第123話 流麗


フェラクリウスの構えは右半身を半歩引いたオーソドックススタイル。


拳を握り込まず緩く開いた状態で胸の高さに置く。


同じ体格同士で向き合えばガードが低いように見えるが、二人の身長は60センチ近く違う。


春梅シュンメイの打撃の角度を想定すると、これくらいがむしろちょうどいいだろう。


身長差のある相手と戦う事は珍しくはないが、達人と素手で殴り合ったことは無い。


ましてや相手は少女。流石に強い抵抗を感じる。


つまり、広義で“正常な精神状態”とは言えない。


それに比べて春梅シュンメイの精神状態は安定していた。


フラットというよりは多少興奮を感じているが、それはこれから戦いに臨むうえで心地よい昂揚であった。


対するフェラクリウスは。


いや、彼でなくてもそうだろう。この場で彼女と相対する者は。


動揺せざるを得ない。


勝てば少女を殺すことになり、負ければより多くの人間が死ぬ。


その中には当然自分も含まれている。


それでもフェラクリウスは長年生きてきた経験から、勝負のみに集中するよう無理矢理ギアを入れ替える。


「あ、たんま」


そんなフェラクリウスの構えを見て、突如春梅シュンメイが待ったをかける。


「固いなぁ。

 フェラクリウスさん武術家じゃないでしょ?」


彼女の言う通り、フェラクリウスに武術の心得は無い。


彼の技は、全て実生活と実戦の中で自ら編み出した独学である。


その中にはもちろん、体を合理的に使うためのアイデアや、他者の技術から学ぶなどした事により武術に近い考え方の動きもある。


だが、あくまで基本は我流。


「そんなんじゃ力、出し切れないでしょ?

 武器使っていいですよ。

 あたしも本当は素手の方が強いんだけど、

 いい機会だから武器を持った相手への対策も

 練習しておこうと思って」


敢えてわざわざ自分が不利になる条件を提案する春梅シュンメイに、フェラクリウスは疑問を抱いた。


「強者と戦う事自体に興味はないんじゃないのか?」


「もちろんそれはそうですけど…

 ゼロ百で捉えないでくださいよ。

 やるからには対等に。

 お師匠さまの時も見物人はいなかったけど、

 ちゃんと正々堂々やってるでしょ?」


そんなことはもはや確認のしようがないが、なんにせよ彼女は武器を使って戦う方をご所望なようだ。


背負っていたバッグに結び付けられていた、鉄製のケンを二つ取り外した。


「じゃーん♪

 これ、内側カートキリアじゃあ見た事ないでしょ?」


月牙と呼ばれる三日月状の刃物を二つ組み合わせた武器。


三日月の反りの部分を左右対称になるよう重ね、真ん中に空間が出来るようずらしたような形。


この中央の穴に手を入れ、片側の持ち手を握り込んで使う。


持ち手を握ると逆側の刃がそのまま拳を守る役割もしてくれる。


これを両手に装備する事で武器を持ちながら龍形掌リュウケイショウの技を使いつつ、刃物も受けられるのだろう。


文字に書き起こすとわかりづらいが、形状は非常にシンプルで初見のフェラクリウスにも一目見ただけで使い方がわかった。


春梅シュンメイが自慢げにそれを見せびらかす。


子母鴛鴦鉞しぼえんおうえつです。

 並の使い手だったら、相手が武器を持っていようが

 素手で捌けちゃうんですけど

 フェラクリウスさんはあの跳虎チョウコ跋虎バッコ

 倒したって言うから、ね」


白姫ハクキの流派でもそうだったが、武術では素手だけでなく武器を持った人間を相手にしたときの対策がされている。


フェラクリウスが鼻をひくひくと動かす。


武器から漂う血の匂い。


おそらくこれが敬龍館ケイリュウカンの人々を殺害した凶器であろう。


対するフェラクリウスは。


左腰に下げたのソードホルダーから“愛棒”を抜く…前に、バッグから“愛棒”を一本取り出した。


更に、いつも通り左腰からも“愛棒”を。


全く同じ形状をした“愛棒”を両手に構えた。


二本…!?


