉ……?」
驚いた。
なぜって、迷宮異能はダンジョンの中でしか使えない。そんな弱々しい異能でも。
それは、今の世界では子供だって知っていることだ。
「……桔梗せんぱい」
桔梗は言っていた。
彼女は呪術家と呼ばれる、魑魅魍魎と戦う巫女の末裔なのだと。
とすれば、今のは……。
「……調伏の呪、だよ」
恥ずかしそうに、桔梗は言った。
迷宮の外で、異能を操る。
それは、第三世代の誰もが夢見る出来事であって。
「あの、その……秘密にしてほしい、んだけど」
「もちろんだよ!」
小動物系美少女への見る目が、ちょっと変わった。
数日後、ニュースにはこんな文字が踊った。
『樹学院高校ダンジョン探索部、快挙!』
ダンジョン内の生物である岩トカゲをテイムし、さらに迷宮外に連れ出したことは今までの常識を覆すようなことだった。
お揃いのリボンをしたアカリ(部長)と桔梗(お手柄)のコンビの写真が、インターネットの海をざぶざぶ渡って、有象無象から数々の賞賛を引き出した。
可愛い。
JK。
天才。
いーかわ。
「むっふっふ〜っ!」
スクショした画面を眺めて、アカリは満面の笑みを浮かべた。
念願の、キラッキラの青春である。
ダンジョンを駆け回る、今注目の現役女子高生美少女ダンジョン探索者!
溝口アカリの名前は、木月野桔梗の古風な名前とともにちょっとした有名人になった。
クラスでも、それはもうチヤホヤされる。
ダンジョンに潜れば、出会した探索者パーティから「あっ!」とか指を刺されたりして。気持ちいい!
──だけど、どこか胸の奥が寂しいような。そんな気も、しなくもない。
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