カートも初めて見る、フェラクリウスの二刀流。二棒流というべきか。


いや、股間に堂々とそびえたつ全く同じ形状の“モノ”を合わせれば三棒流とも呼べるかもしれない。


「…何それ?短鐗たんかん双錘ソウスイの方が近い?」


アンの国にも似た武器はあるが、流石に男性器の形はしていない。


形状が独特なため春梅シュンメイは興味を持ったようだ。


色んな意味で見るのは初めてだろう。


いつも一緒にいるカートでも尻込みしてしまう迫力であった。


両手ペニ握り勃起おじさんは現代であれば成人向けビデオでよく見るが、この世界では滅多にお目にかかれない。


股間をがちんがちんにしたおじさんが両手にディルドを握りしめて十三歳の少女の前に仁王立ちしている絵面はちょっと問題があるが、非常に緊迫した場面であった。


息を飲むカート。


(鉄のちんちんを二本用意してるなんて知らなかったが…

 老師と戦うときでも一本だったちんちんを二本出すなんて…。

 それだけ春梅シュンメイを警戒してるって事か…?)


彼の分析は当たらずと言えども遠からずといったところだ。


愛棒を二本構えたフェラクリウスを前に春梅シュンメイは即座に。


「じゃ、まずはお手並み拝見と行きますか」


上体を殆どブレさせずにつま先から前に進める独特の歩法で接近してきた。


まるでするすると床を滑るようにフェラクリウスの間合いの中に入ると、真っ直ぐにではなく周囲を旋回するように“流れて行く”。


これがカートも惑わされた龍形掌リュウケイショウの歩法。


トン、トンとリズムを刻むステップではない。


しかも、カートが海騎カイキにやられたそれより更に滑らかに、更に素早く。


春風がすり抜けるようにフェラクリウスの間合いの中を出入りする。


フェラクリウスは自らは仕掛けずに、自分よりリーチの短い相手の攻撃を待った。


相手よりも長い得物を持っている場合、まずは自分の攻撃だけが届く間合いで先を突くのがセオリーである。


相手の動きだしに合わせて先に相手を叩く“先の先”、相手に技を先に撃たせて反撃を仕掛ける“後の先”がフェラクリウスの得意戦術であるが、これは彼が極端にリーチの短い武器を用いている事に起因している。


しかし、小柄で素手に近い武器を持つ春梅シュンメイよりもリーチが長いのはフェラクリウスの方。


今の状況で自分から仕掛けないのは、若干消極的と言えるだろう。


だが、それも最大限の警戒があればこそ。


フェラクリウスにはこの“龍形掌リュウケイショウ”の特殊歩法に対して情報を持たずに仕掛けるのは危険という“直感”が働いていた。


そして、微かに笑みを浮かべる春梅の表情から、攻撃を誘われている事は明らかであった。


なかなか動かないフェラクリウスにしびれを切らしたかのように春梅シュンメイはするりと自らの間合いまで侵入してきた。


そして、仕掛ける!春梅シュンメイの初手は。



金的!!



即座に反応。


鉄のように硬くなったペニ棒を、鉄のペニ棒でガードした。


すなわち、春梅シュンメイ子母鴛鴦鉞しぼえんおうえつとフェラクリウスの愛棒が接触。


受けたら崩す。反撃の基本である。


しかし…崩せない!


その理由を理解する前に、春梅シュンメイの次の一手はもう迫ってきていた。


姿勢を落とし、腰を起点にぐるりと上体をまわすように下段を攻める。


金的からの、脛斬り。


フェラクリウスのような大柄な人間は、足元が視界に入りづらい。


当然そこを狙ってくる事はわかっているため警戒を怠ってはいない。


右脚を引くと同時にバックステップで回避する。しかし。


下段を警戒されている事も春梅シュンメイは理解している。


後退は読んでいた。春梅シュンメイが更に弧を描くような歩法で前進。


距離を詰める時も絶対に正面から入らず、“ズらして”入る。


側面から子母鴛鴦鉞しぼえんおうえつの鉤のように突き出た刃で肋骨の下を突く。


これも愛棒で受ける。


再び金的。


最警戒しているため、これも防ぐ。


崩せない。


受けているのに、武器に“掛からない”。


“掛け”ようにも春梅シュンメイは既に次の攻撃のモーションに入っている。


止めどない連撃。


止まらないラッシュ。


何のトリックかはわからないが、“受け”からの“崩し”が入らない。


それを分析する時間も与えず、春梅シュンメイの攻撃は続く。


身長差を逆手に取り低く、素早く、“流れて”ゆく彼女の動きに翻弄されるフェラクリウス。


これが操氣武術。


これが龍形掌リュウケイショウの最高峰。


アンの国の人々を守るために自らの手を汚そうとまでしているフェラクリウスが一方的な防戦を強いられている。


それを見ていたカートの口から零れた言葉は。


「美しい…」


憎き殺人鬼の技を見た最初の感想は、感嘆の賛辞であった。

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